氷帝は順調に勝ち進んでいる。 準レギュラーとレギュラーを混ぜたオーダーで今のところストレート勝ちばかりだ。 全国大会出場校が、地区大会で足踏みするはずがなかった。それが例え2軍といわれる選手だとしてだ。氷帝は選手層が厚く2軍になるのでさえ熾烈を極めるのだ。 現在跡部とリョーマは青学と不動峰の試合を観客席で見ている。 氷帝の試合は次のため……相手校が接戦を繰り広げていてまだ終わっていない、つまり当たる学校が決まっていない……空いている時間を視察と言いながら眺めているのだ。氷帝が次勝てば……勝たないはずがないが、目の前の強豪のどちらかと試合をすることになるだろう。 「ねえ、クニミツ出ないの?」 リョーマは手塚の試合が見たくて堪らない。一度軽く打ち合いをしているだけだから、試合でどんな技を見せるのか気になるのだ。コーチと間違えてしまう程落ちついて見えたし、テニスの腕も上々だった。 「そう簡単に手塚は出ねえな。あいつも部長だし。うちと同じだ。勝負だから勝たなくちゃならねえ。しかし、選手を育てる意味で強い奴ばかり出す訳にはいかねえ。要は、今日の目標として次の大会へ出られればいいんだから、すでにこの時点で、両校ともに関東大会へのキップは手に入れている。まあ、それでも負けるのは誰でも嫌だがな。できるなら地区大会くらい優勝しておきたいさ……その点、うちは選手層が厚い。俺やお前が出なくても勝ち上がれるだろう。だから、他の奴に機会をたくさん与えるべきだ。……それに、お前が都大会で出るのは詐欺だろ?」 跡部は前方を眺めたまま説明する。 「……言いたいことはわかるけど、詐欺って何さ」 リョーマは納得できないと拗ねたように唇を尖らせた。 「わかって言ってるのか?」 が、跡部はちらりと横目で視線を寄越しただけだ。 「……」 「全米優勝者が、たかが、日本高等学校の地域大会に出るんじゃねえよ」 「だって、つまんないんだもん」 わかっていても、見ているだけではつまらないのだ。退屈なのだ。身体を動かしたくてうずうずするのだ。 そうしている間にも、試合は進んで行き青学がダブルスを二つ決めたところだ。客席から歓声が上がっている。次はシングルス3。 コート内に橘が歩み寄った。観客も橘がで出てきたことで一気に盛り上がる。全国区と名をはせる、一人だ。普通こういった選手はS1になる機会が多いのだが、戦法としてはあり得た。 「橘は、S3か。ストレートでもっていかれる訳にはいかねえだろうからな。青学のダブルス1は全国区の上、不動峰のダブルスはまだまだ弱いからそこをふまえて最初からオーダーを作ったんだろ」 対する青学は2年桃城。少々荷が重い。 試合開始の合図とともに、圧倒的な強さを橘は見せつけた。桃城もかなりのパワーを持つ選手だが、如何せん経験が足りていない。 全国区の人間となれば、弱点などどこにも見えない。 少しでも気を抜くと鋭く切り替えされたボールはコーナーをついて来る。 どこから見ても、多分橘は実力の半分も見せてはいないだろう。 桃城も善戦したが、実力の差は歴然としていた。そうして、試合は呆気なく終わった。橘を褒め称える声や、忌々しそうに実力を認める声と様々だ。ちらほらと、全国区の選手を偵察に来ているらしい人間が客席に見える。 「やっと1勝。だが、S2とS1を落とすと負けだ。青学相手には難しいな。とはいえ、負けても関東大会には行けるから、いつか橘や手塚と試合をする機会も巡ってくるかもしれねえぞ?」 氷帝が次ぎ勝つことは当然として、跡部は話を進める。 「ふーん。だったら、組ませてね。