
ちょうど正午になろうというとき、私たちを乗せた2台のピックアップトラックはアンコール遺跡の街、シェム・リアップに向け出発した。荷台の大きいピックアップだが、車内には2列座席がありぎりぎり5人が乗り込むことができる。もちろんそのうちの一人は運転手なのだが、残りの4人席の優先順位は女・子供、老人の順だ。私たちの組にはちょうど女性が2人と老人が2人いたので、彼らは車内。後の若い男どもは荷台に乗る。これから6時間くらいこの状態で行くのだ。腰がそれほど強くない山田さんは別の組で車内に乗ったようだが、以前インドで同様の経験したことがあったらしく、「あれほどバンコクでチケットを購入するときにちゃんとしたバスかどうか確認したのに」と愚痴をこぼしていた。それにしても、道が悪すぎる。まず砂塵がすごい。それも赤土から出る砂埃だ。サングラスをかけて、しかもバンダナを頭ではなくマスク代わりに口に巻かないとたまらない。次に、道路のいたるところが陥没している。おそらく雨季の影響だろう。舗装されていない土でできた道路に雨が降り土が柔らかくなる。その上をおかまいなしに車が走る。当然道路はボコボコになる。そして乾季に入り水分がなくなる。そうするとこのBad Roadのできあがりだ。時々舗装された道路もあるが少し行くとまたデコボコ道に入るという感じだ。これが国道6号、カンボジアはまだまだ未開の地、そんな状況に不安どころか期待が出てくる。(後に知ったのだが、このアラヤン・プラテート−ポイペト経由の陸路でのシェム・リアップ入りは日本の外務省でも危険地域としているらしい。治安が悪いことはもとより、雨季による大量の雨で未だ撤去しきれていない地雷が国道に流れてくることがしばしばあるらしい。)
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国道6号は国道にも関わらずかなりの悪路。所々舗装された道があるが、ほとんどが舗装されていない。
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しばらくすると一つ目の街に到着する。本当に小さな街だ。なんという街かは分からなかったが、持参した「地球の歩き方」の地図を見る限りではシソポンのようである。そこの食堂でしばし休憩、昼飯を食べていなかった私たちはここで昼食をとる。私は当たり障りないFried Riceを注文した。食堂の隣には学校があり、昼休みの子供達が遊んでいる。物乞いの子供達も全くいないわけではないが、国境のようにたちが悪くはないし、純粋な笑顔を持っている。悪くない。非常に悪くない場所だ。日本とは全く異次元と言っていいくらいの場所だったが、私は何故か不思議と落ち着きを感じた。写真を撮りながらうろついているとチェックのシャツを来た帽子を深くかぶったパン売りの女の子が私たちの方に来た。私は一枚写真を撮らせてもらう。でも彼女は少しもニッコリしない。なぜだろう?他の子供達は私がカメラを構えると、少し照れたようにニッコリ笑うのだが、この少女はまるで無表情、ファインダーを覗き込んだ私はなぜだかゾクッとした。写真を撮り終えると彼女が「パンを買ってください」と言ってきた。見るとフランスパンにマジックやらで数字が書いてある。何か複雑な気持ちになっていた私はパンを買ってあげることができなかった。同じように写真を撮らせてもらっていた山田さんはパンを買っていた。
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国道沿いにポツンとある街、シソポン。時々通る大型トラックが砂埃を巻き上げて行く。非常にのんびりした、街というより村に近いところだった。
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ピックアップトラックは再び悪路を走り出す。相変わらず車は上下左右に大きく揺れる。荷台にはもちろんクッションなんかない。むき出しの鉄板の上に座っていると尻が痛くなってくる。途中、車内の女性がトイレに行きたいと言って停まったのみで、約2時間その悪路を走った。私は私たちをガイドしてくれるカンボジア人、MABUと車中で仲良くなった。彼は少しだけ日本語を話せる。別に学校で勉強したわけではなく、日本からの旅行者たちから学んだのだそうだ。彼とは妙に気が合った。彼も24歳、私と同じ歳だった。車は2回目の休憩所に停まった。今度は街というよりは村、いや集落だ。トイレ休憩のみ、ところが車が停まった瞬間小さなカゴを持った子供達が車を取り囲む。カゴの中にはビールやタバコ、それに果物などが入っている。「ビール買って」、「タバコいらない?」そう叫んでいる。遠くではそれを見てる母親達、明らかに子供に弱いという心理作戦である。私はある少年に缶ビールがいくらか尋ねた。「40バーツ」、タイ国内より若干高いが決してバカ高い訳ではない。私が迷っているとその少年は他へ行ってしまったので、私は別の女の子から缶ビールを買った。すると先ほどの少年が戻ってきて文句を言う。「僕から買うって言ったのに」、当然である。私は彼からも缶ビールを一缶買った。それ以外にも本当に小さな子供達が「ペンをくれないか」とか「空き缶をくれないか」とか言ってくる。モノをねだったりする以外には本当に素直な子供達なのに・・・。
