「黒猫のワルツ」5月の憂鬱2





 バザー当日は、朝から天気が良かった。五月晴れに相応しい、青空の広がる晴れやかな日だ。
 バザーに出品するものは、前日からダンボールに入れられ部室に積まれていた。当日でないと運べないものは、当日朝早くから搬入する手筈になっている。
 そのため、リョーマは早朝から跡部邸の温室で働いていた。庭師の桜田が丁寧に薔薇を切り水が張った細長い円柱型の入れ物に満たしていく。その入れ物をリョーマは近くに停められているワゴン車に運ぶ。もちろん、他にも屋敷に勤めている者が手伝っている。庭園で薔薇を切り取る作業をしているのは、執事の日下部だ。その姿を見ると執事とは何でもできるのだな、とリョーマは感心した。跡部家の執事が優秀であるという認識は持っていたから、誰もができることだとは思わなかったけれど、あの人は万能だ、とリョーマが思ってしまっても仕方がない。
 準備が全て整うと、ワゴン車は氷帝学園へと向かう。そこから今度はバザーが行われる場所まで移動する。バザーは広い校庭ではなく、校舎と校舎とに挟まれた細長い中庭で行われる。中庭とはいえ十分に広い。その中庭のそれぞれ校舎を背にして両側に各クラブ事に固まって様々なものが並べられる。テニス部が決められた場所はかなり広い。なにせ、部員200名を越えるのだ。学園一という生徒数を誇るのだから、集まる品物もどこよりも多い。
 その一角に薔薇が入れられた細長い入れ物を運び込み並べていく。色鮮やかで上品で芳しい香りをまき散らす大輪の薔薇がレイアウトを考えられて置かれていく。
 側には薔薇を包むための台にチェックのテーブルクロスが敷かれ、その脇には包装紙よろしく英字新聞が丸められてこれまた円柱の籠に交互に積まれている。
 バザーであるから、包装紙にお金をかけてはいけないのだ。
 が、見栄えも考慮して跡部家で取っている英字新聞をこの日のために捨てずに確保してあったらしい。そして、輪ゴムに、麻紐。結ぶものも環境を考えて決してビニール紐ではなく麻紐だ。
 お金を入れるための箱もお菓子が入っていた容器にお釣り用の小銭と千円札が用意されている。
 薔薇が置かれた隣にレジよろしく台があり、その隣にこれまた薄いピンクの布が敷かれた階段状にしてあるところには、香水や女性好みの薔薇でできたオイルやアロマなどがディスプレイされている。その出来映えはとてもバザーとは思えないほどだ。
 準備が整い、リョーマが桜田や日下部や跡部邸の使用人にありがとう、と手を振る頃に跡部がやって来た。
 跡部は別に面倒だからとさぼっていた訳ではない。だからといって準備の手伝いをするかと言われたら監督よろしく見ているのが関の山であろうが……なんといっても彼は彼らの主だ……跡部はテニス部の部長でもあるが、生徒会長でもあるのだ。バザーの責任者として各部の準備が進んでいるか問題は起こっていないかなど見回っていたのだ。当日になって予定が狂うというハプニングは後を絶たない。


「準備できたな」
「うん、綺麗なもんだね」
 跡部がディスプレイの出来を見下ろして腕を組み満足そうに頷く横でリョーマも楽しそうに相づちを打った。
「よし、じゃあ次はお前だ」
 にやり、と跡部は企んだ顔で笑うとテニス部のスペースで準備に追われている部員へ向かって声をかけた。
「忍足、ジロー」
 すると、心得たように手を休めて二人はやってきた。3年生だから下級生に指示を出していたらしく、軽く手を挙げてすぐにやってきたことから、自らの準備は終わっていたと推測された。
「おー、できとるやん」
「綺麗だねえ」
 薔薇が咲き乱れている光景を見て忍足も芥川も素直に感嘆する。それに跡部は当然のように頷いて、リョーマを顎で示し口角を釣り上げた。
「ということで、リョーマだ。頼む」
 何のことかとリョーマは不審そうに眉を寄せると、忍足と芥川は心得たように了解とばかりに楽しそうな顔で笑った。そして、リョーマに近寄ると、まず手にしていたものを渡した。
「はい、これ付けてね」
「うん」
 芥川から渡されたものはエプロンだった。濃い藍色をしたジーンズ地の簡素なエプロンは、首からかけてウエストを結ぶものだった。縛るヒモが長いところを見ると背中を一度回して前で結ぶタイプのようだ。
 リョーマはいわれるがままそれを身につける。簡素で動きやすそうなエプロンは確かに花を扱う作業には打ってつけだ。
「どう?」
 伺うように芥川がリョーマを見つめたので、リョーマもちょうどいいよと頷いた。すると、忍足がリョーマの横に立ち「しばらくじっとしとってな」と言いながら自分のポケットからコームを取り出してリョーマの髪を梳きだした。軽く整えてピンを2本留める。その間に芥川はリョーマがしているエプロンの胸にあるポケットに売り物である薔薇をいくつか刺して形を整えた。
「ちょっと、何?どーいうこと?」
 抵抗する間もなく飾り付けられたリョーマは声を上げて抗議した。

