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 about kuro





 ずいぶん昔、我が家には大きなとら猫が住みついていた。
 我が家では「クロ」と呼んでいたが、それを「名前」といっていいのかわからない。
 我が家以外でも何軒かの家でエサをもらっていて、それぞれ別の呼び名で呼ばれているらしかった。
 守ってあげなきゃならない可愛い猫ちゃんという柄ではなかった。
 むしろ、自分よりもずっと生きる知恵に長けていて、自分よりもずっと立派な生き物に思えた。
 高校生だった私は、クロを見ていると、自分が生きるすべを持たないひどくひ弱な存在に思えた。
 だから、クロは我が家のペットではない。
 クロはどこからともなくやってきて、我が家に住みつき、年老い、やがて姿を消していった。
 クロが何歳だったのかもわからない。
 私がもっとずっと小さかった頃から、その大きなとら猫は近所をのしのしと徘徊していたような気もする。
 小学生のころ、多摩川で釣ってきたフナがいつの間にか庭の水槽からいなくなったのも、クロのせいかもしれない。
 ときどき、向かいの魚屋でくすねているのか、やけに魚臭い息をしていることがあった。
 幼稚園のころ、露店で買ったヒヨコのヒヨちゃんがいなくなったのも、もしかしたら、クロのせいかもしれない。
 庭には色々な猫たちが出入りしていた。
 猫たちは土のある庭と古い家が好きだ。
 クロが我が家に住みつくようになって、ほかの猫たちは少し遠慮するようになった。
 おとなの猫たちは出会っても目をあわせない。
 互いに見なかったことにして、そっとその場を立ち去っていく。
 クロが庭にいるときは、訪問者はやはり目をそらして壁沿いに立ち去っていった。
 クロはひと言も泣かない猫だった。
 じゃれて遊ぶこともなかった。
 呼びかけるとただ黙ってじっとこちらを見ていた。
 強いまなざしの持ち主だった。
 頭をなでると少し目を細めた。
 もっと嬉しいときには、大きな頭でごりごりと頭突きをした。
 それがクロの数少ない感情表現だった。
 それだけで十分クロの喜怒哀楽はつたわってきた。
 クロは一日の大半をただ黙って窓辺にすわっているか、物置で寝ているか、あたりを徘徊するかして過ごしていた。
 大学生のころ、中古のオートバイを買った。
 オートバイの整備をしていると、たいていクロが不思議そうな顔でやって来て、後ろからじっと覗いていた。
 あと十年くらい生きていたら、きっと手伝ってくれたろう。
 そんな猫だった。
 私はなかば本気で、クロのことを山の神様だったと思っている。
 自分の知らない世界を見て、自分の知らない音を聞いて、自分の知らないものに触れることのできる存在だと。
 そんな不思議な訪問者が我が家に住みつき、しばらくの間、いっしょに暮らしていたんだと。
 大食いの山の神様はなんでもよく食べた。
 お供え物用の金だらいのような器はいつもまたたく間にからになった。
 何回かに分けて食べるなんてことはしなかった。
 たらふく食べるとたいていゲフーと大きなげっぷをした。
 ただ、近所のメス猫や仔猫がやってくると、必ず場所を空けてエサをゆずった。
 あのころの私はそれが不満だったが、いまはそれで良かったと思っている。
 クロはいつも立派だった。
 あまり楽しい思い出のないこども時代だったが、クロの姿と古い家の風景だけは、ときどき思い出す。
 記憶の中の大きなとら猫は、大きな丸い頭でごりごりと頭突きをしてくる。


 その古い家は新興住宅地の中に取り残されたように建っていた。小豆色の板壁の小さな平屋で、庭は大家の薬草園につながっていた。春にはふきのとうが芽を出し、初夏にはハンミョウが金属質の光沢をはなちながら低く飛び、たくさんの梅の実がなり、秋にはオナガがしわがれた声をあげながら柿の実をつつき、冬にはカマキリの卵塊が枯れ草についていた。西日のあたる窓辺には、黒いしまの大きな猫がすわっていた。猫はもう若くない。裏の新興住宅地で飼われている赤い首輪をつけた大きな茶トラにはもうかなわない。年老いた黒い猫は多くの時間を西日のあたる窓辺でじっと過ごしていた。

 中学校の卒業を間近にひかえた冬の日、学校から帰ってきて玄関先でふと庭を見ると、大きな猫がのそのそ歩いていくのが目にとまった。私は気まぐれから冷蔵庫にあったちくわを一本そいつに与えてみた。その大きくて黒いとら模様の猫は不信そうにこちらを見つめ、用心深く近づいてきた。私がちくわをその場において少し距離をとると、そいつはちくわをむしゃむしゃ食べはじめ、ままたくまに平らげると何事もなかったかのように再びのそのそと歩き去っていった。それまで犬や猫を飼ったことのなかった私にとって、その様子は私が漠然といだいていた猫への印象とは異なり、ずっと生々しく動物的だった。ものを食べ、足の裏で地面をとらえ、そのまなざしに私とあたりの風景を取り込んでいた。それまでもその大きな猫が庭を歩いていくのをしばしば見かけたし、近くの路地をうろうろしているのを何度も目にしていたが、野良猫がうろうろしているのはべつにめずらしいことでもないし、気にもとめていなかった。ところがその日から突然、その大きな猫は生々しい実感をともなって自分のすぐ近くにいる不思議な存在に変わった。それまでも何度となく目にしていたのに、私はそいつのことをなにも知らなかった。毎日なにをしているのか、なにを考えているのか、なにを食べているのか、どこで寝ているのか、他の猫とはどうつきあっているのか、誰かに飼われているのか、人間をどう思っているのか。むしろ、こんな大きな生き物が自分のすぐ近くで暮らしていて、自分のすぐ目の前を気ままに歩いているのに、いままでまったく気にしていなかったことのほうがずっと不自然に思えた。

 次の日も黒くて大きな猫は夕方のほぼ同じ時刻になるとのそのそと庭にやってきた。進学先も決まり卒業を間近にひかえてかたちだけの授業も午前中で終わってしまい、家でごろごろしていた私は、再び冷蔵庫からちくわを出してきてその大きな猫に与えた。今度は手から直接食べた。私は母に庭によく出入りしているその大きな猫のことを話し、猫が食べそうな物を少し買っておいてほしいと頼んだ。母は野良猫にエサをやると居着くようになるからダメだと言ったが、翌日、学校から帰るとちくわとかまぼこが少し多めに冷蔵庫に入っていた。夕方、再びあらわれた大きな猫は、私と母の前でちくわ一本とかまぼこ数切れを平らげ、大皿に入れたミルクを舌で舐めとりながらすべて飲んだ。頭をなでるとそいつは気持ちが良いのか少し目を細めた。私も母もべつだん猫が好きだったわけではない。とくに母はふだんから「飼うならぜったい犬、猫は陰気な感じがして嫌い」と言っていた。ただそういう母もそれまで動物のいる環境で暮らしたことがなく、たんにイメージで犬猫を語っていただけで、目の前の大きな猫が自分の手からむしゃむしゃとちくわを食べる様子の生々しさに少し圧倒されているようだった。「よく食べるねえ」と言いながら、母はその黒くていかつい大きな頭を興味深げに見つめていた。

 我が家ではその大きな猫にエサを用意するのが日課になった。猫との距離が近づくにつれて、いくつかのことがわかってきた。その大きな猫は何年も前からこの界隈に住みついている主のような存在であること、誰かに飼われているわけではないが何軒かの家でエサをもらっていること、ときどき魚をもらうらしくそんな時はやたらと魚くさい息をしていること、頭や背中をなでられると喜ぶがお腹や尻尾や足を触られると嫌がること、なでられてうれしいときはおなかを出して左右にごろごろ転がること、すべての猫がニャーと鳴くわけではないこと、よく干した布団のような日向のにおいがすること、土埃だらけの毛並みはなでるとごわごわした感触がすること、多摩川で釣ってきたフナやコイがいつの間にか水槽からいなくなったのは魚が好物のこいつがどうやら犯人ではないかということ、塀の上や物置の上に飛び乗るときはあんがい動作が機敏なこと、この町内には他にも野良猫や飼い猫が何匹も暮らしていて人からかわいがられたり迷惑がられたりしていること、ときどきくさいおしっこを塀や壁にかけて他の猫たちに自分のなわばりをアピールしたりオス猫同士でケンカしたりしていること、隣の大家の床下にはひどく気の荒い野良猫が住みついて大家は手をやいているらしいということ、大家をはじめとして近所の何人かは野良猫のことを嫌っていること。それらはどれもごくありふれた事実だったが、同時にいままでの自分が気にも止めていなかった知らない世界でもあった。まもなくその大きな黒い猫は我が家の軒先に住みつくようになり、私も母もはじめはただ「黒いの」「大きいの」と呼んでいたそいつのことを「クロ」と呼ぶようになった。私はその不思議な存在がいつもすぐ近くにいることがうれしかったし、母も毎日のエサの世話に不満をとなえることはあっても、住みついたクロを追い払おうとは言わなかった。

