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夕日見物をした橋の比較的下の方からとった夕日。ちょうど一羽のカラスらしき鳥が手すりに止まっており、なんとも味のある写真となった。
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夕日は沈みきった。空はまだほのかに明るい。何とも言えぬ優しい感じを抱きながら私はゲストハウスへ戻り始めた。途中にはバイクを止めて、橋の上からやはり私と同じように夕日が沈むのを眺めていた現地の人たちが食後の一服ならぬ日没後の一服を楽しんでいる光景がいくつもあった。夕日が沈んでから夜が迫ってくるまでには、そう時間はかからなかった。夕日スポットからゲストハウスまでは歩いて10分ほどなのだが、私がゲストハウスに着いたには既に辺りは真っ暗になっていた。時間は18時を少し回ったところだったので、ゲストハウスで軽く休憩をしてから夕飯に出かけよう。Traveler's Lodgeのオーナーの奥さんで関西出身の日本人の女将(?)にどこか夕飯を食べるのにいいところはないかと聞くと、毎晩やっているチャイナタウンのナイトマーケットを勧められた。もちろんナイトマーケットだから市場が基本なのだが、祭りのような賑わいだと言う。毎晩祭り!?私の住んでいる浅草も毎日祭りの雰囲気はあるが、やはり大晦日や正月、三社祭、サンバカーニバルなど特別なものがない限り夜は比較的静かだし、人通りも少なくなる。毎晩祭りをするなんて、やはり恐るべし中国人である。もちろん私はここに行くしかないと思った。
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雲に隠れてはいるものの、空に美しいグラデーションを作り出すマラッカの夕日。この後、激しい光を放ちながら雲から姿を現した。
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ちょうど私が夕日見物から戻ったとき、一人の日本人がHarryからこのTraveler's Lodgeの利用ルールをガイドされていた。年はちょうど私と同じくらいで、まるでインドやネパールでも旅してきたかのように長髪と無精髭をはやし、ダボダボの白いヘンリーネックシャツと短パンという姿だった。一通りの説明を聞き終わり荷物を部屋に運ぶと、彼はすぐにベランダのテーブルへやってきた。長谷川さんという名の彼はやはり私と同じ年で、名古屋から旅に出ていた。会社を辞めて既に2ヶ月旅を続けており、主にタイ・カンボジア辺りを旅していたということだった。一緒に夕飯を食べに行くか?と尋ねると、彼は既にここに来る途中で夕飯をとってしまったということだったので、チャイナタウンへは独りで行くことにした。ゲストハウスを出て、昼は露店で賑わっていた公園を抜けチャイナタウンへ向かう途中、一件の大きなバーがあった。明らかに外国からの旅行者、それもリゾートを求めてきた人たちをターゲットにしているような店構えでいかにも高そうだ。時間もそんなに遅くなかったので客は独りもいない。ちょっと入ってみようかと思ったが、これから行くチャイナの魅力の方に引き寄せられてしまっていたようで入るのはやめた。しかし、その海外から観光客を目当てにした店で生演奏をしている二人組がいた。ギターとキーボードというごくシンプルな構成の彼ら、おそらく店から依頼されたのだろうが、キチッと正装した店の店員とは裏腹に、彼らは至って現地人てきな身なりだ。いや、ややこのバーで演奏するためにお粧しをしたという感じだった。いかにもいい年になっても音楽で生活していくことを夢見ている男達と言った感じだ。私はJohn Lennonが好きである。彼の思想と一致しているかわからないが、音楽こそ国境を越えた共通言語だと信じている。ということで、早速彼らにコミュニケーションを試みた。彼らはすんなり受け入れてくれた。自分が敬愛するギタリストや音楽のことなどを、本当に久しぶりに素直に話せた。なんでも元MR.BIGのギタリストであるPaul Gilbertがつい先日このマラッカに来たらしいなどという噂も聞くことができた。そんな会話を30分ほど楽しんでから私は彼らに別れを告げチャイナタウンへ向かった。
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沈んだ夕日の余韻に浸りながら、食後ならぬ日没後の一服を楽しむ現地人。橋の上は観光客より、たまたまここを通りかかった現地人がバイクなり車を止めて夕日を眺めている光景の方が多く目についた。
