もうすぐ北風が冷気を吹き付ける季節。山は今だ豊かな秋の色をしているがそのうち消えて灰色に近い色を乗せだろう晩秋、街は足早に過ぎようとする人を更に追い立てるよう雰囲気がある。 昨夜からぐっと冷え込んできたため、一枚上着を持つ人間を見かけるようになってきた。 そんな季節の移り変わった外気の冷たさなど関係がない黒塗りの高級車が街を通り過ぎ、街を見下ろす丘に立つ高級住宅街へ差し掛かった。 運転手が安全運転を心がけている後部座席で仕立ての良いスーツに身を包んだ男が書類に目を通しながら移動時間さえも惜しいと言わんばかりに仕事をこなしていた。 男はこの街で知らない者などいない程著名人だった。否、この街というだけでなくこの日本、果ては世界で名前を聞く程の企業の社長だった。 海馬コポレーション株式会社、ゲーム、レジャー、アミューズメント関連を経営する企業の代表取締役社長、海馬瀬人である。 通称KCと呼ばれるこの企業の前身は戦時中に起業した海馬重機工業で、父親の後を継いだ海馬剛三郎が現代に適した産業に業種を広げた。 そして、剛三郎の養子である海馬瀬人の開発した立体映像技術「バーチャルリアリティ具現化システム」で業績を伸ばす。彼は企業家というより開発者として有名でその技術力開発力は定評がある。また、先の技術の応用で世界的シャアのあるカードゲーム「M&W」のカードの種類である、モンスター、魔術師、精霊等を立体映像によって再現する「ソリットビジョン」を開発した。 それにより「M&W」日本版専売契約権を有する。 このカードゲーム「M&W」(マジック&ウィーザード)は、現在世界的に広がっている子供から大人まで遊べるゲームである。 これは、元々は英国で開発されたカードゲームだ。 英国人の一企業家と日本人の哲学者とが共同でモデル版を作り、改良して初期版は英国で発売軌道に乗り次いで日本、人気を博してアメリカを筆頭に各国へ広まった。 トレーティングカードのコクレクション性とカードゲーム性とが融合された新しい形のゲームであり、世界選手権や高額な賞金のかかったトーナメントが開催されている程認知度が高い。 カードは基礎セット発売、そのセットの更新、追加カードの発行が行われ現時点でカード枚数は8000種類を越えている。 トレーティング性のため、絵柄は大層美しいものでありカードゲームを例えしなくても保持したくなる芸術性の高い物であり、小数部しか発行されないレアなカードが存在する。レアカードの中でも特に稀で世界中探してもそう見つからないものを「One's own」と言う。わがもの、愛しい者、自分独自のものという意味合いから、あまりにレア過ぎてカードを所持している者が名前を知られるためそう呼ばれている。そして、単に「One's」と呼ばれるのが常だ。 また、再販されない古い古いカードを「Classic」(クラッシック)と呼ぶ。強すぎて制限されたもの、伝説のカード、幻のカード等話しに聞くが目にしたことのないカード達だ。 どちらにしても「One's own」「Classic」は、高額で取り引きされるカードである事に間違いがない。もっとも、あまりに希少性が高すぎて一度手に入れた者はよほどのことがない限り手放すことはない。 そんな「M&W」の販売権はKCに相当な売り上げを約束していた。 またレジャー部門では屋内型アミューズメントパーク「海馬ランド」を経営。国内アミューズメントパークとしては昨年第3位の成績を残し、着々と業績を伸ばしている。 そんな立派な肩書きや企業の将来がごっそり肩に乗っているKC社長海馬は、車窓から通り過ぎて行く景色に目をやった。 視界に飛び込んでくるのは、早めに季節を取り入れているらしく庭や門に飾り付けれているリースやツリーや電飾といったクリスマスの準備だった。 日本人は何でも行事が好きだから、宗教を問わず祝う習慣がある。 取り入れる度量が広いといえば聞こえは良いが、理解して祝っているかかなり怪しい。クリスマス、バレンタイン、ホワイトデー、サンジョルディ、イースター、ハロウィン。 中でも一番盛り上がるのはやはりクリスマスだろう。ツリーを飾りご馳走とケーキを食べ、プレゼントを贈りあう習慣がすでに民衆に固定化されている。おかげで海馬は多忙を極めていた。クリスマスは業界のかき入れ時だ。