この回は2回にわたって、クローンと遺伝子組み替え技術について考えました。1997年、春、イギリスでクローン羊ドリーの発表があって以来、クローン技術が注目されるようになりました。それらの報道から、哺乳類のクローンが技術的にはすでに可能な段階にあること、遺伝子組み替えとクローン技術を組み合わせることで様々なことが可能になることなどがわかってきました。そこで、この技術について、どのようなしくみなのか?これによって何ができるようになり、社会に何をもたらすのか?また、どのような問題が考えられるか?といったことを考えました。なお、授業では、1997年5月にNHKで放映された、「クローン・動物複製」の録画を資料としてみました。
ビデオ 1997.5 NHK「クローン・動物複製」
資料
●朝日新聞 1997.2.26 「父」なしで羊 研究者に驚き
●朝日新聞 1997.2.28 天声人語・クローン羊ドリー
●朝日新聞 1997.3.6 となりのやまだ君・クローン人間
●朝日新聞 1997.3 遺伝子組み替え食品シンポ
●岩波書店「お母さんが話してくれた生命の歴史」より 遺伝子のしくみ
●インターネットマガジン・世論調査 クローンについて
生徒のレポート
●やっぱり、こういうものはすごい勢いで進んで行くから、良い面も悪い面も一度にたくさん出てきてしまうと思った。研究する人たちも、あせらないで規則をきちんと決めてから研究を進めていってほしい。こういう技術は悪用されると取り返しのつかないことがおこるので、慎重にゆっくりと進めていってほしいと思う。
確かに、クローン技術は遺伝病や臓器提供など役立つものも多い。でも、それがほんとうに人助けになるのかというと、なんだか違うような気がする。遺伝子を組み替えられた豚さんから心臓を提供されるっていうのは、抵抗を感じる。クローンよりも、病気の治療そのものが進歩してほしい。クローンはその後でもいいんじゃないかなって、あますぎるかな、私の考え。
●私はクローンについては反対だ。
それは自然の法則に逆らっている。
トマトの遺伝子組み替えとかも、一見いいトマトが出きるように見えるけど、何十年かたったとき、どんな影響が出るかわからないし、怖い気がする。それから、臓器取り用のクローン人間なんて、考えてる人が信じられない。牛や豚で研究している人についてもそうだ。
でも、ある日、交通事故とかで、子供や大事なペットとかが死んじゃったら、クローンが出きればって思うかも知れない。
●クローン技術をはじめて聞いたときは、おどろいたし、すごいと思った。羊の映像を見たときもすごいと思った。
自分のクローンをほしいとか考えることがあるけど、それはクローン技術を軽く考えすぎていると思う。そういう考えでは、「命」の重みというものがなくなってしまう。
●僕は反対だ。
人間は、生命を操れるほど高等な生物だとは思えない。べつに神様の存在を信じているわけではないが、これまでの生命の進化には、人間の知らないことがたくさんある。そういう所に人間が手を出すのは危険性が大きすぎるし、思い上がりのように見える。
自然界の循環に人間が手を加えるほど、自然のバランスを破壊するし、人間にも災厄が返ってくる。この技術はあまりにも大きく自然を変えることの
できる技術なだけに、慎重すぎるほど慎重に取り組んでいくべきだと思う。
●クローンは良くない。人間は神ではない。だから、人間をクローンで作り出すようなことは良くない。たとえ、人間でなくても、命を操るのは良くないぞー。
●クローンによってもたらされる利益は計りしれません。これが可能になれば、臓器をつくり売買することも可能になり、多くの臓器移植を待っている人を救うことができます。
一方で、生態系を破壊する危険性や悪用される危険性があります。それに、人間が生命をコントロールすることにも抵抗を感じます。クローン人間の人権問題まで考えると、問題点は限りなくたくさんあります。クローンによる利益と問題を較べると、いまの実験段階では、問題の方が大きいように思えます。
●遺伝子操作で植物の性質を変えていくのは、特に悪いことではないと思う。その植物の良いところを集めて、良いものができるからだ。
ただ、クローン人間をつくって、臓器移植用にするというのは問題があると思う。臓器移植用の動物をクローンでつくるというのも、良いとは思えない。臓器を取り出すためだけに、生命を作り出すというのは、命を軽く扱いすぎている。
人間のクローンを作り出せるという技術はすごいが、その後のことが無責任になっていると思う。結局、植物にとどめておいたほうが良いと思う。