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チャイナタウンは予想以上の賑わいを見せていた。日本でいうちょっとした縁日のような感じで、昼間は広かった道一杯に食べ物や小物を売る店が軒を連ねる。小物に関しては違法コピーCDやらDVD、それからちょっとチープな日用品、あきらかにうさんくさい土産物、安い洋服(Tシャツなど)が主だ。食べ物はどちらかというと食べ歩きできそうな簡単なものが多かった。どちらも非常に気にはなったが、独りで旅しているせいか、どうもこれといったものを選ぶことができず、結局現地の人たちで賑わっている中華食堂に入ってタイガービールとチャーハンを注文して夕食とした。味はやはり申し分ない。このナイトマーケットで一番驚いたのは、非常に大きな歌声が響きわたっていたことだ。しかも、メチャメチャ音程が外れている。夕食をとり終わった後、その歌声のある方へ歩いて行くと、なんとそこには寺があった。そして、なんと寺の中でカラオケが行われているのだ。なんと豪快な中国人!!本当に下手くそだったが、かなり楽しんでいるので良しとしよう。胃も満足したので、ちょっとそこらへんを散策して結局何も買わずにゲストハウスに戻ることにした。戻る途中、やはりタイガービール一本ではどうしても飲み足りなかった私は、チャイナタウンに向かう途中に立ち寄ったあのバーで一杯引っ掛けて帰ることにした。先ほどのミュージシャン二人はちょうど休憩時間だったらしく外の円テーブルでビールを飲んでいたので、私はすぐさま声をかけそこに加わらせていただくことにした。早速大好物であるJack Daniel'sのWロックを注文した。値段はやはり観光客向けとあって日本とほとんど変わらなかったが、まあ異国で飲むJohn(Saint of Womanというアル・パチーノ主演の映画の受け売り)もいいだろうということで注文した。早速彼らと乾杯をして飲み始めた。私は高校時代にクラスメイトと結成したM-BEATというバンドでギターを担当しており、当時は本当にギター小僧だったが、大学に入ってまるで嘘かのように熱がさめてしまった。いや、正式にいうと音楽自体は切っても切り離せない存在ということは認識しているのだが、いまいちきっかけがつかめなかった感じだ。そんな私が、本当に久しぶりに昔のバンドメンバーとファーストフード店で何時間も話していたかのような会話を楽しむことができた。ただ一つ気になったのは、やはり私のような若造が一杯日本円で千円を超えるような酒を平気で頼むことに彼らは少々驚いたようであったことだ。別に優越感を味わいたかった訳ではないのだが、どちらかというと現地の価値観にあった行動をしたかったなと後に少々後悔した。
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昼は道沿いに様々なモノを売る露店が並ぶマラッカのパーラワン広場。夕方にはほとんどの店が閉まり、夜はひっそりとした雰囲気になる。
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ゲストハウスに戻り荷造りを始めた。明日は最終目的地でこの国の首都であるクアラ・ルンプールへ向かう。ペナン島からマラッカへ向かう長距離バスの途中で立ち寄ったのでだいたい想像はつくが、かなりの都会だ。以前、卒業旅行でアメリカへ行ったときにロス・エンゼルスのつまらなさにショックを受けたことがある。確かに異国の地で周りは意味不明な英語ばかり話すいわゆる“外国人”ばかりだったが、あまりに発展しているその街は、生まれが横浜、現在住んでいるのが東京の私には対して刺激もなかった。クアラ・ルンプールも若干同じような匂いを醸し出している。帰国までまだ2日ある。もう1日このマラッカに滞在するということも一瞬考えたが、やはりこの国の首都を見たいという気持ちが捨てきれなかった。荷造りを終え、ベランダのテーブルへ行くとこのゲストハウスの従業員のHarryとAziziが私のところへ寄って来た。このゲストハウスに滞在している間、彼らとは本当に仲のよい友達のようになっていた。私が明日マラッカを発つと告げるとHarryは「宿泊費は受け取らない」(要は、まだ帰さないということ)という冗談を言ってくれた。Aziziは「気をつけて」と言いながらも若干寂しそうな顔をしている。ペナン島で宿泊したゲストハウスではこのような従業員はいなかったため、別れがつらくなるのはそこで出会ったバックパッカーとだけと思っていたが、このゲストハウスに来て初めてそれだけではないことに気づかされた。もしかしたら、まだ深くを知る前の微妙な関係だから素直に別れが寂しくなるのかもしれない。もう少し長い間一緒にいて「こいつは嫌なやつ」とか「こいつは俺とは合わない」みたいなことがわかってからではこのような感情は生まれないのかもしれない。だが、私は今生まれている感情を大事にしたいと思った。同じ人間でも、付き合いによって見え方が変わってくる。でも、それはいつまでたっても変化し続けるものだと思う。だからこそ、今一瞬を切り出したこのときに抱く感情は非常に大切なものだと考えるのだ。結局、寝に就くまで私は明日旅立つべきか、あるいはもう一日、要するにこの旅行の残りをマラッカに捧げるかを悩んでいた。
第2章 マラッカ 完
第3章 クアラ・ルンプール へつづく