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ビルマ寺院内の宿舎で生活をする修行僧。私がカメラを向けると快く応えてくれた。
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ビルマ寺院を出る頃にはすでに15時を過ぎていた。しかし、まだ日は高い。もう1か所くらい観光スポットを見に行こう。私はジョージタウンの街並を一望できる小高い丘、ペナンヒルに向かうことに決めた。さて、どうやって行こう。地図を見るとペナンヒルはここから相当遠いようである。もちろんバスでも行けるだろうが、どの路線に乗ればいいのかがわからない。今度はタクシーに乗ってみよう。私は大通りまで出て、通りがかったタクシーを捕まえた。日本のタクシーはすべてがメーター式で、目的地に着いたときに決まった料金を支払うが、こちらはそうではないらしい。メーターが壊れていたり、あるいは改造等がされていることがあり、外国人がぼったくりにあることがよくあるらしいのだ。となれば乗る前に価格交渉だ。私は運転手に「ペナンヒルに行きたいのだが、いくらで行ってくれる?」と訪ねた。すると当然彼は吹っかけてくる。「RM15」、高すぎる。ガイドブックには昨日行ったバトゥフェリンギまでタクシーで約30分でRM20程度と書いてあった。ペナンヒルがいくら遠いと言ってもそこまで遠くはないだろう。私は「冗談じゃない。他のタクシーを探すからいい。」と言って歩き出した。すると彼は値を下げてくる。「RM12でどうだ。」、「いやいや、高いだろ。」、「じゃあいくらなら乗るんだ?」、「RM7だ。」、「RM7?ペナンヒルは遠いんだぞ?」、「わかってる。でもRM7しか出せない。」。そんな問答を繰り返した挙げ句、交渉がようやくまとまり私はタクシーに乗り込んだ。
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ペナンヒルのケーブルカーの駅。観光客より現地人のカップルが多かった。
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タクシーの中は冷房も効いており、やはり公共バスより数段快適だった。ところが、いつまで立ってもペナンヒルに着かない。よく見ると運転手はかなり年老いた老人である。安全運転なのはいいが、スピードも相当遅い。とは言え時間がかかり過ぎている。そんな遠かったか、それとももしかしたらあまりに安く値切りすぎたので気分を害してどこか遠くへ連れて行って困らせようとしているのだろうか。少々不安になった私が「まだ着かないのか?」と聞くと、その老人は「大丈夫、もうすぐだ。」と答える。しばらくたって、ペナンヒルの頂上へ向かうケーブルカーの駅が見えてきた。やはり彼は正しかったらしい。しかも、本当に遠かった。私は急にRM7まで値切ったことが申し訳なくなってしまった。もしかしたら彼にとって今日の稼ぎはこれだけだったのかもしれない。それなのにほとんど儲けがない値段まで値切られて、今日食べるものにも困るかもしれない。そんな情のようなものが生まれてきた。やや複雑な気持ちになってはいたが、私は彼にRM7ちょうどを払って別れを告げた。
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ペナンヒルの頂上まで連れて行ってくれるケーブルカー。非常にゆっくりと緑の中を登って行く。
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ペナンヒルにはほとんど観光客はいなかった。観光スポットだと思っていたが、どうやら現地の若者たちのデートスポットでもあるらしく、学校帰りの学生らしきカップルが何組か同じケーブルカーに乗っていた。30分程度乗っていただろうか、ケーブルカーは頂上に到着した。あいにくの曇り空で見晴しは良くはなかったが、やはり緑が多いためか空気がおいしく感じられた。頂上でもやはり観光客より現地の人が多く、遠くを眺めながら会話を楽しんだりベンチに横たわって昼寝をしたりしている。小さなモスクやバードパークもあり、本当に現地の人達の休息所といった感じだ。ジョージタウンの中心地とは打って変わってここは時間がゆっくり流れていた。特に見どころもなかったため、私も遠くを眺めて骨を休めた。ケーブルカーでペナンヒルを下るころには、日もだいぶ傾いていた。ケーブルカーの駅でここら辺にバス停はあるかと尋ねるとちょっと行ったところにあるという。ここからならコムターまでバス一本で帰れそうだ。とは言え、バス停に着いたもののどのバスに乗っていいかわからない。すると、ちょうどそのとき一組の若いカップルがバス停の方に歩いてきた。私が「コムターに行きたいのだが、どのバスに乗ればいいのか」と尋ねると、彼等もコムターへ行くから一緒に行こうと誘ってくれた。コムターへは20分程度、来る時に乗ったタクシーよりも早く感じた。私はここまで連れてきてくれたカップルに礼を言ってゲストハウスの方へ向かった。
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ペナンヒルの頂上から見たジョージタウン。あいにくの曇り空だが、うっすらとコムターが見える。
