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  企業ロゴの入った商品・ブランドイメージと広告


 以前から街を歩いていて奇妙に思うことがあります。
 大勢の人たちが企業ロゴの入った商品を好んで身につけていることです。
 シャツやカバンといったファッションブランドのロゴ商品は古くからありますが、最近ではノートパソコンや家電商品にも大きく企業ロゴが入ってものがでてきました。個人的には、デザイナーの志の低さと企業のあざとさを見せつけられているような気がして嫌いなんですが、大勢の人があれを喜んで身につけているところを見ると、ひとつのファッションとして完全に定着しているようです。

 買う側は、いわばお金を払って「歩く広告塔」になっているわけです。給料ももらわずに宣伝してあげているわけですから、ちょうど広告入りはがきが1枚あたり5円安くなるみたいに、そのぶん商品が安くなるというならスジが通ります。しかし、実際にはその逆で、高級ブランドのタグが付いていることで価格は数倍、数十倍にはね上がります。なんの変哲もないシャツやカバンでも、高級ブランドのタグやロゴが付与されるだけで高級品に変身するわけですから、まさに現代の魔法といえます。偽ブランド商品が大量に出回るのもそのためです。おそらく最初にこのブランド商法を考えついたのはシャネルだと思いますが、アタマがいいと感心します。ブランド効果で利益を上げるだけでなく、それを着たり使ったりしてもらうことで宣伝までしてもらえるわけです。

 アメリカのコラムニスト、アンディー・ルーニーも同じことを疑問に思っていたようで、CBSのテレビコラムでは、皮肉たっぷりに巷に広告入り商品が氾濫する様子を紹介していました。彼のコラムを見ながら、このことは消費社会と企業広告を考える上でちょうど良い材料ではないかと考え、授業で取り上げることにしました。授業では、広告費がいかに巨額なものかを説明し、その後にこのテレビコラムの録画を生徒に見てもらって、自分の考えをレポートとして書いてもらいました。

【資料】 1998.11.22 TBS「CBSドキュメント」よりアンディー・ルーニーのテレビコラム 約5分

【生徒のレポート】


●私もブランドにひかれることがある。値段は高いけど、なんか格好いいってイメージがある。雑誌なんかを見ていて、人が着ていたり持っているブランド品はやけにかっこよく見える。流行に流されてるんだろうなという気もするが、ほしくなって結局買ってしまう。
 自分としてはそれを着て「宣伝してる」という意識はぜんぜんないけど、もしかしたら私が着ているのを見て誰かがそれをほしくなることもあるかも知れない。その誰かが着ているのを見て、別の誰かが……ということもあるだろう。そうしてみんなが着るようになってブームになれば、いままで興味のなかった人も欲しくなるかも知れない。そんな人の心理を利用してもうけている会社は、すごいようなずるいような気がする。
 ブランド品が好きな私としては、そうだと知っていてもまた買ってしまうだろう。今は、ビビアン・ウエストウッドというブランドがお気に入り。

●なぜブランドものが売れるのか?それは日本人の権威や肩書きに弱いところから来ている。「有名大学卒業」や「有名企業勤務」というだけでその人を見る目が違ってきてしまうのもその一つだ。そういう肩書きを鼻にかけている人もいる。そういう国民性がブランド商品の流行をもたらしているのだと思う。
 ビデオで言っていた「歩く広告塔化」は、本人にしてみれば宣伝させられているという意識よりも、自分はそうした高級品が買える経済力があり、センスがあることをまわりに示す自己表現というつもりだろう。まわりをうらやましがらせて優越感にひたれるという効果もある。もちろん、そのことが結果的にブランドの宣伝にもつながっている。
 海外旅行に行って、抱えきれないほどのブランド品を買いあさる日本人が話題になったが、それほど日本人にとってブランドイメージの威光は定着している。このことは多くの日本人が自分に自信がないからではないか。自分自身に誇れるものがないから、ブランド品を身につけて少しでも自分をよく見せようとする。そういうコンプレックスの裏返しのように見える。このことはブランドものが品質や性能が良いということとは直接の関係はない。よその国の人たちから見れば、そういう日本人の行動は奇妙で浅はかに見えるに違いない。
 現在、多くの商品は「実用」と「広告」とを兼ねているため、使う側にその気がなくても「広告塔化」されてしまう。ブランドや企業名を広告させて、なおかつ高い値段で売っているのだからこれほど消費者を馬鹿にした話はない。ビデオで言っていたように、広告させられているのだからそのぶん安くなっていいと思う。企業側ももっと謙虚になるべきだ。

●みんながブランドものの服を着てるのを見れば、私も欲しいと思う。逆に、流行でないものや有名でないものは欲しいと思わない。まわりからも「ダサイ」と思われるだろうし。でも、ブランドのロゴがついているかだけで値段がすごく高くなるというのはおかしいと思う。

●格好良いと思うのは当たり前だと思う。私も流行ものは欲しいし、たくさん買いたい。まわりが着てると欲しいし、ブランドもたくさんある。人気のないブランドを着てると、なんか恥ずかしくなるけど、人気があってみんなが着てるものだと、着てて嬉しいし、自信を持つこともできる。