 クロは五年以上にわたって我が家の軒下を住処にしていたが、私も母もクロが声を発するのを一度も聞いたことがない。じっとたたずんであたりを見ているか、悠然と、あるいはのそのそとあたりを徘徊しているかのどちらかだった。話しかけるとじっとこちらを見つめ、ただ黙って話にじっと耳を傾けているようだった。若い猫のようにじゃれてくることもなかった。鳴きもせずじゃれてくることもない猫というのは奇妙な気もしたが、たぶん野良生活の長いオス猫というのはそういうものなんだろう。唯一うれしいときには頭突きをするように大きな頭をごりごりとすり寄せて目を細めた。それがクロの数少ない感情表現だった。その寡黙な同居人は、エサをあげていてもあまり飼っているという感じがしなかった。むしろ自分よりもずっと上等な生き物で、それがたまたま軒先に間借りしているだけのように思えた。学校の帰りに駅前の雑踏をうろうろしているクロを何度か見かけたことがある。呼びとめるとクロは少しおどろいた様子でこちらを認め、それから家までの十数分の夜道を連れだって黙々と歩いた。ときどきクロが大きな頭でごりごりと頭突きをするのをふくらはぎに感じた。「よう相棒、今日はなんかいいことあったか」そう無口な猫が言っているような気がした。クロのほうがずっとこの世界のことをわかっていて、自分が生きるすべをなにも知らないひ弱な存在に思えた。母はいっしょに帰ってきたクロと私を見て「クロがあと十年くらい生きたらきっと庭の草むしりくらいやってくれるようになるよ」と笑っていた。

 目の前の世界がふとあてどなく感じられるときクロの姿を思い浮かべる。風の吹く夜、クロは軒下でどんな音を聞いていたんだろう。トタン屋根にあたってはじける雨粒はクロにはどんなふうに見えていたんだろう。クロの目に映る世界はどんな姿をしていたんだろう。その世界では私はどんな姿をしていたんだろう。

 大家の床下に住みついている気性の荒い野良猫というのは、意外なことに小さな痩せたメス猫だった。クロの半分の大きさもなかった。短い白い毛並みに鼻先と左耳と背中に黒いブチがあり、先が少し曲がった黒い尾をしていた。我が家ではクロが住みつくようになったことで、庭に出入りする猫たちの様子を気にかけるようになっていたので、やがて、その痩せた白いメス猫がときどきうちの庭のほうにも入ってくる常連であることがわかった。ふつうにしていればただの痩せた小さい猫にしか見えなかったが、人間が近づいてくるときまって牙を剥いて威嚇の姿勢をとったので、近くで見るその白い猫はいつも目をつり上げ牙を剥いている顔をしていた。はじめは「白いの」「痩せたの」と呼んでいたが、やはりクロの時と同じように、やがて「シロ」という呼び名で定着した。流線型の痩せた体つきと頬のこけた神経質そうな顔をしており、毛色以外は近所の金物屋で飼われていたシャム猫にそっくりだった。当時はたいていの猫がそうだったように、金物屋のシャム猫も去勢手術を受けさせないまま放し飼いにされていた。そもそも暖かい季節になるとほとんどの家が窓や玄関を開けっぱなしにしていたので、室内だけで猫を飼うという発想自体がそのころは存在しなかったし、避妊去勢手術については、生き物としてのあり方をそこねるとして、犬や猫に施すのを嫌う人のほうが多かった。金物屋のおばさんは、自分の猫にそっくりなシロを見るなりうーんと唸っていたが、近所づきあいを気にしてかそれ以上はなにもいわなかった。当時はいまほどはうるさくなかったが、それでも野良猫がどういう素性なのかは、やはり近所づきあいに軋轢や確執をもたらすデリケートな話題だったらしい。うちの界隈の猫たちはクロもふくめてみな丸い顔をした和猫だったので、シロと金物屋のシャムになんらかのつながりがあるのは誰でもひと目見ればわかったが、表だってそのことを言う人はいなかった。大家はかなりの資産家のようで、ちょっとした農家くらいの広い敷地をもっており、住居と渡り廊下でつながった店舗で薬局を営んでいた。住居のほうは、戦前に建てられたかなり大きな木造の平屋で、古い農家のように長い縁側のある作りをしていた。床が高く、床下の空間は人間が入れるほどの広さがあり、野良猫にとっては格好の住処になっていた。大家の一家は床下に住みついたブチの野良猫を苦々しげに見ていたが、年寄り所帯で家同様に古い人たちだったので、さすがに猫いらずをまいたり、駆除業者を呼んだりするまではしなかった。恨まれては後生が悪いと思ったのかもしれない。猫は七生祟るというが、シロは陰気な目つきで人間を睨みつけるうえに、ときどき、低くかすれた声でギャアローンと長く鳴いたので、見るからに祟りそうな猫という感じがした。もっとも、大きな家に年寄りが三人しか住んでいないんだから、床下を野良猫に間借りさせたところで大騒ぎするほどの問題ではないような気もする。人間を近づけないシロは、行動もほとんど野生化しており、狩りによってつかまえた小鳥やネズミをおもな食料にしているようだった。よく血まみれのスズメやムクドリをくわえているシロの姿を見かけた。竹藪に囲まれた大家の広い庭には、梅や柿など様々な木が植えられ、薬局で出す漢方薬の原料にするために薬草園まであった。季節によって様々な小鳥が訪れ、夕方になると竹藪から一斉に椋鳥が飛びたつという環境だったので、野良猫にとっては家主から嫌われていても住み心地は悪くない様子だった。そんな薬屋の鬼娘は竹藪に囲まれた広い庭をなわばりにして日々バードハンティングにはげみ、ときどき大家が大事にしている薬草園を荒らし、毎年、何匹もの仔猫を生んだ。

 ふつう猫は人間が近づいてくるとさっさと逃げるが、シロはよほどなわばり意識が強いのか、人間が箒でも振りまわさない限り、自分から逃げて場所をゆずることはなかった。近づいてくる人間に対しては、低く濁った唸り声を発して威嚇し、さらに近づいてくると牙を剥いて飛びかかっていった。庭で出くわして目が合うたびに威嚇のうなり声を聞かされていると猫嫌いの大家でなくもいいかげん腹がたってくる。目の前でうなり声を上げているシロに、あっちへ行けと手で追い払ったところ、手の甲をざっくりとやられた。また、少しは懐かないものかとエサで懐柔策を試みたこともあったが、返ってくるのはあいかわらず威嚇のうなり声だけだった。狩猟生活者のシロは、ほぼ生き餌専門だったので、ちくわになど見向きもしなかった。オス猫たちがケンカする時の攻撃性の解放とはちがって、シロが威嚇する様子はもっと内にこもった緊迫感があるように見えた。毎年仔猫たちを育てていくにはそうならざるを得なかったろうし、それくらいの気性の激しさと用心深さがなければそもそも生きていけなかったろう。もちろん本当のところはシロにしかわからないが、人間のいないところでは、案外、陽気でたくましいお母さんだったのかもしれない。人間たちはシロを見るとみな口をそろえて化け猫みたいと言っていたが、クロもふくめて近所のオス猫たちからは絶大な人気があった。けっきょく我が家では、薬屋の鬼娘については「放っておく」ということで折り合いをつけることになった。

