
クロこと山の神様。ときどきトコちゃん。うちの界隈の主。オス。いかつい顔と大きな頭とがっちりした体型をしていた。写真でもなかなかの押し出しぶり。年齢は不詳。私が中学生のころから、うちの庭に住みつくようになったが、もっとずっと以前からこの大きなトラ猫があたりを徘徊していたような気もする。私は佐野洋子の「百万回生きた猫」を読むと、いつもクロのことを思い出す。クロは野良猫といってもあちらこちらの家でエサをもらっているので、人慣れしていてあまりやさぐれた感じはしなかった。写真左側の金だらいみたいなのは、お供え物用の器。大食いの山の神様は、ねこまんまに残り物に鰹節と煮干しを混ぜたものでも、余り物のアジの開きに古くなったちくわを刻んで混ぜたものでも必ず完食した。塩っぱいものが多くてごめんよ。竹垣の向こう側が大家の薬草園。ときどきトリカブトまで植わっていてなかなかスリリングだった。

同じくクロ。写真を撮られるのはあきたらしく、ガニ股のへんな格好で毛づくろいをはじめた。上の記念写真みたいなのよりもこちらほうがクロらしい感じがする。

クロのまなざし。話しかけるとクロはきまってこのまなざしでじっとこちらを見ていた。強いまなざしだった。

秋の日に枯れ草の上で寝ているクロ。大家の薬草園につながっている土の庭は猫たちにとって居心地がいいらしく、色々な猫たちが出入りしていた。クロが庭先で寝ている様子はすっかり庭の風景の一部だった。

チビ。二歳くらいのころ。春のやわらかい日ざしの中、庭で。チビはかまってもらうのが大好き。いつでもかまってもっとかまってと人間に寄りそってくる。この日はだっこしてもらってチビ大満足。もこもこした足がぬいぐるみのクマちゃんのよう。写真の中のチビの表情を見ていると、自分が猫だとはまったく思っていないような気がする。

日だまりで昼寝しているクロとチビ。クロはいかつい顔に似合わず、チビの面倒見がよかった。安心しきって寝ているチビは完全に無防備。こうしてならんでいると、見た目には二匹の大きさはあまり変わらないが、チビは毛並みがもこもこでかさ高いため、持ち上げるとクロの半分くらいの重さしかなかった。はかったことはないが、体重は5kg弱くらいではないかと思う。

梅雨の晴れ間。干しているカサの影で寝そべるチビ。いつも注目されたいチビは写真を撮られるのも大好き。

梅雨寒の日のクロとチビ。ふだんはあたりを徘徊しているクロとチビも、雨の日はきまって物置の中で二匹ならんで雨宿りしていた。濡れてぼさぼさ頭のクロは、雨の中、なわばりチェックから帰ってきたところ。我が家の訪問客は、チビを見るとたいてい「あらかわいい猫ちゃんね」とわかりやすい社交辞令を言い、その後からのそのそやってきたクロを見ると、一瞬おどろいた顔になり、言葉を選んでいるのか少し間をおいて「大きな猫ちゃんね」と苦笑していた。なかには形容に困って「丈夫そうな猫ちゃんね」という人までいた。壁や柱じゃないんだから「丈夫そう」はないだろうと思うのだが、そうした反応はけっして不快なものではなかった。むしろクロを「ペット」といわれることのほうが抵抗感をおぼえた。私にとってクロは断じて「ペット」ではなかった。

こちらは別の雨降りの日のクロとチビ。二匹で丸まって猫玉状態。夏場はちょっと暑苦しい。どう見ても血縁関係があるとは思えなかったが、クロにとっては、チビは体は大きくなっても、あいかわらず仔猫みたいなものだったんだろう。クロはチビにもゴンにも優しかった。ライオンやチーターはオス同士の集団をつくるので、猫も人からエサをもらえる環境では、なわばりを持つ前のオスが居候として他のオスと共同生活することもあるのかもしれない。チビはクロのおかげで少しずつ落ちついたおとなの猫になっていった。二匹の仲が良くて、こちらとしてはひと安心。

