「黒猫のワルツ」2−5





 いよいよ、都大会当日がやって来た。
 氷帝はシードだ。全国大会連続出場校が地区大会でシードでないはずがない。
 シード校は全部で4校。いずれも強豪と評判の学校ばかりだ。
 その4校の試合は3回戦から始まる。
 その上氷帝テニス部は選手層が厚いため、最初からフルメンバーで出場はしない。準レギュラーや数人のレギュラーが試合に慣れるために出ることになっている。
 
 
 空は青い。雲も少なく、太陽は輝いて爽やかな風が吹き抜けていく。
 試合をするのに申し分ない天候だ。
 それなのに。
「つまんない」
 リョーマは試合会場の応援席になった階段状の席に座っていた。氷帝の制服姿でなおかつ、テニスバッグも持ってきていない。跡部に止められたのだ。
「ああ、つまんない!つまんないよ〜」
「うるさい」
 不満そうなリョーマに跡部はぴしゃりと声を上げた。
「俺だって出たい!折角の試合だっていうのに、見ているだけなんて我慢できない!」
「あのな、戦略ってのがあるんだよ。勝ち上がれば出られない準レギュラーのあいつらも出たいだろうし、いい経験になる。これからの選手を育てるためには必要なんだ。それに、これから勝ち上がれば嫌でも出ることになるんだから、我慢しとけ」
 跡部は正論を吐いた。
 部長としての役目がある。
 監督の榊は地区大会などで出てきはしない。試合毎のオーダーは跡部が決める。試合をさせ経験を積ませたい者、その日の調子やダブルスをやらせてみたい者、そうした者がもし負けたとしても勝てるようなレギュラーの選手も入れる。その責任は全て部長である跡部が負う。
 跡部の言うことは最もなのだ。
 唇を尖らせて不満顔のリョーマは仕方なさそうに、足をぶらぶらさせた。
 跡部とリョーマは二人とも制服姿で客席から試合を眺めている。その姿は大層目立った。氷帝の跡部は有名人だ。その横にあり気軽に談笑する少年の姿は、傍目から見ても仲良さそうに見えた。
 隣に並ぶ姿は、部外者とも思えないから同じテニス部部員であろうと予想できるのだが、それにしても誰だろうと首を傾げたくなるくらい親しそうなのだ。
 
