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バトゥフェリンギからジョージタウンへ続く道。車もバイクも少なく非常にのんびりした雰囲気である。
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夜はゆっくり休めた。初めは暑い国マレーシアだから、やはり冷房のある部屋を借りておくべきだろうかとも思ったが、天井に備え付けられたファンとブラインド式の窓から入ってくる心地よい潮風のおかげで熟睡でき疲れも十分にとることができた。昨晩、今日はジョージタウンに戻ろうと考えた。そもそも仕事の疲れを癒すためどこか南国でのんびりしたいという目的で日本を飛び出したのだが、たった一日リゾートで過ごしただけでその目的にはすっかり満足してしまい、今は海外で一人で旅をすることの魅力に取り憑かれてしまっている自分がいたのだ。私はすぐに荷造りをしてBABA GUESTHOUSEを後にした。ジョージタウンへ続く一本道沿いのバス停に立って改めて感じた。ここバトゥフェリンギは本当にのんびり時間が流れていて、疲れを癒すにはとてもいい所だ。でも、今は何か旅に対する刺激が欲しい。そのためには、明らかにここより人が多くて、出会いが多くて、ハプニングが多そうなジョージタウンへ行かなくては。ここへ来るときとは全く異なり、私は何の物怖じもなくジョージタウンへ向かうバスに乗り込んだ。
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ジョージタウンの瑞士旅社付近の風景。漢字表記の店が目立つ。
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ジョージタウンには午前11時頃に着いた。私は早速今晩泊まるゲストハウスを探して歩き始めた。ここジョージタウンは中国系の現地人が非常に多い。店やホテルも漢字名のものが軒を連ねていた。ここでもあらかじめガイドブックを目星をつけていたゲストハウスを訪れてみた。ジョージタウンの中心地コムターから5〜8分ほど歩いた場所にある瑞士旅社(スイスホテル)である。街中にあるゲストハウスだからか、バトゥフェリンギのBABA GUESTHOUSEとは全く趣の異なるゲストハウスだ。顔がいつも強張っている、しかし気さくな中国人風の主人が経営しているゲストハウスで、従業員だろうかそれともただの友達だろうか、他にも何人かの年のいった中国人がくつろいでいる。ダブルサイズのベッドとファンがあるのみの部屋でRM28.6、私はルームNo.46を借りることにした。荷物を持って歩いてきたからだろうか、それとも人が多いからだろうか、ここジョージタウンはバトゥフェリンギより数段暑いような気がした。私は汗だくになった洋服を着替え、早速街に繰り出した。まずはスイスホテルの近くのカフェで遅めの昼食をとった。すで14時近くになっていたためか、私以外には客はいなかった。店の中には店長らしき欧米人が一人いるだけだった。私はとりあえず無難にチキンカレーとコーヒーを注文した。やはり味は申し分ない。ただ、バトゥフェリンギより若干物価は高いような気がした。さて、腹も満たされたところでこれからどうしよう。私はジョージタウンに戻ってくるということ以外何も計画を立てていなかったことに気付いた。早速そのカフェでガイドブックを開いた。そういえばマレーシアに来て観光スポットらしい観光スポットを訪れていない。今日はいくつかあるこのジョージタウンの観光スポットへ行ってみよう。
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寝釈迦仏寺院と間違って入った仏教寺院。ガイドブックには特に載っていなかったが意外にも立派な建物で面白い像もあった。
