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ここ付近のタイ側の休憩地点付近の様子。バンコクとは打って変わって何もない田舎町だ。
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5:10、驚くことに今日は目覚ましをセットしていたその時間ぴったりに起きた。このゲストハウスから旅行代理店までは歩いて1分程度、しかしちょっと余裕を持ってということでこの時間に起きるようセットしておいたのだ。外はすでに明るくなり始めていた。早速荷造りを済ませチェックアウトして旅行代理店に到着したのが6:10、もちろん旅行代理店もまだオープンしていないし他の旅行者もいない。しょうがないのでそこで座って一服することにした。それにしても日本で生活しているときは本当に時間にルーズで前もって行動することなんてできない私が、なぜか一人旅になるときちんと時間を守って行動できる。やはりやる気の問題のようだ。しばらくして、リュックサックを前と後に背負った中年というよりは初老に近い男性が近づいて来た。どうやら同じ旅行者らしい。見るとアジア系という感じだが日本人であるという確証はなかった。「おはようございます」、思い切って日本語で声をかけてみると「おはようございます」と彼も日本語で返して来た。よかった、日本人だ。それにしても2日ぶりの久々の日本語にちょっと不自然さを感じた。
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国境付近のタイ側の休憩地点。ここで入国申請書を書き、VISAが貼られたパスポートを受け取った。
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しばらくしてガイドのような男が来て私たち2人をカオサン通りの中央まで案内した。どうやらここがカオサン付近のゲストハウスに宿泊しているツーリストたちのカンボジアへの出発点らしい。しばらくして何人かの旅行者がこの集合場所に集まって来た。それから私たちはカオサン通りから1本はずれた場所に停めてあったミニバンに乗り込んだ。まさかこれでシェム・リアップまで行くのか?ミニバンにぎゅうぎゅう詰めにされ、そんな不安がよぎった。シェム・リアップにつくのは夜だと聞いていた。こんな状態で何時間もいられるはずがない。するとしばらくして大通りに行ってから、今度は道に停めてあった大きなバスに移るという。よかった。バスにはすでに何人かの旅行者が乗り込んでいる。なるほど、ここがカオサン以外に宿泊している旅行者の集合場所というわけか。納得して乗り込もうとしたときに事件が起きた。念のためということで私がガイドに「オレのパスポート持ってる?」と聞くと、もう一人のガイドが持っていると言う。だが、そのもう一人のガイドが持っていないと言うのだ。やっぱりこんなことになってしまった。しまいには2人のガイドが罪のなすり付けで喧嘩になってしまった。こんなところで喧嘩してもしょうがないということで仲裁に入り、もう一度調べてくれと言うと、一人のガイドのポーチに入っていた。一件落着だ。しかし私のパスポートにはまだVISAは貼られていない。彼は申請書も持っていたので、どうやら国境でVISAをとるようだ。もうここまで来たらカンボジアに入れればいいや、そういう気持ちになっていた。そしてとうとうバスがカンボジアへ向けて出発した。
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カンボジア側の国境の街ポイペト。道路はまだ舗装されていない。
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先ほどワット・チャナソンクラムの旅行代理店で知り合った日本人男性は、山田さんという三重県に住む54歳の旅行者だった。バスで隣の席になり、様々な話をした。旅をし始めたのはかなり最近になってからで、南米やアフリカなどへの1ヶ月以上の長期の旅も経験したそうだ。彼はまた写真も大好きで車中は写真の話でも盛り上がった。以前、ちょっと奮発してNikonのフラッグシップ機であるF5というオートフォーカス一眼レフカメラ(本体だけで実売35万円程度)を購入したのだが、インドで盗まれてしまった。もちろんカメラが盗まれたのもショックだったが、入っていたフィルムが盗まれたこと、それからその後の写真が撮れなくなったことが最もショックだったと言う。それ以来、カメラに関しては特に注意を払うようになったのだそうだ。この旅ではCONTAXのマニュアル一眼レフを持参していた。私もついこの前韓国でパスポートの盗難にあったばかりである。これから向かうカンボジアはインドと同じくらい治安がよろしくないらしい。