●ブランドのマークが入っていれば、一目でどこの商品かわかる。有名なブランドなら、「高級なものを持っているんだ」とまわりの人たちに自慢できる。そういうブランドマークが入った商品が売れているということは、多くの人にとってブランド商品は、気に入ったものがたまたまそこのブランドだったということではなく、ブランド自体にひかれて買っているということだ。だから、多くの人にとって、ブランドのマークは企業の宣伝という意識はなく、マーク自体がひとつの価値ある商品になっているのだと思う。もし、多くの人が「お金を払って企業の広告をさせられている」と感じていれば、こんな服やかばんが売れるはずがない。
 マークの入ったものをかっこいいと思うのも、マークのデザイン自体がかっこいいということとは別で、流行とか高級とか社会的につくられたイメージによって「かっこいい」と感じるのだと思う。

●自分に自信がなくて、人に誇れるものがないから、ブランドものを身につけて自分を飾ろうとするのだと思う。人に自慢したいためのブランド品なら、ロゴが大きく入っていた方がいい。その方がわかりやすく人にアピールすることができる。センスがいいと思われるかどうかはわからないが、少なくとも「すごいな」とか「金持ちなんだな」とは思われるはずだ。きっと、そういう人たちにとっては、ブランドもので身を飾ることでした、人から「すごい」と思われることがないのだろう。
 そういう心理を、企業はとっくに見抜いている。だからたくさんのロゴ入り商品が出まわっている。ロゴ入り商品は、企業にとっては宣伝になるし、自慢したい人にとってはわかりやすく人にアピールできる。そうやって互いにうまい具合に利用し合っているのだと思う。

(ロゴ入り商品は、企業にとっても消費者にとってもうまい具合に利用しあっているというわけです。逆にいえば、消費者がロゴ入り商品は企業の広告であるという当たり前の事実に気づくためには、大きく視点を転換する必要に迫られるというわけです。だから、ちょっと考えればあたりまえのことが、なかなか気づかないというわけです。次の文章は、それはわかるが実際にはそんなに割り切れないと言う趣旨のレポートで、自分の微妙な気持ちが表現されています。ところで、ビビアン・ウエストウッドって、セックスピストルズのコスチュームで有名になったロンドンパンクのおばさんだと思うけど、椎名林檎がリングをはめていたりして、また流行ってるんでしょうか。)

●私はそれほどブランドにこだわる方ではないと思いますが、それでも、町で見かけた人が自分よりも有名ブランドを身につけていたりすると、自分が負けたような気分になります。
 ブランドもので自分を飾ることや、着ているブランドで立場の強い弱いが決まることに、「そんなのバカらしい」「自分に自信がないからだ」と言いたいけど、ブランドものを持っていない者の負け惜しみに聞こえそうでやっぱり言えないです。
 ロゴが入っているものを好んで着ている人は、自分が企業の宣伝に利用されているなんてことは、これっぽっちも考えていないと思います。むしろ、ロゴが入ったものを身につけることで、自分自身も偉くなったような気分のはずです。つまり、会社やブランドの知名度に便乗して、それを身につけている自分もすごい存在になったかのように感じているのだと思います。だから、ブランドのイメージが高ければ高いほど、それを着ている自分の立場も強められると感じるのです。そこまではっきりと意識している人は少ないかも知れませんが、多くの人は自分の意識しないところでそう感じているのだと思います。だから、ほとんどの人にとってブランドは「かっこいい」「すごい」という結果だけは感覚としてわかるんだと思います。
 そう考える人が多くなればなるほど、それに文句を言って逆らうのは難しくなります。流行は渦巻きみたいなもので流れに逆らうのはすごく大変です。(別にそうしようとも思わないけど。)そんな時は何を言っても流行についていけない者の負け惜しみに聞こえてしまうので、「ひとりでダサイかっこしてれば」と言われれば何も言えません。格好良さというのは、そういうあいまいな感覚でなりなっているので、誰もがわかるように説明するのはすごく難しいと思います。

●ロゴ入り商品が企業の広告だというのは間違っていると思う。ビデオのおじさんは「歩く広告塔」と言っていたが、服に何も書いていなかったらさみしいし、高価なブランド品なのにみんなに自慢できない。それに、名前やマークが入っている方がかっこいいと思う。

●同じ値段でブランドマークの入ったTシャツと入っていないTシャツがあったら、ほとんどの人はブランド品をとるはずだ。たぶんそれはブランドマーク自体に価値があるからだと思う。
 ビデオのおじさんが「大きいマークがついてる商品は企業の宣伝をさせられているようで嫌だ」と言っていたが、僕はこの考え方に反対だ。もし、何も書いていない服やカバンばかりになってしまったとしたら、企業の宣伝が減り、売れ行きも悪くなり、その結果、景気もさらに悪化するだろう。景気を上向かせるためには、ブームや企業の宣伝は不可欠なものだと思う。

●僕は「使えれば何でもいい」と考えているので、先生同様、マークがついているだけで値段が何倍にもなるというのは奇妙に見えます。僕の2人の友達は横に3本のラインの入ったジャージを持っています。ひとりはアディダスので、もうひとりは無名のものです。アディダスのを持っている子が「それ、ニセモノなんじゃない?」ともうひとりをからかいました。でも、いったいニセモノってどういう意味なんでしょうか。ふたつのジャージの違いはマークがあるかないかだけで、形も材質も同じものでした。それをなんで、アディダスのマークの入ったもののほうが「上等」だと言えるのでしょうか。

