「天の配剤」1


「今日からお前の兄弟になる金蝉だ。同じ年だけれど、誕生日が天蓬の方が早いから 金蝉は弟になるか?」


 観世音と名乗った、天蓬をここに連れてきた人間が説明した。
 目の前にいる少年。同じ年と言われたけれど……。天蓬が今まで生きてきた中で一番綺麗で可愛かった。
 金の髪。
 菫色の瞳。
 小さな顔。
 小さくて柔らかそうな桜色の唇。
 真っ白い雪みたいな肌に、華奢な身体。
 側に寄ると、いい香りがした。
 少女と見まごうばかりの可憐さ。
 でも、少年であると紹介されたから、これでも男なのだ。けれど、性別など天蓬にとっては些細なことに感じた。
 金蝉と呼ばれた綺麗な少年は天蓬を瞳を見開いてじっと見た。
「兄弟?こいつがか……?」
 そのなんとも素っ気ない言葉が興味からくるもであると天蓬にはわかった。観世音を見上げる金蝉は、
「ばばあも、物好きだな」
 と言った。
「子供好きだとは知らなかった」
 とも言った。大人に対する言葉使いではなかった。けれど、観世音の口調に良く似ていたため、移ったんだろうと天蓬は解釈した。
 そのぞんざいな言葉を柔らかい声で、綺麗な唇から発せられるのが信じられないとともに面白い。天蓬は思いっきり見惚れ、惹かれていた。目の前の存在に、魂が吸い寄せられると思う。今まで、11年生きてきた短い中でこんな感情は初めてだった。


 そう、天蓬の初恋の瞬間であった。



 そもそも天蓬が観世音に引き取られた理由を天蓬は知らない。もともと両親はいなかった。物心付いた時から親類の家に預けられていたせいで、愛情について知らずに育った。ひどい扱いをされた訳でもなかったが、頭も良く聡かった天蓬は「いい子」を演じていたのだ。それで本当に打ち解ける訳がない。親類も、天蓬をどう扱っていいのか困惑していたようだ。
 そして、突然の別れ。
 観世音に身柄を預けられることに決まったと、告げられた天蓬は何も言わずに頷いた。
恨むことなんてなかった。そんな感情が親類に対して沸かなかったのだ。自分の前に現れた観世音は、尊大な態度で天蓬に言った。
「俺のところに来るか?」
 長い黒髪に濡れたような黒い瞳。身体のラインが強調された派手な衣装。存在自体が主張している変わった人物だった。けれど、嫌悪感は不思議と沸かなかった。普段であったら、見るだけで軽蔑したくなる外見なのに。
 だから、「はい」と答えた。
 結局、自分は親類から見放されたのだろう。厄介者だったのだろうと検討は付いていた。
その事実も最早天蓬の心を傷つけることはなかった。そして、観世音に連れられて来た館。そこで天蓬はこの世のものとは思えない存在を見た。


「金蝉?」
 その名を呼ぶ。
「何だ?」
 何度見ても綺麗だなと思う顔を向ける金蝉を天蓬は見つめる。
「体調はどうですか?何か食べられますか?」
「別に何もいらない」
「食べれるようなら、何か口にした方がいいですよ」
「お前、お節介だな」
「……」
 一目で好きになった存在は、天蓬にそっけない。
 心を許してくれていないのか、必要以上に会話してくれない。面倒なだけかもしれない。
 どうしたらいいのだろうか?天蓬は思う。
 どうしたら自分を見てくれる?自分を認めて話してくれる?
 今まで散々頭がいいと言われ続けて来たが、これほど一つのことを考えたのは初めてだ。
 天蓬は金蝉と同じ小学校に転入した。クラスも同じになった。しかし、金蝉は学校を休みがちだった。すぐにわかったことなのだが、彼は身体が弱い。免疫力が低い上に基礎体力が皆無だ。おかげで、風邪をを引きやすく治りにくい。更に、熱も出しやすい。一度体調を崩すと、1〜2週間休むことがざらだった。
 だから、クラスに馴染んでいないことを天蓬はすぐに理解した。
 自分のように他者に興味がなくて浮いているのとは違う意味で、浮いていたのだ。
 彼のあの容姿は小学校では浮きまくっていた。とても気になるのに、親しく話しかけられない。身体が弱く休みがちで、彼に近づくことができないのだ。おいそれとは近づけない雰囲気があっては尚更だ。でも、天蓬はあきらめられないのだ。
「金蝉、熱計りましょうか?」
 にこやかに微笑んで、体温計を差し出した。
 めげない天蓬に金蝉は一瞬止まり、差し出された体温計を見つめ、天蓬を見つめて、「わかった」と言い受け取った。脇に挟むタイプではなく、口内で計る電子タイプだ。
 金蝉は嫌そうに体温計を口に挟む。天蓬はその様子を見つめていた。