 クロと暮らすようになって、町を歩くときに猫たちの様子を意識して見るようになった。路地や庭先で見かける猫たちは、もう猫という漠然とした存在ではなかった。それはうちのクロであり、金物屋のシャム猫であり、そば屋の太ったトラ猫であり、大家の床下に住む野良のシロであり、やさぐれたブチのスガメだった。

 クロが我が家の軒先をすみかにするようになって一年くらいたった夏の終わりのこと、日も暮れて薄暗くなった庭のほうから、突然けたたましくなにかが鳴く声がした。建てつけのわるい勝手口をぎしぎしさせながら開け、何事かと覗くとそこには小さな茶色の猫がいた。まだ生後ひと月かふた月くらいしかたっていないような仔猫だった。仔猫は私が出てきたのを見ると、必死でなにかを訴えるようにまた鳴きはじめた。まいったなと頭を抱えたが、そのまま放っておくわけにもいかないので、ひとまずミルクをクロの皿に注いでその小さな猫に与えた。仔猫はよほど腹を空かせていたのか、なみなみと注いだミルクをすべて飲みほすと、もっと欲しいらしく、そのつぶらな瞳をこちらに向け、催促するように上目づかいにじっと見つめてきた。その様子はまるで絵に描いたように捨てられたかわいそうな仔猫という感じだった。私はそういう哀れで痛ましいのが苦手だった。たぶん高校生くらいの男の子ならたいていがそうだろう。私はやれやれとため息をつきながら、二杯目を再びなみなみと皿に注いだ。仔猫は今度は半分飲んだところで満足した様子だった。私はミルクを再度つぎたし、皿をそのまま庭に出しておくことにした。翌朝、その仔猫がまだいるか様子を確かめようとそっと勝手口を開けると、物置の中から小さな茶色い猫が勢いよく飛び出してきた。こちらに駆け寄ってくる仔猫を見ながら、勘弁してくれよという気持ちとほっとした気持ちの両方を味わっていた。ミルクはすべてなくなっていた。仔猫は人間に甘えるのが自分にとって当然のことであるかのようにかん高い鳴き声をあげながらすり寄ってきた。私はどうしたものかと思案しながら、その小さな猫の茶色いふさふさした毛並みを見ていた。こんな小さな仔猫が母猫なしで育つとはとても思えなかった。

 茶色い仔猫はそのまま我が家に居着いた。明らかについ最近まで誰かに飼われていた様子で、まったく人を警戒することなく、まるで生まれたときから我が家にいたかのように甘え、あれこれと催促した。人の手で育てられたため、仔猫は自分を猫だと思っていないようだった。人間よりもはじめクロのことを怖がっていた。仔猫を捨てた人はどんな事情があったんだろう。庭でクロが寝そべっている様子を見てあえてうちを選んで捨てていったんだろうか。母は自分を頼ってくる無力な存在というのが大好きなようで、まもなくせっせと仔猫の世話をやくようになった。私は元の飼い主が現れたらいつでも仔猫を返そうと半身の姿勢だったが、母はとっくに我が家で引き取る覚悟をしていたようだった。クロのエサとは別にやわらかいねこまんまとミルクを毎日用意し、秋も深まって朝晩冷え込むようになると仔猫を家の中へ入れてやり、仔猫がすり寄ってくるとだっこしたりなでたり話しかけたりという調子で、母の生活は仔猫を中心に回るようになっていった。育ち盛りの仔猫の食欲は大せいだった。私は母がせっせと世話をやく様子にこれ幸いと仔猫の世話をほぼすべて母に預けることにした。ときどき母からは無責任だとなじられたが、まあ高校生くらいの男の子というのはたいていそういうものだろう。かわいい仔猫ちゃんに目をきらきらさせている高校生の男の子というのはちょっと想像がつかない。それはほとんど少女マンガのパロディの世界である。そうして私はときどき猫たちをかまうだけの無責任な立場となり、母は世話をやくほど仔猫への愛情を深めていった。はじめ「小さいの」「茶色いの」としか呼んでいなかった仔猫は、いつの間にか「チビ」と呼ばれるようになった。もっとも仔猫は母のそそぐ愛情によって見る見るうちに大きく育ち、「チビ」の呼び名が定着するころには、すっかりミスマッチな名前になってしまった。我が家の訪問客から、大きく育った茶色のふさふさした猫の名前を尋ねられ、「チビ」と答えるとたいていの客は吹き出していた。

 ただチビは体だけ大きくなっても、あいかわらず仔猫のようになんの屈託もなく人に甘えた。物置のトタン屋根に上っては活躍を見ろとアピールし、そこから下りられなくなっては大騒ぎし、スズメやトカゲをつかまえては自慢げに見せびらかし、腹が減るとサイレンのような声でエサを要求した。人にかまってもらうのと注目されるのが大好きで、クロの写真を撮っているとチビはいつも間に割り込んで自分を写せとアピールした。その様子はただ黙ってそこにいるだけのクロとは対照的で、まるで小さなこどもがやってきたみたいだった。丸い顔ともこもこした体つきは小熊のぬいぐるみのようだった。私はなにかにつけてうるさく催促するチビのことをすっかり敬遠していたが、母は自分を頼ってくる無力な存在があいかわらず放っておけないらしく、大きくなったチビをあれこれと気にかけていた。いつも悠然としてなにを考えているのかよくわからないクロよりも、なにかとこちらに寄りそってくるチビのほうが世話をする甲斐があると感じていたのかもしれない。「まあクロならどこでだって生きていけるだろうけどさ」と。たしかにチビは常に人間に寄り添っていなければ生きていけない猫という感じがした。我が家の訪問客からは「かわいいネコちゃん」として好評だったが、私にはなんだかやけに痛ましく見えた。人間が大好きでいつでもニャンニャンいいながら駆け寄ってくるチビのまなざしは切なかった。

 クロは不思議くらいチビの面倒見が良かった。オスの猫は仔猫に興味を示さないものかと思っていたが、いかつい顔に似あわず、エサをわけてやったり、舐めてやったり、添い寝してやったりとなにかにつけて新入りのチビを気づかっているようだった。チビははじめクロのことを怖がっていたが、すぐにクロの後をついてまわるようになった。チビはクロのおかげで少しずつ「猫」になっているようだった。クロは野良生活をする前は大勢の猫たちといっしょにどこかで飼われていたのかもしれない。チビがすっかり若いオス猫になってからも寒い日や雨の日にはきまって二匹寄り添って暖をとっていた。このチビの一件で私はすっかり株を下げ、逆にクロはいっそう立派な猫と見なされるようになった。

 シロは基本的に狩猟生活者だったのでめったに我が家のほうまで来ることはなかった。ただ、獲物の少なくなる冬場や不猟がつづいたときには、我が家の軒先までやってきて、食事をしているクロたちの間にわり込んでくることがあった。そういうときシロは、少し離れたところからそのクロたちの食事風景をうかがい、人間がいなくなるのを見計らってからエサの器に頭を突っ込んだ。食事中もせわしなく耳を動かしてあたりに注意を払い、よほど飢えているのか、いそいで腹に収めようとがつがつと音をたてて食い散らかした。体が小さいせいかあまり多くは食べなかった。シロが割り込んでくると、クロもチビも必ずエサをゆずり、痩せた小さいメス猫が食べ終わるのを隣にならんで待っていた。たいていのオス猫がメス猫に寛容であるように、我が家の二匹も常にシロに対しては寛容だった。ただ、チビは仔猫のうちに捨てられて人の手で育てられたせいか、ネコ同士のコミュニケーションがなかなかうまくとれないようだった。考えもなくシロに近づいてはよく殴られていた。神経質なシロは人間だけでなく、他のネコが近づくのも好まなかった。シロは少しもかわいくなかった。私はその見るからに神経質そうな尖った顔も嫌いだったし、残忍そうな目つきも嫌いだった。人間が近づくたびに眉間に皺を寄せ牙を剥いて威嚇する様子にはいらいらさせられたし、低くしわがれた鳴き声を聞くとひどく気が滅入った。肩の骨が大きく浮き出た痩せた体つきや何匹もの仔猫を出産して少したるんだ腹は、妙に生々しく、陰気でわいせつな感じがした。クロたちがエサをゆずってやるのも気にくわなかった。でも、懸命に生きようとする姿は常に圧倒的で、私も母もその小さな痩せた猫に対してある種の畏敬の念をいだくようになっていた。シロはいつも生きるのに必死だった。シロがクロたちの食事に割り込んできても、追い払う気にはなれなかった。我が家の気の良いオス猫たちとともにシロが食べ終わるのをじっと待ち、シロが立ち去るとほっとした気分でため息をついた。クロとチビはそれから何事もなかったように残りのぶんを平らげた。