 その後二人は第三試合、氷帝の初戦が終わると……もちろんストレートで勝った……試合に出ていた鳳や日吉、準レギュラーと共に次の試合会場まで移動した。他の会場はまだ試合をしているところが多く歓声が聞こえる。ストレートで勝った学校は次の試合まで時間に余裕がある。
 氷帝の集団が歩いていると、前方からこれまた他の学校の集団が移動して来た。彼らも試合が早々に終わったのだろう。
「あ、青学だな」
 高校テニス界に疎いリョーマに跡部は教える。その集団も都内では強豪で氷帝と並び有名な学校である。レギュラーが身につけているジャージは白地に青で名前が入っている代物で、自分は強いと証明しているようなものだ。
 リョーマは、ふうんと頷き、集団をに視線を向けた。そして、顔を輝かせた。
「え?クニミツだ。クニミツーーー?」
 そこには、青春学園のメンバーが揃っている。顧問の竜崎も一緒だ。
 先頭にいる背の高い眼鏡の青年がリョーマを認めて、目を見張る。青年はリョーマが逢った事がある手塚だった。
 リョーマはあっけに取られているギャラリーを無視し、とことこと近づき手塚の前まで来る。
「クニミツってコーチだったの?」
 そして、素朴な疑問を投げかけた。
 周りの人間は、唖然として見ている。
「……違う。青春学園テニス部の部長をしている」
 手塚は、リョーマの勘違いに眉を潜めた。よく年齢を間違えられるなどと言う必要はなかった。
「え?高校生だったの?」
 リョーマは瞳を見開いて驚いた。部長しているっていうし、まさか18歳?と小さく呟く。
 リョーマの想像通りの驚愕に、手塚の眉間に皺が寄る。だが、それ以上その質問には答えなかった。だから、自分の疑問を口にする。
「お前は、氷帝の生徒だったのか?」
「うん」
「そうか。試合は出ないのか?」
 打ち合ったことがあるため、リョーマがかなりテニスが上手いことを知っている手塚は制服姿を不思議に思う。荷物も持っていないことから試合に出るようには見えなかった。
「Keyが出してくれないんだよね」
「……ケイ?」
「跡部景吾、部長」
 リョーマは自分の後ろに立つ跡部を指差す。手塚は渋い顔をしてる跡部に視線を向けた。
 一方跡部の方といえば、いきなり手塚と友好的に話しているリョーマに驚きを隠せない。いつ、知り合いになる機会があったというのか。甚だ疑問だ。
「リョーマ。何で手塚を知っている?」
「ちょっと」
 ぎろり、と跡部に睨まれてもリョーマは楽しそうにウインクするだけだ。
「いつの間に、お前は青学のやつと……」
 ぶつぶつと跡部が小言を言い出す。リョーマは面倒だなと顔に描きながら、ふとある考えが頭を掠めた。
「クニミツってKeyの片思いの人でしょ?」
 そして、衝撃的な縛弾発言を投下した。
「何を言い出すんだ?お前は?」
 跡部は、あまりの台詞に目をむき怒鳴る。
「だって、テヅカ、テヅカうるさいじゃん」
 聞き飽きた、とリョーマは呟く。
 ライバル視しているのか、跡部は青学の手塚という名前をよく口に上らせる。そこから強い相手なんだ、いつか自分も戦えたらいいなと思ったものだが、あまりに固執している姿はまるで片思いをしている少女のようだとも思った。もっとも、少女というにはごつ過ぎ可憐さが足りないのだが……。
「クニミツがKeyのいうテヅカとは思わなかったよ」
「俺は!俺がいってるのは手塚が全国区だからだ!断じて違う」
 跡部はぶるぶると震えてリョーマの肩を掴み揺さぶる。よほど、腹に据えかねるらしい。
「照れなくても、いいじゃん」
 リョーマはにやりと口角を上げて人が悪い笑みを浮かべる。その顔は正しく小悪魔だった。
「このガキーーー」
 跡部は大声で怒鳴った。絶叫だった。
 からかうにも程がある。なんという事をほざくのか。跡部は怒り心頭だ。
「いい度胸してやがるな、リョーマ。あーん?そういう奴は1ヶ月和食禁止だっ!」
 跡部はリョーマの弱点を付いた。
「うわ、大人げない。何、それ?」
「大人げなくない。大人げないのはお前だ!」
「俺、子供だもん。日下部さんに言いつけてやる」
「言いつけて駄目だ。皆お前に甘すぎる。いい機会だ、よく覚えておけ。俺が主だ!」
「横暴反対。いいもん、彩子さんに訴えてやる。Keyが我が儘大王だって。いじめるって!嫉妬して八つ当たりするって!」
「ふざけたこといってるんじゃねー。ばばあにネタ提供してるんじゃねえよっ」
 跡部が一番恐れるのは、母親である彩子にからかうネタを与えることである。彩子と倫子二人が揃うと最強最悪なのだ。一人でも手に余るというのに。
 兄弟喧嘩じみているやり取りに、その場にいた人間達は呆れたように無言で見守った。
 何より、仲がいい。
 それに、聞いていると内容が身内ネタでまるで家族だ。
「Keyの怒りんぼ」
 リョーマは舌を出して、手塚の背に隠れた。楯にされた手塚は先ほどから困惑気味だったのだが、ますます皺を刻み難しい顔をする。
「リョーマ」
 手塚は大きくため息付いて、リョーマに視線をあわせ頭を撫でながら言い聞かすように名前を呼んだ。僅かに笑みを浮かべた手塚に促されリョーマはしぶしぶ前へ出て小さく頭を下げ跡部に謝る。
「sorry」
 そして、少し背伸びをして跡部の頬にキスを落とす。
「……気にしてねえよ」
 毒気を抜かれて跡部は苦笑した。
 が、当事者二人を除いた周りの人間は一瞬にして時を止めた。
 ナチュラルに頬にキスして仲直りされても、ここは日本であり欧米ではないのだ。リョーマが帰国子女であり、跡部と古馴染みであると知っている氷帝側はまだ事情が飲み込めているのだが、青学側は呆然としている。衝撃が強かった。
「リョーマ」
 やれやれと前に出てきた顧問の竜崎は疲れたようにリョーマを呼んだ。リョーマは呼ばれた方を見て、竜崎を認識し側に寄った。
「大きくなったね、リョーマ」
 竜崎は懐かしそうな表情を浮かべた。
「久しぶり、ミセス竜崎」
 面識のある二人だ。
 父親の恩師である竜崎はリョーマが小さな頃からアメリカで逢っている。第一、青学は父親の母校であり、リョーマの入学先のもう一つの候補にも上がっていた程だ。
「しかし、惜しいねえ。お前が氷帝へ行ってしまうなんて」
「母さんが、氷帝にしろって。親父、母さんに頭上がらないから」
 リョーマは苦笑して真実を伝える。真実は案外に他愛なく情けない理由だ。
「南次郎も奥方には形なしだね」
「うん。母さんが内で最強だもん」
「そうだろうね。倫子さんは南次郎には勿体ないくらい上出来だ。あいつは、テニス以外はろくでなしだから」
 竜崎は、そう教え子をこき下ろす。
「かなり、役立たずだよ?粗大ゴミみたいだもん」
 リョーマもそれに乗って父親の評価を地の底まで落とす。
 手塚どころか自分達の顧問とも親しい少年が一体誰なのかと思う青学メンバーと竜崎との関係は知っている跡部、何が起こっているのかさっぱりとわからないがリョーマの人間性に耐性ができてきた氷帝メンバーと、眉間の皺が増えている手塚は、これからどうしたらいいかと思う。そろそろ次のコートへ移動しなくてはならない。
「ああ、時間だね。じゃあね、リョーマ!南次郎によろしく言っておいてくれ」
 さすがに顧問は時間に気づいた。
 生徒達に、行くよと言ってリョーマに手を振った。
「うん、またね」
 リョーマもにこやかに手を振り、行く?と跡部を振り返った。
 我に返った跡部は頷き部員を見回し進行方向を顎で示す。
 青学の部長である手塚も部員を連れ顧問の後を追っていった。






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