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腕時計を見るとすでに18時近くになっている。腹も大分減ってきたのでゲストハウスでひと休みをしたら夕食を食べに出かけよう、そんなことを考えながら歩いていると一人の中国系の現地人が私に声を掛けてきた。彼は私に「さっき君を見かけたんだけど、君は僕の友人にすごく似ているだ」と満面の笑みで話かけてきた。Steavensという名の彼はコムターの近くの商店街の中で宝石店を営んでいるという。たまたま店を閉めているときに店の前を通りかかった私が、あまりにも友人に似ているので気になって付いてきたらしい。これから子供を迎えに行って帰宅するつもりだが、もし暇だったら、これから彼の家で一緒に夕食を食べないかという。私はマレーシアで外国人相手の賭博詐欺が横行していることを知っていた。親しみを込めて接して家まで連れて行って賭博に誘う。初めは勝たせて調子に乗らせ、次第に負けさせ最終的には払えないような金を巻き上げるという悪質な手口らしい。彼は見た感じとても人が良さそうに見えたが、万が一のことを考えその場では予定があると断り、軽く会話を楽しんだ後に明日時間があったら店に行くと言って別れを告げた。
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友人に似ていると声を掛けてきたSteavens。話をする限りではとても親切な人に思えたのだが・・・
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ゲストハウスに戻り一服した後、私は早速夕食をどこで食べようかとガイドブックを開いた。やはり昨日のようにホーカーセンターがいい。ジョージタウンのホーカーセンターと言えばガーニー・ドライブやゴールデン・イーグルなどが有名だが、私が泊まっている宿からはやや遠いようである。一番近いアンソン通りのウインストン・コーヒー・ガーデンを目指すことにした。日も沈みかけるとジョージタウンは昼間とはまた違った賑わいを見せ始めていた。そういえばこの時間帯のジョージタウンを歩くのは初めてである。道には野菜や果物を売る屋台や簡単な飯を食う屋台が上手そうな匂いを放ちながら連なっていて、一日の仕事を終えた現地の男たちがビール片手に会話を楽しんでいる。私も一人のアジア人だからだろうか、こういった雰囲気にとても落ち着く感じがした。もともと私はアジアを毛嫌いしていた。なぜなら人が多くてゴミゴミしてそうな雰囲気があったからだ。それならだだっ広いアメリカやオーストラリアなんかの方がよっぽど魅力的だったのだ。それが、実際にアジアの国を訪れてみると決して悪くないなと感じるようになっていた。むしろ、現地の生活を近くで感じることができて心地良かった。そんなどこか懐かしいようなアジアの夕方の雰囲気に浸りながら目的地を探したが結局ウインストン・コーヒー・ガーデンは見つからず、私はシェラトンホテルの近くにある安順園(アンソン・パーク)というホーカーセンターで夕食をとることにした。今日はマレーシア風チャーハンとサテー、それからタイガービールだ。焼き鳥好きの私はサテーにかなり期待していたのだが、味も薄くあまりうまくはなかった。しかし、やはり安い上に量は多い。私は大変満足して夜のジョージタウンを散歩しながらゲストハウスへ帰った。
ゲストハウスに戻ると入り口においてある小さなテーブルで二人の日本人らしき男性が話をしていた。そのうちの一人が私に「こんばんは」と声を掛けてきたので私も挨拶をして空いている席に座らせてもらうことにした。佐藤さんという名の長髪の男性は32歳で新潟から出てきたらしい。オーストラリアにずっといて、それからニュージーランド、シンガポールとまわってマレーシアに来ていた。もう5ヶ月以上も旅をしていて、趣味のスキューバダイビングを楽しむためタイのどこかの島へ潜りに行ってから帰国するつもりだそうだ。一方、もう一人の沼田さんという名のまじめそうな28歳の男性は、埼玉から青年海外協力隊としてラオスに来ていて、たまたま休暇がとれたので周辺のアジア地域を旅していた。二人はシンガポールで会って、たまたま行く方面が同じだったため共に旅をすることになり、シンガポールからペナンまではマレー鉄道に乗ってきたらしい。私はこれからマレー鉄道に乗って南下しようと思っていたので、いろいろ話を聞くことができた。また、久しぶりに日本語を話したせいか2時間以上もゲストハウスの前でビールを飲みながら話こんでしまった。今まで私の周りには彼等のような種類の人間はいなかった。短期ででちょくちょく海外旅行へ行くという友人はいても、何ヶ月、何年と長い間に本を離れ海外を自由に旅するという友人はいなかった。だからそういう感覚自体が私の中には全くなかったのだ。欧米人がよくそういう旅に出ることは知っていたが、日本人はそんなことはしないだろうと思っていた。しかし、今目の前には実際に長い間一人旅をしてきている日本人バックパッカーがいる。すべてを自分で決めて旅を続けてきたからだろうか、それぞれにしっかりした考えを持っているし、自分が今すべきことがわかっている。他人がやることは関係ない。それぞれの道を歩んでいる。そのときの私にとって、彼等がとても自由で、素晴らしい経験をしていて、中身の濃い、強い人間に見えていた。そして、この出会いがその後の私を旅にかき立てる原因になったのである。”オレもこうなりたい”
つづく