 お隣の薬局からダンボール箱をもらってきて、何度か軒下に「猫小屋」をつくったことがある。とくに冬はクロもチビも寒そうだったので、箱の中に断熱材の発泡スチロールを敷いて毛布とカイロを入れたりしたが、二匹とも物置のほうが居心地が良いらしく、ぜんぜん中に入ってくれなかった。箱を大きくしたり、二重にしたり、台の上にのせたりとあれこれ試してみたが、けっきょく、クロもチビも中には入らず、ただ上に乗って日向ぼっこをするためだけに使われていた。犬小屋の上で鼻歌を歌っているスヌーピーに文句を言うチャーリー・ブラウンの気分だった。

 母は猫たちとの関係を「ギブ・アンド・テイク」として解釈していた。「この世の中に無償のものなど存在しない」というのが口癖で、猫たちのと関係についても、日々エサをやり、世話をし、猫嫌いの大家からの苦情に頭を下げ、その対価として、猫たちに楽しませてもらっていると考えているようだった。母によると、猫を撫でるという行為は「テイク」のほうで、むしろこちらの方が猫たちに撫でられているのだという。したがって、気が向いたときに猫たちと遊んでいるだけの私は、その責任を果たしておらず、完全に債務超過の状態にあるとのことだった。ただ、クロは母よりもむしろ私になついていたし、私もクロのことを自分の知らない世界からの訪問者として敬意をはらっていた。私にとってクロはうまく説明のできない特別な存在だった。だから、人からクロのことを「ペット」と言われるとひどく腹がたったし、母から「ギブ・アンド・テイク」の関係を説かれても違和感をおぼえた。母は愛情も友情も常に他のなにかとの等価交換だと主張していたが、私はそれ自体が相互作用だと考えていた。もっとも、無責任だと言われればたしかにその通りだし、クロにもチビにももらいっぱなしだったような気もする。

 チビが三歳になった年の秋、シロは大家の家の床下で四匹の仔猫を生んだ。一匹がシロに似た白地に小さな黒のブチ、もう一匹が白地に背中が黒トラのブチ、残りの二匹はクロによく似た黒トラだった。どうやら四匹ともクロのこどものようだった。常に本能に忠実なシロは仔猫たちがあたりをうろうろするようになると、さっそくエサの取り方や木登りといった生きのびるすべを仔猫たちに仕込みはじめた。半殺しにしたスズメを仔猫たちに与えて獲物の押さえかたを学ばせ、大家が大事にしている小さな栗の木で仔猫たちを遊ばせながら木登りのコツを教えていた。カラスや人間が近づいてくると、シロはいままで聞いたことのない低くするどい声でギッギッギッと警戒音を発し、仔猫たちを避難させた。そうして好奇心旺盛でなんにでも近づこうとする仔猫たちに、危険な存在を伝えているようだった。その様子は野生動物の子育て風景そのものだった。おそらくアフリカのサバンナでもヒョウやチーターの同じような子育て風景がくり広げられているのだろう。野良猫でもサバンナのヒョウでも動物たちの営みは人の暮らしと地続きにあって、テレビの動物番組が描く「手つかずの大自然」というのはフィクションの中だけではないかと思う。

 秋も深まった日の夕方、後ろに四匹の仔猫を引き連れたシロが薬草園のうねの合間に突っ伏し、ホフクゼンシンをくり返していた。草陰のドバトを狙っているところだった。間合いを計りながら、お尻を振るような動作でにじり寄り、仔猫たちの目の前でシロは一気に跳躍した。着地と同時に前足で獲物を押さえこみ、一連の動作でドバトののど元に牙を打ち込んだ。シロの細うで繁盛記ぶりを庭で洗濯物をとりこみながら見ていた母は、「たいしたもんだね、あいつは」とつぶやいていた。シロもチビも猫であることにはちがいないが、まるで別の生き物に思えた。

 シロの懸命の子育てにもかかわらず、やはり仔猫たちは冬を越せなかった。野良の仔猫にとって冬は過酷だった。雪の降った一月の朝、軒下でクロによく似た小さな黒トラの一匹が冷たくなって死んでいた。前後の脚を長くのばした姿で横倒しになり、そのまま雪の上で固まっていた。明け方の寒さに耐えられなかったようだった。生後五ヶ月くらいになる仔猫は、チビが我が家に来たときよりもずっと大きく、仔猫といってもあと少しで立派な若猫になるところまで育っていたが、降り続いた雪のせいでエサをとることもままならず弱っていたんだろう。役所で死んだ動物やペットの火葬を引き受けてくれるというのを聞いたことがあったので、死んだ仔猫を市役所へ持って行くことにした。袋につめたのは母だった。死後硬直で脚を伸ばした姿勢のまま固まっている仔猫を母は泣きながらスーパーの大きな袋へ入れていた。市役所の受付で事情を説明し、いくつかの窓口をたらい回しにされた後、担当部署でかかえていた大きな袋を見せると、窓口の女性は「そ、それがその仔猫ですか」と引きつった顔をした。汚物か生ゴミでも渡されたかのように窓口の女性が顔をしかめて袋を人差し指と親指でつまむ様子を見ながら、庭に埋めてやればよかったなと思った。あの人は大事にされてきたペットの遺体をあずかるときもああいう扱いをするんだろうか、いやいくら野良猫だからってあれはないんじゃないのか。怒りがおさまらないまま家に帰ると、台所にいた母から「嫌な仕事は私に押しつけておまえは気楽なもんだな」と皮肉をあびせられた。母は死んだ仔猫のことがよほど堪えたらしく憮然としていた。その日は母と大げんかになった。それからまもなく、シロブチとトラブチの仔猫も姿を見かけなくなった。生後五ヶ月くらいの仔猫たちがひとりだちしたとは考えにくいので、たぶん生きのびられなかったんだろう。けっきょく、春を迎えることができたのは、もう一匹の黒トラだけだった。

 冬を越した一匹は、しだいにシロから離れて単独で行動するようになり、行動範囲が広がるのにともなって、クロたちの食事にも割り込んでくるようになった。仔猫はオスで、濃い黒のトラ模様だけはクロに似ていたが、それ以外はすべて母親のシロにそっくりだった。流線型の体型も、神経質そうな尖った顔も、つり上がった目つきも、なにより生きのびることにどん欲なところがシロそっくりだった。クロとチビの間に割り込んでエサの器にアタマを突っ込み、たりない時にはもっとよこせと大声で要求した。私はそのシロにそっくりな痩せた仔猫に愛情がわかず、なしくずしにエサをやってこれ以上野良を増やすのはよくないと主張し、もっぱら仔猫を追い払っていたが、母は自分を頼ってくる無力な存在がやはり放っておけないらしかった。ただ、そのシロのご子息は、仔猫といってももう十分育っていたし、半野生化した母猫から生きるすべを半年にわたって教わってきた。私にはその痩せた若い猫がけっして無力な存在だとは思えなかったが、母は断固としてうちで飼うと主張し、まもなく「ゴン」という名前を与えた。クロやチビがなんとなくその呼び名に定着したのとはちがい、名前を与えることで母はその若い猫をうちでひきとる決意表明をしているようだった。よくわからないネーミングだけど、興味のわかない私は名前の由来をたずねることもなかった。まもなく母は仔猫だった頃のチビ以上にあれこれとゴンの世話をやくようになった。懸命に子育てするシロの姿と冬を越せずに死んでいった三匹の仔猫たちを見てきただけに、母は生き残って我が家を頼ってきたゴンのことがひときわ愛おしいようだった。雪のつもった朝に軒先で死んでいた仔猫はまるで一卵性の双子のようにゴンによく似ていた。

 このころ我が家の庭に出入りしていたのは、うちでエサをもらっているクロ・チビ・ゴンの三匹と野良のシロ、その他には、向いのアパートで飼われているシッポのまがったトラ猫三兄弟、スガメの赤ブチ、太った白猫、クロ以上に大きな赤トラの計十匹がいた。アパートの三兄弟はおどおどした感じの小さな猫でいつも三匹いっしょにいた。三兄弟はチビのことが気に入らないらしく、向かいの駐車場で出くわすときまってケンカになった。チビは近所のオス猫たちの中で一番ケンカが弱く、追い出されるのはきまってチビのほうだった。母はこの三兄弟のことを「シッポも根性も曲がってる」と嫌っており、庭に入ってくるとサザエさんのごとく箒をもって追い立てていた。クロには歯が立たないらしく、クロが出てくるとそそくさと逃げていく様子はたしかに姑息な感じがした。スガメと太った白猫はやさぐれた雰囲気のオスで、クロのライバルのようだったが、二匹とも真っ向対決は避けているらしく、めったに庭にまで立ち入ってくることはなかった。クロに出くわすと目をあわせないよう顔をそむけ、たいていの場合、そのまま立ち去っていった。発情期でなければオス猫たちも平和主義者のようだった。大きな赤トラは赤い首輪をした飼い猫で、愛嬌があって物怖じしないやつだったが、やたらとケンカが強かった。このころはクロも衰えが目立ってきていて、この大きな赤トラにはまるでかなわなかった。人慣れしていてこちらを見ると「ニャーン」と甘えるような声をあげたが、クロびいきの私としては複雑な心境だった。オオヤマネコのように口吻が長くて鼻の大きい独特の顔をしていた。シロが庭続きの大家の床下をねぐらにしているせいなのか、メスの猫が入ってくることはほとんどなかった。オスの行動範囲が流動的で互いに重なっているのに対し、メスは互いに排他的ななわばりをもっているようだった。もっとも、狩猟生活で日々のなりわいをたてているシロにとって、大家の広い庭を中心としたなわばりを維持することは死活問題だったので、特別になわばり意識が強かったのかもしれない。あの陰気で不器量で気性の荒い猫のどこがいいのか人間たちには理解できなかったが、シロはあいかわらずオス猫たちに絶大な人気があった。

 どこまでも本能に忠実なシロは春になる頃にはとっくに子離れして、スイッチが切り替わったかのように、もうゴンを見かけてもいっさい相手にしなくなった。ゴンを近づけようともしなかった。すでに新しい子を腹に宿していたのかもしれない。ときどきクロたちの食事に割り込んでくるだけで、シロは他の猫との交流も好まず、ゴンがどれほど我が家に出入りするようになっても、人間への警戒を解くことはなかった。ゴンもあえてシロに近づくことはなかった。そういう猫同士の距離のとりかたについては互いに暗黙の了解があるみたいだった。猫は基本的に単独生活者で、犬のようなリーダーのいるはっきりとした群れをつくることはないが、互いの暮らしを荒らさないための基本的なルールをもっているようだった。また、うちの庭に出入りする猫たちのようにある程度の個体密度があるとゆるやかな関係性をつくるようになるらしい。その中で人間にはわからないサインを出しあいながら、互いの関係性を確かめたり、距離の取り方を計ったりしているようだった。短い子育て期間を勤め終えたシロは、あいかわらず自分に近寄るなというサインを盛大に出しつつ、「ギャローン」という低くしわがれた鳴き声でまわりの人間たちを憂鬱な気分にさせ、薬草園でのバードハンティングと大家が大事にしている金魚の漁にはげんで猫嫌いの家主を悩ませ続けた。まもなく大家は池に網をはった。

 ゴンが居着いてまもなくチビが家出した。体は大きくなってもいつまでも仔猫のようだったチビは、新入りのゴンのことが気に入らなかったようだ。ゴンが近づいてくると威嚇し、それ以上近づけようとしなかった。いつでももっとかまってほしいチビは、母にちやほやされる新入りにやきもちをやいたのかもしれない。あるいは、これを機会に独立して自分のなわばりをかまえる時がきたと判断したのかもしれない。とはいってもチビのことだから、どうせすぐに帰ってくるだろうと私も母も高をくくっていたが、ひと月たってもふた月たっても戻らなかった。家出から一年以上たった夏のこと、通りの向こうからやけに汚い猫が歩いてくると思ったらチビだった。ひどい猫疥癬にかかっているようで、ほとんどの毛が抜け落ち、赤トラの毛並みがわからないほど全身に広がった皮膚病と膿でただれていた。青黒くただれた箇所はカビも発生しているようだった。痩せて頬はこけ、両目は目やにで埋まって半分も開いていなかった。この一年の間に何があったのか、その姿はぬいぐるみのようだったころを想像できないほど変わりはてていた。母はチビのありさまにただ呆然と立ちつくしていた。あわててエサを用意したが、チビはちらと庭の様子を覗いただけで、エサに口をつけることもなくそのまま立ち去っていった。自分が育った場所を最後に覗きにきたという感じだった。もうチビは以前の人懐っこい猫ではなくなっていた。昼間にもかかわらず、さかりのついたときのような奇妙なうなり声をあげながら、力のない足取りで路地の向こうへ消えていった。それがチビを見た最後だった。

 チビが変わりはてた姿で帰ってきた一件では、かわいがっていた母よりもむしろ私のほうが後まで引きずった。チビを室内だけで飼っていればよかったとは思わない。そもそも当時の住宅環境で猫を外に出さないというのは非現実的だった。チビが家出してしまったこともなわばり争いに負けて変わりはてた姿になってしまったのも仕方ないと思っている。ただ、こちらに寄りそってくるチビを敬遠せずに、もっとかわいがってやればよかったと思う。母は「チビだって猫として生きようと懸命にやってきてああなったんだからさ、それをいまさら悔やんでもしかたないよ」と案外さばさばしていた。その発言が自分を頼ってきた仔猫のチビを精一杯世話してやったという自負によるものなのか、それともそう自分に言い聞かせようとしているだけなのかはわからなかった。

 クロはチビが仔猫だった頃と同じように、新入りのゴンをかわいがった。会うたびにネコチューの挨拶でむかえ、目やにを舐めてやり、エサをゆずってやった。クロがもともとそういう大らかな性格だったのか、このあたりの主として長い野良生活をおくるうちに身につけた姿勢なのかわからないが、チビにもゴンにも優しかった。チビはゴンを嫌っていたので食事のとき以外は三匹いっしょにいることはなかったが、クロはチビのこともゴンのことも気にかけているようで、まるで若い居候たちの保護者のようだった。万事鷹揚で悠然としているクロには、町内に何人かの熱心なファンがいて、とくに通りをふたつはさんだところの老夫婦からは、「トコちゃん」と呼ばれてかわいがられていた。トコちゃんねえ、クロどん。そんなクロもチビが家出する頃には衰えがめだつようになっていた。もう以前のような精悍さはなく、体もひとまわりくらい小さくなっていた。残ったゴンが育っていくのと反比例するようにクロは痩せていき、しだいに西日の当たる窓辺でうずくまっていることが多くなった。元気な頃はよくケンカして帰ってきたので、猫エイズを患っていたのかもしれない。翌年には、冬の間じゅう鼻水を垂らし、頬がこけて見えるほどげっそりと痩せてしまい、息をするのも苦しそうだった。毛づやも悪くなり、体のほうぼうに禿げた箇所がめだつようになっていた。ゴンが二回目の冬を越した早春、クロはふいと姿を消し、それっきり帰ってくることはなかった。

 私はなかば本気でクロのことを山の神様だったと思っている。飼っていたのではなくお供え物をしていたのだと。クロはとうとう一言も発しないまま去っていったが、俗人に山の神様の言葉がわかるわけもないのだからそれでいい。大食いで魚くさい山の神様は、何をしてくれるわけでもなく、ただいつも軒下にたたずんでじっとあたりを見ているだけだったが、その不思議なやつがそこにいてくれるだけで私は十分うれしかった。十分すぎるほどたくさんのものを私はクロからもらった。