同じく雨降りの日の物置。チビはケンカでひっかかれたようで左まぶたが少しはれている。チビは甘ったれで、弱虫で、近所のオス猫たちの中で一番ケンカが弱かった。向かいの駐車場でアパート三兄弟やスガメのブチたちとよくケンカをしていたが、大騒ぎをして逃げ回っているのはきまってチビだった。仔猫のときから人間に育てられたので、チビは猫同士のコミュニケーションがうまくできなかったのかもしれない。それでもオスなので、チビはまた強いオス猫たちに挑んでいく。男はつらいぜ。チビは弱虫のくせにケンカの傷がたえなかった。

ときどき精悍な顔になるクロ。近所の小さいこどもたちは大きなクロのことを怖がっていた。背中が真っ黒なトラ模様と大きな耳がクロの特徴。この日は念入りにブラシをかけてあげたのでめずらしく毛並みがいい。クロは毛づくろいしてもらうのがうれしいらしくおなかを出してごろごろ転がっていた。クロは一言も鳴かなかったが、喜怒哀楽は十分に伝わってきた。

梅雨も明けて夏の日ざしが射している。日ざしを避けて物置で昼寝するチビ。クロは暑い中なわばり巡回中。チビはまだ自分のなわばりを持っていないので、もっぱらこの物置と我が家の庭と向かいの駐車場だけを行き来していた。

チビの写真を撮っていると、「なにやってるの」とクロが覗き込んできた。猫たちはふだん閉まっている戸が開いていたり少しだけ窓が開いていたりするともう気になって覗かずにはいられないらしい。覗いているクロの顔がなんだかやけにおかしい。ただ、こちらを信頼しきっているチビのまなざしは少しせつない。チビは半野良としてもう二年以上屋外で生活しているのに、あいかわらず我が家にやってきた仔猫のころとまったく同じつぶらなひとみでこちらを見ていた。

クロ。体を休めつつさかんに耳を動かしてあたりの様子を探っている。

なわばりのパトロールに出撃するクロ。ゴジラ東京上陸といった感じ。ゴジラも山の神様だと思う。それにしてもこの大トラに「トコちゃん」と名づけた老夫婦はなかなかのセンスの持ち主だと感心する。「いつもトコトコと歩いてくる姿が健気でね、トコちゃんは風格があって賢くて、他の猫とはひと味違うのよ」とおばあさん。町内にはそんな熱心なファンが何人かいて、クロは愛されていた。母はクロにエサをやりながら、よく「トコちゃん」と呼んでからかっていた。クロは「なあに」という表情で、にやにやしている母のことを見ていた。

秋の日のクロ。いつもこうして土の上で寝そべっているので、いくら毛をすいてやっても土埃で毛並みはボサボサ。

秋の日のチビ。冬に備えていちだんともこもこしている。チビは長毛種の血が入っているようだった。チビは「上げ底ちゃん」「かさ高いやつ」「うちのもこもこ」といった妙な愛称で呼ばれていた。もっともチビはとにかく人間にかまわれるのが好きだったので、どう呼ばれてもニャンニャンいいながらうれしそうにやって来た。

冬、よく晴れた日の午後。とけた霜柱で濡れている土をさけ、軒下でひなたぼっこをするクロ。

冬、雪のつもった庭と猫たち。チビはふくらんでまん丸。毛並みの短いクロはやけに寒そう。ふだんは軒先や物置で野宿しているクロとチビもさすがに雪の降る晩は家の中へ入れていた。もちろん二匹ともトイレトレーニングはしていないので、おしっこがしたくなると玄関をひっかいて外に出せと要求し、しばらくするとまた戻ってきた。野良生活の長いクロは、部屋の中は居心地が悪いのか、あるいは閉じこめられたような気がして不安になるのか、あまり長居はしなかった。写真はそんな雪の降った翌日のもの。一転してよく晴れて、庭につもった雪が冬の日ざしを反射している。シロの仔猫が軒先で凍死していたのもこの冬の出来事。

