陽はもう沈み、空は夜の訪れを示すかのように奇麗な紫色に染まっている。ジョージタウンで知り合った佐々野さんに勧められて、長距離バスで8時間揺られてこのマラッカにやってきた。佐々野さんは特に「マラッカの夕日」が最高だと言っていたが、今日はもう見ることはできないだろう。まあ、ここには3日は滞在できる。その間に見れればいい。私は早速佐々野さんに紹介されたゲストハウスへ向かおうと歩き出した。するとすぐ現地の若者がやや流暢な日本語で「ゲストハウスあるよ。安いよ。」と声をかけてきた。こんな客引きがいるということはここマラッカもやはり多くのバックパッカーたちが訪れるのだろうか。まあ、シンガポールから北上してタイに入り東南アジアを旅する人たちにとってはマレー鉄道の駅があるこの街はいい通過点になるだろう。私はすでに泊まる場所は決めていたので無視して歩こうと思った。そのとき、彼が手に持っていたチラシが佐々野さんからもらったチラシと同じだったことに気がついた。「Oh!!Traveler's Lodge!!」私は、早速彼に今晩はそこに泊まる予定だと告げた。彼は喜んで、このバスターミナルからTraveler's Lodgeまでの行き方を教えてくれた。
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Traveler's Lodge2階の食堂。非常に清潔感があり、窓からは心地よい潮風が入ってくる。
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長距離バスターミナルに隣接して公共バスターミナルがあった。両方のバスターミナルの間にはちょっとしたスーパーマーケットがあり、そこで夕食の材料を買い込んだ現地の人たちで公共バスターミナルは賑わっていた。そこからバスに乗ってマコタ・パレードというショッピングモールを越えたあたりで降り、少し歩いたところにある小さな建物の中にそのゲストハウスはあった。1階には小さな入り口しかなく、そこから階段をあがって2階が食堂、3階がゲストハウスになっている。ゲストハウスは小さい割にジョージタウンで滞在したスイスホテルに比べだいぶ清潔に思えた。3階に上がるとすぐ威勢のいい色黒で長髪の従業員が私の方に寄って来た。「ひとり?予約ある?」非常に流暢な日本語だ。予約はないが数日前にここに滞在していた佐々野さんに紹介されてきたことを告げると「オー!!ササノ!!オーケー、オーケー」と言って早速部屋へ案内してくれた。あいにくこの日はほぼ満室で、ドミトリーのベッドが一つだけ余っているだけだった。ドミトリーは初めてである。少々不安だったが、もう夜が迫ってきているのと一晩11RMという安さに惹かれて今晩はここで寝ることにした。明日シングルの部屋が空く予定なので、もし空いたらそちらへ移動するという条件つきだ。実際に部屋を見てみると6畳くらいの広さの部屋にシングルベッドが3つ横に並んでいるだけの簡単なものだった。向かって一番左のベッドが私ので、真ん中は日本人男性、一番右のベッドはベルギー人がすでに使用していた。私が部屋に入りくつろいでいると、すぐベルギー人が帰ってきた。「Oh!! Friend!!」なんだこいつは。Sandyという名でベルギーでは郵便局員をやっているという長身の彼は非常に気さくに私に話かけてきた。「Are you Japanese? Chinese? Korean?」「I'm Japanese」「Oh!! I scare!! Are you hooligan?」ちょうどこの年、第17回FIFA WORLD CUPが日本と韓国で開催される。そして、グループリーグのHグループで日本とベルギーは対戦することが決まっていた。それを知っている彼のちょっとしたギャグだ。私も対抗して「No. I'm gentleman」と応えた。彼は暑い暑いと言いながら着替えを始めた。私がとりあえず外に出ようと相棒のNikon F80の手入れを始めると、彼は「No!! Don't take my nude!!」と喚く。まったく明るい奴だ。彼は私に「マクドナルドへ行かないか?」と言ってきた。そういえば夕飯どころか今日は昼食もろくに食べていない。そう言われると私は急に腹が減ってきたので、快く同意し、二人で夜のマラッカへ出かけた。
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Traveler's Lodgeの3階からハシゴで登って行くことができる屋上には手作りの木製ベンチがあり、周りを眺めながらゆっくりくつろぐことができる。
