「桜の咲く頃」3


 土曜日の午後はどこも人が溢れている。


 大型書店のある街まで出てきたが、皆がこれからの余暇を楽しもうとどこか瞳を輝かせてうきうきしているのがわかる。
 街の空気が違うのだ。平日ののんびりと穏やかな雰囲気はなくて、活気と生気が街にあふれる。同世代の制服姿の高校生もたくさん見かける。学生は制服でどこの学校か一目でわかる。可愛いと有名なセーラー服に詰め襟の学生服。色鮮やかな制服の中で、三蔵と八戒が着ているグレーのブレザーは大変目立った。なぜなら、超有名進学校だったから。
 この制服に付いている菊の校章の釦は受験時になると合格のお守りとしてとても人気があった。つてを使って釦を手に入れることは女子高生にとってステイタスでもあったのだ。そのその学校に知り合い、まして彼氏でもいた日には自慢になること間違いなし!である。将来有望と看板を下げているものなのだ、この学校の制服は。


 その上、彼らの容姿は群を抜いていた。
 片方は、金糸の髪に紫の瞳。小さな鼻に桜色の唇。綺麗な綺麗な顔。
 華奢な身体に、人を引きつける存在感。
 もう片方は端正な顔にさらりとした黒髪が額にかかり、新緑の瞳が縁なしの眼鏡から覗いていた。そのガラスの壁が彼をより理知的に見せている。隣の少年より少し背が高く、これから成長することが予想される細身の身体。
 目の肥えたお嬢様達はしっかりくっきりと彼らを自分の脳に記憶した。という、世間のお嬢様の強かな思いを彼らは知らなかった。だから、どこからか向けられるあからさまな視線に晒され、ちょっと不愉快になっていた。が、人混みに酔ったのだろうかと的外れなことを思いつつ、大通りを並んで歩く。



「本屋に行く前に、どこかでご飯でも食べましょう」
 隣で歩く、若干下方にある三蔵の小さな顔を見て、八戒は誘った。
「簡単に、ファーストフードがいいですか?それとも、どこかのランチ?」
「どこでもいいけど、ファースフードはあまり食べたことがない」
 三蔵は少し言い難そうだ。
「ファーストフード嫌いですか?」
 学生にとってはお気楽さ、値段ともに不動の人気店だ。
 しかし、好き嫌いがある。ハンバーガーが嫌いだったらどうしようもない。
「嫌いって訳でもない。行く機会がなかったし、どうしても連れていけと言われて行ったことはあるが……、味付けがちょっとな」
「そうですか。口にあわないんじゃしょうないですよね。よくピクルスが嫌いって人もいますし」
「……俺もだめだ」
「なるほど。どこの店に入ったかなんとなくわかりますが、モ○バーガーとか結構美味しいですよ。ファースト○ッチンは自分の好みで注文できますしね!バンズ、野菜、ドレッシングとか細かく注文してその場で作ってくれるんですよ。ファーストフードもなかなか侮れないお店もありますから、もう一度行ってみるのもいいかもしれませんね」
「へえ……。そんなにオーダーを聞いてくれるのか?じゃあ、ピクルスも抜いてくれるのか?」
「もちろんですよ。バンズも種類がありますし、野菜だってトマト抜いて下さいってお客さんもいるらしいですよ。とにかく細かく対応するのが「売り」なんです。結構大きくて食べ甲斐ありますしね」
 三蔵は八戒の話に驚いていた。
 やはり、自分の知らないことはたくさんあるのだ。世界は広い、とささやかなことで実感する瞬間である。
「今度、行きましょう」
 八戒は楽しそうに言う。今度、と言える嬉しさがある。一緒にまた出かけよう、と思う。
「今日はどうしましょう。ご飯とかの方がいいですか?それともパスタ?サンドウィッチの美味しいお店もありますよ」
「お前、ほんとによく知ってるな」
 さっきから美味しいお店に関して知識を披露している八戒に驚くばかりだ。
 八戒としては普通の生活をしていたら、それくらい常識なのだけれど。三蔵は自分が美味しいお店に関心がなく暮らしてきた自覚はあった。だから、八戒のお勧めに決めてもらおうと思う。
「俺はよく知らないから、任せる」
「いいんですか?でもせめて、ご飯かパスタかパンか選んで下さい。嫌いなものとかありませんか?」
「嫌いなものはあまりない。……ご飯がいいな」
「わかりました。それじゃあ、オムライスにしましょう」
 心得たように八戒は笑うと、三蔵を大通りから逸れた脇道に導いた。