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まず私が向かったのは寝釈迦仏寺院、地元の人には"Sleeping Budda"の愛称で呼ばれているタイ仏教の寺院である。タクシーで行けばすぐ行けるところだが、私はあえて公共バスで行くことにした。もう公共バスにはすっかり慣れてしまった。こうなると、これほど手軽で面白い乗り物はない。明確な、しかも非常に安い料金で行きたいところへ行ける。さらに庶民の足だけあって現地の人の生の生活にも少なからず触れることができる。ただ、一つ難点を言えば降りる停留所がわからないことだ。今どこを走っているかがわからないので、自分が行きたいところの最寄りの停留所がどこなのかがわからなかった。とりあえず私は運転手に英語でSleeping Buddaの近くに来たら教えてくれとお願いをしておいた。バスはジョージタウンの街を縦横無尽に走って行く。初めはガイドブックの地図で現在自分のいる場所をなんとか追っていたが、次第にわからなくなって諦めた。下校途中の子供や買い物に出かける主婦たちが入れ替わり立ち替わりバスに乗ってくる。そのうち運転手がここだと教えてくれたので私は安心して降りた。ところが、廻りに寺院らしきものは見当たらない。今自分がいる位置がガイドブックの地図でどこなのか見当もつかない。しょうがなく少々歩き回ると寺院らしきものが見えてきた。ここかと入ってみたが、観光客は一人もいない。おかしいなと感じながらもいろいろ歩いてみたが寝ている仏陀なんてありはしない。目的地はここではないらしい。どうやら私は道に迷ったようである。
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横たわる仏陀がいる寝釈迦仏寺院。残念ながら寺院内の写真は撮らせてもらえなかった。
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異国の地で迷子、しかし私は妙に落ち着いていた。すぐ調子に乗ってしまう私の性格が幸いして、早速旅慣れてきたのだろう。どうにかなる、そんな安心があった。バスの運転手はここで降りろと言ったのだ、目的地はそうは遠くないはずである。こうなったら足で探してやろう。私は通りがった現地人に何度か道を尋ねながら寺院を目指した。そして、15〜20分は歩いただろうか、私はようやく目的地の寝釈迦仏寺院に到着した。思ったより遠いじゃないか、炎天下の中歩き回り少々疲れてしまった私はそう思いながら入り口の屋台で水を買い、軽く休んでから中へと入った。建物の中には全長32mという大きさの仏陀が汗だくの私とは裏腹に涼しげに横になっていた。普通釈迦像というとシンプルな色使いでリアルな像を想像してしまうが、目の前で寝そべっている仏陀はまるでアニメに出てくるキャラクターのようで少々拍子抜けしてしまった。しかも、顔は今にも寝てしまいそうだ。横になっている仏陀は生まれて初めて見たが、やはり仏陀といえど寝なければやっていけないんだなと妙に身近な存在に感じた。仏陀の前には金箔を貼られた座禅姿の修行僧のミイラがあった。なんでも自分の身体の悪い場所と同じ場所に金箔を貼ると治るらしい。すでにミイラは全身に何層も貼られた金箔でちょっと息苦しそうに、されど金色に輝いていた。
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ビルマ寺院の中の釈迦立像。寝釈迦仏寺院の寝仏陀とは異なりこちらはシンプルな色使いの釈迦像である。
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寝釈迦仏寺院の正面にはビルマ寺院がある。私はこちらも覗いてみた。ここはペナン島で最初に建てられた仏教寺院らしく、本堂には高さ10mほどの釈迦立像があった。こちらの釈迦は私の想像していた釈迦像と近いものでシンプルな色使いで、やはり金色の衣をまとっていた。ビルマ寺院は本堂の裏が庭園のようになっていて散策することができた。ちょっとした像や小さな小屋のようなものもあって生活感に溢れていた。それもそのはず、ちょっと行くと修行僧の宿舎のようなものがあり、実際に多くの修行僧がここで生活をしているのだ。たまたま私がその宿舎の近くを通りかかった時、2階の渡り廊下を一人の若い修行僧が通りかかった。私が声を掛けカメラを向けると彼はにっこりと笑い被写体になってくれた。宗教徒と、しかも異国で会話をするのは初めてである。日本は宗教色がそれほど濃くないためか、これまでは宗教徒というとどこか固く頑固なイメージがあり、特にカメラなどを向けられるのをひどく嫌いそうな感じがしていたが、そんなことはない。彼は何の警戒心もなく私に応えてくれたのである。また一つ私の勝手な思い込みというか先入観のようなものが崩れ落ちて行くのを感じた。そして同時に妙な心地良さを感じている私もいたのである。
つづく