(「いったいニセモノってなんだ?」ホンモノじゃないもの?「じゃあホンモノっていったいなんだ?」マークや保証書がついているもの?機能的に優れているもの?何かに似せようとしてつくってないもの?じゃあ、ニセモノのほうが優れていてそっちのほうが人気が出てしまった場合はどうなるの。実際、そういうことはときどきあります。そういう場合はそれがホンモノになるのかな。そもそも、価値があるから人々が欲しがるのか、人々が欲しがるから価値があるのか……。考え出すときりがなくなりそうです。オーソン・ウェルズの映画に「フェイク」という偽物にまつわる物語を集めたものがあります。この映画を見たときもそんな気分になりました。)

●人間は人の持っているものが欲しくなる。有名人とかまわりの友達とかすれ違う人を見て、「自分も……」と思ってしまう。ブランドものを持っているだけで、きっとまわりの人は注目してくれるだろう。注目されたい、うらやましいと思わせたい、仲間はずれになりたくない、そんな気持ちから高くても買ってしまうのだと思う。そういうとき、自分がブランドの宣伝をしているなんて考える人はいないだろう。でも、意識しないでやっていることの結果がすごく大きな宣伝になっていることは事実だ。そう思うとそういうブームをつくり出す企業の人たちはすごく賢いと思う。
 高い買い物をしてしまって、後で困るのは自分だ。自分に本当に必要なのかを考えて買うことが重要だ。それでもブランド品が欲しいという人はその人なりの考えがあるわけだから、それもひとつの個性ではないかと思う。

●流行っていればどんなものでも格好良く見えてしまうということはあると思います。昔の流行の服とか流行語とかに、いま思うと恥ずかしくなってしまうのが多いのはそのためだと思います。だから、ブランドのロゴじゃなくて、「アヒル」のTシャツが流行したら、今度はみんながアヒルのグッズを買うようになると思います。

●流行はヒトラーの演説と同じで、くり返し同じものを見せられることで頭の中にすり込まれていく。そうやって、はじめは奇妙に感じたものが、格好良く見えたり、当たり前になったりしていくのだと思う。

●私は何でかはよくわからないけど、ロゴの入ったものをいっぱい持っています。アディダスのジャージもあの3本線が入ってるだけで欲しくなるし、プラダのリュックもあの小さな金具ひとつで欲しくなってしまいます。
 ブランドにこだわらないで自分流に着こなせる人はカッコイイと思うけど、なかなか自分にはできません。有名なロゴが服の一部についていたり、ブランドものを身につけることで、少しはセンス良く見せることができると思ってしまいます。ブランド品を少し身につけているだけで印象が違って見えるのではないかと思うのです。だから高くてもブランド品は売れるだろうし、当分消えることはないと思います。
 こういうブランドのブームをつくり出している人というのはどんな人なのでしょうか。そういう人に会ってみたいです。

●いままで自分が企業の宣伝をさせられているなんて思ってもみなかった。むしろブランド品を安く手に入れたときは得したと思っていた。でも、たしかにブランド品を身につけて、得意げになって街を歩いていれば、宣伝しているのと同じことだ。それになぜ、私たちはブランド品を持っていると得した気分になるのだろう。シャネルには価値があると誰が決めたのだろう。考えれば考えるほど不思議になってくる。私たちは気がつかないうちに、広告やブランドのイメージに操られているのかも知れない。自分の意志で買っているつもりでも、本当は買わされているのかも知れないと思うと少し怖くなる。

●私もブランドものは大好きです。しかし特に理由はありません。なぜ自分がそれに惹かれるのかもわかりません。今、私はフェンディーにこっています。柄がかわいいと思ったからです。でも、フェンディーと同じ柄の違うブランドだったらぜんぜん興味がわきません。だから、フェンディーという名前そのものに惹かれていたのだと思います。テレビや雑誌のブランドもの特集とかに影響されているのだと思います。いままで、高いのは当たり前だし、しょうがないと思っていたけど、テレビに影響されて価値があると思いこんでいたのかも知れないと思うと、ちょっとバカバカしく見えてきました。
 とは言っても、これからもまた高いブランドものを買ってしまうと思います。流行モノが欲しくなるというのは、日本人の弱点でもあり、同時に、ブームにのって活気がある社会にするという点ではいいことかも知れません。みんなが流行なんか見向きもせず、賢い消費者ばかりになったらつまらないんじゃないかと思います。

●ほとんどの日本人は「流行」「ブランド」「限定品」という言葉に弱い。また、人と違うことをして仲間はずれになることを恐れている。人と違うことをして、自分の個性や主張を示すのを恥ずかしいと思っているのだろう。日本の社会は大きな村のような社会にみえる。人の目を気にして、まわりに合わせることを大事にする社会だ。だから、ブームも熱しやすく冷めやすい。こうした風習は長く続いてきた日本社会の特徴だけに、仕方のないことではないかと思う。

