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第1便 マレーシア編
第1章 ペナン島

第3話 老舗リゾートでの一日

 バトゥフェリンギはジョージタウンとは打って変わって人も車も少なく、時間がゆっくりと流れていることを感じさせる老舗リゾートだ。特にこれといって観光すべき名所もなく、また同じリゾートでも高級ホテルが林立する地帯から少し離れているからか、あるいは時期的なものだろうか、観光客もほとんど見かけない。さらにゲストハウスが固まっているにもかかわらずバックパッカーらしき人も見当たらなかった。海岸と反対側は緑で覆い尽くされた小高い山で囲まれて空気もおいしい。とにかく、すべてに対して余裕があるという感じだ。

名車トライアンフ。こういった出会いも海外旅行の醍醐味の一つである。
 ゲストハウスで一息ついた私は、早速周辺の散策をするために外に出た。まずは・・・トライアンフだ。バス停を降りてゲストハウスを探している途中に、道端に古いバイクが停めてあるのが気になっていたのだ。バイク好きの私は、荷物を整理したら改めて見にこようと決めていた。バイクに少々詳しい人ならご存知だと思うが、トライアンフと言えばあの故スティーブ・マックイーンも愛したバイクメーカーで現在日本では純正はほとんど見かけることはない。そんなバイクが当たり前のように停車してあった。そういえばオーストラリアに行ったときもどう見ても車検に通らないような車が普通に走っていた。こういった古い車やバイクなどを見られるのも海外旅行の醍醐味である。私が写真を2,3枚撮っていると、道を挟んで反対側の食堂から仲間たちと談話していたさっきのゲストハウスの客引きが声をかけてきた。どうやらこのバイクは彼か彼の仲間のうちの一人の所有物らしい。早速自慢話でも始まるのかと思いきや、バイクの話にはまったく触れずバトゥフェリンギを楽しんでいってくれと言う。先ほどは客引きという先入観があり少々厄介そうなのであまり深くかかわらない方が得策かなという感じがしていたが、どうやら悪い人ではないらしい。どうも私はまだ異国人に対して警戒心が消えていないようである。

人がそれほど多くないバトゥフェリンギのビーチ。マリンスポーツや読書などそれぞれが自由な時間を過ごしている。
 近くのレストランで昼食を済ませ早速付近の散策を始めた。といってもガイドブックを見ても特にここに行きたいというところはない。とりあえずマレーシアの工芸品の一つであるバティックの専門店、クラフト・バティックに行ってみたが、大半は女性用のものばかりでいまいち楽しめなかった。そのままジョージタウン方面へ続く道に沿って歩いてみたが、すぐに特に見所もないと気づいた私はゲストハウスの方面へ引き返すことにした。やはりここはリゾート、ビーチでゆっくり過ごそうと決めたのだ。ビーチでは少ない観光客やビーチボーイがジェットスキーやパラセイリングといったマリンスポーツを楽しんでいた。特に白人と黒人の少女たちが楽しんでいたバナナボートはかなり楽しそうだった。一人旅なので遊び相手も話し相手もいない私はとりあえず上半身裸になり、バッグを枕にして浜辺で寝そべった。やはり海はいい。波の音を聞いているだけでゆったりとした気分になってくる。次第に眠くなってきてしまったのがここで寝てしまうと私物が心配なので、一旦ゲストハウスに引き上げ昼寝でもすることにした。午前中の移動で緊張していて、それが落ち着くことでとれたのだろう。普段は昼寝などしない私が、日差しがまだ強いにも関わらず部屋のファンが作り出す心地よいリズムに誘われて私はいつの間にか眠りに落ちていた。

バトゥフェリンギビーチからの夕日。夕日を見ていると何か一日の疲れがゆっくりととれていくような気にさせられる。
 目を覚ますとすでに16時を過ぎていた。しかしまだ日は高い。海と言えばやはり夕日である。夕食まではビーチでゆっくりして夕日を待つことにした。ビーチではまだ若干の観光客が遊んでいた。私は先ほどくつろいでいた当たりに腰を下ろし海の向こうを眺めていた。確かに一人でいることにときどき寂しさを感じることはあるが、一人旅も悪くないなと思った。もし友人たちとここに来ていたらさっきのような昼寝もできないだろうし、ただこんなところで海をじっと眺めていることもできないだろう。まるで何も予定が入っていない休日を過ごしているのと同じような感覚を感じていた。夕方になるにつれ、次第に人が集まってきた。だが観光客ではない。現地人だ。普通に考えると当たり前なのだが、リゾートとはいえどうやらこの海岸は観光客だけのものではなく、むしろ夕方は現地人の社交場となるようだ。何組かの家族が集まってバーベキューをやろうとしているグループまであった。どちらかというと今まで行ったリゾートといえば観光ビジネスのためか現地人は観光客に媚びているように思っていたが、ここはあきらかに違うらしい。この観光客と現地人との共存は私にとっては非常に清々しいものだった。これが本来あるべき姿だろう。美しい夕日を堪能し、うっすら暗くなりつつある中で夕食ができるまでビーチで遊んでいる子供たちを見ていたら私の腹もすっかり減ってしまった。

