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アンコール・ワット。観光客はかなりの数で、観光客が入らない写真を撮るのは至難のワザ。
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とうとう来た。アンコール・ワットだ。入り口からかなりの観光客の数、それはそうだろう、なんと言ってもメインディッシュだ。私は敷地内に入り、まず正面から門とアンコール・ワットの3つの尖塔の重なり具合を変えて何枚かの写真を撮った。中央を走る道から両側の草原に降りてカメラを構える。他にも多くのカメラマンが何枚もの写真を撮っている。ファインダーを覗くと、何か目の前にあるものが恐れ多いものに見えてくる。それは、このままこの遺跡の中に入ってもいいのかという恐れだ。やはりこの旅のメインディッシュ、いただくならアンコール遺跡チケットの最終日となる明日にした方が良いのではないか。この遺跡を今見た後、私は他の遺跡を見れるのだろうか。もしかしたらもう十分になってしまって明日は遺跡巡りをしなくなってしまうかもしれない。しかし明日が必ずしも天気がいいとは限らない。もし天気が悪ければこのアンコール・ワットを見ないままカンボジアを去らなくてはいけなくなるかもしれない。しばらく門の入口で悩んだ末、私はやっと足を前に進め始めた。
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アンコール・ワットに残る美しいレリーフ。非常に立体的でリアルである。
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アンコール・ワットは西を向いている。よって夕方にかけて陽を直に浴びた時の美しさは素晴らしいという。私が訪れたのはちょうど14:30、まさにここから最高のときになるのだ。私はどんどん奥へ進む。美しい。途方もなく美しい。修復されたものなのか、あるいはオリジナルのままなのかはわからないが、多くの美しいレリーフが残っている。そしてなんだろう。どちらかというとタ・プロームのように他の遺跡とは違った明確な特徴があるわけでもないのに圧倒的な存在感、言葉には表せない異様な雰囲気、すぐにこの遺跡に夢中になった。私は中央塔へ登った。このアンコール遺跡群に来て以来、登れるところはすべて登ってきた。もちろんここを登らないわけには行かない。結構急な階段を登って中央塔からアンコール・ワットの広大な敷地を見渡す。素晴らしい眺めだ。私は今、アンコール・ワットの内部にいるのだ。そう考えると、やっとメインディッシュに胃に入れた満足感が沸いてきた。
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中央塔の窓の外から見たアンコール・ワット。今は野原になっている場所は水で満たされる。
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と、そのとき昨日象のテラスで感じたのと全く同じような雰囲気が私の中によぎった。今は乾ききっている真下に見える中央祠堂の両側、そこは水で満たされていた。その当時雨季/乾季という分け方があったかどうか定かではないが、確かにそこは水で満たされていたのだ。(もちろん現在でも雨季になったら満たされているのかもしれない)その証拠に排水口のようなものが見える。そしてそこには水草などの植物が生い茂り、そうこの大勢の観光客のように多くの人たちが往来していたのだ。なぜだかはわからないが、そこは長閑な、そして暖かい幸せな雰囲気で満たされていたような気がする。そういえば、先ほどアンコール・ワットの西塔門へ続くテラスを歩いていた時、おそらく日本のパッケージツアーで来たのだろうオジさんが、「わぁ、本物だ」とつぶやいていた。そうなのである。ここは本物のアンコール・ワットなのである。アンコール・ワットは今まで何度もテレビや本等で見てきている。しかし、そんなものは全く意味をなさないことこの遺跡は身をもって感じさせてくれる。全くオーバーな表現ではなく、少しでも感ずる心がある人間ならばここに来て必ずそう感じるはずである。そして、そこに当時の気配が残っていても何もおかしくはないのだ。立入り禁止だろう中央塔最上部の窓の外に出て、淵に腰掛け一服しながら遠くを眺めていた私の目の前を、一匹の蝶が横切った。黒と黄色の模様を持ったとても大きなヤツだ。そんなはずはないのだが、なぜかその蝶だけは過去から現在に至るこのアンコール・ワットのすべてを知っている気がしてならなかった。
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プノン・バケンの麓で観光客を待つ象たち。この象で本当に小高い丘を登れるのだろうか?
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私は例によってサンセットを見るためにプノン・バケンへ向かった。そう、昨日のリベンジだ。16:30、この丘を登るにはまだ早そうだ。私は丘の麓に出ていた出店でPEPSIを飲んだ。と、そのときたまたまBOREYが視界に入ってきた。そして、その行動に驚いた。彼は丘の上の方を見ながら、まだ登りもしていない私を待っているのである。何をするわけでもなく、バイクに座りじっと待っている。その時、私は思った。「彼らは何なんだろう?」。一言で悪く言ってしまえば日雇いの付き人である。私は彼に7$という料金を払っている。彼はそれが仕事なのだから、待っていて当然である。しかし、日本人の私の感覚から言って、”たった”7$で彼は丸一日を私のために潰すのである。果たしてこれでいいのだろうか。おそらく彼はそんなことまでは考えていなくて、むしろ本能のようなもので待っているように見える。それがいいことなのか悪いことなのかなんて全く考えていないようだが、返ってその純粋さが私に嫌悪感を感じさせた。これはビジネスだ、そんなこと気にする必要はない。そう思ったが、何か情のようなものが沸いてきてしまった。危険だ。
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プノン・バケンの頂上から見たアンコール・ワット。天気が良かったため、望遠レンズで撮影できた。
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今日のプノン・バケンからのサンセットは素晴らしかった。まさに太陽が沈むのを見ることができた。私はプノン・バケンの頂上で、昨日アンコール遺跡群のチケット売り場で出会った日本人の青年と再び出会った。彼は中国からラオスへ行き、ベトナムを抜けてカンボジアに入ってきたらしい。もう3ヶ月も旅をしていて、来年の2月には大学の試験があるため帰国しなければいけないそうだ。やはり学生はいい。圧倒的に時間がある。少々自分の何もしなかった学生時代を思い出し後悔してしまった。宿に戻った私は、例によってまた共同スペースで旅行者たちと話をした。私と同じくこの宿に宿泊している松木さんと渡辺さんは、私より一足早く明日バンコクへ戻るという、彼らは私より短い休暇しか取っていなかったのだ。Judith Faitという日本が大好きなドイツ人のオバさんは、ボートでバッタンバンまで行くという。彼女もまたタイからこちらへ来るときに乗ったピックアップ・トラックの同乗者だ。出会った人たちがそれぞれの旅に散っていく。旅をしていて一番寂しい時だ。その夜は他に気さくなデンマーク人とニュージーランドから来た若いカップル、それと先ほどのドイツ人のオバさんとビールを飲みながら語り合った。それぞれの旅の話、各国のマフィアの話(ロシアのマフィアはかなりえげつないらしい)、スピード違反の話(ドイツ人が「日本ではBMWをよく見るが、性能を出し切れてない。あれはアウトバーンでも耐えられるように作ってあるのだ。すぐスピード違反になるような日本ではもったいない」と言っていた。たしかに)、各国のメーカーの話(やはりソニー、ヤマハ、トヨタ、ホンダなどはかなり世界的に人気があるようだ)などをした。そのうち、ボーダーから帰ってきたMABUが加わりさらに宴は盛り上がった。(MABUはこの日はほとんど新しい旅行者は連れて来れなかった)。明日からはこの宿に日本人一人だ。さて、どうしよう。
つづく
※このときの遺跡巡りの様子はCOLUMN「第11回 写真集:クメールの宇宙〜アンコール遺跡群〜 - 中編 -」にてご紹介しています。ぜひこちらもご覧ください。