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第1便 マレーシア編
第2章 マラッカ

第1話 良い旅を

 7時過ぎに目を覚ました。荷造りはすでに昨晩のうちに大方を済ませている。いよいよ今日はペナン島を出発する。私は早速いつも通りゲストハウスのカフェでコーヒーを飲むために外に出た。晴れ渡る青空、そういえばこちらに来て一度も雨に当たっていない。旅としては最高だが、果たして雨が降ったときはどんな旅になるのだろう、私は一日何をするのだろうとふと考えてしまった。普通は旅行中は天気のコンディションがいいことを望む。旅程が詰まっているし、そんな長くない旅を無駄にしたくないからだ。しかし、このときの私はどちらかというと雨が降ってくれないのに少し寂しさを感じていた。気ままな一人旅での醍醐味、現地での生活感を味わってみたかったのかもしれない。世界中で雨が降らない地域はない。雨が降ったとき、常夏のこのペナン島のジョージタウンという街はどのように変わるのだろうか。澄みきった空を眺めながらそんなことを考えていた。

長距離バスでの移動中立ち寄ったハイウェイの休憩所から見た風景。ペナン島からマレー半島に入ってしばらくは山が連なる長閑な風景が続いた。
 沼田さんはすでにラオスに戻るためタイに向けて発っていた。ここペナン島からタイへ行くのはおそらくフェリーでバタワースに渡りマレー鉄道で北上して国境を越えるのが最短コースだと思うのだが、なんでもそのコースは青年海外協力隊は推奨していならしい。なんでも、タイ側の国境の街ハジャイの治安が悪いらしい。今はそれほどでもないらしいが、一時期はバスで国境越えをする旅人たちに睡眠薬入りの飲料を飲ませ、疲れきった旅人たちが熟睡している間に所持品を盗難するという事件が多発しているという。無理矢理陸路でタイへ渡ることも可能だが、特別な立場で海外に出ている証である緑色の日本国パスポートを持っている彼は何か事件に巻き込まれたときに保証が全くなくなるため、一度クアラルンプールまで南下し、そこから飛行機でタイの首都バンコクへ渡ることにして、朝の弱い私があきらめた早朝発のマレー鉄道ですでにクアラルンプールへ向かっていた。佐々野さんもインドネシアに渡るため、同じ鉄道ですでに南下した後だった。昨日はこのジョージタウンという小さな街にいた旅人2人はすでにそれぞれの旅に発っている。

 朝食を終えた私はチェックアウトを済ませ、自分のバックパックを持ってきてゲストハウスのカフェで一服していた。一番最後に発つ予定の佐藤さんが起きてきた。佐藤さんは安旅をするため、最後まで私に一緒にタイのピピ島に渡らないか誘っていたが、私が今回の旅行は期間的にそれほど余裕がないことを告げるとあきらめたようだ。私と佐藤さんは私のバスが来るまでの間、旅の話をしていた。佐藤さんは左腕に小さなイルカのタトゥーをしていた。オーストラリアでダイビングにハマりダイビングライセンスを取得した記念に入れたものだと言う。それまでタトゥーと言えばヤクザかヘビーメタルミュージシャンか程度に思っていた私は、一つ新しい経験、その後の自分を形作った経験をした記念に体に刻んだこのタトゥーに何か強い意志のようなものを感じた。予定時刻の10:30を少々過ぎた頃に、私を未だ見ぬ地へと運んでくれるマレーシア初の長距離バスがゲストハウスの前に到着した。私は早速バスに乗ろうと立ち上がりバスの停まっている通りへ向かった。佐藤さんはバスの乗降口まで私を見送ってくれた。「また、どこかで会えるといいですね。」「旅続けている限りどこかで会えると思うよ。まあ、新潟来たら連絡してよ。東京行ったら連絡すっからさ。」「はい、ぜひまた飲みましょう。旅したいろいろな場所のことまた教えてくださいね。」「おう、ダイビングもやってみるといいよ。絶対面白いから。」「そうですね。機会があればやってみます。それでは佐藤さん、無事帰国してくださいね。」「おう、君も気をつけてな。」「それではさようなら。」「では、良い旅を・・・」

