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第2便 タイ・カンボジア編
第1章 バンコク

第1話 バックパッカーの聖地へ

 目の前で男性が倒れている。スチュワーデスやスチュワートが集まってきて大騒ぎだ。

 そう、私は2002年11月6日(水)の12:00成田発のエア・インディアのAI305便の中にいる。約2週間という日本のサラリーマンとしては比較的長い休暇をとり、タイ・カンボジアを廻るための旅に出たのだ。10月中旬より新しい仕事(ただしプロジェクトメンバーではなくサポート要員)に就き泉岳寺にあるプロジェクトルームに通う毎日を送っていたのだが、それより前から予定していた旅ということで許してもらった。前回のマレーシアの一人旅は9日間、今回は12日間、少しずつ伸びてきている。さらに今回はパスポートを盗まれた韓国旅行のリベンジの旅でもある。早速AAトラベルという格安航空券販売店で39500円でバンコク往復チケットを購入、マレーシアの旅でかなり荷物が多くなってしまった経験から、韓国旅行の際に40リットル入るバックパックも新たに調達していた。また、盗まれたパスポートもちゃんと再発行した。ただ、それまで訪れた国々のスタンプが押されていない、全くの新品だったのが悔やまれた。とは言えともかく旅の準備は万端だ。そして、極めて快晴のこの日、私は再び日本を飛び立ったのである。

 私を異国の地に運んでくれるのはエア・インディア、インド系航空会社の飛行機である。東京ーバンコクを結ぶ格安航空会社はエジプト航空、ビーマン・バングラディッシュ、エア・インディアの3社がある。時期や日数によってこの航空会社の中でどれが一番安いかも変わってくるのだが、私の場合はエア・インディアがベストだった。早速10:45頃成田空港第2ビルでチェックインを済ませ出国手続きまでしたのだが、ターミナルの窓の外に見えるエア・インディアの機体を見て驚いた。とにかく派手なのだ。すべての窓に赤い色のモスクのようなものが描かれていて、明らかに他の飛行機とは一線を画している。型はボーイング747、一般でいうジャンボジェットだが、決して新しいものではない。きっと日本やどこかの先進国の中古を購入したものだろう。少々不安が募る。ただ、インドは貧富の差が激しく豊かな階層は超高等教育を受けていると聞いていたので、腕の方は大丈夫だろう。実際パイロットはかなり上流階級と思わせる雰囲気を持っていた。機内に入るとツンと鼻を刺すような香辛料の匂い、さすがカレーの国だ!!

ネオン輝く夜のカオサン通り。外国人バックパッカーが多く出歩いている。
 離陸してすぐ、私は隣の席に座っているインド人2人と話を始めた。会話はすべて英語で問題なかった。きっとそれなりの教育を受けているのだろう。彼らはバンコクを経由してデリーに行くということだった。『深夜特急』にて沢木耕太郎が旅の出発点に指定した地、デリー。私もいずれ行くことになるのだろうか。すると突然、乱気流かなにかで機体が揺れた。と同時に天井のトランクが数カ所開いたのだ。やっぱりこの機体は古い、一瞬不安になったが隣に座っているインド人は全く無関心だ。「郷に入れば郷に従え」、この飛行機はインドの飛行機だ。インド人が大丈夫だと思っているなら大丈夫、そんな変な自信が沸いてきた。すると今度は前方の席が騒がしい。スチュワーデスやスチュワートがインド語で何やら話している。見ると、なんと人が倒れている。日本人らしき男性だ。一体何があったのだろう。結局、何があったのかも分からないまま数十分して彼は回復したようだった。早速ドキドキさせられるようなハプニングが続発し、これからの旅に対する期待も膨らんできた。と同時に、これらのハプニングがインドという国そのものを表しているような気もして、インドという国にも興味が沸いてきた。機内食はやはりカレー風味だったが味はなかなか。昼飯と軽食をすべて平らげた。ただ案内に「インド風小菓」と書かれたデザートのようなものだけは、どうしても口に合わなかった。