Keyばっかり美味しいとこ持っていったら許さないから」 リョーマは跡部を見上げ、それは見事に微笑んだ。会心の笑みというものだ。 強い相手と試合をしたいのは、リョーマも跡部も同じだ。 全国区と呼ばれる選手と試合で対する機会はおそらく、一度切り。そのオーダーで誰を当てるのか、それは部長である跡部に決定権がある。監督にも決定権はあるが、彼は跡部に任せている。よほどのことがない限り、異議は唱えないだろう。 どちらが対戦するのか、その時になってみないとわからない。 「ジュース買ってくる」 リョーマはそう言うと立ち上がり、背を向けた。 リョーマはぶらぶらと歩きながら自動販売機を探した。ファンタが飲みたかったため、それが置いてあるメーカーの自動販売機をやっと探しポケットからコインを取り出し投入して、目当てのボタンを押す。 ガコンと落ちてきたファンタの缶をを取り出して、プルトップを上げ一口飲む。 口中に広がる炭酸と甘みを楽しんでいると、ポケットに入れていた携帯が小さく鳴りメールが来たことを知らせた。 リョーマは誰からだろうと、折り畳まれた携帯を広げ、着信したメールを読む。相手は忍足だった。簡単なメッセージによると、忍足と芥川が会場に到着したらしい。今、着いたと書かれている。どうやら芥川が寝坊したらいい。本当なら彼らも試合を朝から見学するはずだった。今日試合に出場する予定はなかったが、試合は見ておいた方がいいだろうという跡部の指示があった。 「ふーん」 こくりとファンタを飲みながら、リョーマは首を傾げる。ここで待っていれば、そのうち現れるだろうか。 入り口から各施設に向かう大きめの一本道。そこから枝分かれしている一つがテニスコートが並んでいる道だ。その横手側、植林された木陰が作る下にあるベンチ。そこにリョーマは腰掛けて、ファンタを飲み干した。 遠くに、歓声が響いている。どこかの学校が勝負を決めたのだろうか。コートを中心として人が集まっているせいか、ここはどこか静かだ。 ふと、リョーマは耳をすませた。 何やら、人の争う声がする。 リョーマがいる場所から少し離れた自動販売機の前だ。 髪の毛を逆立てている白い制服を着た背が高く人相の悪い青年と、彼と対峙する二人の青年。二人の青年の一人は茶髪に制服の前ボタンをすべて開けポケットに手を突っ込んでいる。もう一人は少々赤いメッシュの入った長めの髪に同じような制服、こちらは煙草を指で摘んでいる。 2対1。 鋭い眼光を飛ばして、すごんでいる。 これが、日本の不良ってやつ? リョーマは物珍しげに観察する。 視力がいいせいで、少々遠目でもよく見えた。 日本の学生は通常制服を着ている。それで、不良は反抗するように乱れた格好をするらしい。 ボタンを留めなかったり、ズボンの長さを変えたり、下に着るTシャツを原色にしてみたり。 髪も茶色や赤などに染めるらしい。 などという無駄な知識をリョーマは忍足や芥川から仕入れていた。 不良は煙草や薬も吸うし、難癖つけて恐喝するし、機嫌が悪いと殴ってくるからリョーマは気をつけるんだよと、芥川が子供に言い聞かせる母親のように諭していた。 当然ながら、アメリカにも不良に該当する人間はいるからリョーマが知らないことはない。しかし、もっとレベルだ違った。第一アメリカに制服のある学校などほとんどない。アジア人より発育もずっといいから、中等部であろうとももっといい体躯をしていて、外見だけなら大人のようだ。日本人など20歳でも十分子供に見える。 リョーマもアメリカでは若く見られた。 日本人としても決して恵まれた身体ではなかったから、大抵年齢より下に見られることがざらだった。