●僕たちが企業の宣伝をしてあげているということは別にかまわない。それはそれでしかたない。僕もブランドもののほうがカッコイイと少し思う。でも、ブランド品ではなくてもちゃんと使えればそれでいいとも思う。僕はアディダスみたいだけどアディダスではない三本線のズボンを持っている。ちゃんと使えるからそれでいいと思っている。ブランド品のほうが質がいいと聞いたことがある。そうかも知れないけど、とくに今はいているズボンに不満はない。けっきょく、何を選ぶかは個人の自由です。

●何をカッコイイと思うかは自分の判断というよりも、まわりに影響されていることのほうが大きい。みんなが着ているからとか、流行に乗り遅れたらみんなからダセーとか遅れてるとか言われるのが嫌だからだ。だから、流行はどんどん変わるし、自分の好みも変わる。
 どこかに流行をつくり出す人がいて、それをマネする大勢の人がいてブームが生まれる。逆に大勢が持つようになればあたりまえになりすぎて飽きられる。飽きた人たちが別のブームをつくり出す。そのくり返しではないかと思う。

●どこのものかわからないジャージとナイキやアディダスのジャージがあったら、ブランドものを選ぶと思う。みんなが持っているし、格好いいと思うからだ。でも、なぜ自分がそれを格好いいと思うかなんて考えたことなかった。
 いいものが欲しいと思うときは、形や色や機能で選んでいる。オールスターのスニーカーとかは定番で流行もほとんどないし、はきやすい。でも、デザインや機能以外の部分で流行はつくられているようにみえる。マークが入っているだけで高く売られているものはそういう商品の典型だ。こんな商品を高く売っている企業はずるいと思う。そういう流行に乗せられて、ホントは好きでもないものがよく見えてしまうこともある。そうすると、お金ばっか使っちゃうことになる。みんな、もっと自分の好みを大事にすればいいのにと思う。

●ぼくはブランド品は頑丈で性能がいいというイメージを持っているけど、ブランド品だからといって全部が全部いいとは限らない。無名のメーカーのものでもいいものはある。
 ただ、ビデオで見たあのおじさんの言っていることは違うと思う。自分がその商品を好きで買っているのに、それについてとやかく言われたくないし、宣伝させられているなんて気にしなくていいと思う。

●みんなが知ってるということで、注目を浴びるというのがブランド品を着る理由です。だから、みんなが知らないブランドを着てもあまり意味がありません。この考え方はみんなが似たようなものをカワイイと思っているから成り立つわけで、一人一人の好みがぜんぜん違っていたらこういうことにはならないと思います。多くの人が同じようなものを好み、同じようなことをしたいと思っているから、流行がつくられるのだと思います。

●日本人は「みんながこうだから自分もそうしよう」という意識が強いのだと思う。以前、授業に出てきた高度経済成長期の会社員たちもそういう状況で働いていた。個人の個性はかえって邪魔になるという「集団主義」の考え方が長く日本に続いてきたから、みんな一緒でなければならないと思いこんでいる人が多い。ブランドロゴの入って商品もそういう心理を利用して売れている。
 ひとつの実験として、社員に会社のマークの入ったシャツを着せて、人通りの多いところを歩かせる。はじめは見慣れないマークに「なにあれ」と思うだろうが、大勢の社員にくり返しやらせていればやがて見慣れてきて、「これが流行ってるんだ」と思うようになるだろう。そうなればそのマークが「格好いい」ように見えてくるに違いない。その時、その何でもないシャツは高い値段で売れるだろう。
 こうした集団主義はプラスとマイナスの二つの側面を持っている。良い方にはたらけば、何かを大勢でやるときに一致団結できる。しかし、逆に個人の優れた個性をつぶしてしまうことにもなりかねない。二つのバランスを上手にとることが必要だ。

●たしかに日本人はブランドに弱いっていうことはわかる。私もCKとアニエスbが好きだし、洋服はineとO・Z・O・Cが好きで、服のほとんどがその2つのブランドでしめられている。やっぱり、普通に買うより高いものもあるけど、それでも欲しい。しかもずっと買っているから、他のものを買いたいとは思わない。欲しいと思う理由は、雑誌とかの影響もあるし、ショップ袋が欲しいとかもあるし、カワイイとか使いやすいとかもある。流行だからというのもある。
 ただ、買ったときに自分が宣伝しているなんて思わない。好きで着ているだけだ。その結果が宣伝になって、ブランドのイメージも成り立っている。それは悪いことではないと思う。

●私もブランドには弱いかも知れません。私にはブランドものはノーブランドのものに比べて、何か良いものがあると感じる。オーラみたいなのが出ているように見える。そこのブランド独自の良さがあるのです。それにノーブランドだったら自慢もできないし。ブランドのロゴがあってこそいいと感じるし、ロゴがなかったらそこの店の証明もなくなってしまう。私にとって、ロゴは宣伝だけど、宣伝ではないように思えます。

●ブランドものだからといって、すべてが売れるわけではない。自分の好みじゃなければ買わないという人が多いのではないかと思う。例えばエア・マックス。何種類ものデザインが売り出されたが、その中のいくつかはそんなにかっこいいとは思わなかったし、だから欲しいとも思わなかった。
 自分の場合は、ブランドものだから欲しいというのではなく、たんに気に入ったものにブランドものが多いというだけのことだ。だから、有名なブランドではなくても、気に入っているものもたくさんある。
 最近は、トミー・ヘルフィガーの香水をよく使っている。これも、好きな香りだから使っているだけのことで、ブランドをありがたがっているわけではない。ただ、ブランドものに質のいいものが多いのは事実だと思う。

