「黒猫のワルツ」1−4





 高級住宅街の一角に聳える屋敷がある。高い塀から中は全く覗けないが、その広大な敷地面積や目にすることができる洋館の外装から、相当な資産家であると道行く人にも想像が付く。
 そんな近所で知らない者はいない屋敷に住む人口は著しく低いのだが、一昨日から跡部家には一人人口が増えた。
 


 跡部家の朝はきらびやかな光景から始まる。
 
 白いクロスの掛かったテーブルには朝食が並んでいる。
 パンとグリーンサラダ、オムレツ、かりかりのベーコン、果汁100%のジュースに珈琲が湯気を立てている。料理からは美味しそうな匂いが漂い食欲をくすぐっている。
 朝食は跡部家の一人息子、景吾の趣味で完璧なる洋食だ。
 卵料理はオムレツ、スクランブル、目玉焼きから。付け合わせはベーコンかハムかソーセージから。ジュースはオレンジ、グレープフルーツ、アップルから。食後の飲み物は珈琲か紅茶から。その日の気分で選ぶ。選ぶ種類は大層多いがそんな事を気にしたことは跡部にはなかった。

「リョーマはまだか?」
 跡部は一人席に付いて、オレンジジュースで喉を潤しながら執事である日下部に聞いた。
 跡部の両親は多忙なせいで、共に朝食を取ることは少ない。それどころか、日本にいないこともざらだ。
「先ほど、声をかけておきましたから、もうすぐいらっしゃると思います」
「ふん」
 朝食の時間は言ってあるはずだ。それが守れないのは良くないと跡部は思う。
 そういえば、リョーマは時間にルーズなところがあったなと昔を思い出す。
「おはよう」
 欠伸を噛みしめながら、やっとリョーマが現れた。
 リョーマは真新しい制服に身を包んでいる。白いシャツに胸元のエンブレムが刺繍してある格子模様のジャケットとズボン。ネクタイは軽く結んでいる。氷帝学園高等部の制服だ。成長を考え少し大きめにしたのか、幾分ゆったりとしている。
「おはよう。だが、遅いな。登校初日から遅刻をする気はないだろう?」
 今日からリョーマは高等部の1年に通うことになる。
「時差ボケかな?寝付けなくて」
 リョーマが首を回しながら席に近寄ると日下部が椅子を引く。それに、日下部さんありがとうとお礼を返しながら腰を下ろし跡部に視線を戻した。
「昨日寝過ぎたんじゃねえのか?昼寝までしてたじゃねえか」
「……だって、眠いんだもん」
 昨日は、荷物の整理は必要最低限だけ済ませてリョーマは部屋で寝ていた。食事に呼ばれるまで熟睡していたのだ。
「ねえ、毎朝洋食なの?」
「あーん、当たり前だろ」
「俺、和食がいい。ご飯食べたい。お味噌汁や魚がいい……」
「昨日までアメリカに暮らして人間が何を言う」
「えー?折角日本にいるのに。和食食べたっていいじゃん。ねー、食べたい」
「うるせえ。郷にいれば郷に従えって言うだろ。ここでは洋食食べておけ」
「でも、俺だってこれから住む訳だしさ。せめて、1日置きでいいからさー」
「そんなに言うなら、お前だけ和食にしとけばいいだろ」
「それだと、二度手間になるじゃん。作る人大変でしょ?……ねえ、一緒に和食食べようよー、Key、お願い!」
 リョーマは上目遣いで、訴える。
「……」
「ねえってばー」
「……」
「Key!」
 もう一押し、とリョーマは胸の前で手を合わせ瞳を潤ませて跡部を見つめる。
「……仕方ねえなあ」
 結局、跡部はリョーマのお願いには昔から弱かった。
「本当?Thank!」
 願いが聞き届けられ、リョーマはにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「良かったですね、リョーマ様」
 日下部が隣からコップや皿を置きながら口元に笑みを浮かべている。
「うん!日下部さんも、ありがとうね!」
 全開の笑顔を向けて喜ぶリョーマに、日下部も嬉しそうだ。
 その光景を眺めて、以前もそうだったなと跡部は思い出す。
 3年前、長期の休みだからと跡部家に滞在していたリョーマは屋敷中から可愛がられていた。当時12歳の少年は、見かけは本当に子供で生意気だが使用人に対しての態度はすこぶる友好的だった。両親の躾の賜物なのか、感謝は忘れない。ありがとう、と惜しげもなく笑顔付きで返されて、嬉しくない人間はいなかった。
 それに、それよりずっと昔。まだ、幼児だった頃にもリョーマをこの屋敷で預かったことがあった。数ヶ月の間、まるで本当に兄弟のように育った。
 小さなリョーマはまるで兄を慕うように自分の後をついて回ったものだ。母親と離れて寂しいだろうに、自分がいるからいいんだ、と強がっていた。
 己も一人っ子だったから、本当の弟ができたようで嬉しかった。
 だから、母親に仲良くしてね、と言われるまでもなく遊んだものだ。
 当時リョーマは親の趣味だろう……ひょっとして自分の母親の趣味もあったかもしれない、ずいぶん可愛らしい服を着ていた。髪も伸ばしていてリボンで結ばれ、どこから見ても女の子に見えた。
 あの頃は素直で口も悪くなく、にこにこと笑っていた。
 それ以後は年に1度逢えばいい方だった。
 跡部が母親である彩子に連れられアメリカにある越前家に行くことがあれば、リョーマを連れて倫子が訪れることもあった。二家族、……この場合夫は含まない……でバカンスに行ったこともある。
 母親の意見は決定事項で、跡部の都合はお構いなしだった。
 ただ、さすがに高等部に上がり学生生活が多忙を極めて来ると海外へいきなり連れていかれることもなかった。只でさえ、テニスに打ち込み1年からレギュラーとなり部長となっている現在、学生の本分である勉学の上でも学年首席を保持しているのだから、跡部の多忙さもうなずけるというものだ。
 母親がかなり信じがたいが気を使ったためか、おかげでリョーマと逢うのは3年ぶりだ。リョーマも3年程日本には連れられてこなかった。子供は成長すればするほど、親と共に行動はしなくなるのが普通なのだろう。
 友人との付き合い、テニスの練習や試合、やりたい事は多々あるのが普通だ。
 そう感慨深く思いながらリョーマを見れば、リョーマは不思議そうに跡部を見上げた。
 