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陽が傾きかける中、ピックアップトラックはシェム・リアップに向けて悪路をひたすら突き進む。
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陽は傾きかけている。前後左右に広がる壮大な草原に太陽が暖かい光を落とし、緑色のが橙色に変化を始める。非常に素晴らしい光景だ。ピックアップトラックの荷台に立ち、満面に風を浴びながら先ほど買った缶ビールを飲む。既にぬるくなっていてそれほど旨くはない。私はシソポンや先ほどの集落の子供達のことを考え一つの結論に達する。「これでいいのだ」。子供達はモノを買ってもらって幸せ、何人かの旅行者は優越感に浸れて幸せ、そして私は缶ビールを飲めて幸せなのである。何も間違っていないような気がする。これでいいのだ。やがて陽は完全に落ち、辺りは真っ暗になる。光は本当にときどき来る対向車線の車のライトか我々の車のライトだけである。まだまだシェム・リアップまでは距離がありそうだ。途中、大きな水たまりの前でストップする。大きなくぼみに水がたまり小さな池のようになっている。そこには近くの村人だろうか、何人かの現地人もいる。運転手がそのうちの一人に金を渡すと、彼が水たまりの中に入って行き道を示してくれる。車も彼の後について水たまりの中に入っていく。途中でピックアップトラックが動かなくなる。すると他の現地人も水たまりに入り、みんなでトラックを力一杯押す。何とか対岸に出られた。まるで冒険モノのTV番組で見たような光景が目の前にあるのである。私はものすごく興奮した。対岸に出ると運転手がさらに現地人に金を渡す。そして何事もなかったかのようにトラックは走り出す。後で思ったのだが、あの水たまりはもしかしたらその周辺の現地人達がわざと作ったのではないか。そうすることで、そこを通る車から手伝い料を徴収できる。だとしたら、そこに立派なビジネスが成立しているのである。私は再び思う、これでいいのだ。
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トイレ休憩のために立ち寄った小さな村。通り過ぎる車が巻き上げる砂塵で村全体が砂埃に覆われているように見える。
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それから車は約2時間走り続け、結局合計7時間程度走っただろうか、だんだん道路が舗装されてきて、遠くにようやくシェム・リアップの空港が見えてきた。着いたのだ。そしてこの街もまた、小さな街だ。既に22:00を過ぎている。街の光は少ない。いくつか建設中のホテルなどがある。ピックアップトラックはそのままHello Guest Houseという宿に向かった。山田さんを乗せたもう一台のピックアップトラックは別のゲストハウスに向かったようだ。なるほど、そういうことか。国境で待っていたこれらのピックアップトラックは各ゲストハウスが雇ったものなのだ。もちろん、そのゲストハウスへの宿泊を断ることもできるが、なにせ着くのがこの時間である。今から街へ出て重いバックパックを背負って宿探しをする者はそうはいないだろう。私もどうやら今晩はここに泊まることになりそうだ。だが、決して悪くない。というよりかなり清潔でむしろカオサンのゲストハウスなどより全然良い。私は6$のダブルベッドの部屋を4$にディスカウントしてもらってそこに泊まることにした。遅めの夕食はゲストハウスの食堂でChicken Curry in Coconutsを食べる。甘辛いという感じだが、大きめな野菜がたっぷり入っており非常にうまい。カオサンを出たのが6:30で、ここシェム・リアップに到着したのが22:30、16時間も移動してきたのだ。今晩はよく眠れそうである。寝る前にMABUに明日はどうするのかと聞かれたがNo Planだ。とりあえずExchangeと宿探しから始めるだろう。
つづく
※このときの街の風景はCOLUMN「第9回 写真集:アンコール・ワットへの道〜国道6号沿いの風景〜」にてご紹介しています。ぜひこちらもご覧ください。