(ちなみに上の文章、男子です。カルチャーショックを受けました。)

●ぼくはそういうマークが入っているのはいいと思う。NIKEとか色々持っているけど、格好いいと思う。だけど、どんなマークでもいいというわけではない。嫌なマークもある。

●別にどうだっていいと思う。第三者がどうこういう必要はない。ルーニーさんは広告塔にさせられていると批判していたが、そういう服が好きな人にはそんな自覚はないだろうから、あえて指摘する必要もないだろう。
 売っている会社にしたって、ブランドの人気を出すために広告をしたり、色々努力しているわけだから、そういうブランドを否定することもないと思う。ルーニーさんは「広告させられるなら裸になったほうがまし」と話していたが、自分一人でそうしていればいい。

●電気製品の場合、有名ブランドだと品質や作りがいいと感じる。聞いたこともないブランドだとすぐ壊れてしまうのではないかと不安に思う。だから、多少値段が高くても有名なメーカーのものを買う。そのほうが安心だからだ。

●あれだけたくさんの企業があって、たくさんの商品が出まわっているんだから、同じような商品が出てくるのも仕方がない。そこでお店の人は考えた。他のと区別して買ってもらえるようにするためには、マークをつければいいじゃんって。それがうまくいったんで、こんどはみんながマネして、あんなマークやこんなマークが出まわったんだヨ。買う方もマークがついてれば高級品なのよって、みんな思いこんじゃったんだ。
 マークの入った品物って、お金と同じだと思う。お金だって金属のぴかぴかしたやつに数字が書いてあったり、紙におじさんの顔がかいてあったりするだけなのに、みんなが価値があるって思っている。みんながそう思っているからお金は通用する。Tシャツのマークもそれと一緒。みんなが価値があると思っているから、本当は大したものじゃなくても高く売れる。あんまり欲しくなくてもみんなが持っていればつい買っちゃう。私も買っちゃう。やっぱりみんなと一緒がいいって思っちゃうしね。ただ、あんまり大きなマークは嫌だな。ちょっとだけワンポイントとかがいいな。

●ロゴが入っているだけで何故かカッコイイ気がする。何故かはわからないけど、そういう服を着ている人を見ると、「あ、カッコイイ、ぼくも欲しい」と感じる自分がいる。
 何故格好いいと思うかについて、広告の影響が大きいと思う。広告を見ていて欲しくなることは多い。本当に良いかどうかは広告ではわからないのに。
 コンビニで売っている「無印良品」は割といいものが安くて、気に入っている。ああいうのがもっと増えればいいと思う。

●日本は貧乏な国から急に金持ちの国になったもんだから、みんな自分の好みに合ったものより、高いものがいいものだと思っている。高けりゃいいと思う人が多くて、困ったもんだ。

●宣伝にそんなにお金をかけているなら、もっと安くして欲しい。

●ぼくはいろいろなブランドの名前の入った服はいいと思う。だって、高いものだから、みんなに自慢できる。なのに、目立つところに名前が入っていないのは損な気がする。

●ブランドというのは安心感だと思う。有名な会社の製品なら、多少高くても安心なので買ってしまう。そういう保証の意味がブランドであり、会社のマークだと思う。「村田ブランド」なら安くても僕は買わないだろう。

●僕はマークの入った商品は別にカッコイイとは思いません。たしかに見た目は良いかも知れませんが、使いにくいものもあるし、マークが入っているというだけで高い値段だというのは納得がいきません。「adidas」の服を持っていましたが、高かったわりにはあまり着心地も良くなかったし、汚してしまってすぐに着れなくなってしまいました。

●私たちが買ったものが企業の宣伝までさせられているとは気づかなかった。今まではそれが普通と思っていたけど、言われてみると「そーいうやそうだ」と思った。考えてみれば、身の回りにある商品のほとんどがそうだと思う。洋服だけでなく、スーパーの袋にまでお店のロゴは入っている。当たり前すぎて、それが広告だなんて考えてもみなかった。本当にあれも広告なのかいまでもちょっと疑問に思っている。
 もし、やっぱり広告が目的なのだとしたら、「よくそこまで考えるなー」と思うし、自分で気がつかないうちに利用されているみたいで、ずるいと思う。ただ、何でロゴ入りのものをかっこいいと思うのかは自分でもよくわからない。

●自分はブランドものやメーカーの名前にこだわりがないので、何でマークの入った商品をみんながかっこいいと思うかはよくわからない。ただ、ブランドものが好きな人は自慢がしたいんだと思う。

●ビデオでヴィトンのバックとかをばかにしていたけど、ヴィトンのボストンとそこらへんのわけのわかんない安いバックとでは、ヴィトンなら丈夫だし、あきもこないから何年も使えるし、結局、得だと思う。年をとっても使えるし。

