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第2便 タイ・カンボジア編
序章

リベンジの旅

沢木耕太郎の文庫本「深夜特急」1〜6巻とDVD「劇的紀行 深夜特急」。どちらも私に深い影響を及ぼした。
 2度目の海外一人旅、行き先はタイ・カンボジア、特にかねてから興味があったアンコール遺跡群を巡るのがメインの目的だ。もちろんタイにもカンボジアにも行くのは初めて、。2002年3度目の海外旅行、ちょっと古びたAIR INDIA社の飛行機に乗りながら私の興奮は収まらなかった。

 今回旅に出た理由は二つある。一つは「深夜特急」。同年の6月に訪れたマレーシアのペナン島で知り合った佐藤さんに紹介され、帰国してすぐ全6巻の文庫本と3枚組のDVDを購入した。沢木耕太郎の本を読むのは初めてだが、一言で言うとハマった。これは日本人バックパッカーが「一人旅のバイブル」と言うワケだ。最後の方はいまいちだったが、トルコのイスタンブールくらいまでは本当に面白く、特に東南アジアからインドにかけては26歳にして初めての海外、そして一人旅というものに少々興奮気味の沢木の気持ちが素直に伝わってくる。しかし、何と言っても1970年代前半という日本でもそれほど海外旅行が盛んでなかっただろう時期にこのような旅をした沢木耕太郎にはびっくりである。DVDの大沢たかおもまた良し。明らかに香港、タイ、マレーシアのころとインド・パキスタンあたりと表情が変わってくる。特にインドでの映像が、もちろんテレビ番組ということで作られた世界なのだがそれを上回るパワーで人間として影響されている大沢が見えて面白い。1年以上の旅をまるまる再現することはできなかっただろうが、撮影のために3ヶ月強旅をして大沢たかお自身も俳優としても人間としても大きく成長しただろう作品である。「深夜特急」に関しては一瞬マレーシアの一人旅の前に知っていても良かったかなとも思ったが、まあ、逆に知らなかったからオリジナルの旅ができたというのもあるだろう。ただ、これらを吸収した私は再び一人旅に出たくてしょうがなくなっていた。

ソウルの南大門市場。大都会の中にこんな賑やかな懐かしい風景がある。しかし、この夜に・・・
 二つ目の理由は「リベンジ」である。こちらの方が「深夜特急」より私を今回の旅に突き動かした部分が大きいと思う。では、「リベンジ」とは何か。実は6月のマレーシアの旅から11月の今回の旅までの間の9月に私は知り合いと韓国に行っている。期間的には5日間程度の短期なもので、行動範囲もソウルを中心に付近を観光しただけだ。しかし、このたった5日間の間に私に大事件が起こったのである。韓国についてちょうど3日目だった。私たちはいつものように観光を終え夕飯も摂ったあと、宿舎の近くのちょっと古びたバーで一杯やっていた。このとき泊まっていた宿舎は明洞駅から歩いて2、3分の安宿で、旅行2日目からこの宿に泊まっていた。私たちの他に客の姿がなくちょっと怪しかったのでとりあえず1泊と思っていたのだが、2日目の夜隣の部屋から変わる変わる違った声の喘ぎ声が聞こえてきた。どうやらここは連れ込み宿だったらしいのだ。どうりで安い訳だ。しかし、それが逆に「おもしろいね」ということでもう1泊することにした。そして2泊目の夜である。バーでビールとバーボンを飲んで気持ち良く酔っぱらった私たちは観光で疲れたせいもあっただろう、部屋に戻るとすぐに眠りについた。翌朝、出発の身支度をしていて恐ろしいことに気がついた。「パスポートケースがない!!」昨晩確かにパスポートケースはもって帰ってきた。そしてテーブルの上に置いたのも覚えている。しかしパスポートケースがないのだ。

 初めはどこかに落ちているんだろうと思って部屋をくまなく探した。テーブルの下やテレビの裏、ベッドもひっくり返した。しかし、やはりない。バッグの中にもない。この部屋は玄関と部屋に入る直前に二つ鍵がある。昨晩は玄関の鍵は閉めたが部屋の鍵は開けていた。朝になって玄関の鍵はやはり閉まっていた。しかし、誰かが夜寝ている間に侵入したとしか思えない。だが、そこそこ高級なカメラは残っていた。なぜパスポートケースだけ?さらに最悪なことに私はパスポートケースの中にパスポート、クレジットカード、帰りの航空券そして日本円も含めて全財産を入れていた。宿の主人や掃除係にも聞いたが全く英語が通じない。やられた。気が緩んでいた。マレーシアの一人旅を終え、ちょっと調子に乗っていたのだろうか?

日本に帰るためだけの「帰国のための渡航書」。証明写真の顔がかなりなブルーを表している。
 とりあえずすぐに駅前の交番に行ってパスポートの落とし物はないかと聞いた。案の定届けはなかった。私はすぐに荷造りをし、警察署に向かった。こちらにも届いてなかった。とりあえず旅行保険用に事故証明を書いてもらってから、すぐVISAのオフィスに行ってクレジットカードを使えないようにしてもらった。幸運なことにクレジットカードが使われた形跡はまだなかった。それから今度は日本大使館へ向かった。帰国は明日だ。パスポートがないと帰れない。大使館員に事情を告げると、パスポートの発行は間に合わないので「帰国のための渡航書」を発行するという。ただしこちらも発行までに数時間かかる上、証明写真と発行料金がかかる。私はなぜか全く被害がなかった知り合いからお金を借り、近くで証明写真を撮って発行料金と合わせて申請した。大使館の窓口は韓国人だったが裏から日本人が出てきて「大丈夫ですか?帰りのお金はありますか?」と聞いてきた。大丈夫なわけないだろ!!と思ったが、とりあえず「ありがとうございます。大丈夫です」と答えた。

 まだやることがある。今度は渡航書の発行を待つ間ASIANA航空のオフィスに向かった。事情を告げると再発行手数料を払えば航空券を再発行すると言う。こちらもしようがないので知り合いにお金を借り再発行してもらった。それらがすべて終わった頃にはヘトヘトになっていた。無事「帰国のための渡航書」を受け取り、とりあえず日本へは帰れそうだ。しかしこのブルーな気分は直りっこない。知り合いも私を気遣ってくれて、いくつか行く予定だった観光スポットがあったがキャンセルしてくれた。この日の残りはゆっくり過ごすことにした。それにしても本当にブルーだ。せっかく初の一人旅を経験して旅行というもの、そして海外というものに非常に興味が沸き始めていたときだったのに・・・。このとき思った。「このまま今年を終わらせたくない。今年中にもう一回旅に出て、あの興奮を呼び戻したい。絶対リベンジしてやる!!」

 こうして今回私は年に3度目の海外という今までの私の人生では異例の旅に出たのである。(これからはこれをスタンダードくらいにしていきたいが)

序章 完

第1章 バンコク へつづく

2005/10/06(Thu)掲載