 ピピッツ!ピピッツ!
 電子音がする。
 天蓬は体温計に手をかけて金蝉よりも先に取る。
「37度8分……。まだ高いですね」
「これくらい、平気だ」
「でも、身体だるいでしょう?こんなにあると。アイスノン冷えたのに変えましょうね」
「……本当に、お節介だな」
 さっきと同じ言葉だが、どことなく声が柔らかい気がする。
 天蓬はにこりと笑うと、
「お節介でもいいですよ。何とでも言って下さい。でも、僕は止めませんからね」
「どうして俺の世話を焼く?同じ年だからて馴れ合わなくてもいいんだぞ」
「そんなこと考えたことありませんよ。僕が勝手にお節介を焼いてるだけなんです。それに、何を言っても貴方優しいですよね」
「何を根拠に……」
「僕が学校に転入する初めての日、一緒に登校してくれたでしょう?本当は体調が悪かったのに。おかげで、次の日寝込んでましたよね」
 金蝉は黙った。
 一緒に登校したのも、次の日に寝込んだのも事実だったから。
 だからといって、天蓬のためなのかと聞かれたら、絶対認めない素直でない性格だったが。
 天蓬は幸せそうに笑う。
「ありがとうございます。僕、嬉しかったんですよ、とても」
 からかうでもなく、素直に礼を言う天蓬に金蝉も否定できなくなる。
「大したことなんてしていない。同じ学校で同じクラスなんだ、それくらい当然だ」
 金蝉はそっけなく言って、ぷいと横を向いた。
「でも僕は感謝していることを覚えておいて下さいね」
 優しく訴える天蓬に金蝉は目を丸くする。そして、仕方なさそうに笑んだ。






 天蓬は学校から帰宅するとすぐに金蝉の部屋に行く。学校を休みがちな金蝉のために、今日あったこと、授業、行事を話し金蝉の勉強を見るのが日課になっていたのだ。
 金蝉は決して頭は悪くない。天蓬と比べるのはお門違いだが、それでも教える天蓬としてみれば大変飲み込みのいい生徒だった。
 誰かに勉強を教えるなんて初めての体験だった。
 どんなに勉強ができても人と馴れ合わない天蓬は、他人に教えるなんてなかった。
「ただいま、金蝉」
「ああ。お帰り」
 当たり前の言葉なのに、「お帰り」とは、なんて嬉しい言葉なのだろうか。
 自分はここに帰ってきていいのだと、言われているようだ。天蓬は玄関からコートも脱がずに部屋まで来たため、急いでコートと手袋とマフラーを取った。
「今日は寒かっただろう?」
 うっすらと頬が赤くなっている天蓬を見て、金蝉は目を細める。
「お茶でもいれてやるよ」
 そして、部屋から出ていった。あわてて天蓬も後を追う。
 食堂では金蝉が湯を沸かし、食器を用意していた。その様子をテーブル越しの向かいの椅子に腰掛け眺めている天蓬。天蓬に見られていても特別意識もしない金蝉である。
 食器棚にはたくさんの有名メーカーの食器がある。観世音の趣味なのか、ウェッジウッド、ロイヤルコペンハーゲン、などの茶器が並んでいた。
 その中から、ワイルドストロベリーを取り出しテーブルに並べる。
 お茶の種類も豊富。並ぶ缶から金蝉が取り出したのはフォートナム&メイスンのロイヤルブレンド。
 沸騰したお湯をポットに入れて暖める。一度お湯は捨てて、茶葉を入れる。再びお湯を注ぎ、ふたをする。その上から保温のためにティコージーをかぶせる。葉によって抽出時間が違う。
 ロイヤルブレンドはブロークンタイプなので、3〜4分。
 金蝉は葉を少なめに入れて、4分抽出するという方法を取る。
 白磁に金の縁取り、いちごの模様が入ったカップを並べ、ポットから琥珀色の紅茶を注いだ。
 ふわりと上がる湯気と香り。ソーサーにカップをセットして天蓬の前に置いた。

