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第1便 マレーシア編
『第1便 マレーシア編』の宝物

ペナン島の宝物

Jenifer & Robin
左が妹のRobin、右が姉のJenifer。バトゥフェリンギのBABA GUESTHOUSEにて。(2002年05月15日)
 老舗リゾート、バトゥフェリンギのBABA GUESTHOUSEで出会ったカナダ人の姉妹、JeniferとRobin。私が生まれて初めて会ったバックパッカーだ。姉のJeniferは非常に活発な女の子で、英語が下手な私に対してでも積極的にコミュニケーションを取ろうとしてきた。私も嬉しくなってついついいろいろ話し込んでしまった。長崎に6ヶ月ホームステイしたことがあるということだったので、それほど日本人に対して警戒心がなかったのかもしれない。後から来た妹のRobinの方はちょっと顔見知りするタイプっぽかったが、単に私が普段あまり接しないアジア人だからというだけだと思う。何よりも驚いたのは彼女達二人だけで1ヶ月(当時としては驚きの期間)も旅をしているということだ。しかも、彼氏はカナダでちゃんと待っているという。正直、彼氏も親も心配にならないのかと思ったが、逆に私の感覚が甘いのかという気もしてきた。おもしろかったのは、彼女達がカナダから持ってきていたガイドブックに比べて私の持っていたガイドブックがカラーでしかも写真付きということだったので、彼女らは私を放ってガイドブックを見ながら自分たちが通ってきた道を懐かしんでいたことだった。


佐々野さん、佐藤さん、沼田さん
左から佐藤さん、沼田さん、佐々野さん。ペナン島ジョージタウンの安順園にて。(2002年05月17日)
 ペナン島の中で最も発展している街、ジョージタウンの瑞士旅社で出会った日本人3人組。佐藤さん、沼田さんは二人でシンガポールからマレー鉄道でこのペナンまで来ていた。佐々野さんは一人でカンボジアなどを旅してからここに来ていた。
 佐藤さんはオーストラリアにワーキングホリデービザでしばらく滞在してスキューバーダイビングのライセンスを取った後、ニュージーランド、シンガポールと合わせて5ヶ月の間も旅していた。新潟から来た32歳ということだったが、長髪(すげー似合ってる)と若々しい格好のせいで、とてもその歳とは思えなかった。ダイビングにハマったらしく、この後もマレーシアかタイのどこかの島で潜ってから日本に帰るとのことだった。私に沢木耕太郎の『深夜特急』を勧めてくれたのも、また、「良い旅を」という言葉を初めてかけてくれたのも彼だった。印象的だったのはダイビングライセンスを取得したときに記念に右腕に入れたと言うイルカのタトゥーだ。格好よかった。
 沼田さんは青年海外協力隊としてラオスで農業を教えているという、埼玉から来た28歳の青年だ。印象深かったのは彼のラオスのエピソードだ。彼がラオスに二毛作を教えたところ、翌年ラオス人が全く働かなかった。なんで働かないのかとそのラオス人に聞くと「今年の分は去年作ったじゃないか」と言われたと言う。全くもっておもしろい話だ。この話を聞いたとき、私は近いうちに必ずラオスに行こうと決めた。彼は青年海外協力隊で禁止されているタイ南部を通れないため、一度クアラ・ルンプールまで行って飛行機でバンコクまで戻って行った。ちょうどこの翌年(2003年)の2月に日本に帰るということで、2年間会っていない彼女のことを心配していたが、大丈夫だっただろうか?
 佐々野さんは会社を辞めて京都を出てきたという38歳の中年男性だ。私が初めて日本人バックパッカーに会ってやや興奮気味に話していると、「福井君、君もきっと会社辞めるね。」と予言された。実際、この文章を書いている今現在は在籍しているが、果たして当たるだろうか?彼もカンボジアでのエピソードを話してくれた。危ないとわかっていたのだが、夜道を食料を持って歩いていると後ろから男が2人ついてきた。カンボジアはこの頃まだ銃が蔓延していて、国が国民を把握していない(戸籍も整理されていない)ような状況だった。銃でも突きつけられたら大変と、食料を道ばたに落とし、振りかえって日本語で「何じゃ、コラ!!」と大声で叫んだら、その二人はあわてて逃げていったそうだ。どこでも気合いだと言っていた。彼は、これまた危険な地帯とされているインドネシアへ渡っていった。
 この3人が私が生まれて初めて会った日本人バックパッカーである。本当にいろいろ刺激を受けた。
必死に麺に食いつく佐藤さん。 瑞士旅社入り口のテーブルで、おいしそうにライチを頬張る沼田さん。

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2005/08/23(Tue)掲載