 跡部は、これから氷帝テニス部を襲うルーキーの活躍を想像して、内心そっと笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
 氷帝学園は都内でも有名な学園だ。
 幼稚舎、初等部、中等部、高等部、大学と一貫教育をめざし、敷地面積も広大、設備も充実、果ては名門であるから偏差値も高いと評判だ。当然ながら学費は馬鹿高く、自然金持ちが通う学園と都下で認識されていた。
 登下校は自転車は禁止。通常は徒歩、電車、バスの交通機関だが、もう一つこの学園ならではの自動車。
 自動車での送り迎え、それが平然と行われる学園である。
 黒塗りの高級車が朝学園の門前に連なる風景は、学園の名物だ。
 決して資産家の子息ばかりが通っている訳ではなく、極普通の一般家庭の子供もいたから、送り迎えの生徒が数多いとはいえない。
 とはいえ、他校と比べれば著しく多いと言えたが。
 そんな、徒歩の生徒が正門を潜る中、黒塗りの高級車から降りる二人がいた。
 
 いつもなら一人で降りてくる学園の有名人跡部の横にある存在に興味津々で生徒達は見つめた。
 なぜなら、一緒に降り立った人物が、驚く程の美少年だったからだ。
 跡部の横に並んでも遜色ない美貌の持ち主。
 これほどの容姿ならば、学園で知られていないのはおかしい。それが、今まで学園で見たこともないため、ひょっとして編入生かと皆疑問に思った。





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