「ほら」
「ありがとうございます」
 テーブルにミルクピッチャーとシュガーポットも用意されていた。
 天蓬は「いただきます」と言ってカップに口を付けた。
 こくりと飲む。暖かい。そして美味しい。金蝉の心使いが身にしみる。さっきまでの屋外の寒さに固まった身体が溶けていく。
「美味しいです」
 天蓬は微笑みながら、お礼を言った。
「そうか」
 金蝉もそれには満足げに頷いた。
 日頃家にいることが多い金蝉は実はお茶全般が趣味であった。紅茶、珈琲、中国茶、ハーブティ、抹茶、日本茶なんでもござれ。どれもプロ級に美味しいけれど、中でも紅茶は超一級だ。
 天蓬は金蝉の入れる紅茶が今まで飲んだ中で一番美味しいと思う。それ以外でも実は料理もそこそこできた。全く外見からは想像できない。嘘みたいである。これは環境が大いに影響を及ぼしていると言えるだろう。観世音邸は大きな洋館だが、住人は少なかった。観世音、金蝉、天蓬の3人きりだ。お手伝いに来てくれる人もいるが、金蝉はあまり構われることが好きではない。必然的に自分でいろいろやるようになった。
「本当に上手ですよね、金蝉」
 天蓬は感心したようにしみじみ言う。
 金蝉はふんと横を向くが、内心は誉められて嬉しいようだ。
 うっすらと耳が赤い。
 自分のためにお茶をいれてくれる金蝉。
 天蓬は嬉しかった。最初はそっけなかった彼も最近では天蓬を見てくれる。
話をしてくれる。誰かに認められることがこんなに幸せだなんて、初めて知った。親類にどんな目で見られても平気だったのに……。

 もっと金蝉のことが知りたい。
 もっと自分のことを知って欲しい。
 こんなに執着したのは初めてだ。
 人から好かれたい、側にいたいと思ったことも初めての感情だ。
 金蝉に出逢ってから、初めての感情を味わうことばかりだ。

 それがとても人間らしい感情であると最近わかってきた。
 今までの天蓬は、大人のふりをしてきていた。
 自分の子供の心を知らなかったのだ。
 もっとも子供であろうと大人であろうと、人を好きになることには関係がない。一人に執着する気持ちがどれほど幸せで狂気であることか。天蓬は眩暈がしそうだ。


「暖まったら、今日の勉強を始めましょうね」
 天蓬は金蝉に言う。
「ああ」
 それに当然のように金蝉は頷いた。自分用のカップを持ち上げ暖かい紅茶を飲む。
一息付いたら、今日の課程までやってしまおう。
 そろそろ冬休みだ。成績表くらい取りに行きたいと思う。それさえも天蓬にもってきてもらうのは、さすがに憚られた。やっと長引いていた風邪も良くなってきた。このままなら、終業式には行けるだろう。
「天蓬、終業式はいつだ?」
 金蝉は確認のために聞いてみた。
「26日ですよ」
「そうか。それなら行けるな」
「……そうですね。このまま良くなれば、どうにか大丈夫でしょう。でも、無理はしないで下さいね」
 天蓬は釘を刺す。
「わかってる」
 金蝉も、耳にたこができるほど聞いている台詞に少々うんざりしていた。ただ、心底心配していることはわかっていたから、それ以上は何も言わない。
「ああ、その前にクリスマスが来るな。天蓬はここのクリスマスは初めてだろう。盛大だぞ」
 金蝉は面白そうに言った。
「盛大ですか?」
「ツリーの飾り付けをするんだよ、全員で。料理もたんまり用意して皆で騒ぐんだ、夜中まで。珍しいだろう?この家では」
 金蝉の身体が弱いせいか、夜更かしがない家だった。
 観世音も居たり居なかったりと不定期で出かける。自己の責任において、生活を守るルールが成り立っていた。だから、金蝉を中心に生活している天蓬も夜中まで起きていることはあまりなかった。せいぜい、本を読みふける時くらいだろう。
「3人で飾り付けるんですか?」
 天蓬は全員というには、今まで自分が居なかった時間は2人のはずなので、不思議に思ったのだ。
「5人だ。まだ2人家族がいるからな」
「2人?」
 天蓬はわからないという顔だ。それに、金蝉は悪戯めいた瞳で、
「今度紹介してやるよ」
 と笑った。



 家族を紹介されたのはクリスマスの日。
 その事実に天蓬が驚愕したことは言うまでもなかった。


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