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第1便 マレーシア編
第1章 ペナン島

第6話 それぞれの旅

ジョージタウンの小学生たち。貧富の差を感じはしたが、やはり無邪気さは変わらない。カメラを向けると最高の笑顔をくれた。
 目を覚ますと時計の針は8時を廻っていた。普段は朝に非常に弱い私だが、この旅の間は自然に早起きができる。しかも前日の疲れも残っていない。これも自分のペースで過ごすことができているだろうか。非常に毎日が充実しているように感じていた。私は早速「今日の過ごし方」を考えようと瑞士旅社内のカフェ(といっても玄関にテーブルが置いてあるだけの粗末なものだが)に出た。するとそこで一人の日本人らしき中年男性が朝食をとっていた。昨晩出会った佐藤さんと沼田さんの他にももう一人、日本人バックパッカーがこの宿に泊まっていたのだ。佐々野さんという名の彼は、京都から来た38歳で、仕事をやめて旅に出たという。3ヶ月程度旅をするつもりで、この後は南下しインドネシアに入る予定だということだった。私は朝食をとりながら、しばし彼と話をした。彼は私に次にどこに行くつもりなのかと訪ねたので、私はマレー鉄道に乗ってイポーに寄ってからクアラルンプールまで下り帰国するつもりだと答えた。すると彼は、それならもう少し南下してマラッカまで行ってみるといい。マラッカは非常にゆったりとしていて、人々も優しく過ごしやすい街だ。何より夕日がきれいだと言う。彼はマラッカを経由してここペナンに来たらしく、マラッカで滞在していた経営者の奥さんが日本人というゲストハウスも合わせて紹介してくれた。私は今日一日検討してみることにした。少し経つと佐藤さんと沼田さんも起きてきた。私は彼等に早速佐々野さんを紹介した。彼等は全員明日ここペナンを発つ予定だという。そこで私たちは今晩の夕食でも一緒にとろうということになり、19時にこのゲストハウスで待ち合わせることにした。

イギリス統治時代に建築されたセント・ジョージ教会。大きさはさほどではないが美しい建物だ。
 ここペナン島はかつてイギリスの統治下にあり、海沿いにあるコロニアル様式の市議会ビルやセント・ジョージ教会、コーンウォーリス砦などが当時をしのばせている。朝食を済ませた私は、それらを観るためまず海の方へ向かうことにした。途中、昼休み中なのか制服らしきものを来た少年達が歩道に群がっていた。これまでバトゥフェリンギやジョージタウンでは昼間から夜遅くまで親と共に屋台や店で働く少年少女を見てきたが、ここにいる少年たちは真っ白に洗われたシャツをピシッと着て、いかにもイイトコ育ちと行った感じだ。学校へ行ける子供たちと行けない子供たち、日本にいるとなかなか明確に感じることができない貧富の差というものを初めて感じた。少し行くとセント・ジョージ教会が見えてきた。それほど大きくはないが、真っ白で非常に気品溢れる建物だった。中を見学してみようかとも思ったが、たいしてガイドブックも熟読していない私は若干文化の違いに不安を感じた。教会や寺院など宗教に関するものは文化によって全く考え方が違う。私たち日本人が普段比較的親しんでいる仏教では当たり前のことが、他の宗教では禁止事項になっていることもあるだろう。たとえ観光者だとしても許されることと許されないことがある。そういうことをまだ明確に理解できてない私は、教会の中に入るのをやめ、さらに海側へ歩き出した。

ペナン島の東端から見たマレー半島。何が待ち受けているかわからないという期待に胸が膨らんだ。
 少し行くと海が見えてきた。海岸線はタイルできれいに舗装されており、そこからは対岸であるマレー半島がすぐ近くに見えた。ここペナン島とマレー半島はフェリーでつながれている。明日はおそらくマレー半島に渡ってバタワースからマレー鉄道の旅となるだろう。明日以降、あちらで起こるであろうハプニングに少しばかり期待を寄せて、しばし対岸を見ながら休息をとった。海沿いを歩いていると次第に大砲が見えてきた。コーンウォーリス砦だ。本物だろうかレプリカだろうか、海へ向かっていくつもの大砲が口をあけている。観光地であるにも関わらず私の他には観光者どころか現地人もいない。車も近くを通っていないので周りも静かで、敵を迎え討つ当時の緊張感は全く感じられなかった。もちろん今は使われていない大砲を見てまわりながら、そんな妙な気分を楽しんだ。

