「黒猫のワルツ」1−3





「何事だね?」
 その、誰も突っ込めない雰囲気を醸し出しているところへ一石を投じた者がいた。氷帝学園テニス部監督の榊だ。
 練習試合中、見守っていたのだが、用事があってしばらく席を外していたのだ。応援している声やラリーの音も聞こえないから練習試合がすでに終わっただろうとコートに顔を出したところ、予想外の様子だったという訳だ。
 榊は仕立ての良さそうな背広を身につけ首もとにスカーフを絞めている。学園内でも、学園外でも運動部の監督らしくないと有名な人間だ。
「監督……」
 現れた榊に跡部がどう説明しようかと思案していると、リョーマは徐に榊の前までとことこと歩いていった。止める間もない。
「Mr.sakaki ? it is Echizen RYOMA which is indebted after this.
(ミスター、榊?これからお世話になります、越前リョーマです)」
「You are ?.... It bought so and was waiting. It comes to inside and is a delightful limitation. It is not taken at Mrs. RYUUZAKI and is what.
(君が?……そうかい、待っていたよ。うちに来てくれて嬉しい限りだ。竜崎に取られなくて何よりだな)」
「Well, since Mrs. RYUUZAKI is a father's teacher. However, it is since the mother was pushing this school strongly.
(そうですね、ミセス竜崎は父親の恩師ですから。けれど、母親が強くこの学園を押していましたから)」
 楽しそうにこりとリョーマは笑う。
 つまり、父親は母親の尻に引かれているということだ。
「Was it lucky? It enters a club and welcomes.(それはラッキーだったね。入部、歓迎するよ)」
「Thank you.(ありがとうございます)」
 リョーマはぺこりと頭を下げた。
「Ryoma?監督はご存じだったのですか?」
 榊とリョーマの会話を黙って聞いていた跡部は話に入る。
「もちろんだよ。話が出た時、余所に取られる訳にいかなかった。候補はもう一つあったからな。青学だ」
 青学とは青春学園のことで、リョーマの父親の母校であるだけでなく、恩師がいる。それも、テニス部の顧問をしているのだから、候補に上がっても当然だろう。
 リョーマの父親は越前南次郎という元プロのテニスプレーヤーだ。サムライと呼ばれた彼は引退した今も人々の記憶に薄れることなく残っている。その息子であるリョーマも同じようにテニスをする。物心付くより前からラケットとボールが遊び道具だった。
 遺伝が全てではないが、サムライの血は確かに息子に受け継げれ、リョーマはアメリカでは実は名の知れた少年だった。全米の選手権で何度も優勝した経験がある。
「青学に?……ああ、あそこに持っていかれるのは問題外ですね」
 青学もテニスの名門だ。同じ都内でいつも戦うことになる強豪だから、リョーマという戦力を取られるのは避けたいものだ。
 それでも、リョーマが氷帝に来たということは、母親の倫子が勝ったのだろう。
 双方の母親には父親達も息子達も太刀打ちできないのだ。過去を遡ぼってみても、勝てたことが一度もない。
 今回も跡部家で暮らすことが一番の理由であろうと想像はするが。
「ほあら〜」
 ふと、緊張感のない鳴き声が、足下から響いた。
 そこには、まるで狸のような風貌をした猫がリョーマの足下にじゃれついていた。
「カル」
 リョーマは猫を抱き上げた。
「何で、猫まで」
 ここに連れて来たのか、と跡部は不思議に思う。
「何でって、一緒に日本に来たから。な、カル」
 リョーマは猫に話しかける。
「一緒にって、飛行機乗って来たってことだろ?お前、空港からそのまま来たのか?」
「そうだよ。日下部さんに聞いたんだもん。Keyがここで試合してるって」
「……」
 止めろよ、と執事の顔を思い浮かべながら跡部は心中呟く。
 アメリカから日本までの愛猫付きのフライト。普通だったらそのまま家へ行くだろう。その足でわざわざ練習試合を見に来るな。
 いや、違うな。
 賭けのせいか。
 跡部が家に帰ってからでは、わかる可能性が高い。
 この場所でいきなり対面すれば、それだけ分誰か検討が付かない可能性が著しい。
「監督、すみませんが今日はこのまま帰ってもよろしいですか?」
 部長という立場であるから、例え試合が終わってもやることはある。監督にも成果や反省点等の報告の義務がある。部員に対しても話すことがある。相手校に対しても同様だ。
 が、今はこの人間を連れて帰る事が最重要事項だ。
 このままのさばらせておけば、迷惑甚だしい。
 間違いなく、部員の同様や興味を浚う。ミーティングが意味のないものとなる。それは避けたかった。
「わかった。後日にしよう」
 榊は跡部に理解を示した。跡部が危惧している事がわかるからだ。すでに人目も興味も集めている。
 どこからか、あの少女は誰だろうとか跡部の彼女だろうかという声が聞こえる。
 誤解だ、と言いたい事を我慢して跡部はリョーマの腕を取り榊に失礼しますと頭を下げて歩き出す。リョーマも「sorry」と言って手を振り愛猫を抱えたまま跡部に付いて行く。
「帰るの?」
「ああ」
「まだ、待っていてくれるよ。日下部さんと酒井さん」
 日下部は執事、酒井は運転手だ。
 リョーマをここに連れてきた張本人達だ。跡部は僅かにだけ片眉を寄せた。
「ほい」
 忍足が跡部の荷物を渡す。成り行きを見守っていたため、行動も早い。
「ああ」
 跡部はテニスバックを受け取りテニスコートを後にする。
「Ryo、月曜日ね!」
「また、な」
 芥川と忍足の声が二人を見送った。
 
 
 呆然としたテニス部員から二人が質問責めにあうのは、まだしばらくの後だった。






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