●私が服とかを買う基準っていうのは、ブランドや値段よりも、自分がカワイイとかカッコイイとか思うことがすべて。他人に「品質がいい」とか「人気がある」とか言われても、自分の気に入ったものでないと買う気が起きない。
 日本人はブランドに弱いとか言われているけど、それは一部の人たちだけで、そうでない人も大勢いると思う。自分が買ったものがたまたまブランド品だったとして、それを見て「ああ、こいつはブランドものが好きなんだ」と思われるのは納得がいかない。自分が気に入ったものなら、ブランド品だろうがそうでなかろうが買うというだけのことだ。その結果、ロゴの入ったものを買ったとしても、自分の意志で買ったのならそんなことは気にならない。
 あと、デパートの婦人服売場で売っているブランドものの服に自分で着てみたいと思うのは少ない。30代近くになって、やっと似合うかなといった感じの服ばかりだ。自分が着たとしても似合わないだろうなあと思って、見るだけで通り過ぎてしまう。

●日本の学校はほとんどが制服なので、日本人は若いときに服を見る目が育たないんだと思います。服にかぎらず、考え方とかも目立つことはいけないと教えられて育つから、個性とか自分の好みとかもあんまりないのだと思います。だから、日本ではひとつのものが流行ると一斉にみんながそれを着るようになります。自分なりの好みがあれば、それぞれが独自なファッションをするはずだし、流行に合わせて一斉に同じような格好をすることもないはずです。
 多くの人にとって、ブランドのマークは「宣伝しているからそのぶん安くなるはず」とは考えず、「外国の有名なブランドのマークがついている高級品のシンボル」と見ていると思います。だから、高い値段が付けられても当然と納得しているのです。日本人がこういう品物を好むのも、自分に服を見る目がないからです。服を見る目があって自分の好みがはっきりしていれば、ブランドのマークをありがたがるなんてことはないはずです。で、その結果、高い金額を払って広告をさせられているわけですから、これでは企業の思うつぼだと思います。

●ブランドのロゴが入った商品が売れるのは、消費者の心理を企業がうまくつかんでいるからではないかと思います。高級品を買って見栄をはりいたいという人にとっては、ロゴが入っていればはっきりとわかりやすく高級品であることをアピールできます。
 以前、エアーマックスが流行りましたが、あのときは1足、何万円もの値段が付きました。それでも売れて、手に入れるのが難しいとなったらますます値上がりしました。やがて、多くの人がそれを高いと思うようになり、買わなくなったらしだいに値下がりし、簡単に手にはいるようになって、それを持っていてもぜんぜん自慢にならなくなった時、ブームが去りました。そういう消費者の心理がブームや高級ブランドを支えているんだと思います。

●ブランドイメージのある大きな会社の製品ばかりが高い値段で売れるとなると、小さな会社や新しい会社が出した商品は機能や性能が優れていてもなかなか売れないことになる。その結果、自由競争が起こらず、独占企業によって価格が上がるばかりで、大企業も高い商品を売るためにますます宣伝に力を入れることになっていく。日本の市場はそういう状況ではないかと思う。

(ちょうどバブル期にそういう状況がおきました。高級品ほどよく売れ、企業はブランドイメージや商品イメージを高めるためにコマーシャルに力を入れました。質がいいのは当たり前の時代になったので、各社はコマーシャルがつくるイメージによって商品の差別化を図ったのです。そのため、コマーシャルの内容も「安い」「うまい」ではなく、意図のはっきりしないイメージフィルムのようなものが多く流されました。高級品にはムードが必要だというわけです。)

●このビデオを見るまでは、企業のマークのはいった商品が宣伝だなんて考えたこともなかった。
 「NIKE」や「SONY」のマークをなぜかっこいいと思うのかについては、多くの人が「いいもの・イコール・有名なもの」と考えているからだと思う。有名なマークなら多くの人がそれをかっこいいと思うし、そういう商品を持っていて自慢になる。そうするとまわりの人も欲しくなるから買う、そのくり返しが流行をつくり出しているんだと思う。
 企業のマークはたしかに宣伝だけど、それを買って満足している人はそれで別にいいと思う。

●なぜブランドというものに高い価値があるのかよくわからない。なぜそういう高い品を買おうとするのか、ブランドに興味のない僕には理解できない。別にカッコイイとも思わないし。たぶん日本人は自分流の好みがない人が多いのではないかと思う。

●有名な企業は、知られていない企業よりも何かが上回っているから良く知られるようになったのだと思う。そういう企業の製品は優れていると多くの人は考えているのだろう。そういう製品を身につけたり、持っていたりすれば、自分を飾ることもできると考えられているのではないか。

●有名なブランド品は誰もが高いってすぐわかるから、持っている人も見せびらかしたくなる。だから、大きくブランド名が入っていた方がいい。大きく名前が入っていてこそブランド品を持っていることをアピールできる。そのことがブランドの広告をさせられているというのは損なことじゃないと思う。広告をしてそのブランドがますます有名になれば、それを持っている人もよりいっそう自慢できるようになる。だからこのことは企業にとってだけでなく、それを持っている人にとっても得になることだと思う。

●人気があれば値段も上がり、人気がなければ値段も下がる。これは需要と供給の関係からいっても当然のことだと思う。ブランド品は人気があるのだから、値段が高いのも仕方のないことだ。

