「天の配剤」2


 知能テストとはいったい何の意味があるのか?
 天蓬は常々疑問に思っていた。
 テストの結果が高いからと言って何か変わることがあるのか?
 知能テストの結果が高いから学力が高いとは限らない。
 いくら頭の構造が優れていようがそれを開拓し、使ってやらなければ、全くの役立たずだ。そんなことも大人は理解できないのか、と天蓬は思う。
 自分は知能が優れていると言われて来た。
 実際、授業でわからないことなどない。一度聞けば大抵頭に入る。記憶力が優れているのか、どうなのか。情報処理能力が高いのか。詳細まではわからないが、どれも高レベルだろう。自分の実力くらい天蓬にはわかっていた。
 しかしそれが何だというのだ。

 天蓬は心に描く人物を思う。
 知能の問題ではない。
 存在自体に、意味があるのだ。
 金蝉の言葉も思考も精神も。
 全てが天蓬より優れていると感じた。
 なのに、テストでそんなものは計れないのだ。
 本当に、意味がない。
 役に立たない。



「へえ、まあ良かったじゃねえか」
 天蓬は帰宅して、知能テストの結果を金蝉に渡した。実施した日はたまたま金蝉も登校していて、テストを受けたのだ。しかし、金蝉の言葉は天蓬に向けたものである。天蓬は自分の結果を金蝉に見せていた。いつの間にか、例え金蝉が受けていないテストであろうとなかろうと全て金蝉に見せることが日常と化した天蓬である。
 ある意味、保護者に見せるのに似ている。
 観世音は天蓬の成績にはあまり関心がないようで、何も求められない。さすがに成績表だけは見るけれど……。それは単に、保護者が確認したという印鑑が必要だからであった。
「それほどでもないですよ」
 金蝉に誉められ、認められるのは何よりも嬉しい。が、天蓬にしてみれば、金蝉の存在の方がよほど意味があると思えるので、良かったと思うには些か複雑だったのだ。
「……またそれか?少しは自信をもて。お前の場合、自分の頭脳に対してできて当たり前と思っているくせに、己に自信がないだろう」

 ………。

 天蓬は驚く。
 己に自信がない、と金蝉が気づいていたことに。
 そんな顔を見せたことなどないと思っていたのだが、金蝉にはばれていたらしい。
 頭脳など、それほど意味がないと、己の存在の小ささを。
 それに反比例して金蝉の存在に見る精神の高さ。崇高な魂。
 天蓬があこがれて、焦がれて、求める者。
 なぜ、この存在が目の前にあるのか?
 これは、天の配剤か?
 神など信じないが、この存在を自分に出逢わせてくれた運命に感謝したい。黙って見つめる天蓬に金蝉は、
「どうした?」
と声をかける。
「……どうして、貴方はこんなにも……」
「俺が何だ?」
 首を傾げた瞬間にさらりと金の髪が揺れる。その煌めきは天蓬の心に訴えかける。
 どうして、こんなに綺麗なのか?
 そう聞きたいと思う。しかし、言った端からきっと信じてもらえない。
 天蓬は側にいる金蝉に一歩近づき、距離を縮めた。突然、金蝉を抱きしめた。何の前触れもなく、一瞬の間に天蓬に抱きしめられた金蝉はあっけにとられて、固まった。そして、段々状況を把握すると、
「天蓬???」
 間近にある天蓬を見つめて、どうしたのか?と視線で聞いた。
 腕の中に収まってしまう華奢な金蝉の肢体を両腕で抱きしめたまま離せない。自分の子供の小さな腕より、なお細い金蝉。何より大切な存在だ。好きなんです、と告げたいが言えない……。
「すいません」
 謝ることしかできない。
 なのに、腕を放せない。
 天蓬はぎゅっと目をつぶり、腕に力を込める。様子のおかしい天蓬に金蝉はしばらくこのままでいることにしたらしい。力を抜いて、天蓬の背中に手を回し、よしよしと撫でた。それは、まるで母親が子供を抱きしめるようで。天蓬は優しい仕草により切なくなる。

 側にいたい。

 ずっと側に……!



「よう、どうした?」
 二人に流れる優しい時間を破る声。そう、もちろん観世音だった。扉に背中を預け腕を組んで立っている。その瞳は面白そうに輝いていた。
 天蓬はさすがに金蝉を離した。
 金蝉も嫌なところを見られたなと渋い顔をした。きっとからかわれるに違いないと思うからだ。
「仲がいいなあ、お前ら」
 そして、やはり面白そうにからかう。
 ふん、と金蝉は無視をする。観世音に付き合うと何を言われるか、わかったものではないのだ。子供ながらに学んでいる金蝉である。天蓬はそんな金蝉を見て、観世音に視線を移した。パチリと視線があった。観世音は天蓬ににやりと笑ってみせた。
 まるで内面を読まれたような、感覚。
 間違いなく、自分が金蝉に寄せる想いは知られていると天蓬は感じた。
この感情を恥じる気持ちなどない。恐れることといえば、金蝉から離されることだけだ。
観世音はどう思っているのだろうか?自分は金蝉に取って、邪魔な人間だと思われただろうか?それだけが、心配だ。





