「ジョーノはどこだ?」 「それが、お部屋にはいらっしゃらないようでして……」 メイドが申し訳なさそうに首を傾げるので、もういいと言い置いて部屋から出た。 ジョーノのために用意された部屋は海馬の私室の隣だ。 翌日再び医者の診察を受けたが、何の変化もなかった。全くわからない状態で放っておく訳にもいかず海馬は自室でできる仕事を片付けている。どうしても社に自分が行かねばならないものは出社するがそれ以外は屋敷で行っていた。 まずジョーノは一人で食事をする事が嫌いだ。 そして、部屋でじっとしていることができない。 屋敷を案内した時は広い敷地内を探検と称して楽しそうに見て回っていた。その後モクバと一緒にゲームをして遊んだ。 日中はモクバは学校であるから、ジョーノは一人で過ごす。 海馬は別段同じ部屋にいても仕事はできるのだが、気を使っているせいかあまり執務の書斎には入ってこない。 海馬は数日しか経っていないのに、すでに何度目かになるジョーノを探すため庭へ出た。 ジョーノは屋敷の中にいるより庭にいることを好んだ。 海馬邸の庭は庭園と呼ぶに相応しい程広い。庭師と造園家が常駐し手入れが常に必用なくらい一般人からすれば無駄に広大だった。 まず、立派な正門から正面玄関へ真っ直ぐに続く道の中央に季節折々の花が咲く花壇が作られ芝生が茂っている。それを囲うように車道が沿いその両脇には背の高い緑濃い木々が茂り鬱蒼とした林のよう伸びている。その中を森林浴できるように小道が何本か別れて存在し、細い小道を抜けて行くと大理石で出来た白い噴水や四阿を見つけることができるため、歩くことが億劫でない限り散歩のし甲斐があると言えるだろう。 海馬は1階へ下り天気の良い日にお茶をすると大層気持ちよいテラスから張り出した窓を開き外へ出た。実はここから続く小道が一番の近道だ。広い庭どこからでも目的の場所に行けるよう道は続いているが、海馬が探している人物がいるだろう場所はテラスから一本道の先にある噴水の一角かドーム型の屋根をした小さな四阿のどちらかだった。 黄緑から黄金色に変化した銀杏の葉が風に飛ばされ落下したため、綺麗に掃除された小道は金色に染まっていた。小道は灰色や白色の長方形の石畳が敷き詰められていて、歩く度に靴音と秋らしい枯れ葉を踏む音が響く。 やがて、目的地である噴水の前まで来た。 そこには上向いて目を閉じじっとしているジョーノがいた。噴水の石段に座り片足を抱き込んで佇む姿は、午後の光が彼の金色の髪に降り注ぎまるでこの世の者ではないようだ。肌寒くなって来たというのに、シャツ一枚という薄着で尚かつ裸足ときては、見る者の方が寒さを感じる。 「ジョーノ」 一瞬だけ声をかけることを躊躇したが海馬は名前を呼んだ。 気持ちよさそうにしている様子は、人口の物音もしないで遠くに鳥の鳴き声と風の音だけという絵に描いたような静閑を伴っていてその空間を壊すことを躊躇わせるが、いつまでもこのままという訳にもいかなかった。 「……海馬?」 ジョーノは目をうっすらと開き、海馬を見上げた。 琥珀の瞳が数度瞬く。 その出で立ちと雰囲気は黙っていれば、フィルムの中の天使さながらだった。宣伝用に作られたフィルムは「M&W」の新しいシリーズのためのものだった。カードは新しいシリーズが発売される度に物語性を付け、特異性を生かして作られる。モンスターばかり発売された時もあるし、魔法アイテムが多く入っていた時もある。 その度タイトルが付けられて大々的に宣伝されるのだが、フィルムはその世界観を大切にされたもので背景は空や海や大地、森、光に闇、月に太陽と幻想的だ。登場人物も戦士や魔術師、騎士、妖精、ニンフ、悪魔、天使が相応しい衣装をまとい、モンスターはCG技術を駆使しドラゴン類が雄々しい姿を晒している。 天使のジョーノは純白の薄い布をドレープをたっぷりと付けてまとい、頭には鈍い色が光る金の輪がはまり、同様の腕輪が細い手を飾っていた。右手に大振りの剣、左手に宝珠。 背後にはこれまた純白の6枚羽が大天使さながらに羽ばたいていた。 鋭く射抜くような琥珀の瞳がまるで宝石のようで、口元が笑んでいるためその清廉な雰囲気を柔らげていたが、侵してはならない夢か幻のような存在だった。 「またそんな格好で、風邪を引く気か?」 「えー、俺、丈夫だぜ」 「丈夫かどうかなど、わかるまい?」 言外に記憶がないのに、と伝えるとジョーノは唇を尖らせた。 「そのくらい記憶がなくてもわかるって。