●この前、新聞で「現代の若者のファッションは画一的だ」といっていたのを見た。たしかにそうだと思う。ちょっと流行り出すと誰もがいっせいに飛びつくようになる。去年の冬はラルフローレンのセーターが流行っていて、どこの店でも完売だったらしい。実際に大勢の人がそのセーターを着ていた。
 流行に飛びつく人たちは、みんなと一緒でないと不安になるのではないかと思う。人と違うことをして「遅れてる」とか「変わってる」と見られるのが恐いのだろう。「人は人、自分は自分」で良いはずなのに、なかなかそう言い出せない雰囲気がこの社会にはあるのだと思う。

●ルイヴィトンのバッグは作りが良くて、水に落としても浮くらしい。しかし、よく考えるとそんな品質が必要な人なんてほとんどいないはずだ。「バッグが水上に浮いてくれる」必要性なんて誰も求めていないが、それくらいきちんと作られているという印象がブランドイメージをつくっている。それは実用とは関係のないところで「良いモノ」というイメージができているというひとつの例だ。

●服にブランドマークが入っていることは悪いことではないと思う。人に自慢できるし、良い服を着ているという満足感もある。こういう服を好むのは女の人に多いが、これは他の人に安っぽくみられたくないとか、まわりの人よりいいものを来たいという気持ちが強いからだと思う。
 ただ、こうしたブランドものが多いのも流行のひとつだと思う。今は多くの人がブランドマークの入った服をかっこいいと思っているが、もし、今度は安い古着とかが流行ってブランド服なんてかっこ悪いということになれば、誰も着なくなるはずだ。

●ロゴは宣伝じゃない!マークが入っていると自慢できるからみんな着たいのだ。せっかく高いお金を払っても、ロゴが入ってなかったら自慢できないじゃないかー。

●ブランド品なのに目立つところにマークが入っていなければ意味がない。自慢できないし、まわりの人もかっこいいと思ってくれない。だから、どんなマークでも入っていないより、入っていた方がいい。

●私はヒステリックグラマーというブランドが好きです。トレーナー1枚、1万円では買えませんが、それでも欲しいです。「ヒステリックグラマー」という名前がトレーナーについているだけで1枚、1万円以上するのは高いとは思いますが、着ているとうれしくて良い気分になれます。友達に自慢できるし、いいものを着ているっていう満足感があるからです。たぶん、ブランドものが好きな他の人もそういう気持ちではないかと思います。

●自分が企業の広告にされていると自覚している人は少ないと思う。たいていの人はブランド品だとありがたがって着ているのだと思う。
 いま着ている学生服にも、ボタンに学校のマークがついている。これもブランドマークのひとつで、学校の宣伝をさせられているということなのだろうか。たしかに、この制服を着て何か悪いことをすれば、すぐにこの学校の生徒だとわかってしまう。それを地域の人が見ていれば、学校へ連絡が行くだろう。何を着ていても企業の宣伝や学校に取り込まれているというのがこの社会のしくみではないかと思う。自転車にも警察のシールが貼られている。僕の自転車で、警察の自転車ではないのに。
 だから、もし、何にも取り込まれたくない、自分だけの自分でいたいと考えたら、ビデオのおじさんの言っていたようにハダカになるしかないというのが今の社会ではないだろうか。

●確かに、マークが入っている商品を着ていれば、その会社の宣伝をさせられているっていうことになる。だとすれば、そのぶん安くなっていいと思う。安ければ、ブランド品は作りもいいからお買い得かなって思いますよ。

●スポーツ用品は有名な選手が使っているモデルだと高くても売れる。そういう商品には企業もすごく広告に力を入れている。自分もそういう広告や商品を見ると、かっこいいと思うし、欲しくなるが、一方で、実力もないのに靴だけ有名選手と同じでもしかたないという気がする。ヘタなくせに、ただのかっこつけで高いものを身につけているのはみっともないと思う。だから、最近は買わなくなりました。

●今まで様々な商品に企業のロゴが入っているのが宣伝だとは考えたこともなかった。だが、確かに言われてみればそうだと思う。
 ブランドに弱い日本人は多いと思う。例えばベンツ。ベンツと聞けば、イコール高級車と考え、ありがたがる人は多い。しかし、ベンツより値段の安い日本車でも、もっと高性能なものはたくさんある。にもかかわらず、「ベンツ」という名前に価値があると考え、高いお金を出しても買おうとする。ナイキのスニーカーにも同じことがいえる。似たようなスニーカーにナイキとロゴが入っているだけで何倍もの価格がつく。機能が同じなのにこんなに値段が違うというのは、一種の詐欺ではないだろうか。よく考えてみるとすごく変な状況なのに、それが当たり前になっているこの社会はどこかおかしいと思う。
 なにがそんなに人をブランドに引きつけているのかといえば、名前に対する「憧れ」だと思う。そういう憧れの商品を手にしたとき、満足感とまわりの人への優越感を得られる。誰もが同じようにすることを求められる日本の社会では、こんなやり方でしか人との違いを主張できないのだと思う。自分の好みを優先させるよりも、まわりの人が欲しがるものを手に入れることで、ささやかな自己主張をしているのだと思う。しかし、そんなものは個性でもなんでもないと思う。

●私はかばんや服などにブランドのマークがついているものはあまり好きではない。CHANELのマークが大きく入っているバッグをもっている人を見たりすると、「派手だなあ」と思ってしまう。そういうものが似合う人はめったにいない。似合わないのに高いものを身につけたがるのは考え物だと思う。

