「黒猫のワルツ」1−6





「え、越前が全米ジュニア4連続大会優勝者?」
「マジですか?」
 テニスコートで絶叫が起こった。
 入部したその日から、1年生ながらにレギュラーの座を奪った少年は一躍学園内で時の人となった。本人は全く頓着しないが、噂は学園中に流れ越前リョーマとはどういう人物なのかと皆騒ぎ立てた。
 どこから聞きつけてきたのか、リョーマの経歴がその日テニス部内に爆弾を落とした。
 噂の張本人は早速割り当てられた図書委員の役目である図書当番のため、今日は遅れて来ると届けが出ている。そのため、おおっぴらに騒いでいるのだ。
「ああ、本当だ」
 ニュースを運んできた大柄な青年は、大きくうなずき肯定してみせた。
「そんなにすごかったんだ……」
 レギュラー陣が全く歯が立たなかった事実を思い出して、取り囲んでいた少年達は吐息を付く。
「試合してないけど、あいつに対抗できるのは部長くらいだろ?」
「あたりまえだろ?部長だぞ、全国区なんだぞ?負けてたまるか!」
「けど、越前全米でチャンピオンになったことあるんだぞ?あいつに勝てたら、アメリカでもやって行けるってことになるんじゃないか?」
「そうか……」
 突然気づいた事実に、いかに強いのか思い知らされた気分だ。
「でも、跡部部長と越前って一緒に住んでるだろ?仲良いよな?」
 本当なら、ライバルになるのだろう二人の関係を知らない者はいなかった。跡部家にリョーマが住んでいることは学校にも届けられている事実だ。名簿の住所欄にも、そう載っている。
「ずいぶん古くからの知り合いらしいぞ」
「へえ……そんな感じだな、確かに」
 気安いというか、なんというか。跡部と幼な馴染みである芥川と忍足とは違った親しさがリョーマとの間には漂っている。
「だったら、すでに試合なんて何度もしたことあるんじゃないか?」
「そうかも」
 古くからの知り合いなら、互いにテニスをしているなら試合形式ではなくても何度打ち合いはしていると考えるのが普通だ。

