「黒猫のワルツ」1−5





 学園に着くと、リョーマは跡部に職員室へ連れて行かれた。そして、担任に引き渡された。
 リョーマは日本の学校に今まで通ったことはない。
 だから、どういったものなのか、とんとわからなかった。アメリカと同じでいいのか。そう簡単に変えられないが、馴染めるように努力はするつもりだ。
 どうせなら、楽しい学生生活を送りたい。
 それが、日本に来たリョーマの願いだった。
 担任である高橋に大まかな説明を受けて、リョーマは高橋の後に続き教室へ向かった。

「おはよう。今日はクラスメイトを紹介する。……越前、入って来い」
 高橋はリョーマに向かって手振りで呼ぶ。リョーマが教室に入ると途端に視線が集まり、驚愕している者や興味津々な者、唖然と見つめる者と反応は様々だった。
 だが、すぐに立ち直ったのは当然ながら女生徒である。
「新しい仲間だから、仲良くな。越前、自己紹介しろ」
「はい。越前リョーマです。今日からよろしく」
 ぺこりとリョーマは頭を下げた。
「越前の席は、あそこの空いているところだ。……それから、越前は帰国子女で日本に来るのが遅れただけで入学はしていたんだ。だから、編入生じゃないんだぞ?まあ、わからない事は教えてやるように」
 はい、と元気に返事をするところからも、クラスの雰囲気がいいと感じられる。
 このクラスには入学式から欠席を続けていた生徒がいた。ずっと席が一つ空いていたのだ。なぜ登校してこないのか、何か事情があるのかと噂が立っていた。名簿に名前はあったから、見たこともないクラスメイトが少年で越前リョーマという名前である事も知っていた。それが、人目を引きつけるあのような人物であるとは思いもしなかったけれど。
 生徒の中には、跡部と共に登校してきた場面を見ていて噂の人物だと瞬時に理解した者もいたが、如何せんどういった関係か聞くのは憚られた。
 高橋は、苦笑しながらリョーマを席に付かせると出欠を取り出した。
 



 
 リョーマは質問責めにあうことはなく、割合平和に放課後を迎えた。昼休みはお弁当を食べた後、簡単に校内を案内してもらったおかげで、大まかな地理は頭に入った。校舎、体育館、講堂、特別室、食堂、購買、部室等学園にある施設はこれから使用しながら覚えていけばいいだろう。
 ひとまず、授業に関係がある場所とテニス部関係がわかれば、リョーマ的に問題ない。
「リョーマ!迎えに来たよ」
「場所、わからんやろ?一緒にいこか」
 芥川と忍足がリョーマを迎えに教室に顔を出した。途端、あこがれのテニス部レギュラー出現に女生徒達が黄色い悲鳴を上げた。忍足も芥川も学園内でかなりの有名人だ。筆頭はもちろん部長である跡部だ。
 それを全く気にも留めず、リョーマはありがとうと言いながら二人と共に部室へ向かう。
 