クロ、雪の残る庭で。なにかうれしいことがあったのか頭突きの体勢。クロどん、頭がデカイです。ときどき思い浮かべるクロの姿もやはりこんな丸くて大きな頭をしている。

寒さにめげず、お供え物を平らげる大食いの山の神様。猫にも白髪が生えるのか、真っ黒だった背中の毛色が少し薄くなってきたようだった。クロが何歳だったのかはわからない。私が中学校を卒業するくらいから我が家に出入りするようになり、大学二年か三年のころに姿を消した。庭をうろうろするようになったのはもっと古くからで、私が小学生のころには、すでに大きな黒いトラ猫が近所の路地や庭の草むらを歩いているのを見ていたような気がする。この写真は私が大学一年か二年のころのもの。クロもだいぶくたびれて以前のような精悍さはもうなかったし、近所の大きな赤トラにケンカでかなわなくなっていたが、歳をとるほど味のあるいい猫になっていった。弱虫のチビだって長く生きていれば、クロとはまたちがった味のあるいい猫になっていたはずだと思う。

夕方、窓辺にたたずむクロ。すでに冬の日ざしは西に大きく傾いて、だいぶ冷え込んできた。クロは歳をとるにしたがってこうして窓辺でじっとしていることが多くなっていった。さあ、クロ、もう寒いからうちに入ろう。

ゴン。四歳か五歳の頃。引っ越し先の居間にて。神経質なゴンはカメラのシャッター音が嫌いで、「うるさいよ」とばかりにこちらを睨んでいる。こういう時の表情はシロにそっくりだった。ゴンの父親はたぶんクロだと思うが、黒トラの毛色と大きな耳以外はまったく似ていない。クロはゴンのことをかわいがっていたが、猫は人間と違って父猫と仔猫の絆がないので、クロもゴンも父親という認識は持っていなかったろう。体重は4kgちょっとでオス猫としてはやや小柄。かかりつけの獣医師によると「ゴンちゃんは骨格が華奢だから、あまり太らせないよう食事管理は気づかってあげてください」とのことだった。シャム猫を飼っていた金物屋のおばさんは、シロそっくりなゴンを見ると再びうーむと唸っていた。シロはまだ大家から嫌がられつつ狩猟生活にはげんでいたので、金物屋のおばさんも近所づきあいを気にしてあまり触れたくないようだった。金物屋のシャム猫はそのころはもうとっくに死んでいて、おばさんも店を閉めていた。1980年代の円高と貿易自由化をへて、町中に大型のディスカウント店が目立つようになり、多くの個人商店が店を閉め、町の風景が大きく変わったころのことだった。

私はゴンとはほとんどいっしょに暮らしていないので、ゴンについてはあくまで母の猫としてしか見ていなかった。母にはよくなついていたし、私もゴンを邪険にあつかうようなことはなかったが、クロやチビにいだいていたような親近感は感じない。ゴンも私のことをときどきやってくるなれなれしい奴くらいにしか見ていなかったろう。あらためてこうして写真を見てもゴンと撮影している私との間の距離を感じる。ところでゴンさん、背中が黒光りしてますぜ。

エサ用の器も引っ越し先で新調された。もうこのころはディスカウントストアに行けば色々なネコ缶が安く手にはいるようになっていたので、以前のような汁かけご飯に煮干しを混ぜたねこまんまを与えることはなくなっていた。ただ、母に甘やかされたゴンは安いネコ缶だと少し口をつけただけで必ず残した。そうしてハンガーストライキによってもっとうまいネコ缶を出せと要求し、きまって根負けするのはゴンに甘い母のほうだった。ゴンはなかなかしたたかで賢いようだった。もっとも私はなんでもよく食べたクロやチビのことを思い浮かべながら、ケッという感じでその様子を見ていた。