「てめえら、何さぼってる?」
 そこへ、低い声が響いた。飛び上がらんばかりに驚いた部員は、恐る恐る振り返るとそこには跡部が立っていた。
「す、すみません!」
「失礼しました」
「申し訳ありません」
 口々に謝罪する部員に跡部は眉を潜めて睨みつける。
 サボって人の噂話に花を咲かせている人間に、どんな罰を与えるべきか部長としては対処しなくてはならない。
「罰として、1週間部室の掃除だ。それからグランド10週して来い」
「まあ、まあ。気持ちもわかるやん」
 跡部の少々厳しい罰に後ろから忍足が口を挟む。
「リョーマのこと気になるんは、普通や。知らないから、知りたい思うのが人間心理やろ?只でさえ目立つんやから」
「……」
「で、全米ジュニア4連続大会優勝だけなんか?噂になっとるのは?」
「は、はい」
 一人が答えた。が、隣にいる少年が口ごもりながら、言い難そうに続けた。
「俺、はっきりと聞いた訳じゃないんですけど。越前の父親がサムライ南次郎だって耳にしたんです。苗字もあうし、今までアメリカにいたこともあうし、第一全米で優勝できる程強いから……」
「サムライ南次郎?」
 忍足が聞き返した。さすがに、その情報は忍足も持っていない。きっと唯一事実を知ってるだろう跡部に自然と視線が集まった。跡部は肩をすくめて仕方なさそうに腕を組んだ。
「本当だ。リョーマの父親は今は引退したプロテニスプレーヤーサムライ南次郎だ。隠すことじゃないが、自慢することでもないからリョーマもあえて言わないだろうけどな」
「ほ、本当ですか?」
 意気込む少年達に、ああと跡部はうなずく。
「初耳やわ。どうりで小さい頃から度胸も座っとるし、試合慣れしてるはずや」
 忍足は楽しそうに目を細め、眼鏡のつるを上げた。
「で、オープンにしてええ情報はもうないんか?」
「面白がるな、忍足。……全米ジュニアで優勝したこともそうだが、アメリカではかなり実力は認められている。ここ1年ばかり試合には出ていなかったから今の雑誌を探しても載っていないだろうけどな」
 試合どころか、公の場に1年程出ていないのだが、それは跡部が言うべきことではなかった。つい、数日前に母親の彩子が家に押しかけてきて……あれを帰ったとは言えないし認めない……散々リョーマを構い倒し、その後息子である跡部と二人きりになると、くれぐれもリョーマの健康と安全に気を付けるように、学校での日本での生活について責任を持つように言いくるめていった。何かあった時はすぐに知らせるようにと、多忙で家にいられない彩子は真剣に語った。
 人にはそれぞれ理由も事情もあるものだ。
「これで、好奇心も十分満足しただろ?余計な噂は慎めよ。部内が乱れる」
 跡部は、部長らしくそう告げると次の練習メニューを指示した。はい、と返事をして少年達は走っていた。
 それを見送った跡部に、忍足が目をすがめながらにやりと口角を上げた。
「何で、1年も試合に出えへんかったんや?おかしいやん。リョーマを見る限り故障にも見えへん」
「それこそ、好奇心だろ」
「好奇心やけど、それだけとちゃうわ。なんぞ、事情があるなら一人でも事情知っとって協力できる人間がおった方がええと思わん?これでも、口は堅いで?」
「……」
 忍足はおしゃべりであるが、本当に言ってはならないことを感情に任せて言うような人間ではない。本人の口が堅いという発言も、そこから来ている。
 口八町手八町でごま化すこともできるある意味扱い難い人間でもある。外見は愛想の良い笑みを浮かべているくせに、内面は妙に冷めていて物事に執着しない人間だ。実は性格が悪いと知っている人間は意外に少ない。
 跡部は視線で回りに人がいないことを確認すると、いささか小声で続けた。
「……リョーマの父親は今言ったように、越前南次郎だ。日本よりもアメリカで有名なプロテニスプレヤーだった。母親は弁護士だ。実力の程は言わずもがなだ。それで本人はあの外見で、顔も知れたジュニアチャンピオンときたら、何が起こるかお前にもわかるだろ?」
「有名人の子供ときたら、誘拐か?それとも、反対に嫌がらせ?」
「まあ、いいとこだな。何があったとは言えないが、そういうことだ。だから、好奇心でないと言うなら、お前もリョーマの周りには注意していろ」
「わかったわ」
 忍足は神妙にうなずいた。
「けどな、そういう事情は抜きにして、リョーマは人目を引くやん。あれじゃあ、注意しようとしても切がないと違うんか?もう、学園内の有名人やで?ついでに、学園から一歩出ても同じやろ」
 頭の痛い問題に直面して跡部は嫌そうに顔を歪めた。そんな跡部の様子を見つけて忍足は内心苦笑する。面倒なことが嫌いで口が悪いくせに、部長という責任を果たして総勢200名もの部員の頂点に立つ男は案外面倒見がいい。本人は否定するだろうが、そういう部分がある。リョーマのこともどんなに大変であろうと放っておけない性分だ。
「わかってる」
 苦虫をつぶしたような顔で跡部は眉間に皺を寄せた。
「俺もできる限り協力するから。元気出しなや」
 忍足は同情的に響く声音で跡部の肩を叩く。跡部は忍足の慰めを含んだ声音に余計嫌そう顔を歪めて顎を上げると、部員が練習している方へ歩き出した。
 
 
 リョーマが遅れて顔を出す頃には騒ぎは収まり、本人に向かって事実を聞くような豪胆な者はいなかったためその日は平穏に過ぎた。





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