……普通、わかるだろ?自分の身体くらいさ」 「馬鹿は風邪を引かないというな」 「馬鹿って言うなよ。……まあ、自分が賢いとは思えないけど。俺に比べれば、そりゃ、海馬は賢そうだけさ」 今だ、ジョーノは海馬が日本でも有数の売り上げを誇り一流の上場企業で有名な海馬コーポレーションの社長であるとは知らない。だから、自分より賢いという台詞が出てくるのだが、本当なら賢いどころの騒ぎではない。彼の頭脳はその世界では開発者としてこの不況では企業家としても財産だ。 ジョーノの認識は、相当の金持ちで相当の地位に付いている企業家であろうと予測できている程度だ。まさか自分が日本でも有数のとんでもない場所にいるとは知りもしなかった。 「お前よりは賢いだろうな。モクバも同様だが」 海馬はさっくりと答えた。 ジョーノが馬鹿だとは思っていないが、自分より優秀な頭脳は滅多に出逢わないし、自負もある。 「ちなみに、どう見てもお前よりモクバの方が年下だが、奴の方がお前より知識も経験も豊富だぞ?」 「そうだろうけどさ」 モクバの優秀さはすでにわかっていた。 あの年ですでに海馬の下で働いている。学校へ行く傍ら出社して会議に出て、出張だって行くのだと聞いていた。 兄弟揃って、優秀で多忙だ。 全く反論なんてできないとジョーノは思うが目の前にいる人間が特別製ではないかと疑いたくなる。 「比較対象が悪くないか?っていうか、俺、滅茶苦茶不利だろ」 お前と比べたら誰だって馬鹿だよとジョーノは苦笑した。 「だが、これ以上馬鹿になってもいかん」 海馬はそう言って自分の上着を脱ぐとジョーノの肩に掛けた。ふわりとかけられた上着の布地の感触にジョーノは海馬を目を丸くして見上げた。海馬の背広の上着はジョーノには大きいため、瞳を丸くして見上げる様は子供のような幼さがある。 「お前が風邪を引くとモクバも心配するし、執事もメイドも困るだろ?」 ジョーノは諭されて、こくんと頷いた。 実際、モクバは記憶を失ったジョーノを殊更心配していた。日中は学校があるため側で見ていられないせいか、帰宅すると必ずジョーノの顔を見て安堵するのだ。 執事は主とモクバの客人として接しているし、メイドも同様だ。それでなくてもこの容姿で朗らかな性格では嫌われる訳がない。 「せめて、靴くらい履け」 いくら何でも、この季節に裸足というのは頂けない。 真夏ではないのだ。今は晩秋なのだ。 「だってさ、何か嫌いなんだよな。……嫌いっていうか裸足の方が好き?何も履かないで素足で地面とか草の上とかいる方がずっと良くないか?歩いてるって気がしないか?」 「……どんな生活をしていたのか忍ばれるな」 「うーん、どうだろ?でも、きっと自然いっぱいの場所だと思うぜ?」 「そうだろうな」 「ああ!」 ジョーノは微笑んだ。 「コンクリートの建物ばかりある場所は好きじゃない。人がたくさんいる場所も。無関心を装って歩いている街は無機質で生きてる感じがしない。緑いっぱいで、空気を吸えば酸素がたっぷりと含まれていて美味しい場所がいい。こうして水とかあると安心する。な、ほら」 ジョーノは中央の噴水から流れる水をすくい取る。ジョーノが触れたせいで水面は新たな波紋を作り流れ出る場所からの波紋とぶつかり溶けた。 ジョーノはそれを楽しそうに見つめて、一雫すくうと海馬に降りかけた。 「……ジョーノ」 冷えた雫が海馬の濃い茶色の髪を濡らす。 むっとして眉間に皺を刻む海馬を、ジョーノは全く悪いなんて思いもしていない顔で悪戯っ子の目を細める。 まるで、反応を返す海馬がおかしいと言わんばかりだ。 「恩を仇で返すのが礼儀か?」 風邪を引かないように上着を貸した自分に水をかけたジョーノ。 「ごめん」 謝罪しても、心はこもっていなかった。 「……」 鋭い眼光で睨んでも、ジョーノは怖がることをしない。海馬の怒気を孕んだ眼光は社員をすくみ上がらせるというのに彼には全く通用しなかった。 「……本当に、悪かったって。ごめん」 そしてジョーノは海馬の濡れた髪に腕を伸ばして自分の大きめのシャツの袖口で拭う。 自然体のジョーノに海馬の怒りも持続しない。困ったことに、認めたくないのだけれど、ジョーノに対して根本的に怒ることができない事を海馬は知っていた。 「もういい。行くぞ」 海馬はジョーノの腕を掴んだ。そして、上目使いで問うジョーノに海馬は見せつけるように木の陰になって見えない前方を示した。 