新商品の発売時が当然売り上げが一番だが、クリスマスプレゼントにあわせて発売するのが一般的であるから、打ち合わせと会議と製造確認と宣伝とやることは山ほどあった。 一度軽くため息を付いて、目を酷使したため痛む頭を掌で支えるようにしてこめかみを指で押す。 全く、無駄な時間を取らせおって……。 海馬は今日の重役会議を思い出して内心吐き捨てる。 あれくらい自分がいなくとも対処できるだろうに、手を煩わせてばかりの役立たずどもめ……。 今度一括処分してやる。 役に立たない奴はいらない。 そんな奴に給料をやれるか。無駄な奴に払うくらいならその分有益な人材を雇うか研究開発費に回すか、宣伝広告費にする。 いつもの事ながら、腹立たしいことこの上ない。 いつまでも無駄な事に脳を使っているのは能率的でないため、海馬は一旦脳内から役立たず共を消去した。そして、今後の予定を思い浮かべる。 確か、モクバは今日帰ってくるはずだったな。 出張中の弟は1週間ほどアメリカへ行っていた。交渉と視察を兼ねての出張は十分に任せられるものだ。すでに海馬の代行としてやっていける。今年高校生になった弟はまだ幼い頃から副社長という役職に就いていたが、今や立派な経営者の顔をしている。 5歳違いの弟は海馬の目から見ても贔屓目抜きにして有望だった。 今夜、夕食の席で顔をあわせたら成果を聞こう。 他人に対して厳しく怒らせると明日の朝日を拝めないと評判の海馬も血の繋がった弟には優しかった。互いに多忙でも顔をあわせる時間を作ろうとするほどだ。それでも、子供の頃とは違いべた付く事はなかったが。 らしくもなく、過去を思う。 海馬邸に引き取られたばかりの頃。 徹底的に教育を施された。できないと、殴られた。体罰だ。その対象が自分ならどれだけでも我慢が出来た。それを泣きそうな目で見てそれでも泣かないようにしていた弟モクバ。泣けば余計に剛三郎を煽るとわかっていたのだ。 そして、前社長である独裁者、海馬剛三郎を蹴落として自分が社長に納まってから、ひたすら走ってきた。止まることなど考えられないほど。休む暇などない状況で。 まだ小さな身体で副社長の責は重かっただろうが、弟は懸命にこなしてくれた。すくすくと成長して今では背も伸びいっぱしの男の顔をするようになった。兄弟二人で生きてきた自分の目から見ると、その成長がとても嬉しかった。 ギギッ−ーーッツ! 突然の衝撃は急ブレーキの悲鳴じみた音と慣性の法則により身体を浮遊感が襲った。踏みとどまるように宙に浮いた身体を背もたれに押しとどめて、海馬は何が起こったのかと目前を睨み付ける。しかし、視野には何も見えない。 「どうした?」 海馬の鋭い声に、運転手はすみませんとすみやかに謝罪した。 「人が、飛び出して来たようです」 焦ったような声音に海馬は顔をしかめた。 「引いたのか?」 「引いてません!」 厄介なと匂わせると運転手はきっぱりと否定した。 「まさか、自殺志願者か?」 「……さあ、わかりませんが、そんな感じではありませんでした。急いで飛び出したような……見て参ります」 運転手は海馬に断ってドアを開けた。対向車線から車が来ないことを確認してするりと抜けだし車の前に倒れている人物を見つけた。 運転手はその人物を認めて一瞬声を失うと膝を付いて様子をうかがった。 「大丈夫ですか?」 声をかけるが返事がない。うつぶせに倒れている人物の肩を慎重に揺すると小さな声が漏れた。運転手は肩を掴んで仰向けにさせた。頭を打っている危険性からゆっくりとした動作で身体に触る。 そして、運転手は二度驚いた。 彼は海馬邸の運転手という仕事は様々な事が付きまとうため、その目で人には言えないものを見てきたし、その手でしてきた。 が、そういったものとは全く別種の驚愕が運転手を襲っていた。 「どうした、佐伯」 海馬自らが車外へ出てくる。様子を見るにしては随分時間が掛かっているため、運転手である佐伯の判断ではどうにもならないような問題でもあったのかと思ったようだ。 「瀬人さま……」 佐伯は困ったように、主人を見上げた。 海馬は車の前に倒れている人物を見下ろした。 そこには、喪服を着た青年がいた。金色の髪を撒き散らし、白い顔はその瞳を見ることは叶わないが随分綺麗だ。金髪のいかにも日本人ではない喪服の青年が倒れていたら誰でも驚くだろう。