バトゥフェリンギのホーカーセンターの中にある鉄板焼の屋台。味は濃いめで量も多くてさらに安い。言うことなし。
 ペナン島はホーカーセンターと呼ばれる屋台街で有名だ。その多くはペナンの中心地であるジョージタウン周辺に存在するが、ここバトゥフェリンギにもいくつかの屋台街がある。昨晩は結局夕飯を食べられなかったので、今晩こそはホーカーセンターでうまいものを食おうと私は早速先ほど散策していたときに目をつけていたホーカーセンターへ向かった。ホーカーセンターへ向かう途中の道は物を売る多くの屋台で埋め尽くされていた。「昼間はどこに隠れてたんだよ」と言いたくなるくらいだ。売っているものは洋服や日用雑貨、マレーシアのお土産、コピーCDなどである。私はとりあえずウインドウショッピング(ウインドウはないが)を楽しみながらホーカーセンターへ向かった。ホーカーセンターは多くの外国人とさまざまな種類の食べ物を売る屋台で賑わっていた。マレーシア版の焼き鳥であるサテーやアジア全般でよく知られるナシゴレン、インドのカレー、それからパスタやピザを売るイタリアンからハンバーガーまでありとあらゆる地域の料理を選ぶことができる。さて、どれを食べようか。いろいろな屋台を回ったがいまいち決められない。ひとつひとつの料理の量は結構多く、一人なのでどれか1種類しか食べられないだろう。悩んだあげく、私は無難に日本人夫婦(?)が出していた鉄板焼の屋台を選び、チキンの鉄板焼とタイガービールを注文しテーブルで待った。ここでは各屋台で注文をして中央に設けられたテーブルで待っていると店員が料理を持ってきてくれて、代金を払うというシステムだ。しばらくして店員が持ってきたのはチキンと野菜を鉄板で焼いたものとナシゴレンのようなご飯をプレートに乗せたもので、想像通りかなりの量だった。これで500円前後、安すぎる。味も好みだったしタイガービールもうまい。私はそれだけで十分満足してしまった。

旅人たちの情報交換の場。自分が歩んで来た道を伝え、自分が歩もうとしている道を聞く素晴らしい場所である。
 ゲストハウスに帰ると、私の部屋の扉の前のテーブルに一人の白人女性がいた。ゲストハウスにはこのようにバックパッカーが情報交換を行う場が設けられていることが多い。私は少々不安ながらも彼女に話しかけてみた。すると彼女はすぐに笑顔で答えてくれた。彼女の名前はJeniferで、これまで約1ヶ月半、妹と一緒に旅をしているという。日本の長崎にも6ヶ月ほどホームステイで滞在していたこともあるそうだが、日本語はまったく話せなかった。女の子二人だけで1ヶ月以上も旅をするのかと聞くと、どうやら彼女たちの国では結構当たり前のことで、自分も大学のホリデーを利用して旅に出ているという。もちろん彼氏もいて、彼氏はカナダで待っているらしい。私だけの感覚を日本人全体に当てはめてしまうのは非常に失礼だが、日本ではなかなか考えられないような話だなと思った。しばらくするとシャワーを浴びていた妹のRobinもテーブルへやってきた。妹の方はあまり社交的というわけではなかったが、私と姉の会話に耳を傾けてはときどき笑顔をこぼしていた。ひとつ驚いたのが彼女たちが持っていたガイドブックだ。文字しか書いていない。私が日本のガイドブックを見せると彼女たちは驚いて、二人で「ここよかったよねー」とか「ここは行くべきだわ」と写真を指差して話していた。もちろん私にもこれまで廻ってきたなかでよかった場所をいろいろ教えてくれた。1時間強くらいだったろうか、私は始めてバックパッカーとの会話を楽しんだ。そして、彼女らの生き方に少なからず憧れを抱いた。それからすぐ一人の老婆がテーブルへやってきた。彼女はオランダからやってきたと言っていたがとにかくしゃべるのが早く、こちらが理解できないとすぐあきらめてしまったので、私もあまり長居はせず、自分の部屋に入って床に就いた。あらためて英語をもっと学びたいと思った。今日一日はここバトゥフェリンギで非常にゆっくりと過ごすことができた。しかし、あまり見所がある場所でもない。明日はジョージタウンへ戻ろう。

つづく

2004/03/21(Sun)掲載