まあ、年齢でテニスをする訳ではなかったから、見かけで自分を判断した奴はコートで倒しておいたので問題はない。 でも、ここで喧嘩は不味くないんだろうか。 それに、白い制服を着た人間は肩にテニスバッグをかけていた。 リョーマはちょうど良い距離まで近づき、大きく腕を伸ばし空になった缶を放り投げた。缶は放物線を描いて綺麗に自動販売機の横に設置されたゴミ箱に収まる。からん、と良い音を立てたのでリョーマはストライクと呟く。 不良たちは自分たちの横を通り過ぎゴミ箱に収まった缶に軽く驚き、ついで巫山戯たまねしやがってという目で睨んだ。しかし、リョーマは気にしない。 「何だ、おまえ」 2人組の一人がリョーマをじろりと見て、その顔に驚き上から下まで観察すると嫌な笑いを浮かべた。 「氷帝のお坊っちゃんが、何の用だ?遊んで欲しいのか?」 氷帝学園の制服は有名だ。その制服は著名なデザイナーの手によるもので一式十万は下らないと言われている。同じ都内に住む人間なら、学生でなくても知っている。 「もうすぐ、試合が始まるんじゃないの?」 リョーマは小さく吐息を付くと、声をかけた方ではなくテニスバッグを肩に掛けている青年に尋ねた。 「……出ねえ。だからお前は首を突っ込むな」 青年は、面倒そうにふんと鼻を鳴らす。 リョーマが気にしたのは、試合に出る選手だと思ったからだと青年は理解した。わざわざいかにも危なさそうな奴に割って入るなど、馬鹿なのか世間知らずなのかと青年は判断し、手を振って追い払う仕草をした。 しかし、リョーマは首を傾げる。視線の先はテニスバッグ。 己の言を信じていないのか、部員が乱闘を起こしては試合に勝ち上がっても出場取り消しになるスポーツ界の掟を気にかけているのかは青年には判断が付かなかったが。 ちぇっと、青年は舌打ちする。 「てめえら、うざえ」 元々因縁を付けてきたのは相手だ。喧嘩っ早い上暴れ出すと度を超す自分だが、弱い相手ではやる気も萎える。第一、こんな雑魚を相手にするには面倒くさい。 中学までなら、売られた喧嘩はすべて買ったが今ではそんな気にはならない。あの頃はガキだったんだと、まだ未成年のくせに青年は思う。 青年は足を軽く振り上げて、自動販売機を蹴り上げた。がつん、と鈍い音がしてその場所が大きく凹む。そして、目を眇めるようにして冷ややかに睨み付けた。 二人組は、げっと顔を青く染め、覚えていろと捨て台詞を残し足早に去っていった。自分より強い相手には刃向かわないのが不良の原則だ。 「……じろじろ見てんじゃねえよ」 大きな黒い目で自分を興味深そうに見ているリョーマを不機嫌そうに睨むが、リョーマには全く効かなかった。 そこへ、漂う雰囲気をぶち壊すような甲高く明るい声が割り込んだ。 「じーーーーん、じーん、仁!」 若い女性だ。明るい色のカットソーにジーンズ、茶色い髪は花のピンで留められていて、可愛らしい印象を醸し出している。 「……」 青年は、苦虫を潰したよう顔で女性を見ると逃げるように背を向けた。が、女性は走ってきて青年の腕を引っ張りにっこりと微笑んだ。 「応援に来ちゃった。仁はいつ出るの?」 「出ねえよ。来るなって言っただろ?」 「ええ?何で応援しちゃいけないの?仁が出るんだよ?私が応援しなくて誰がするの?」 頬を膨らませて、不満そうに訴える女性を眉間にしわを寄せながらも手を振り払うことはしない。 よほど、親しい関係なのだろうと推測される。 「ジーン?」 リョーマは小首を傾げて問うた。 「誰がジーンだ」 青年は心底嫌そうに眉をひそめた。 「でも、ジーンって呼んでたから。えっと、ジン?」 