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マクドナルドはゲストハウスから歩いて3分もしないところにあるショッピングモール、マコタ・パレードの中にあった。ここマコタ・パレードは庶民的ショッピングモールで、生活に必要なありとあらゆるものが揃う。流行もおさえているのか若者の姿も多く、ジョージタウンのコムター内のショッピングモールより数段賑わっているように思えた。買い物客の身なりもジョージタウンより少し裕福な感じがした。私とSandyはこのショッピングモールの1階にあるマクドナルドで夕食を注文した。値段は日本より若干安いくらいだ。席につきチーズバーガーを食べていると、彼は物価の話を始めた。その切り出しが面白かった。「How much the Big-Mac in Japan?」。私は正確な価格はわからなかったので「I think about $2.」と応えると、彼は「In Belgium everything is expensive. The Big-Mac is about $4.」と言った。もちろんその物価の高さにも驚いたが、マクドナルドの国際性にもっと驚いた。そして、Big-Macが各国の物価の指標になることに非常に面白さを感じた。すると突然、Sandyの目の色が変わった。周りを睨みつけるようにしながら、マレーシアの悪口を言い始めた。「こいつらは俺たちヨーロピアンのことを嫌っている。今日の昼なんか中指立てられたんだ。最悪だったよ。こいつらは君の国、日本やアメリカのことが大好きなんだ。利用されているだけとは知らずにね。」私は大学で少々国際政治をかじった人間だ。素人レベルであるにせよ、それなりのことは知っている。さらに日本では感じられないほど異国では政治が非常に危険な話題であることも知っている。私は「それはあくまで国レベルでやっていることで、人々にそれを押し付けるのは俺は好きじゃないな。それにこんな場で政治の話をするのは懸命じゃないと思うよ。」と言った。しかし、彼は少々興奮していたようである。夕食を済ませ、マクドナルドを出てからゲストハウスに戻るまでの間も彼のマレーシア批判は続いた。いや、マレーシア批判というより話は東南アジア批判にまで発展していた。「そんなに嫌ならこんなとこ来なきゃいいのに。」私はぼやいた。
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Traveler's Lodgeの3階のベランダの目の前にはマコタ・パレードの駐車場がある。
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部屋に戻るとSandyはすぐに笑顔に戻り、明日の早朝にここマラッカを発つので早めに寝ると床についた。時間はまだ21時を過ぎたあたりだったので私はゲストハウスのベランダに設置されている木製のテーブルで一息つくことにした。すると先ほど私を案内した従業員ともう一人、少々太り気味の従業員が私の方へ寄って来た。彼らはHarryとAziziという名で非常に日本語がうまい。ここに来る日本人バックパッカーに教わっているのだろうか、日本の歌まで歌ってくれた。しかし、やはり一番興味があるのは日本人女性のことらしい。「Japanese Girlはかわいいね。」とずっと言っていた。しばらくすると、一人の中年男性がテーブルの方へやってきて私に「タバコを一本くれないか?」と言った。私はもちろんタバコ一本を渡し、火をつけてあげた。Paulという名のこの男性はカナダから一人旅で来ていると言った。興味深かったのは彼が「タバコは本当に久しぶりだ。」と言ったことだった。では、なぜタバコを欲しがったのだろう。しばらくしてすぐに気がついた。一本のタバコが私とPaul を結んだ。バックパッカー、とりわけ一人旅をしている場合、情報は非常に重要である。インターネットのある時代でも、より多くの旅人と会話をして生の情報を得ることは自分の旅をどれだけ楽しめるかの重要なポイントなのだ。そして、それを実現するための一番手っ取り早い方法、この"一本のタバコ"は先の"Big-Mac"と同じく言わば一人旅におけるコミュニケーションのお約束なのである。私はこのお約束をきっかけに、長い時間Paulと旅の会話を楽しんだ。
しばらくして日本人の青年が帰ってきた。私と同じドミトリーに滞在しているヨウタロウという22歳のこの青年は結構長い間各国を旅しているようだが、疲れていたのかあるいは会話が好きではないのか、すぐにどこかへ行ってしまった。先ほどまでダイニングで読書をしていた日本人の女の子がテーブルの方に来た。ヨシコという21歳のこの女の子は大学をさぼって旅に出ているという。1週間くらい前にこのTraveler's Lodgeに滞在しており、それから東マレーシアに渡り世界遺産となっているコタ・キナバルを登ってからまたここマラッカに帰ってきたらしい。なんでもコタ・キナバルでNHKの番組「世界遺産」のスタッフに会ったらしく、飯を奢ってもらったと喜んでいた。ここマラッカにもやはり日本人を初め多くのそれぞれの旅をしているバックパッカー達がいる。今まで海外旅行しているときは全く意識していなったことだ。海から吹く涼しい潮風を浴びながらちょっとしたうれしさを感じていた。明日はこのマラッカを宛てもなくブラブラしよう。ドミトリーに戻ると、すでにSandyは大の字になってイビキをかいていた。
つづく