「お前、そんなに金蝉が好きか?」

「はい」

 観世音の部屋に呼ばれて、覚悟はしていた言葉がかけられた。
 やはり知られていたのだ。だから、はっきりと天蓬は答えた。
「そうか、ま、がんばれやと言いたいところだが、留学の話が来ている。どうする?
天蓬」
 それをさらりと流し、観世音は世間話のように聞いた。
「留学ですか?」
「ああ。お前は頭がいい。それは自分でもわかってるだろう?今までもかなり目立っていたようだが……、先日学校で実施したテストで知能指数が高いって評判になったらしくて、研究とともにアメリカで英才教育を施した方がいいんじぇねえかって、話があったぞ」
「僕は別に」
「あまり興味ねえみたいだな」
 観世音は笑う。
 天蓬の考えなどお見通しだ。金蝉と離れたくないだけなのだ。
「天蓬、将来お前はどうしたいんだ?」
「将来ですか?……金蝉の側にいたいだけです」
「本当に、欲があるんだかないんだかな。それならお前はあいつの側に居られるようにしなくちゃならねえな」
「それは、留学しろということですか?」
「無理にとは言わねえよ。強制なんてできないだろう。手前で考えろってことだ。将来どんな形にしろ一人の人間の側にいるにはそれなりに力がいるだろうよ。お前はそれを身につけられるのか?」
「……」
「すぐに、返事しろとは言わねえ。じっくり考えろ」
「はい」
 天蓬は部屋を後にした。それを観世音は微笑みながら見送った。


 はあ……。

 天蓬はため息を付いた。
 こんなに悩むことは過去になかった。
「どうかしたのか?」
 すると、いつの間にか金蝉がテーブル越しの向かいに座って天蓬を見ていた。天蓬は顔を上げて驚いた。
 さっきから考えていた人物が目の前にいれば、誰でも驚くだろう。綺麗な瞳で見つめられると、天蓬は困ってしまう。
 この麗しい存在の側にいたい。
 離れたくない。
 切に思う。
 けれど、自分はこのままで彼の側にいられるのだろうか?もっと彼を守れる程、優れた人間になるべきではないだろうか?
「天蓬?」
 天蓬が金蝉を見つめ続けていると、金蝉が不審に思ったようだ。首を傾げつつ、天蓬を見上げる。
「あ、すみません。何でもないです」
「何でもないじゃねえだろう?」
 金蝉は不服そうだ。
「そんな辛気くさい顔してるんじぇねえよ」
「辛気くさいって、ひどいです」
 天蓬は情けなさそうに言う。
「ふん。だったら何があったか言うんだな」
「……」
 天蓬は思う。
 結局適わないのだ、この人には。見ていないようでいて、見ていてくれて、言い方はひどいのにちゃんと気にかけてくれる。自分の態度がおかしいと気づいてくれるのだから、とても嬉しい。
「実は、留学しないかって話があって……」
「行かないのか?」
 金蝉は即答する。

 ………。

 天蓬としては、少し寂しい。
「悩んでいたんです。ここを離れたくないから」
「お前は頭がいい。留学することはお前のためになるんだろ、違うのか?」
「そうですけど……」
「何がそんなに嫌なんだ?離れたくないって、ずっと行ってる訳じゃねえだろう?一人はそんなに寂しいのか?」
「一人が寂しい訳じゃありません。厳密に言うと、この家を離れたくないだけです」
 貴方の側にいたいんです、と言ってもいいのだろうか?
 口まで出かかった言葉を飲み込む。
「この家は居心地がいいか?でも、留学を迷う程なのか?」
 金蝉には天蓬がなぜこの家に執着しているのか、検討もつかないに違いなかった。
「ここにいてはだめですか?」
 だから、天蓬は違う言葉で言ってみる。
自 分が側にいなくても金蝉は全然関係がないのだろうか?少しも寂しくないのだろうか?だったら立ち直れない。
「……だめだ」
「……」
 天蓬は言葉を失う。
「お前は、自分のために行くべきだろう。行って自分を知ってこい。お前はそれだけの価値があるだろう?違うのか?」
 金蝉は、自分を高く評価していてくれるのか?
 天蓬は瞳を見開いた。
 自分の価値。
 取り柄といえば、この頭脳しかないだろう。
 それなら誰にも負けない。
 磨けば、それなりに使いものになるだろう。
 金蝉の側にいるための権利が欲しい。
 それを手にいれるためなら、何でもする。
 磨いて、磨いて、貴方の隣にいる権利を手に入れよう……。
「3年で戻ってきます。そしたら、ずっと側にいてもいいですか?」
 天蓬は真摯な瞳で、勇気を振り絞り伝えた。
「……好きにすればいい。お前の人生だ」
 金蝉はしょうがないな、という表情をする。
「はい」
 そっけない言葉だが、「いい」と言ってくれた。天蓬は舞い上がる心を押しとどめた。
「3年は戻ってきません。でも、絶対に自分の価値を見つけます。だから、そうしたらここから離れませんから」
 貴方の側から、離れません。
 心で呟く。
 それまで待っていてくれるだろうか?この人は。自分のいない間に自分より近くにいて、彼の心を浚っていく者が現れないだろうか?なんの保証もない、3年。
 これは一種の、賭だ。
 大博打。
 天蓬は神など信じていないが、この時ばかりは祈らずにはいられない。
 どうか、この賭に勝たせて欲しいと。
 いつか、自分がそれだけの存在になれたら、この人の心が欲しい。
「待っていてくれますか?」
「は?俺はこの家からいなくなったりしねえぞ」
 天蓬の問いと微妙に違う答え。
 それでも天蓬は満足した。
 ここから、いなくなったりしないと言うのだから。


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