長距離バスには旅人だけでなく現地の人たちも同乗していた。彼らは休憩所に着くやいなや奥の方へ歩いて行き、常設されているベンチで休みながら会話を楽しんでいた。
 バスの中には私以外に2、3人の旅人しかいなかった。私を乗せ走り始めたバスはジョージタウンの様々なゲストハウスや停留所に停まり、次々に旅人や現地のマレー人が乗ってきた。どうやらこの長距離バスは旅行者だけではなく現地のマレー人が長距離を移動する際も使われるようである。ジョージタウン最後の停留所を発ち私が乗ったときとは違い多くの客を乗せたバスは一路マレー半島へ向かった。バスに乗るまで気づかなかったが、どうやらマレー半島とペナン島はフェリーだけではなく橋でも繋がっているらしい。てっきりフェリーでマレー半島に渡ると思っていた私は、橋を渡り始めたバスを見て少々残念に思った。バスの中は予想していたより全然奇麗だった。座席のスペースも広く、まるで飛行機のビジネスクラスのようだ。思っていたより快適なバスの旅の途中、私は先ほどの佐藤さんの言葉を思い出していた。何気ない「良い旅を」という言葉である。この言葉はなんだろう。この何か寂しいような、しかし何か励まされるような感じは一体・・・。私のこれからの旅なんて彼には何の関係もないはずだし、何も知らないはずである。でも、いろいろな場所を旅していろいろなものを見てきた彼から発せられるその言葉は、これから私が体験するであろう何かを知っている上での言葉に思えてくる。そして本当に旅することの楽しさを私に教えてくれているな気がした。君は学ぶことがまだまだたくさんある。なんでもいいからやってみろ。最後に自分自身心の底から満足できる「良い旅」ができたら最高だね。そんな意味が込められている不思議な言葉のように感じた。

マラッカの長距離バスターミナル近くにあるマラッカの公共バスターミナル。時刻は19時前、夕食の材料を買い込んだ多くの現地の人たちが自宅に帰るためにバスを待っていた。
 バスはハイウェイの途中で何度か休憩しながら走り続けた。疲れもあったのだろうか、うとうと眠りについてしまった私は数時間後、ハッと目を覚ました。「しまった」。一人旅にも関わらず寝てしまった。慌てて所持品をチェックしたが、どうやら所持品は無事だった。もう陽は低いところに来ていた。窓の外を眺めてみると、多くの車、多くの人、そして多くの巨大なビル、そう、バスはもうクアラルンプールまで来ていたのだ。ペナン島への経由のため空港にしか寄っていない私は、改めてこのマレーシアの首都の発展ぶりに驚いた。クアラルンプールの停留所で多くの人たちが降車した。突然私は不安になった。もちろんマラッカに行ったことがあるはずがない。どこで降りればいいのかわからない。このバスはジョホールバル行き、下手すればマラッカを通り過ぎてシンガポールのすぐそばまで行ってしまう。私は隣の席にいた中国風の中年男性にマラッカで降りたいこと、マラッカでついたら教えてほしいことを告げた。彼は快くOKしてくれた。ところが、クアラルンプールを出て、次の街の停留所で彼は降りようとしている。「ここがマラッカか?」と尋ねると彼は首を横に振る。何やら聞き取れない言葉を言ってバスを降りてしまった。いよいよ不安になった私は乗客の少なくなったバスの先頭座席に移動し、運転手にマラッカに行きたいと告げた。もちろん運転手は英語なんてできない。私は「マラッカ」という地名を連発した。すると彼は次に停まった小さなバスターミナルで私を降ろした。そこがマラッカの長距離バスターミナルだったのだ。既に時刻は18:30を指していた。ペナン島を出発してちょうど8時間、私はようやくマラッカに到着した。

つづく

2004/09/01(Wed)掲載