 クロが山へ帰ったのとほぼ同じころ、私も安いアパートを間借りしてそこから大学に通うようになった。安普請のアパートの部屋は狭くすき間風が吹いていたが、自分のなわばりは居心地が良かった。深夜まで友人たちと馬鹿話にふけり、下手な麻雀で夜を明かし、酔っぱらって友人たちと雑魚寝し、二日酔いでふらつきながら友人を蹴飛ばしてトイレで吐いた。そんな新しい生活は新鮮で開放感に満ちていた。ただ唯一クロの最後の時期をいっしょに過ごせなかったことだけが心残りだった。なんといっても私にとってもクロは特別な猫だったので、クロが一番辛そうにしている時に家を出たことは、クロの信頼を裏切ったような気がして後ろめたかった。母からクロが出ていったきり帰ってこないと聞かされ、ほうぼうを探したが、もうどこにもクロの姿はなかった。

 国分寺の古い家には母とゴンだけが残った。去っていった猫たちへの思いと無愛想で冷ややかな息子への失望感とで、母はいっそうゴンを溺愛しているようだった。国分寺の家へ帰るたびにゴンの毛づやは良くなっていき、トラ模様の背中はまるで黒光りしているようだった。いつの間にかゴンは室内への立ち入りも許され、やがてテーブルの上にのぼって母といっしょに食事をするようになっていた。私はそのけじめのなさに怒ったが、「まあいいじゃないか」と母は笑っていた。こういうことに口やかましかった母も五十をすぎて少し老けたようだった。ゴンは母にしか懐かなかった。警戒心の強いところまでシロにそっくりで、ゴンは私を見ると母の後ろへかくれた。

 ゴンは母とともに移った高層住宅の一室で十三歳で死んだ。ゴンは引っ越し先での暮らしのほうが長かった。ペット禁止の集合住宅へ引っ越す際には、ゴンを連れて行くか、新たな飼い主をさがすか、保健所で安楽死させるか、野良に返すかをめぐってひと悶着あったが、けっきょく去勢手術を受けさせて連れて行くことになった。愛情はそそぐがカネはかけないというのが母の基本方針だったが、ゴンの去勢手術と各種ワクチン接種に関しては妥協した。猫嫌いの大家のおばさんからは、ゴンを「処分」するよう、薬局で売っている猫いらずを無料で提供するという申し出もあったらしい。そんな人間たちの騒動をよそに、去勢されたゴンは引っ越し先の家にまもなくなじんだ。トイレもいっぺんでおぼえ、たまに外へ出るくらいで家猫としての暮らしにすっかり適応した。新しい土地で何匹かの仲のいい猫もでき、やがて家にも友だちを連れてくるようになった。他の猫に友好的なのが唯一シロと違うところだった。去勢されたせいなのかもしれない。クロやチビのようにケンカで怪我してくることもなかった。用心深く、すばしっこく、母だけを全面的に信頼していた。母がいるときには私にも頭をなでさせたが、母が出かけるとやはり不安なようで、そそくさと立ち去った。ゴンは多くの時間を母の膝の上ですごし、歳をとるほど仔猫のようになり、いっそう母に甘えるようになった。もうシロから教わったこともおおかた忘れてしまったようだった。ゴンを相手にあれこれ話しかけている母の様子はまるっきり猫おばさんそのもので、近所のこどもたちからは「ゴンのおばちゃん」と呼ばれているらしかった。「猫は陰気だから嫌い」と口癖のように言っていた母もずいぶん変わった。そんなゴンも死んでからこの春でもう十年になる。

 シロは母が国分寺の家を越す頃にはまだ大家の床下に出入りするのを見かけたらしい。あいかわらず人間を近づけず、人間を見ると低くかすれたうなり声で威嚇していたんだろう。私はそのころ大学院に通っていたので、シロがお隣に住みついてもう十年くらいたっていた。薬屋の鬼娘もさすがに狩猟生活がしんどくなったようで、ゴンのエサに割り込んでくることが年々多くなってきたと母は話していた。「子供ばかり産んで困る」と大家は腹立たしげに嘆いていたが、シロが生んだたくさんの仔猫の中で、ゴンの他にも育ったのはいたんだろうか。シロがその後どうなったかはわからない。老いたシロが野良猫暮らしを長くつづけるのは難しかったろう。ただ、そうして野垂れ死んでいくことをかわいそうだとは思わない。生き物はたくさん産まれ、たくさん死んで、命を次の世代へ受け渡していく。その力強さにただ圧倒される。シロは目つきの悪い貧相な猫だったが、体をはって生きている凄みがあった。そのしたたかさや生きる力を思うと、人間の保護下でペットとしてかわいがられるだけの猫がみな仔猫のように思える。なので、愛猫家が野良猫を「ホームレス猫」と呼び、「不幸な猫」と見なすことには、違和感をおぼえる。人間の管理下に置かれた「ペット・家畜」と人間の生活圏外にある「野生動物」というように、境界線を引いて二分しようとするのは、現実にそぐわない、いびつな発想に見える。両者の間には様々なつきあい方が連続的にあって、猫はそういう境界線上にいる動物の典型ではないかと思う。そもそも人間に管理された「人口空間」と人間の生活から隔離された「自然」とに二分しようとする考え方に無理があるのではないか。野良猫が一匹もいない「清潔な」町を望んでいる人も、血統書つきの猫を室内飼いで溺愛している人も、自らの生活空間から自然を遠ざけようとしている点ではなんら変わらないように見える。

 シロから命を受けわたされた子孫たちは、まだあの町で暮らしているのかもしれない。もしそうだとしたら、きっとよく手入れされた花壇に穴を掘ったり、みがいたばかりのクルマやオートバイに臭いおしっこをかけたりして、シロのように新しい住人たちから嫌がられているんだろう。住人の中には、二十年ローンで購入した建て売り住宅の玄関先にずらっとペットボトルをならべて、効果がないと知りつつ、抗議の意思表示をしている人もいるかもしれない。あるいは逆にせっせとエサを与えて猫嫌いの住人と対立している人もいるかもしれないし、野良の一匹をひきとってかわいがっている人もいるかもしれない。ただ、猫が好きな人も嫌いな人も、人とつかずはなれずで生きている連中のことを少しだけ大目に見てくれるようになればいいなと思う。人間様の暮らしは大事だけど、まあ連中だってここで生きているんだからさと。

 先日、ひさしぶりに母に会った際、どうして「ゴン」という名前にしたのかたずねてみた。「タンスにゴンが流行ってたからだよ、それになんだかゴーンって顔してたしさ」とわかるようなわからないような答えだった。ゴンは母にかわいがられて幸せだったんだろうか。高層住宅の五階の一室での暮らしは、野良のときのように冬の寒さに凍えることもないし、飢えることもない。たくさん生まれたシロのこどもたちの中でたぶん一番長生きしただろう。でも、その生き方はゴンが自ら選んだわけではない。ゴンは人間との暮らしの中で、シロから習った力を発揮することもなく、去勢され、子孫を残すこともなく、母のひざの上で死んでいった。本当はゴンもシロのように鳥やけものを追い、人間から嫌われてどこかで野垂れ死んだとしても、自由に生きたかったのかもしれない。まあ猫の本当の幸せなんて考えてもわからないし、ゴンと母猫のシロのどちらが幸せだったのかなんて意味のない問いなんだろう。猫の幸せがわからないからこそ、母はゴンをひきとるからにはかわいがってあげる責任があると考えていたようだった。「ゴンちゃんの幸せってなんだったんだろうかしらねえ、まあわからないけどさ、でも私のほうはゴンがいて幸せだったよ。ゴンは役所の共同火葬だったからもうお骨も残ってないし、お線香あげても張りあいがないけど、もうすぐ十回忌だからなにかしてやろうかね、煮干しのアタマを残すのだけは気にくわなかったけど、十回忌だから上等な煮干しでもそなえてやるかね」。母はそう言って笑っていた。




クロこと山の神様。ときどきトコちゃん。うちの界隈の主。オス。いかつい顔と大きな頭とがっちりした体型をしていた。写真でもなかなかの押し出しぶり。年齢は不詳。私が中学生のころから、うちの庭に住みつくようになったが、もっとずっと以前からこの大きなトラ猫があたりを徘徊していたような気もする。私は佐野洋子の「百万回生きた猫」を読むと、いつもクロのことを思い出す。クロは野良猫といってもあちらこちらの家でエサをもらっているので、人慣れしていてあまりやさぐれた感じはしなかった。写真左側の金だらいみたいなのは、お供え物用の器。大食いの山の神様は、ねこまんまに残り物に鰹節と煮干しを混ぜたものでも、余り物のアジの開きに古くなったちくわを刻んで混ぜたものでも必ず完食した。塩っぱいものが多くてごめんよ。竹垣の向こう側が大家の薬草園。ときどきトリカブトまで植わっていてなかなかスリリングだった。