私の持っているカメラは彼の持っていたF5よりも2ランクも下のそれほど高価ではない機種だったが、写真を撮れなくなるのだけはごめんだ。再度気を引き締め直した。その他にも彼はいくつかの非常に興味深い話をしてくれた。そのうちの一つは炎の話である。彼曰く、日本の寺院は静を表したモノが多いのに対して、タイの寺院は動を表したモノが多いと感じる。炎というのは寺院にある模様のことで、それは天に向かっていく活気のようなモノを表しているのではないかというのだ。彼はまた像の話もしてくれた。彼は像と会話をするとおもしろいと言う。人間にはいつの時代も変わらない普遍的な感覚というものがあって、それは昔の像が作られたときも今も変わっていない。だから像を見つめ続けていれば何かその感情にデジャブのようなものを感じるというのだ。私は日本でも特にお寺巡りとかをするタイプではないのだが、寺院も像も見方によってはおもしろいのだなと思った。特にこれから向かうアンコールワットには多くの寺院、そして像がある。騙されたと思って山田さんが言う見方を試してみるのもいいかもしれない。
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カンボジア側の国境の街ポイペト。車が巻き上げる砂埃が街全体を包んでいる。
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バスは昼近くになって国境近くの小さな休憩所に到着した。そこで私たちは入国のための申請書を書いた。そのとき私のパスポートが返って来た。パスポートにはちゃんとVISAが貼られている。追加料金は一切なしだ。安心した。そこで一服してから私たちは再度バスに乗り込んだ。いよいよ国境だ。するとガイドがマイクで案内を話始めた。「この度はご利用ありがとうございます。これから国境へ向かいます。国境より先、カンボジアへ入国の後は別の旅行代理店の車が皆様をシェム・リアップまでご案内します。国境は非常に治安が悪いです。特に手荷物のポケットは必ず閉め、つり下げているキーフォルダーなどはとってください」。バス内に一瞬緊張が走る。やはり治安が悪いのか。カンボジアはついこの前まで戦地になっていて、未だに普通の人が銃などを所持していると言う。また、住民票も完全にはできておらず、国が国民を把握できない状況だそうだ。ところが治安が悪いというのはカンボジアだけではなく、国境のタイ側でも同じだった。バスを降りたとたん子供達が周りを取り囲む。そしてお金をねだるのだ。「1バーツ!!」そう、まるで昨日の子供達のように。しかし昨日の子供はあくまでお小遣い程度にしか考えてなさそうなのに対して、ここの子供達は明らかに生活がかかっているという感じだ。何度断ってもしつこくついてくる。バックパックを引っ張ってくる。こんな経験は初めてだ。まさに私の全く知らない世界だった。子供に対しては甘いだろう、そんな考えをする親は最悪だと思うが、もしかしたらそうでもしないと生活できないのかもしれないと思うと複雑な気持ちになる。何人かのバックパッカーはお菓子をあげたり水をあげたりしていた。ここでも結局私はどうするべきかはわからなかった。
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カンボジア側の国境の街ポイペト。いくつか建設中のビルはあったが発展するのはまだまだ先といった感じだ。
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何とかその群れを切り抜けイミグレーションにたどり着いた。私は早速タイの出国手続きを済ませ、ちょっと歩くとそこはもうカンボジアのイミグレーションだ。早速入国手続きを済ませた。5分とかからない、そして私は人生で初めての陸路での国境越えを経験した。難なくできてしまったことに少々驚きながら、カンボジアの国境の街ポイペトへ入った。ポイペトは本当に何もない街だ。国境だからかいくつかのビルが建設中の状態だったが、今までいたバンコクと比べると雲泥の差、もちろん日本の田舎にもこのようなところはないだろうという感じだ。道路は全く舗装されておらず、車が巻き上げる砂埃で街中が曇って見える。道には生活ゴミなどが普通に捨てられているし、ここを走る車はほとんどが泥まみれだ。ここがカンボジアなのだ。とうとう来たのだ。このギャップが私にカンボジアという国に入ったことを実感させてくれた。バンコクからここまで案内してくれたガイドよりかなり若い、私と同じくらいの歳の青年がここからのガイドらしい。そして彼に導かれるまま歩いて行くとそこには2台のピックアップトラックが停まっていた。まさか、これでシェム・リアップまで行くのか!?
第1章 バンコク 完
第2章 シェム・リアップ へつづく