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第1便 マレーシア編
第3章 クアラ・ルンプール

第3話 栄養源

ヒンドゥ教の寺院、スリ・マハリアマン寺院の楼門の彫刻。数多くのヒンドゥ教の神々が祀られている。
 ゲストハウスへ戻った。コミュニケーションスペースがないこのゲストハウスはやはり旅行者の姿が見当たらず寂しい。宿泊者リストを見ると何日か前までは日本人の女性がいたらしいが、今は日本人は私しか滞在していない。私はシャワーを浴びて部屋でちょっと休んでから、このゲストハウスの近くで毎晩催されているというナイトマーケットに行くことにした。外に出るとスコールの後の湿った空気が立ちこめていた。だが、今日はもう雨が降る心配はないだろう。ナイトマーケットに行くと案の定多くの店と多くの人で溢れていた。もちろん観光客も多かったが、現地の人、特に現地の若者も多く来ていた。規模はペナン島やマラッカのものとは比較にならないくらい大きい。売られているものの種類も多かった。ニセブランドの時計やかばんやサングラス、違法コピーと思われるCDやVCDやDVD、マレーシアお得意のピューター製品や土産物類、もちろん食料もある。ありとあらゆるモノが売られていた。特にVCDなどは、私が近づくと「ウラビデオアルヨ」と日本語で声をかけられる。結構この旅の中で肌も焼け色黒になっていたのだが、それでもやはり現地の人からは日本人とわかってしまうらしい。ここマレーシアはポルノ系には非常に厳しいと聞いていたが、他の日本人のオジさんたちがそういったVCD屋に近づくと、屋台の下からバッグを出し、周りに警官がいるかをを警戒しながら中を物色させている風景を何度か目にした。そんな仕草が結構滑稽だった。結局私は屋台ではなく、マーケットにほど近い食堂で相変わらずのナシゴレンを食べてゲストハウスに帰った。今回アジアに初めて来てナシゴレンという食べ物(要はチャーハン)の旨さと安さに感動して食べまくったが、さすがに飽きてきていた。他のモノにしようかとも思ったが、なんと言っても今日は旅の最後の夜である。アジアの味を堪能しようと思った。ゲストハウスに戻ると、フロントの天井に防犯カメラがついているのに気がついた。これまた都会で犯罪が多いからだろうか?セキュリティは今まで泊まってきたどのゲストハウスよりもしっかりしているようだ。(ゲストハウスなのにDepositを徴収するし)

クアラ・ルンプールの白バイ。世界のHONDA製でした。
 翌日8:30に目が覚めた。今日は日本に帰国する日だ。私は早速シャワーを浴び、身支度を整え、10:30にチェックアウトをした。とは言え、飛行機は23:30の便である。出発まではかなり時間がある。私はとりあえず荷物をこのゲストハウスで預かってもらい、かつては生鮮食品の市場だったが現在は観光向けのショッピングセンターとなっているセントラル・マーケットへ向かった。観光向けとは言え、免税店などで買うよりは比較的安価に土産物のお菓子などを購入することができる。私はいくつか会社や友人向けのお菓子を買った。用を済ますとやることがなくなった私は近くの寺院などを観ながら一旦ゲストハウスへ戻った。ゲストハウスのフロントの前のソファーで休みながらテレビを見ていると、受付の男が声をかけてきた。「これ、知ってるか?」手に持っているのはケン玉である。私が宿泊するちょっと前に宿泊していた日本人の女の子からプレゼントされたそうだ。私は、それは日本の伝統的な玩具でケン玉と言う名前であるということを教えると彼は本当に面白い玩具だと言って楽しんでいた。(ものすごく下手だったが)

真下から見たペトロナス・ツインタワー。まるでSTAR WARSにでも出てきそうな景観だ。
 やることもないのでKLCCにでも行ってツインタワーの間に架かるスカイブリッジ(展望台)にでも登ってみようという気になった。さっそく向かった。どうやら今日はスコールはないようだ。ツインタワーについてみると、やはり昨日と同じくエレベーターを待たなければ行けなかった。どうも気が乗らない。ゲストハウスを出たときは結構登る気でいたのだが・・・。やはりここクアラ・ルンプールでは私の心は弾まなかった。ということで、今日も登るのをやめ、マレーシアのピューター製品の最大手ブランドであるRoyal Selangorの直営店で本当に素晴らしいピューター製品を眺め、土産に一つ小物入れを買った。またやることがなくなってしまった私は飛行機まではまだかなり時間があるが空港に向かうことにした。クアラ・ルンプールの国際空港であるKLIAへはちょうどこの2002年に開通したエクスプレス・レイル・リンクで行くことにした。クアラ・ルンプール・セントラル駅から出ている。私は駅まで歩くことにした。地図ではそれほど遠くないと思っていたが、照りつける太陽のせいでかなり体力を消費した。駅は奇麗に整備されており、RM35の料金でわずか28分で私を空港に運んでくれた。KLIAには17:00ころに着いた。飛行機まではまだまだ時間がある。私は今回の旅の友として成田空港で購入してきたRobert Whitingの『Tokyo Underworld』を読んで時間をつぶすことにした。戦後の混沌としていた東京の状況を記したノンフィクション作品だ。時間はたっぷりあったので、出発までに最後まで読めてしまった。

 出国手続きを済ませ、飛行機に乗り込む。向かう先は我が国、日本。いよいよ初めての一人旅が終わろうとしていた。ここで一番初めの問いかけに立ち戻る。

 なぜ一人旅だったのか、そしてなぜマレーシアだったのか・・・。

 その答えは結局今もわからない。しかし、一つだけ言えるのは「一人旅」も「マレーシア」も決して偶然ではないと思えるということだ。小学生−中学生−高校生−大学生ときて、今いわゆる最も長い社会人というくくりに2年前の2000年に加入した私にとって、この旅は今までの私の価値観や先入観を覆す大きなチャンスだった。長い社会人の中ではこのように自分の学ぶ糧を見つけていかなければならない。2年の月日を過ごし、そろそろ自分に栄養を与える何かを探さなければいけないと思っていたのだと思う。それが以前より気になっていた「一人旅」であり、さらに比較的安心して旅ができる「マレーシア」だったのは私の本能的な直感だったのではないかと思う。そして案の定、栄養源を見つけることができた。どうやら私は、定期的に栄養補給の必要な、変化を好む人種らしい。この楽に過ごせる時間とそこから得られる知らない地でも生活できるという自信、これは私にとって非常に効果のある栄養分となって消化された。そして、今後も私は違う種類の栄養を求めて「旅」に出るだろう、マレーシア航空のエコノミーシートの窓から遠ざかるクアラ・ルンプールの夜景を眺めながらそう確信したのである。

第3章 クアラ・ルンプール 完

第1便 マレーシア編 完

2005/08/23(Tue)掲載