同じくクロ。写真を撮られるのはあきたらしく、ガニ股のへんな格好で毛づくろいをはじめた。上の記念写真みたいなのよりもこちらほうがクロらしい感じがする。




クロのまなざし。話しかけるとクロはきまってこのまなざしでじっとこちらを見ていた。強いまなざしだった。




秋の日に枯れ草の上で寝ているクロ。大家の薬草園につながっている土の庭は猫たちにとって居心地がいいらしく、色々な猫たちが出入りしていた。クロが庭先で寝ている様子はすっかり庭の風景の一部だった。




チビ。二歳くらいのころ。春のやわらかい日ざしの中、庭で。チビはかまってもらうのが大好き。いつでもかまってもっとかまってと人間に寄りそってくる。この日はだっこしてもらってチビ大満足。もこもこした足がぬいぐるみのクマちゃんのよう。写真の中のチビの表情を見ていると、自分が猫だとはまったく思っていないような気がする。




日だまりで昼寝しているクロとチビ。クロはいかつい顔に似合わず、チビの面倒見がよかった。安心しきって寝ているチビは完全に無防備。こうしてならんでいると、見た目には二匹の大きさはあまり変わらないが、チビは毛並みがもこもこでかさ高いため、持ち上げるとクロの半分くらいの重さしかなかった。はかったことはないが、体重は5kg弱くらいではないかと思う。




梅雨の晴れ間。干しているカサの影で寝そべるチビ。いつも注目されたいチビは写真を撮られるのも大好き。




梅雨寒の日のクロとチビ。ふだんはあたりを徘徊しているクロとチビも、雨の日はきまって物置の中で二匹ならんで雨宿りしていた。濡れてぼさぼさ頭のクロは、雨の中、なわばりチェックから帰ってきたところ。我が家の訪問客は、チビを見るとたいてい「あらかわいい猫ちゃんね」とわかりやすい社交辞令を言い、その後からのそのそやってきたクロを見ると、一瞬おどろいた顔になり、言葉を選んでいるのか少し間をおいて「大きな猫ちゃんね」と苦笑していた。なかには形容に困って「丈夫そうな猫ちゃんね」という人までいた。壁や柱じゃないんだから「丈夫そう」はないだろうと思うのだが、そうした反応はけっして不快なものではなかった。むしろクロを「ペット」といわれることのほうが抵抗感をおぼえた。私にとってクロは断じて「ペット」ではなかった。




こちらは別の雨降りの日のクロとチビ。二匹で丸まって猫玉状態。夏場はちょっと暑苦しい。どう見ても血縁関係があるとは思えなかったが、クロにとっては、チビは体は大きくなっても、あいかわらず仔猫みたいなものだったんだろう。クロはチビにもゴンにも優しかった。ライオンやチーターはオス同士の集団をつくるので、猫も人からエサをもらえる環境では、なわばりを持つ前のオスが居候として他のオスと共同生活することもあるのかもしれない。チビはクロのおかげで少しずつ落ちついたおとなの猫になっていった。二匹の仲が良くて、こちらとしてはひと安心。




同じく雨降りの日の物置。チビはケンカでひっかかれたようで左まぶたが少しはれている。チビは甘ったれで、弱虫で、近所のオス猫たちの中で一番ケンカが弱かった。向かいの駐車場でアパート三兄弟やスガメのブチたちとよくケンカをしていたが、大騒ぎをして逃げ回っているのはきまってチビだった。仔猫のときから人間に育てられたので、チビは猫同士のコミュニケーションがうまくできなかったのかもしれない。それでもオスなので、チビはまた強いオス猫たちに挑んでいく。男はつらいぜ。チビは弱虫のくせにケンカの傷がたえなかった。




ときどき精悍な顔になるクロ。近所の小さいこどもたちは大きなクロのことを怖がっていた。背中が真っ黒なトラ模様と大きな耳がクロの特徴。この日は念入りにブラシをかけてあげたのでめずらしく毛並みがいい。クロは毛づくろいしてもらうのがうれしいらしくおなかを出してごろごろ転がっていた。クロは一言も鳴かなかったが、喜怒哀楽は十分に伝わってきた。




梅雨も明けて夏の日ざしが射している。日ざしを避けて物置で昼寝するチビ。クロは暑い中なわばり巡回中。チビはまだ自分のなわばりを持っていないので、もっぱらこの物置と我が家の庭と向かいの駐車場だけを行き来していた。




チビの写真を撮っていると、「なにやってるの」とクロが覗き込んできた。猫たちはふだん閉まっている戸が開いていたり少しだけ窓が開いていたりするともう気になって覗かずにはいられないらしい。覗いているクロの顔がなんだかやけにおかしい。ただ、こちらを信頼しきっているチビのまなざしは少しせつない。チビは半野良としてもう二年以上屋外で生活しているのに、あいかわらず我が家にやってきた仔猫のころとまったく同じつぶらなひとみでこちらを見ていた。




クロ。体を休めつつさかんに耳を動かしてあたりの様子を探っている。




なわばりのパトロールに出撃するクロ。ゴジラ東京上陸といった感じ。ゴジラも山の神様だと思う。それにしてもこの大トラに「トコちゃん」と名づけた老夫婦はなかなかのセンスの持ち主だと感心する。「いつもトコトコと歩いてくる姿が健気でね、トコちゃんは風格があって賢くて、他の猫とはひと味違うのよ」とおばあさん。町内にはそんな熱心なファンが何人かいて、クロは愛されていた。母はクロにエサをやりながら、よく「トコちゃん」と呼んでからかっていた。クロは「なあに」という表情で、にやにやしている母のことを見ていた。




秋の日のクロ。いつもこうして土の上で寝そべっているので、いくら毛をすいてやっても土埃で毛並みはボサボサ。




秋の日のチビ。冬に備えていちだんともこもこしている。チビは長毛種の血が入っているようだった。チビは「上げ底ちゃん」「かさ高いやつ」「うちのもこもこ」といった妙な愛称で呼ばれていた。もっともチビはとにかく人間にかまわれるのが好きだったので、どう呼ばれてもニャンニャンいいながらうれしそうにやって来た。




冬、よく晴れた日の午後。とけた霜柱で濡れている土をさけ、軒下でひなたぼっこをするクロ。




冬、雪のつもった庭と猫たち。チビはふくらんでまん丸。毛並みの短いクロはやけに寒そう。ふだんは軒先や物置で野宿しているクロとチビもさすがに雪の降る晩は家の中へ入れていた。もちろん二匹ともトイレトレーニングはしていないので、おしっこがしたくなると玄関をひっかいて外に出せと要求し、しばらくするとまた戻ってきた。野良生活の長いクロは、部屋の中は居心地が悪いのか、あるいは閉じこめられたような気がして不安になるのか、あまり長居はしなかった。写真はそんな雪の降った翌日のもの。一転してよく晴れて、庭につもった雪が冬の日ざしを反射している。シロの仔猫が軒先で凍死していたのもこの冬の出来事。




クロ、雪の残る庭で。なにかうれしいことがあったのか頭突きの体勢。クロどん、頭がデカイです。ときどき思い浮かべるクロの姿もやはりこんな丸くて大きな頭をしている。




寒さにめげず、お供え物を平らげる大食いの山の神様。猫にも白髪が生えるのか、真っ黒だった背中の毛色が少し薄くなってきたようだった。クロが何歳だったのかはわからない。私が中学校を卒業するくらいから我が家に出入りするようになり、大学二年か三年のころに姿を消した。庭をうろうろするようになったのはもっと古くからで、私が小学生のころには、すでに大きな黒いトラ猫が近所の路地や庭の草むらを歩いているのを見ていたような気がする。この写真は私が大学一年か二年のころのもの。クロもだいぶくたびれて以前のような精悍さはもうなかったし、近所の大きな赤トラにケンカでかなわなくなっていたが、歳をとるほど味のあるいい猫になっていった。弱虫のチビだって長く生きていれば、クロとはまたちがった味のあるいい猫になっていたはずだと思う。