(僕もクローン技術は、植物や単性生殖で増える生物にとどめておくべきだと思います。「インターネットマガジン」の世論調査には、「クローンを全面禁止するなら、植物の接ぎ木はどうするんだ」という意見がありましたが、サツマイモの根分けや接ぎ木と動物のクローンとをいっしょに考えるのはまちがいです。絶滅動物をクローンで再生することにも反対です。生物種の絶滅は、絶滅させてしまったから今度はクローンで再生すればいいというような問題ではないと思います。そういうお手軽な発想は、さらに生態系に破壊をもたらすのではないかという気がします。 村田)
●クローン羊のニュースを聞いたとき、「気持ち悪いな」というのが第一印象だった。今回、クローンのしくみや問題点を聞いて、気持ち悪いのと同時に恐怖がわいてきた。
同じ人間が人工的に何人もつくられると、人権とか存在意義とか命の大切さとかが失われることが考えられる。それ以上に怖いと思うのは、クローン技術の失敗や悪用によって、生態系が対応できないような生物が生み出されてしまうことだ。ちょうど、プラスチックが自然の中で処理できないみたいに、研究室で作り出された生物が人間の手におえなくなる可能性がある。
●人間のやることはわからない。
クローンのビデオを見ていて、人間はすべて自分たちを中心に考えているんだなって思った。そうやって何でも自分たちに都合のいいように作りかえていく。遺伝子組み替えの野菜も臓器移植用に作られた豚や牛もそうだ。その結果、地球上には人間ばっかりがあふれていく。ロボットみたいに同じパターンの考え方をする人間ばかりが。それはもうすでに、クローン人間だ。
もし自分がクローンでつくられたのだとしたらと想像してみる。家族も記憶も偽物で、本当は研究所でつくられたのだとしたら……。それは恐ろしい想像だ。どんなふうに生きていけばいいというのだろう。
そんな生き物をつくっちゃいけない。クローン人間も羊のドリーもアメリカの大豆もそう思っている。
●クローン羊の映像を見たとき、僕は何か無機質なものを感じた。少し不気味だった。
一方で、クローンが当たり前の時代になって、トマトも人間もクローンが待ちにあふれるようになったら、クローンへの違和感なんて感じなくなってしまうのだろうか。
人間の欲はとどまるところを知らないから、クローンのような強力で大金を生み出す技術も歯止めがきかないほど進歩していく気がする。しかし、クローン研究に夢中になっている人たちに少し考えてほしい。本当にクローンが必要なのか、その技術が自分たちに何をもたらすのかと。
手塚治虫の『火の鳥』にもクローンがでてくる話がある。そこでは、人間と少しだけ姿の違うクローンがつくられていて、クローンたちはゲーム用として人間に狩られている。その様子は生命をもてあそんでいる今の社会を象徴しているような気がした。今の社会は、自分が生きていくのとは関係ないことで、生命を殺し、作りだしている。今の社会がこのままエスカレートしていったら、将来、クローン狩りのようなこともあるかも知れない。その時、僕たちは疑問を感じることもなく、大喜びで狩りを楽しんでいるのだろうか。
●人間のクローンは問題が多い。クローンで生まれたからと言っても、ひとりの人間であることには違いはない。それを実験用や臓器移植用の部品として扱うのは許されないことだ。
だから、まるまるひとりの人間じゃなくて、各臓器ごとのクローン培養が実現できるまで、人間のクローンはやるべきではない。もし、心臓や肝臓や皮膚といった臓器だけの培養が可能になったら、それは医学的にすごく利用価値があるし、認めてもいいと思う。
(確かにその通りなのですが、臓器の培養といってもガラス瓶の中で心臓や肝臓がブクブクと作られて行くわけではないようです。各臓器ごとに培養するのは不可能だし、無駄が多いので、脳や神経系をのぞいた人間をクローンで作るということになりそうです。資料で紹介したアメリカで研究されている無脳ガエルの開発はその第一歩です。はたして、臓器を取り出すためのスペアボディとして、脳のない人間を作り出すのは許されるのか、さらにまた議論を呼ぶことになりそうです。 村田)
●クローンより先に、まず遺伝子の複雑なしくみにおどろいた。0.000002ミリという細い2本のひもが生物の設計図で、それがそれぞれ違う種類のタンパク質を作りだしているなんて、それだけで、頭の中が混乱してきた。さらに、人間がそれを操作しているなんて、不思議な気分だ。
ビデオにでてきた研究所では、人間の肝臓の遺伝子を組み込んだ豚を作ろうとしていたが、ゾッとした。僕は食用として生き物を殺すなら納得できるけど、あれは命をおもちゃにしているとしか思えない。豚にも命があるんだぞ。
生命の誕生には人間が手をつけるべきではないと思う。そうでないと、地球上の生物のバランスがくずれてしまうのではないか。