 チリンと扉を開けると鈴の高い音が鳴る。
 店内は奥に長い造りで両脇に席がある。木目調にまとめられ白い壁には店長の趣味なのか、トーマス・マックナイトの絵が席毎に一つ飾られていた。二人は土曜日のお昼だというのに、待たずに座れた。中道に入った店のため、知らないと来れないのだ。
「ここのオムライスは、ライスがブイヨンかトマト味か選べるんですよ」
 そう言ってメニューを指差した。
 確かにチョイスできると書いてあった。とても珍しいことだと三蔵にもわかる。それ以外でも、上にかけるソースというかトッピングの種類が豊富だ。
 ホワイトソースにトマトソース、中華味に和風。ほうれん草にベーコン、えびといか、なすにミートソース、どれも食べてみたいと思わせるものばかりだ。
 うう〜んと悩んでいる三蔵を、八戒は微笑ましそうに見ていた。
「迷うでしょう?お互いに違うのを頼んで味見しましょう」
 八戒は提案した。
「そうだな」
 三蔵も頷く。
 結局三蔵はブイヨンライスに具がなすとアスパラのトマトソース。八戒がトマト味のライスにほうれん草にベーコンでホワイトソースになった。
 先に付け合わせのサラダが運ばれてくる。
 それをフォークでつつきながら、八戒は壁にかかった絵を眺めた。自然と三蔵もそれを見る。
「好きなのか?」
「ええ。かなり好きですよ、マックナイトは。どの絵にも月があるんですよね。月は彼の奥さんの象徴だって聞いたことがあります」
「……この絵には月がないぞ」
 三蔵は素朴に思う。
 淡い光りに満たされた南国の部屋。ベランダからは青い海が見える。ひるがえる白いカーテン。穏やかな空気の流れるリゾート。空に月があるはずなのに、ない。
 周りの絵を見回すと、確かに月があるというのに。なぜこの絵にはないのか?
 例え空に月がなくとも、部屋にかかる絵に月があったりするのに……。
 八戒はふんわりと笑う。
「たまにあるんですよ、月がない絵が……。その時、奥さんと喧嘩でもしてたのかもしれませんね?」
「……。そうだな」
 三蔵もつられたように笑った。なんとも優しい笑顔だ。八戒は目を丸くして驚いた。
そして、嬉しくてしょうがなくなった。こんな笑顔を見れるなんて、誘って良かったと思う。彼の表情がもっとみたい、と八戒は望まずにはいられない。





「美味しい」

 ふわふわ卵とブイヨンライス。酸味の利いたトマトソースが口の中でとろけるよう。
 顔をほころばせて味わう三蔵の顔に八戒は満足だ。折角なら、喜んでもらいたい。美味しいものを食べて欲しい。
「僕のも美味しいですよ。ホワイトソースがクリーミーで絶品です」
 ほうれん草の緑とベーコンの赤が卵の黄色に映える。見た目も、味も楽しませる料理。
「味見してみますか?」
 八戒は自分の皿を取りやすいように三蔵の方に寄せる。三蔵は頷いて、スプ−ンで一口分取って口に運ぶ。
「これも、美味しい……!」
 ふんわり卵とホワイトソースが口に広がり、噛まなくても溶ける。満足した顔で三蔵は自分の皿も八戒の方に寄せた。
「お前も食べるだろう?」
「ええ、頂きます」
 八戒も三蔵の皿からトマトソースの付いた卵とライスをすくう。トマトソースは今までに食べたことがあるけれど、何度食べても美味しいと思う。
「美味しいですね」
 三蔵に笑いかける。それに三蔵も嬉しそうだ。食事は美味しい方がいい。でも、二人で食べた方が何倍も美味しく感じる。誰かと一緒に食べる食事ほど美味しいスパイスはない。誰かのために、好きな人のために作る料理と同じだ原理だ。
 二人は今日あった授業について語りながら、オムライスを平らげた。
 食後はコーヒーか紅茶を選べる。
 大学生くらいだろうか?若い女性の店員がどちらにするか、聞いてくる。
「どちらにしますか?」
「コーヒーでいい」
「じゃあ、僕もコーