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第1便 マレーシア編
第2章 マラッカ

第3話 クロスロード

Traveler's Lodgeベランダのレンガ壁。この宿に止まった各国のバックパッカーのメッセージで埋め尽くされていた。
 何やらゴソゴソという音で目が覚めた。日が昇っていなかったのか部屋の中はまだ暗かったのだが、その暗闇の中で何かがうごめいている。眼鏡をかけそちらの方を見てみるとSandyが出発の準備をしていた。そういえば彼は今日マラッカを発つと言っていた。こんな早い時間に出発するということは、おそらくマレー鉄道に乗って北上あるいは南下するのだろう。しばらくして、彼も私が起きていることに気がついた。「Oh! Sorry I've woke you up!!」やはり気さくな声で話かけてきた。「No problem.」ドミトリーは共同部屋だ。もちろん同部屋の人に迷惑をかけないのは当たり前だが、逆に言うと誰かにある程度の邪魔をされても文句は言えない。私は寝ぼけながら「Have a good trip!」と彼に告げた。彼も、「Thanks. You too!」と言って部屋を後にした。そういえば昨日はSandyの政治話ばかりを聞いて、彼がこれまで旅して来た場所のことやこれからの旅のプランを聞いていなかった。まあ、奴のことだからどこへ行ってもあの気さくな性格でやっていくんだろう。奴の旅は奴の旅、俺の旅は俺の旅と自然に割り切れている自分がいた。私の左隣で寝ていたヨシタロウはSandyが去っていくのに全く気づかず、気持ち良さそうに寝ていた。Sandyを見届けると私もまた眠りについた。

マラッカの海沿いの風景。昔のガス灯を模したGUINNESSのロゴが入った街灯が立ち並ぶ。海自体は決して奇麗とは言えなかった。
 私が次に目を覚ましたのは11:00前だった。隣のヨシタロウはまだ寝ている。私は朝の一服をしようとベランダへ出た。早速タバコに火をつけてぼっーっと心地よい太陽の光を浴びていると、あるものが目に入ってきた。昨晩ここについた時は既に陽が落ちていてわからなかったのだが、このベランダの壁にはレンガが敷き詰められていて、そのひとつひとつにこの宿を訪れた各国のバックパッカー達のメッセージが書かれていたのだ。自分がこれまでの旅で経験したことを書いている人もいれば、旅人へのメッセージを書いている人もいる。このゲストハウスがどのくらい昔からあるのかはわからないが、そんな壁に書かれた数々のメッセージを見ていると、ここが数々の旅人たちを受け入れ、出会わせ、そしてそれぞれの目的へと旅立たせていったのだなぁということが伝わってきて、何か今自分が数々の旅人たちの「クロスロード」にいるということを感じさせた。Sandyもここを岐路にして自分の旅に旅立っていったし、私もまたここで何かを体験して、ここを岐路にして次の旅にいけるようなそんな期待がわいてきた。このTraveler's Lodgeのみならず、バックパッカーが寝床とするゲストハウスは、ただ休息を与えるだけでなくこういったバックパッカーたちの重要な岐路としても重要な存在であるということを実感した。

マラッカの海岸の角から遠くを見つめるおじさん。この辺りにはこのおじさん以外人はいなかった。非常に静かな休日の風景である。
 しばらくするとHarryが近づいてきた。独り部屋が空いたと言う。早速私は荷物をまとめ同じ階の少し奥まった部屋へ言った。窓が一つあるだけで、やはりバス・トイレは共同だったがやはり独り部屋はいい。ドミトリーは安くて良いし、私は他人のイビキで起きたりしない性格なので全く問題ないのだが、やはり荷物等の管理が気になるし、他の人を気にしながら過ごすのはいまいち得意ではない。また、今回はたまたま他の2人がしっかりとした人間であったが、バックパッカーの中にはドラッグやアルコールにハマっているいる奴なども少なくない。マレーシアはまだ治安のい良い方だが、カンボジアやベトナム、ラオスではそれらが原因で起きる事件が後を絶たないということも耳にしたことがある。少々値が高くなってもやはり独り部屋が良いと思った。これからの旅ではできるだけ独り部屋を探して泊まることにしよう。