「執事がお茶の支度をして待っている。お前の好きなベリーのタルトだそうだ」 何時のまにかジョーノの好みを把握している執事は、口元にうっすらと微笑を浮かべて海馬に言ってのけた。ジョーノ様をお願いします、と。海馬がジョーノを探し行くことを前提としている事が癪に障る。海馬の行動が筒抜けなのが主人としては立つ瀬がない。それでも、誰かに探しに行けとは言わないのだけれど。 そんな微妙な海馬の内心をジョーノは当然ながら知らない。 「本当に?」 「ああ」 「楽しみ。あれ、旨いんだ」 「ついでにお茶はマルコポーロだそうだ。マリアージュの」 ジョーノはそれを聞いて手を叩いて喜んだ。 「……」 たかがケーキとお茶でこれほど喜ぶジョーノもどうか思うが、そこまで熟知している執事もある意味すごい。短期間で、どうしてここまでわかるのか。執事の努力の賜物なのか。 そういえば、食べ物の好みも把握していたな、と海馬は思った。 好き、嫌いは最初に確認して回を追う事に食卓はジョーノの好みになって行く。 「奥村さん!」 ジョーノは執事に抱きつかんばかりに、近寄った。 にこりと笑顔を向けて、執事の背中から用意されているテーブルを見る。 天気が良いのでテラスにしましょうと、二人が屋敷に付くとすでにお茶の用意がされていた。テーブルの上には薄いピンクのテーブルクロスとレースのクロスが重ねられ、その上には同系色のピンクの小花のクロス。中央には鮮やかな花。白い皿にカトラリーが並べられて、執事自らポットからカップに琥珀色した紅茶を注いでいた。豊かな香りが立ち上り、湯気と共に鼻をくすぐる。 切り分けたタルトはジョーノが大きめで海馬が小さめだ。 「それ程甘くないので、瀬人様でもお召し上がれますよ」 執事は支度をそつなくこなしながら、そう主人に助言した。自分の分が用意されたケーキに海馬が片眉を上げたからだ。 「そうそう。果物の美味しさが際だってるんだよな。甘くないのに美味しいんだ!」 嬉しそうにジョーノは海馬に教えた。 「シェフも喜んでおりますよ」 「美味しいぜ。どうやったら、こんな風に作れるのか不思議だもんな。シェフって魔法使いみたいだ!白魔術師。それでケーキとかお菓子作るパティシエは魔法使いの中でも細かい事が器用な細工師って感じ。それとも、錬金術師?飴細工とかそれっぽい。なあ、海馬」 その例えはどうかと、海馬は思うのだが。 やはりカードが彼の中に根付いているからだろうか。 果たしてその例えでシェフやパティシエが喜ぶのか甚だ疑問だが、執事は大しておかしく思わなかったらしい。 「面白い例えですね」 口元にいつもの微笑みを讃えて笑っている。 「執事である奥村さんは、騎士かな?ジャックスナイト?」 ジョーノは気をよくして、執事に似合うカードを探している。執事はそれを嬉しそうに聞いている。まるで、可愛い孫のようだ。なぜ孫だと聞かれたら、息子だったら可愛くても厳しく育てなければならないからだ。躾は難しい。その点孫は可愛がればいい存在であることから、眼の中に入れても痛くないほどの孫馬鹿振りを発揮する祖父母という者が巷に横行するのだ。 執事がそんな失礼な可愛がり方をジョーノにする事はありえないのだが、見ている海馬からすれば、そんな感じだ。 いいのだけれど、少しだけほんの少しだけ主を無視するなと言いたい気になる。それは全く持って海馬の八つ当たりであるが……。 「騎士など恐れ多いですよ、私などが」 「えーでも、奥村さんはそうでしょ?何でもそつなくこなして、気が利いて、主人に仕えて。海馬もそう思うだろ?」 「……そうだな」 海馬はジョーノに話を振られて、渋々頷く。 「だったら海馬は王様?騎士が仕えるんだもんな。うーん、王様かあ……、それもありだけど、なんか違うな。何だろ?」 しっくりこないとジョーノは腕を組み、首をひねった。 海馬は自分を王様だと言うジョーノに内心驚いていた。大会社の社長である海馬はある意味海馬コポレーションの王様だ。独裁者だ。概ね正しい例えだと言えよう。 ジョーノに自分はどう見えているのだろうか。 海馬は思う。 まだ、王様以外でしっくりくるもはないか、と悩んでいるジョーノに海馬は 「お茶が冷めるぞ」 と助言した。ジョーノは慌てて、一口飲んで執事に美味しいです、と答えていた。 海馬邸では今までなかったゆっくりとした穏やかな午後のお茶の時間。 ジョーノが来てから新たに変わった海馬邸の習慣を眩しいものを見る思いで海馬は見つめた。 |