 しかし、時すでに遅し。
 リョーマはどこから見ても花売り少年もとい、薔薇売り美少年になっていた。
 さらさらの黒髪は銀色のピンが2本並べて留められている。そのピンの先にはアンティーク調の小さな薔薇の飾りが付いている。長めの髪で普段見えにくい耳元が露になっていて赤いピアスが鮮やかだ。
 制服の上に藍色のシンプルなエプロン。ウエストで絞られたデザインは腰の細さを際だたせる。その胸元には色鮮やかな薔薇。
 少し唇を尖らせて不満を訴えている姿は余計にリョーマの可憐さを演出していた。
「だから、お前の準備だって。見てくれも大事だからな」
「Key!」
 くく、と喉の奥で笑う跡部にリョーマは近寄って詰め寄った。が、そのリョーマに跡部は小さな瓶から何かを吹き付けた。
「何?」
 驚いて目を丸くすると、突如として甘い薔薇の匂いが漂った。
 跡部が取り出したのはいつも自分が付けている香水だ。今日も商品として並べられている。
「香りも宣伝しておけ」
「息が詰まるっ!」
 自分から生花と香水の甘い香りがして、リョーマは少しむせそうだ。
「そのうち慣れる。それに、この香水は薔薇との相性はいい。反発するような安物とは訳が違うからなあ」
 これで売り子の準備も完成だ、と跡部はほざいた。
「……何で、わざわざこんなことするの?これが、趣向?Keyの悪趣味!」
「悪趣味とはひでえな」
 苦笑する跡部に、己の出来映えに満足していた忍足と芥川も口を出した。
「似合ってるで、リョーマ」
「すっごく可愛いよ。リョーマは嫌なの?」
 普段はかなり常識がありリョーマの味方であるはずの二人からそんな台詞をもらって、リョーマは肩を落とす。
「……遊ばれてる気がするんだけど」
 仏頂面で反論するが、芥川はにこりと満面の笑みを浮かべた。
「そんなことないよ。だって、滅茶苦茶綺麗だもん。リョーマにぴったり。それに、去年は俺もやったよ?頭に薔薇も飾ってさあ。楽しかった。リョーマは楽しくない?」
 あっけらかんと告げる事実にリョーマは目を見張った。
「ジローもやったの?」
「うん!」
「……そう。うん、ジローも似合っただろうね」
 ジローが薔薇を飾って楽しそうに売り子をしている姿を想像してリョーマは小さく口元に笑みを刻む。納得したリョーマを見やり、跡部が楽しそうに続けた。
「最初から言っている通りお前の仕事はこの薔薇を売ることだ。売り切ることだ。当然ながら、ここにある薔薇は売れ残ればただのゴミだ。他のものは家に持って帰ればいいが、こればっかりは捨てるしかない。そうだろ?」
 そう、桜田が丹誠込めて育てた薔薇が今日売れ残れば全て捨てられるのだ。
 あんなに手伝ってくれた屋敷の皆の努力が、無駄になる。
 桜田や日下部の顔が思い浮かぶ。
 主人のいうことは絶対だからだけど、皆心優しい人ばかりだ。
「やってやろうじゃん」
 リョーマは不敵に言い放った。強い視線で跡部を睨むように見上げると、艶やかに笑う。
「全部、売り切ってやるよ」
 まるで試合中のような強気な声と態度だ。

 それを認めた3人は、きっとその発言が果たされるだろうことを知った。





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