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この授業では、毎回ひとつの社会問題を取り上げて、生徒たちとディスカッションしながら考察しています。
いちおう授業では解説もしますが、それをおぼえることや理解することが目的ではなく、その知識や理解をもとに自分なりの考えを組み立てることが目的です。なので授業では、たびたび「で、君はどう考えるの?」と問いかけています。また、生徒の発言には「その考え方はここが変じゃないの」と指摘もします。そうしてディスカッションしながら、できるだけ具体的に考え、自分の思い込みで決めつけるのではなく、自分の考えを再検証していくというスタイルをとっています。コンピューターがチェスの世界チャンピオンに勝ち、クイズの全米チャンピオンに勝つ時代では、知識の量ではひとりの人間よりも一台のパソコンのほうがずっと優秀です。安いパソコンが一台あれば、ネットにつないで情報なんていくらでも引き出せます。なので、授業でも「おぼえておしまい」「理解しておしまい」と安いパソコンのまねをするのではなく、それを使って自分なりに考えを深めたり視野を広げたりすることを目的にしています。授業でのディスカッションをふまえて、ときどきレポートも書いてもらっています。
日本の学校では、どうしても受験を念頭において授業が行われるので、知識の暗記が授業の目的になりがちです。しかし、もう少し視野を広げて考えると、ただ暗記してるだけの知識はあまり意味がないことに気づくはずです。その知識をつかってどれだけ自分の頭で考えられるようになるかというのが本来の授業の目的ではないかと考えています。そういう意味で、すべての科目は「美術」の授業と同じではないかと思います。色の三原色や遠近法をいくら暗記し理解したところで、その知識を生かして作品制作ができなければ全く意味がありません。作品制作にそれらの知識が生かされて初めて意味を持ちます。日本の学校の入学試験は依然として知識重視型ですが、そうしたやり方が社会状況にあっていないことは明らかなので、しだいに変わっていくのではないかと思います。
ただし、この演習授業のようにひとつのテーマを掘り下げるスタイルでは、どうしても知識が断片的になり、体系的な理解が不足しがちです。私は知識の閉じた体系化よりも考察が現実の社会へ向けられていることのほうが重要だと思っているので、「不安だという人や受験に必要という人は教科書を読んでおいてね、教科書なんて読めばわかるように書いてあるんだから」と生徒の判断にあずけていますが、これについては授業で両立できないものかと毎年試行錯誤しています。
テーマは多岐にわたりますが、原則として私自身、疑問を感じていたり、奇妙に思っていることを取り上げるようにしています。授業をやる側が「どうでもいい」と思っていることを生徒たちに考えさせるのでは、彼らに対してあまりに失礼ですから。それに自分が答を見いだせない問題を取り上げることで、独善を押しつけることへの歯止めになります。もちろん、生徒の中にはこうしたテーマに興味を示さないものもいます。むしろ興味を持つものはクラスの2割から3割くらいというところです。ただ、生徒たちの反応が返ってこないことには成り立たない授業なので、雑談をはさんだり生徒をからかったりしながらどうにかこちらに向かせるという感じで、毎時間つなわたり気分を味わっています。
社会的な問題は、「1+1だから2になる」という論理性と「こうあってほしい」という願望の両方から結論が導かれます。そのため、ひとつの正解はありません。たとえば、「社会保障制度が充実すれば平等な社会になる」というのはすべての人にあてはまる論理の問題で答えはひとつですが、「では、将来、あなたはどういう社会で暮らしたいのか」という問いは、各自の願望によって結論は大きく違ってきます。それはひとりひとり異なりますが、ともに同じ社会に暮らしている以上、「ひとそれぞれ」だけでは片付けられません。互いに意見を出し合いながら何らかの合意や目安をつくっていく必要があります。毎時間つなわたり気分を味わいながらもこういう授業を続けているのは、そのちがいをディスカッションするのが面白いからです。このページを読んでくださっているみなさんも、生徒たちのレポートも読んで、そのちがいを楽しんでいただければ幸いです。(1999-2011)
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