コーンウォーリス砦。敵の侵略を防ぐという当時の緊迫した雰囲気とは全く逆に、人気もなく周りも静かでとても落ち着ける場所だ。
 コーンウォーリス砦からジョージタウンの中心の方へ戻ろうと歩いていると立派な時計台が見えてきた。この時計台も当時の建築だ。ジョージタウンはマレーシア、でもこれらの建物はイギリス様式、なのに現地人はよく日本語を話す。イギリスの植民地になり、太平洋戦争で日本の進軍を受けたこの地域にいると、戦争がその地域にどれだけ影響を及ぼすものかを十分に感じることができた。それから私は道に連なる小さな店をちょくちょく覗きながらコムターへ向かった。コムターは途中の階まではショッピングエリア、上の方の58階には有料だが展望台がある。せっかく来たのだからと私は展望台に上ることにした。高速エレベーターで数秒、展望台に到着した。昨日ペナンヒルから見た風景よりもっと間近にジョージタウンを一望できた。海沿いには。私の宿泊しているゲストハウスとは値段もサービスも全く異なる高層ホテルが林立していた。しかし、賑わっているというよりはどこか廃れた雰囲気が感じられる。日本で言うと熱海といったところだろうか。やはりここペナン島は老舗リゾートなのだろうと思った。下のショッピング街は東京のデパートとはいかないまでもちょっとしたスーパーのようになっていて、食品から生活雑貨、洋服、CDや本などなんでも揃うといった感じだった。いくつかの店を覗いてみたが特に面白みもなく、私はコムターの1階にあるマレーシア航空のオフィスで念のため帰りの便のリコンファームをしてからとりあえずゲストハウスに戻ることにした。

ペナン島の時計台。こちらもイギリス統治時代の建築らしく、とても美しかった。
 ゲストハウスに戻った私は、夕方まで軽く昼寝をしたあと、玄関のテーブルで明日の予定を考えていた。イポーに行くか、マラッカに行くか。しばらくすると佐藤さんと沼田さんが戻ってきた。彼らはシンガポールからマレー鉄道で入国したのだが、どうも入国スタンプがパスポートに押されていなかったようで、念のため日本大使館に問い合わせに行っていた。結局特に問題なかったということだ。19時になる前に佐々野さんも戻ってきたので、私たちは予定より早く昨日私が行った安順園へ夕食に出かけることにした。途中、夜店で佐藤さんとともにTシャツを物色した。やはり安いが、どうも日本の街着として着れそうにはないデザインのものが多かった。15分ほど歩いて現地に到着した私たちは早速ビールで乾杯した。佐藤さんは何やら日本のラーメンのようなものを買ってきた。私と沼田さんと佐々野さんはせっかく大勢集まったのだからとスチームボートという自分の好みの具を注文できる海鮮鍋を食べることにした。どれも驚くほど安く、腹はすぐに満腹になった。ビールを飲みながらそれぞれの旅の話を語った。私が今回初めて一人旅に出たこと、そして初めてバックパッカーとコミュニケーションしたことなどを話すと佐々野さんに「君は必ずそのうち会社辞めるよ(笑)」と言われてしまった。微妙にそれもおもしろいなと思う自分がいた。

コムターの展望台から見たジョージタウン。下から気づかなかったが海沿いには大きなホテルが林立していた。
 宿に戻った私たちは表のテーブルでもう一杯ビールを飲むことにした。沼田さんは「ラオスにはライチがないんだよ」と帰りがけに夜店で買ったライチをおいしそうに食べていた。佐藤さんはオーストラリアでのダイビング体験や彼にとって旅のバイブルとなっている沢木耕太郎の『深夜特急』の話をしてくれた。もともと本を読まない私は『深夜特急』という名前は知っていても内容は全く知らなかった。佐藤さんがあまりにも熱く語ってくるので日本に帰ったら読むことにしよう。佐々野さんはカンボジアで買い物の帰りに襲われそうになって、関西弁で大声でどなりちらして追っ払った体験談などを話してくれた。話が終わる頃には、私の心は翌日マラッカに向かうことに決めていた。ただマレー鉄道だと時間もかかるし、朝早い。バスの方がゲストハウスの前まで来てくれて早いと言う。(とはいえ8時間かかるが)私は宿の受付で早速長距離バスを予約してもらった、結局前日のように2時間近く話してしまっただろうか、私たちは明日に備え寝ることにした。ここにいる4人は明日はそれぞれ違う方向に向かう。出会いと別れ、やはりこの繰り返しだ。しかし、日本でのそれより非常に大きなものを教えてくれるような気がする。私は明日の初めての長距離バスにちょっと興奮しながら眠りについた。

第1章 ペナン島 完

第2章 マラッカ へつづく

2004/08/08(Sun)掲載