●やっぱ、ブランドはその名前が有名なほどすごい。売れてるってことはみんなが欲しがるってことだから、高くてもそれだけの価値があるってことだ。偽物が出まわるってことも、それだけ人気があるってことだ。
 最近は、大人だけじゃなくて、子供もよゆうでブランド品を持ってる。ブランドものが欲しいから、援助やってる女子高生もいるけど、私はそこまでして欲しいとは思わない。ブランド自体には興味もあるし、欲しいと思うけど。
 やっぱ、こういうのも流行じゃない。

●何を選ぶかによって、その人のセンスや性格がある程度わかる。みんなと同じ服を選びたがる人は集団性が強く人に合わせようとする人で、人と違う服を選びたがる人は自己主張の強い人だと思う。では、着ているのものにその人自身の性格や好みがすべて現れているかというと、そうとは言い切れない。なぜなら、コマーシャルやブランドなどの社会的なイメージによって、その人の好みも左右されているからだ。コマーシャルが人のセンスを操作し、先入観を植えつけ、好みを決めていると言ってもいい。
 たとえば、シャネルのマークの入ったバッグと同じかたちの無印のバッグが、同じ値段で売られていたら、シャネルを知っている人ならシャネルのものを選ぶだろう。シャネルを知っている人なら、それが高価なものだということはすぐにわかるからだ。しかし、それが個人的なセンスによるものとは言えないし、どちらが優れたデザインかもわからない。シャネルを知らない人、つまり「シャネルは高級」という先入観のない人なら、マークの入っていないバッグを選ぶかも知れないからだ。

●僕は「dj honda」のものが好きだ。特別ブランドものが好きというわけではないが、このブランドができたときから気になっていて、高くても帽子やトレーナーを買ってしまう。僕の場合は、流行に乗り遅れると恥ずかしいというのではなく、かっこいいと思ったものを買うということが多いようだ。

●個性があるのはいいことだけど、人並みからはずれているのはちょっとヤダと思う。みんなが着ていて流行っているものを自分だけ着てないとしたら、やっぱり、居心地が悪いと感じる。

●僕もブランドに弱い日本人の一人だ。しかし、有名じゃないものを持っていると、友達から「えー」とか言われたりする。それがこわいから、みんなと同じブランドを着たりする。多くの人がそうなんだと思う。だから、「日本人はブランドに弱い」のではなく、仲間はずれになるのを恐れているのだと思う。



■ レポートを読んでの感想

 予想していたことですが男女差の大きいレポートでした。ブランド肯定派は女子に多く、自分がなぜそれに惹かれるかという内面を描写する内容でした。一方、男子の多くは興味がない、もしくは社会現象のひとつとして考察するというものでした。もちろん読んでいておもしろかったのは女子のレポートです。こんなことからも消費文化をリードしているのは女子中高生だということがわかります。
 レポートの中で、プラダにグッチにシャネルといった高級ブランドが次々と登場したのには少々驚きました。私の中学時代はせいぜいアディダスとアシックスでした。時代が変わったのか、都会の子たちが金持ちなのかわかりませんが予想外でした。ただそのぶんブランドに惹かれる心理描写もなかなかリアルで読みごたえがありました。
 こうしたことは「好きなもんは好き」で一向にかまわないのですが、消費活動の背後にあるイメージのしくみを知っていればより買い物の楽しみが増すってもんです。自分は操られてるのかも知れないと思えば、ブランドの価値も鵜呑みにしなくなるでしょうし、自分のアタマで判断して買い物をするでしょう。なんといっても買い物は楽しいですからね。もちろんこのレポートの趣旨はけっして「質素・倹約をむねとし」と言いたいわけではありません。
1999.3.22

■ おまけ うちの母の話

 大嫌い。とくにあのLとVがずらずらならんだカバン、持ってるだけで知能指数が100くらい下がりそう。私はバカですって宣伝してるようなもんだね。電車に乗ると、ひとつの車両に10人近くあれ持ってる奴がいることってあるだろ。若いのからおばさんまでバカ大増殖。そういうバカ電車に乗り合わせた時はこっちまで情けない気分になるよ。ファッションの基本は人と違うものを身につけることだよ。似合っても似合わなくても個性的な格好をしてる人が好き。がんばってるなって感じがして、見てるだけでも楽しいじゃないか。第一、人と違う格好をしようっていうのは志があるよ。そういやおまえの友達でTシャツに自分で絵を描いてフリーマーケットで売ってたのいたな、格好良かったよ彼。そうやって色んな格好をしてるうちにセンスもついてくるってもんだよ。はじめからブランドに頼るっていうのは自分の感性を放棄してるってことだね。たまたま気に入ったのがブランドものだったっていうんなら良いんだけどさ、ブランドだけに頼るのは自分に自信のない証拠。自信がないからブランドの名前でセンスを保証してもらってるの。あれ、一種の保証書よ。そうやって保証書に頼っている限り、センスなんか育たないし、これから先もずっとブランドの奴隷よ。
 あ、でもナイキの運動靴はカッコいいな。おまえ、今度の母の日にプレゼントしろよ。

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