それに、彼は……。 海馬は一瞬の驚愕から立ち直ると青年の側に膝を付いた。そして、青年の外傷を観察する。引いてはいないという佐伯の言葉を信じるなら、倒れた原因があるはずだ。 散らばる金色の髪を指で梳いて頭を撫でてみると、よく見ないとわからないが若干出血はしていて、ぶつけたような跡がある。 誰かに、殴られたのか。 事故でぶつけたのか。 それとも、もっと別の理由だろうか。 ふらついて、車に飛び込んでしまったのか。何かから逃げてきたのか。どちらにしても自殺志願者ではないようだ。 このまま捨て置いてもいい。 自分なら、そうする。 厄介事なんてまっぴらだ。 それとも、警察に通報して終わりだ。 けれど、海馬は躊躇なく青年を抱き上げた。それを見た佐伯は主の意志を悟り後部座席のドアを開ける。海馬は青年を奥に降ろし自分は隣に座る。そして、携帯を取り出して短縮を押す。 「……俺だ。医者を用意しておけ。ああ。これから帰る」 手配を済ませる頃には車は再び滑り出した。今度こそ佐伯は安全運転で屋敷へ急いだ。 「おかえりなさいませ」 執事の奥村がいつもの微笑みを讃えて主を迎える。 「「おかえりなさいませ、瀬人さま」」 玄関の広間には使用人が両脇に控えて頭を下げていた。普通なら海馬は、その光景にああと頷いて無表情で通り過ぎるのだが、今日は違った。 海馬がなんと青年を横抱きにしながら入ってきたのだ。過去に見たことも考えた事もない光景だ。大事そうに抱き上げて、執事に「医者は?」と聞いている。執事がいらしおりますと答えると、自室へと指示をした。そして、青年を一人運んでいるとは思えない身軽さで歩いていった。 主人が通り過ぎた背後では晴天の霹靂だと一同が心中呟いていた。 「外傷は頭以外はありませんね。少しかすり傷がある程度です。すぐに目を覚ますでしょう」 「そうか」 「はい」 医者は青年の胸元まで布団を引き上げて、主人を振り返った。背広の上に白衣を纏っただけの簡単な格好だが、海馬邸の主治医だ。その腕と人柄を買われている。 「下がっていい」 「はい。それでは隣に控えております」 医者は医療用の鞄を持ち上げて一礼して退出した。 海馬邸での仕事は何があっても他言無用だ。様々な厄介事や本当なら警察に通報しなければならない弾傷や殺傷は当たり前。だから、医者は無駄なことなど何も言わないで去った。 すでに使用人も下がらせていたので部屋には海馬と意識のない青年だけが残された。 「……」 海馬は自分のキングサイズの大きなベッドに横たわる青年の横に腰を下ろした。スプリングは海馬の体重を軽く受け止めそれほど振動も伝えないため、青年は身じろぎもしない。 海馬はそっとその髪に手を伸ばす。 なぜ、連れてきたのか。 身も知らぬ相手を自室に入れてあまつさえ自分のベッドに寝かせているのはなぜか。 海馬は自問する。 理由を上げるとしたら、あのまま置いておけなかったのだ。 見捨てる事ができなかった。 そして、今は閉じていて見えない瞳が見たい。 そう思ったのだ。 海馬の予想というか、願望からすれば、彼の瞳は澄んだ琥珀色のはずだ。この予想は海馬だけが持つものでは決してない。ある程度の世情に詳しければ、その業界へ興味があれば誰でも思うことだ。 「う……っ……ん」 青年が眉間にしわを寄せて、呻くように声を立てる。打った頭が痛いのだろう。しばらく顔をしかめていて、やがて意識を取り戻したのか瞼が振るえ、ゆっくりと瞳が開かれた。 果たして、そこには。 海馬の予想通りの、琥珀色があった。 何度か瞬きをして、その琥珀の瞳だけで周りを探るように観察すると視界の端に海馬を認めた。 「Who are you?」 思わず呟くと、青年は気付いたように言い換えた。 「………誰?………ここは?」 「……俺の部屋だ」 「……?」 小さく首を傾げて、思い出そうとするように視線を一度天井へ向けた。 「倒れていたのは覚えているか?」 海馬は今だ状況がわかっていない青年に促すように聞いた。 「倒れて?俺が?……っていうか、俺……俺、誰だ?」 「……」 「あれ?………どういうことだ?俺?俺?」 驚愕に眼を見開き、青年は自問するように言い募る。 その、海馬が是非聞きたかった内容は、ありえない青年の台詞で途切れた。混乱手前の青年を眺めて、一度ため息を付くと海馬は内線で医者を呼んだ。 |