公園に展示されていた本物(?)のマレー鉄道。入場口どころか警備員もいない管理に少々驚いた。
 部屋の移動を済ませた私は、早速外へと繰り出した。それにしてもこのマラッカは非常にゆったりしている場所だ。まず空が広い。ほとんどの建物が3階建て程度で、1棟だけ高層の高級ホテルがあるだけだ。それから道が広い。バトゥフェリンギのような田舎町ではなく道路はきれいに舗装されているが、それでも片道2車線は必ずあるようだった。私はまず海の方へ向かった。ここマラッカは古くより東西の貿易拠点として反映を遂げた街である。やはり海は欠かせない。ゲストハウスからそう遠くない湾内の海岸へ向かって私は歩いて行った。ところが、海の近くまで来たにも関わらず人気が全くない。今日は日曜日だからだろうか、さびれた店らしきものもいくつかあるのだがすべて閉まっている。何か誤って立ち入り禁止区域にでも入ってしまったかのようだった。ようやく海岸の角から遠くを眺めているおじさんを見つけて安心した。それにしても、確かにここは港ではないが、こんな天気のいい日に海の近くにだれもいないなんて、少し信じられない光景だった。ちなみに後に聞いたのだが、この辺りは沢木耕太郎もよく訪れるらしく、多くの人がそこで沢木氏に遭遇したことがあるということだった。

小高い丘の上にあるポール牧師の像とSt.Paul Church。こちらもほぼ管理がない状態で観光客と現地の人に開放されていた。
 マラッカの海にちょっと拍子抜けしてしまった私は、逆に内陸に入り、ゲストハウスを出てすぐのところにある広い公園を散歩することにした。いくつかの露店が市場のように軒を連ねている。お土産屋、食品店などだ。特に奇抜な面白いものはなかったが、どちらかというと旅行者向けというより現地の人向けといった感じの店が多かった。少し歩くと今度は何の記念なのだろうか、古い車やマレー鉄道、飛行機などが所々にそのまま展示されていた。別に入場口もなくただポツンと公園の中にそれらがおいてあるのだ。警備員さえもいない。こんな管理でいいのかと一瞬驚いたが、もしかしたらマラッカの人たちはそんな管理をしなくても自分たちの資産を傷つけることなくちゃんと大切にするのだろうかと思った。誰かが自分の営利のためだけにせず、それぞれがマラッカの住民だということを強く意識していることによって、誰もその共同の資産を奪おうと思わないという非常に均衡のとれた理想の社会がここにはあるのかもしれない。確かにマラッカに来てホームレスなどの貧しい人たちをまだ見ていない。ここには極端な貧富の差は存在しないのだろうか。

St.Paul Churchのある丘から見たマラッカの風景。空は広く、非常に美しい街並みである。
 マラッカの観光スポットの一つであるSt.Paul Church に私は向かった。公園を抜けて小高い丘の上にその教会はあった。こちらも特に厳重な警備などはなく、ポール牧師の像と崩れた教会の残骸がそのまま開放されていた。崩れた教会はとても小さく、中には何やら歴史の重みを感じさせるような立派な石碑が、やはり簡単に展示されていた。それらの意味もわからないということもあったが、私はこれら歴史的遺産よりこの小高い丘の上から見たマラッカという街の風景に惹かれた。まずどういう経緯かわからないが、非常に規則正しく、しかも同じ色調の建物が連なっている。そして、その右側に橋のようなものが見え、その奥に海が見える。空はとても広い。本当に美しい街だなと思った。もちろん休日だからということもあるのだろうが、ここは本当に時間がゆっくり流れているように思えた。そういえばペナン島でもスーツ姿の人は見なかったが、ここマラッカでもやはり見ていない。普段東京で生活していると当たり前の風景が、当たり前ではないのだ。もちろん日本でも田舎にいけば同じような体験をできるだろうが、生まれも育ちも横浜の私にとってはやはりこのラフというかルーズというかそういう感じが非常に新鮮だった。そしてこの風景を見ていてふと思った。「入れるかどうかわからないが、今日はあの橋の上からマラッカの夕日を見よう。」

つづく

2005/02/14(Mon)掲載