 すでに着替えコートの準備をしているものや柔軟をしている者がいた。テニスコートにいる者は、芥川と忍足が連れてきたリョーマを見た瞬間、声を無くした。
 なぜなら、一昨日見た美少女だったからだ。
 今は長かった髪は切られショートになり、氷帝学園の制服を着ているが。それも男子用だ。
「……男だったのか?」
「嘘だろう」
 俺、ときめいたのに、と後ろの方で小さくやり取りされている。
 ショックを隠しきれない、落ち込んだ人間を多数作りながらリョーマは榊の前までやって来た。普段監督である榊は毎日欠かさず顔出す訳ではない。
 責任者であるから、練習メニューや部員の様子なども注意する。が、部長である跡部にある程度は任せているため、教師として用事のある時等は必然的に顔を出せない。
 今日は用事がなかったためか、リョーマが来るのを待っていたためか、早くからその場にいた。
 リョーマはポケットから記入済みの入部申し込み用紙を榊に差し出した。榊は口の端を上げると、用紙を受け取った。
「さっそくだね。着替えておいで」
 はいと頷き、リョーマは芥川と忍足に部室を教えてもらい着替えた。
 やがて、部活が始まり準備体操や筋力トレーニング等を終えると、榊はレギュラーを集めて「今日は試合を行う」と宣言した。
 榊が試合を突然させるのは、部員の力を見るためだ。そしてレギュラーとなる者もいるため、部員達は期待感に色めき立った。
 が、榊は平然とリョーマに視線をあわせ意味ありげに人の悪い笑みを浮かべた。
「ちょっと、もんでもらえるかな?」
「Yes」
 リョーマは片目を瞑って承知する。
 榊の信頼が透けて見えて、それは贔屓ではないかと思う反面、どんな実力なのかと期待させもする。
 リョーマはラケットを持ちコートへ入った。
「日吉、入れ」
 呼ばれた日吉は、2年生でこの春レギュラー入りを果たしたばかりだ。とはいえ、レギュラーとして出場したのは、おとついの練習試合が初めてだった。
 日吉は幾分不満そうな顔でコートに入り構えた。
 そんな日吉を観察しつつ、榊はボールをリョーマに投げた。サーブを先に打てということだ。
 リョーマはボールを受け取りにやりと生意気そうに笑うと、左でトスを上げ右手でサーブを打ち込んだ。ボールは回転を描き日吉の顔面にはねかえる。
「ツイストサーブ?」
 手が出なかった日吉は舌打ちをしてネット越しに鋭い眼光をリョーマに向けた。その眼差しをリョーマは楽しげに受け取ると、再びツイストサーブを打ち込んだ。
「すっげー、な」
「ああ」
 部員たちはリョーマのサーブに感心する。
 試合が進むに連れ、リョーマが得意とするのがサーブだけでないことがわかって来る。動きが早い。機敏だと表現すればいいのだろうか。
 狙ったようにラインやコーナーに返されるボールは、見ていて気持ちいい程だ。
 やがて、試合はあっけなく終わる。
 もちろん、リョーマの圧勝だ。
 日吉は悔しそうにリョーマを見ている。リョーマは小さく唇に笑みを乗せると「また、やろう」と日吉に手を上げた。
「次は、宍戸」
 指名された宍戸は3年生だ。シングルだけでなく、2年生の鳳とダブルスを組むことも多い。
 が、試合を初めてみたが、まったく歯がたたなかった。
 3番手は、宍戸とコンビを組むことが多い鳳だった。強烈で重いサーブを武器とするが少々コントロールが甘いため、早々と終わった。
「次は、忍足。少しは粘れよ」
 榊は氷帝の天才と呼ばれる忍足に、そう付け足した。リョーマの実力は記録として知ってはいても、全く格が違うことを目のあたりにするのは、全国に名を残す氷帝テニス部としてはなんとも情けない。
「お手やわらかになー、リョーマ」
「ユーシに手加減なんて必要ないでしょ」
 互いに軽口を叩きながら、楽しそうにやり始める。初めて対戦した訳ではないため、忍足にはリョーマの実力が良くわかっていた。その分、戦い方は他の部員より分があった。
 
「リョーマ、本気出してないねー」
 一方コート外では、芥川が隣に立つ跡部にぽつりともらした。
 リョーマの利き手は実は左だ。現時点でリョーマは右手にラケットを握っている。両方使えるため、全く見えないが明らかに左でやるよりは実力が発揮されてはいない。それを知るのはリョーマの試合を過去に見たことがある人間だけだ。
「仕方ねえだろ。……3年前でさえ、お前や忍足に負けたことがない。今は、おそらくそれ以上の差があるだろ。見りゃ、わかるだろ?余裕がありすぎだ」
 氷帝テニス部も情けないがな、と跡部は腕を組んで鼻を鳴らす。
 
 コートに立つ忍足も内心苦笑しながら試合を続けている。右手でここまでやられると、いっそ諦められるというものだろう。
 3年前のまだ子供だったリョーマを思い出して、著しい成長ぶりを己のことのように喜んだ。忍足にとってもリョーマは弟みたいなものなのだ。
 試合が終わると、榊はリョーマを呼び皆に宣言するように告げた。
「今日から越前はレギュラーだ。練習もレギュラーメニューでやるように」
「Yes」
 リョーマは当然のように肯いた。
 
 誰も、それに対して文句や不満を言えるものはいなかった。氷帝テニス部は実力主義の世界だ。強ければ、1年生でもレギュラーになれる。そこに学年は関係がない。
 だからこそ、氷帝学園は全国でも有名な強豪でいられるのだ。
 
 個性も実力も強烈なルーキーを迎え入れた氷帝学園の活躍は、今年も期待できるだろう。





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