「てめえに、呼ばれる筋合いはない」 「……でも、名前知らないから。えっと、彼女さん?この人ジーン?ジン?」 彼女は爆笑した。声を立てて笑い苦しそうにお腹を押さえる。 「仁よ。それに私は仁の彼女じゃなくて、お母さんだもん」 「mother?realy?……見えないね。すっごく若くて可愛いもん」 「やあねえ、誉めても何もでないわよ」 彼女はリョーマの腕をばしばしと叩いた。 「本当だって。うん、very cute だよ」 「ありがとう、で、君は仁とお友達?」 「うん、さっき知り合ったんだよ」 にこりとリョーマは微笑んだ。誰もを惹き付ける綺麗な微笑みだ。 「そうなの、不肖の息子をよろしくねー。私は優紀」 リョーマの笑顔にやられた優紀はころりと騙された。 「誰が友達だって?」 一方、友達呼ばわされた青年は流せず聞き返した。 「俺。ジーン」 だが、リョーマは無邪気に笑うだけだ。 「ジーンじゃねえ」 「だったら何て呼べばいいのさ」 青年は断固として無言で拒否をしたが、自分が睨んでも凄んでも全く効果のないリョーマに疲れてきた。自分を恐がりもせず食い下がり無邪気に笑う人間なんて、滅多にお目にかかれるものではない。だから、吐き捨てるように呟いた。 「……亜久津だ」 「アクツ?」 リョーマは不可解そうに首を傾げる。 「その頭の悪そうな呼び方は何だ。漢字変換できてねえぞ、てめえ馬鹿か?」 「うん、日本の名前って難しいよね。当て字とかあるし、読めないよ」 皮肉げな亜久津の台詞をリョーマはとても神妙に受け取った。その事実と台詞に阿久津にもリョーマが日本語が不得手である理由が見えてくる。 「……てめえ、日本人じゃねえのか?」 「両親共に日本人。でも、生まれてからずっとアメリカで育ったから、難しい日本語はちょっとわかんない。だから、アクツがどんな字かもジーンがどんな字かもわかんないんだ、ごめんね」 「……ジンでいい」 仕方なさそうに亜久津は妥協した。 自分の名字をアクツなどと頭の悪い呼ばれ方をするのは、居心地悪いものだ。仁と名前を呼ぶのは母親と親族くらいのものだが、この少年の呼ぶジンはそれとはまた違った感じがする。そう、発音が違うのだ。 「Thanks、ジン。俺は越前リョーマ。リョーマでいいよ」 リョーマはにっこりと満面の笑みを浮かべた。 「……」 が、だからといって亜久津は素直に名前を呼べるような性格をしていなかった。その反面母親の優紀は無邪気に喜んだ。 「リョーマ君っていうの?」 「うん。ユウキさんでいい?」 「ユウキが言い難かったらユキでもユウでもいいわよ。私もリョーマ君って呼ぶから。ね、仁」 優紀にそう視線を向けられて、亜久津は柄にもなく困った。実は照れくさいのだ。その照れを人に見せることを嫌う亜久津はぷいと背を向け歩き出す。そして、少しだけ振り向き、 「……じゃあな、リョーマ」 と睨みつけるような眼光で言い捨てた。その様子がおかしくて、優紀もリョーマも笑いを堪える。 「うん、またね、ジーン!」 リョーマは手を振った。 「じゃあね、リョーマ君」 「ユキさんも、またね」 優紀とリョーマは友好的に手を振りながら別れた。優紀が後を追っていくのを見送りリョーマも歩き出した。 リョーマが戻ると、すでに忍足も芥川も到着していて、遅かったと反対に小言を言われた。だが、試合に出られなくて不満げだったリョーマが戻って来てからは妙に機嫌良くてどうしたんだろう、と跡部を不思議がらせた。 地区大会ベスト4は「氷帝学園高等部」「青春学園高等部」「不動峰高等学校」「山吹高等校」。コンソレーション「聖ルドルフ学院高校」。以上の5校が関東大会へ進出を決めた。 |