夕方、窓辺にたたずむクロ。すでに冬の日ざしは西に大きく傾いて、だいぶ冷え込んできた。クロは歳をとるにしたがってこうして窓辺でじっとしていることが多くなっていった。さあ、クロ、もう寒いからうちに入ろう。




ゴン。四歳か五歳の頃。引っ越し先の居間にて。神経質なゴンはカメラのシャッター音が嫌いで、「うるさいよ」とばかりにこちらを睨んでいる。こういう時の表情はシロにそっくりだった。ゴンの父親はたぶんクロだと思うが、黒トラの毛色と大きな耳以外はまったく似ていない。クロはゴンのことをかわいがっていたが、猫は人間と違って父猫と仔猫の絆がないので、クロもゴンも父親という認識は持っていなかったろう。体重は4kgちょっとでオス猫としてはやや小柄。かかりつけの獣医師によると「ゴンちゃんは骨格が華奢だから、あまり太らせないよう食事管理は気づかってあげてください」とのことだった。シャム猫を飼っていた金物屋のおばさんは、シロそっくりなゴンを見ると再びうーむと唸っていた。シロはまだ大家から嫌がられつつ狩猟生活にはげんでいたので、金物屋のおばさんも近所づきあいを気にしてあまり触れたくないようだった。金物屋のシャム猫はそのころはもうとっくに死んでいて、おばさんも店を閉めていた。1980年代の円高と貿易自由化をへて、町中に大型のディスカウント店が目立つようになり、多くの個人商店が店を閉め、町の風景が大きく変わったころのことだった。




私はゴンとはほとんどいっしょに暮らしていないので、ゴンについてはあくまで母の猫としてしか見ていなかった。母にはよくなついていたし、私もゴンを邪険にあつかうようなことはなかったが、クロやチビにいだいていたような親近感は感じない。ゴンも私のことをときどきやってくるなれなれしい奴くらいにしか見ていなかったろう。あらためてこうして写真を見てもゴンと撮影している私との間の距離を感じる。ところでゴンさん、背中が黒光りしてますぜ。




エサ用の器も引っ越し先で新調された。もうこのころはディスカウントストアに行けば色々なネコ缶が安く手にはいるようになっていたので、以前のような汁かけご飯に煮干しを混ぜたねこまんまを与えることはなくなっていた。ただ、母に甘やかされたゴンは安いネコ缶だと少し口をつけただけで必ず残した。そうしてハンガーストライキによってもっとうまいネコ缶を出せと要求し、きまって根負けするのはゴンに甘い母のほうだった。ゴンはなかなかしたたかで賢いようだった。もっとも私はなんでもよく食べたクロやチビのことを思い浮かべながら、ケッという感じでその様子を見ていた。




ゴン。やはり背中が黒光りしている。この日のゴンは居間に入ってくるなりしゃっくりをはじめた。しゃっくりをしながらテレビを観ているこちらのほうへ近づいてきて、ホットカーペットの上にあがるなり大量のゲロを吐いた。食べすぎたらしい。わざわざカーペットの上でゲロ吐くんじゃねえよ。写真は吐いてすっきしりた顔のゴン。




引っ越し先でできたゴンの仲良し。首輪に鈴をつけていたので鈴猫すずちゃんと勝手に命名。ゴンよりもさらにひとまわり小柄なメス。小柄なすずちゃんとならぶと、ゴンがやけにたくましく見える。ゴンはよくこうして仲の良い猫たちをつれてきた。シロに兄弟猫たちといっしょに育てられたせいか、ゴンは「猫づきあい」が好きなようだった。ただ、大きなオス猫は苦手らしく、つれてくるのはきまって小柄で大人しいメスだった。すずちゃんは愛嬌のある優しい顔をしていた。明るいきつね色にところどころ黒と白の細い縞が入るめずらしい毛色で、たぶんアビシニアンの雑種ではないかと思う。しぐさや表情がやけに絵になる猫で、この写真もなんだか猫のポストカードみたい。すずちゃんは私とはこれが初体面だったが、ゴンよりもずっとフレンドリーでまったく人見知りしなかった。




これもすずちゃん。やはりポストカードふう。つま先立ちで踊るように歩くすずちゃんはクロたちとはちがう猫という感じがした。血統書つきの猫を購入する人たちは、たぶんそういう絵になるかわいさを求めているんだろう。その美意識はわからなくもないが、本来、動物に求めるべきものではないと思う。さもないとその行き着く先は、遺伝子を組み換えられた「かわいいペット」や「かしこいペット」になるだろう。たぶん世の中にはそれのどこが悪いんだと思っている人も大勢いるはずだ。きっと彼らはクロを山の神だと思ってる私のことなど鼻で笑うのかもしれない。でも、私はそういう人たちのためにこそペットロボットがあるんだと思う。もちろんすずちゃんは遺伝子組み換え猫ではない。カメラのレンズが面白いらしく、カメラを向けると近づいてきて「なあにそれ」とレンズを覗き込んだ。写真嫌いのゴンとは対照的だった。道端で知らない人に頭をなでられて、そのまま後をついて行ってしまうことも何度かあったらしい。かわいいけどそれはちょっと困ります。




写真嫌いのゴンはもうすっかり逃げ出す姿勢。これではどちらがうちのネコかわからない。すばしっこいので写真の中のゴンはたいていぶれて写っている。ゴンの用心深さとすばやい身のこなしは、シロがゴンに与えてくれた財産だと思う。おかげで知らない人に連れていかれるような心配はなかった。ゴンはシロのスパルタ式英才教育のおかげで木登りも狩りも得意だった。ときどき血まみれのスズメをくわえてきたり、ネズミや木に登ってオナガの雛まで捕ってきたりして、母を悩ませているようだった。仔猫はできるだけ長く母猫といっしょにすごさせるべきだと思う。私にはあまりなつかなかったのでかわいくはなかったが、それでいい。人を疑わない猫のまなざしは、人を近づけようとしない不信感に満ちたまなざしよりも悲しい。もしそれが品種改良の末につくられた性質だとしたらもっと悲しい。ゴンはシロゆずりのきつい顔をしていて、生意気そうな小僧という感じがした。もっともそんな生意気な小僧でも、母にとっては「なんといってもこの世で一番かわいいのはうちのゴンちゃん」とのことだった。世の中に猫の自慢話とこどもの自慢話ほど退屈なものはないが、まあ飼い主としては正しいあり方のような気もする。もちろん私はそんな母のゴン自慢につきあうほど人間ができていないので、冷笑と皮肉を交えててきとうに聞き流していた。まもなく母は引っ越し先で近所のこどもたちから「ゴンのおばちゃん」と呼ばれるようになった。




 雨降りの日のクロとチビ。記憶の中の猫たちはたいていこうしてならんで寝そべっている。写真を見るとつい昨日のことのような気がするが、もうずっと昔の出来事だ。ときどき思い浮かべる国分寺の古い家の風景は、自分もまたそこで育ったはずなのに、妙に現実感がともなわず、夢の中の風景のように思える。まあ古い記憶なんてそんなものかもしれない。

 新興住宅地の中に取り残されたように建っていた古くて小さな家、小豆色の板壁と土の庭と裏の竹やぶ、庭に集まってくる野良猫たちの面々、風の強い日に大きなケヤキの木がたてるごうごうという音、西に傾いた日ざし、夕方いっせいに飛び立つ椋鳥の群、枯れ草についたかまきりの卵塊、四匹の仔猫たちを引き連れた痩せた猫、シラカシの長い影、跳躍する痩せた白い猫、雨の降りはじめの土埃の臭い、雨が物置の錆びたトタン屋根に当たる音、ごわごわしたクロの背中の感触。その風景の中では人も野良猫も大して違わない世界を生きているようだった。

 私は何に対しても帰属意識を感じたことがないが、ただ、野良猫たちには多少の敬意とあこがれをいだいている。
 時々、記憶の中の大きなトラ猫に呼びかける。
 クロや〜い。

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