 飛行機は予定通り17:00前にはタイのドンムアン国際空港に到着した。到着ロビーを出るや否や、早速タイ語や日本語、中国語などの書かれた紙を持った人達で賑わっていた。おそらくは現地係員だろう。もちろん私は彼らには全く用はないのだが、こういった出迎えが一番嬉しい。異国に来たということを最初に実感できるのである。その人ごみを抜けると今度はタクシーの運転手が何人も近寄ってきた。「Taxi?」、この短い単語を発しながら私の方に寄ってくる。もちろん私はそんなに初めから豪遊するつもりはない。「No thanks. Where is the bus stop?」と聞いてバス停へ向かった。目指すはバックパッカーの聖地と言われる「カオサン・ロード」。多くのバックパッカー達がここを起点にして東南アジアやインドへの旅に出る.宿はもちろん物価も安く、バックパッカーに必要な物はすべて揃うということだったので一泊目はとりあえずここに泊まることにしたのだ。カオサンまでは現地バスもあるが、100B(日本円で350円程度)で運んでくれる空港バスを利用した。バスの中はほとんどがバックパッカー、私以外にも多くの日本人が乗っていた。バスの窓から見る日の沈んだ直後のタイの首都バンコクの夜景は、東京と大差ないほど発展した大都市の夜景だった。それを見た私は、韓国の首都ソウルの夜景を見たときと同じように、マレーシアの旅のような素直な興奮はもう味わえないのかもしれないと思った。

カオサン内の店舗の風景(ピンぼけ)。バックパッカーに必要なモノは何でも揃う。
 19:30頃、バスは無事カオサンに到着、バスに乗っていたバックパッカーが全員ここで降りたことからも、ここがバックパッカーの聖地であることを実感できた。私はとりあえず「地球の歩き方」を頼りにC.H.2と言うゲストハウスで1泊150Bのツインルームに泊まることにした。もちろん一人なのでベッドは二つもいらないのだが、ここしか空いていなかったのだ。部屋は決して清潔とは言えなかったが、マレーシアでそれなりの部屋を経験してきた私にとっては全く問題なかった。どうせただの寝床だ。軽装に着替え、私は早速夕飯も兼ねて外を散策することにした。ゲストハウスの道にもいくつかの食堂や屋台が並び、怪しげな雰囲気を醸し出している。私はその中の一つの食堂でFried Rice with Chickenを食べた。そこそこ腹は満たされていたが、バスを降りてから宿に行くまでの屋台で売っていたPat Thaiという食べ物がどうしても気になった。さっそく私は屋台を出していた若者に「Pat Thaiある?」と聞こうとしたのだが、彼がそそくさと逃げてしまった。ん?何か悪いことを言ってしまったのだろうか? すぐに戻ってきた彼にどうしたのか聞くと「Police」と言った。どうやら不法営業だったようだ。そんな雰囲気が私をさらに興奮させた。

カオサン通り内のとある店に置いてあった古いBMWバイク。本物だろうか、警備員もいない。この他にもトライアンフなど数台あり。
 一つ通りを外れた場所で2人の女の子がやっていた屋台でPat Thai with Eggを買った。たった15Bだ。日本のきしめんのようなものを焼きそばのようにしたもの上に、乾いた小さなエビをかけて食べる。これが最高に旨い!!私はこの初めてのThai Foodに完全にノックアウトされた。それからカオサンロードのメイン通りを散歩したのだが、こちらはいまいち興味が沸かなかった。店はどこも奇麗だったし、明らかに欧米人をターゲットにした店が多すぎたからだ。しかも売っているモノもそれほど魅力的なものには見えなかった。確かに長期旅行者には安いTシャツなどがゲットできるこの場所は良いのかもしれないが、私にとっては「これなら韓国の南大門市場の方がおもしろかった」という感じだったのだ。1軒、古いバイクを展示している場所があり、そこで何枚かの写真を撮ってから宿に戻ってしまった。宿に帰って思った私は「この宿ははずれだ」と思った。なぜならとにかく何をするにも一緒という日本人が多かったからだ。「地球の歩き方」に載っているからだろうか。これが普通なのかもしれないが、少なくともマレーシアでは見なかった風景だ。そして、どういうわけか今の私には彼らがあまり魅力的には思えなかった。やはり私は「一人旅」の方が向いているのかもしれない。「明日は宿を変えよう」、そう思いながら長時間の移動で疲れた体を休めることにした。

つづく

2005/10/06(Thu)掲載