ゴン。やはり背中が黒光りしている。この日のゴンは居間に入ってくるなりしゃっくりをはじめた。しゃっくりをしながらテレビを観ているこちらのほうへ近づいてきて、ホットカーペットの上にあがるなり大量のゲロを吐いた。食べすぎたらしい。わざわざカーペットの上でゲロ吐くんじゃねえよ。写真は吐いてすっきしりた顔のゴン。

引っ越し先でできたゴンの仲良し。首輪に鈴をつけていたので鈴猫すずちゃんと勝手に命名。ゴンよりもさらにひとまわり小柄なメス。小柄なすずちゃんとならぶと、ゴンがやけにたくましく見える。ゴンはよくこうして仲の良い猫たちをつれてきた。シロに兄弟猫たちといっしょに育てられたせいか、ゴンは「猫づきあい」が好きなようだった。ただ、大きなオス猫は苦手らしく、つれてくるのはきまって小柄で大人しいメスだった。すずちゃんは愛嬌のある優しい顔をしていた。明るいきつね色にところどころ黒と白の細い縞が入るめずらしい毛色で、たぶんアビシニアンの雑種ではないかと思う。しぐさや表情がやけに絵になる猫で、この写真もなんだか猫のポストカードみたい。すずちゃんは私とはこれが初体面だったが、ゴンよりもずっとフレンドリーでまったく人見知りしなかった。

これもすずちゃん。やはりポストカードふう。つま先立ちで踊るように歩くすずちゃんはクロたちとはちがう猫という感じがした。血統書つきの猫を購入する人たちは、たぶんそういう絵になるかわいさを求めているんだろう。その美意識はわからなくもないが、本来、動物に求めるべきものではないと思う。さもないとその行き着く先は、遺伝子を組み換えられた「かわいいペット」や「かしこいペット」になるだろう。たぶん世の中にはそれのどこが悪いんだと思っている人も大勢いるはずだ。きっと彼らはクロを山の神だと思ってる私のことなど鼻で笑うのかもしれない。でも、私はそういう人たちのためにこそペットロボットがあるんだと思う。もちろんすずちゃんは遺伝子組み換え猫ではない。カメラのレンズが面白いらしく、カメラを向けると近づいてきて「なあにそれ」とレンズを覗き込んだ。写真嫌いのゴンとは対照的だった。道端で知らない人に頭をなでられて、そのまま後をついて行ってしまうことも何度かあったらしい。かわいいけどそれはちょっと困ります。

写真嫌いのゴンはもうすっかり逃げ出す姿勢。これではどちらがうちのネコかわからない。すばしっこいので写真の中のゴンはたいていぶれて写っている。ゴンの用心深さとすばやい身のこなしは、シロがゴンに与えてくれた財産だと思う。おかげで知らない人に連れていかれるような心配はなかった。ゴンはシロのスパルタ式英才教育のおかげで木登りも狩りも得意だった。ときどき血まみれのスズメをくわえてきたり、ネズミや木に登ってオナガの雛まで捕ってきたりして、母を悩ませているようだった。仔猫はできるだけ長く母猫といっしょにすごさせるべきだと思う。私にはあまりなつかなかったのでかわいくはなかったが、それでいい。人を疑わない猫のまなざしは、人を近づけようとしない不信感に満ちたまなざしよりも悲しい。もしそれが品種改良の末につくられた性質だとしたらもっと悲しい。ゴンはシロゆずりのきつい顔をしていて、生意気そうな小僧という感じがした。もっともそんな生意気な小僧でも、母にとっては「なんといってもこの世で一番かわいいのはうちのゴンちゃん」とのことだった。世の中に猫の自慢話とこどもの自慢話ほど退屈なものはないが、まあ飼い主としては正しいあり方のような気もする。もちろん私はそんな母のゴン自慢につきあうほど人間ができていないので、冷笑と皮肉を交えててきとうに聞き流していた。まもなく母は引っ越し先で近所のこどもたちから「ゴンのおばちゃん」と呼ばれるようになった。
