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ペナン島のランドマーク、コムター。他に高い建物がそれほどないジョージタウンでは一際目立つ存在である。
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昨日の疲れはすっかり取れていた。ホテルの窓の向こうは快晴、ペナン島のランドマークであるコムターの上にはマレーシアで初めて見る太陽がまるで私に目を覚ませと言わんばかりに輝いていた。早速私はホテルのレストランに朝食をとりに行った。バイキング形式の朝食、はっきり言って自分が選んだものが何という料理なのかはよくわからなかったが、味のほうは問題ない。どうやらマレーシアで食事に困ることはなさそうである。レストランでは田中さんを見かけなかった。もう仕事に出てしまったのだろうか。できれば昨日のお礼を言ってからこのホテルを出たかったが、それはあきらめることにしてSunway Hotelを後にした。おそらくこれからこのような出会いと別れがいくつも訪れることだろう。
ジョージタウンの街は昨晩とは打って変わって、多くの人と車で溢れていた。都会とは言いがたいが、ペナン島の中心地だけあってそれなりに賑やかだ。ジョージタウンもいろいろと見所はある街だが、昨晩寝る前に今日はペナン島の老舗リゾートであるバトゥフェリンギに行こうと決めた。やはりまずは海の見える海岸でゆっくりして、仕事で溜まったストレスを発散しよう、そう考えたのだ。ジョージタウンには2,3日後に戻ってくるだろうし、ジョージタウンを廻るのはそのときまで取っておこう。バトゥフェリンギへの交通手段は公共バスである。そういえば、東京で暮らすようになってから普段の生活でバスを使うことはほとんどなくなった。東京ではどこへ行くにも地下鉄である。地下鉄は時間通り運行されているから、ほぼ計画通りに目的地につけるし、値段もバスとさほど変わらないので非常に便利である。しかし、ここペナン島には地下鉄はおろか鉄道さえもない。人々の交通手段はもっぱら車かバイクである。ひさしぶりに、しかも海外で公共バスに乗ることに若干の不安を感じながらも、とりあえずコムターの下にあるバスターミナルへ向かうことにした。
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コムターの下にあるバスターミナル。鉄道のないジョージタウンでは庶民の唯一の公共交通機関であるだけあり、次々とバスが入ってくる。
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バスターミナルは現地の人たちであふれていた。形式は日本のバスターミナルとほぼ同じで、敷地内に何本かのレーンがあり停留するバスの系統番号が書かれている看板が立っている。長距離バスもここから出ているのだろうか、バスターミナル内には食べ物を売る店やみやげ物を売る店も何軒か軒を連ねている。私は注意深く看板を見た。もし違った系統のバスに乗ればどこへ連れて行かれるかわからない。ガイドブックで今一度バトゥフェリンギ行きのバスの系統番号を確認し、その番号である「93」が書かれている看板の下で待った。バスが来るまでそんなに時間はかからなかった。ただしそのバスは看板のところまで来ないで、その前で止まっている。それなのに現地人は乗っているではないか。日本でもこのような光景は決して珍しくはないが、マレーシアでもそれは同じようである。私は地面においていたバックパックをかつぎあげ、足早にバスの方へ向かった。バスには間違いなく「93」と書かれていたが、その横に行き先なのか経路なのかよくわからない表記があったので、私は少々不安を持ちつつバスに乗り込み、このバスがバトゥフェリンギに行くかどうか運転手に尋ねてみた。そして、そのとき初めて気がついた。英語が通じない。昨日の空港やSunway Hotelでは問題なく通じた英語が通じない。そして、実はこれが私にとって初めての英語圏外への旅だったのである。私が少々焦りながら「バトゥフェリンギ」という単語を連発すると、運転手はうなずいた。私はようやく安心し、バスの席についた。今まで行った場所では英語が問題なく通じた。文法があっていなくてもそれなりに通じるものだ。マレーシアに関してもほとんどの場所で英語が通じるという情報収集はしていた。しかし、それはあくまで外国からの観光者が多い場所での話である。現地人はあくまでマレー語で会話する。まさか、こんなに早く英語が通じない現場に遭遇するとは思っていなかった。まあ、冷静に考えてみれば公共バスは庶民の足、当たり前といえば当たり前のことである。
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バスの中から撮影したジョージタウンの街並み。中国系の現地人が多いためか漢字表記の看板が目立つ。都会とはいいがたいが交通量は比較的多い。
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バスは走り出した。コムターのバスターミナルを出発し、ジョージタウンの町を走っていく。もちろん私以外に日本人はいないどころか、他国からの観光者すら一人もいない。そんな空間にいることにちょっと不思議に感じながらも、妙に楽しんでいる自分がいた。バスはジョージタウンを後にし、海の見える道に出た。ガイドブックによるとバトゥフェリンギまでは約30分、近づいてきているであろう目的地に期待が膨らんでくる。しだいに海辺にいくつかのリゾートホテルが見えてきた。どうやら目的地は近いようだ。高級リゾートホテルが連なる地帯をすぎれば、いくつかのゲストハウスが固まる地帯に着く。目印のホリデーインが過ぎて一つ目のバス停で私は降りた。無事バトゥフェリンギに到着した。初めての一人旅だからだろうか、こんな簡単なことでさえうれしくなってしまう。
メインの道路を横断しゲストハウスがかたまっている方へ歩いていくと、すぐに海が見えてきた。さすがは老舗リゾート、これは落ち着いてゆったりできるなと思った。バックパックひとつで歩いているどこから見ても旅行者の私を見つけて一人のマレーシア人が近寄ってきて、「ゲストハウス探しているの?いいゲストハウスあるよ」と流暢とは言えないが、日本語を話してきた。おそらく多くの日本人バックパッカー訪れてくるのだろう、そのような環境の中で自然に身についた必要最小限の日本語といった感じだ。私はこういったものもその場所で芽生えたひとつの小さな文化だと思っている。そして、文化はやはり人によって伝播されているんだなあと実感させられるのである。前日に安いゲストハウスの目星はつけていたので、私は彼の誘いを断ってそのゲストハウスへ向かった。到着したのはBABA GUESTHOUSE、昨晩泊まったSunway Hotelとまったく異なるいわば民宿だ。トイレと水シャワーは共同で部屋にはベッドとファンがあるだけ。しかし、値段は一泊30RM、日本円で1000円弱と断然安い。海外でこのようなゲストハウスに泊まるのはもちろん初めてのことだが、何事も経験、しかもまったく予算を立ててこなかった私にとっては少しでも節約した方があとあと安全である。私は海を眺められるテラスに面した、扉に"15"と書かれた部屋を借りることにした。
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バトゥフェリンギにあるBABA GUESTHOUSE。初めてのゲストハウスに少々不安は持っていたが、思ったよりだいぶ快適だった。
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午前中のたった2,3時間の中の出来事、そのすべてが新鮮だった。海外で一人での朝食、英語の通じない人とのコミュニケーション、庶民の足である公共バスでの移動、ゲストハウスでの宿泊など今考えればなんでもないことがそのときの私にとっては”まったく新しい海外”だったのである。そして、そのひとつひとつを無事クリアすることによって、自信と充実感が手にとるように味わえた。昨晩はとにかく泊まるところがあるかで頭がいっぱいだったが、今は妙に余裕がある。部屋に荷物を置きいよいよ本当に一人旅が始まったんだなと実感しながら、私はテラスで一服した。
つづく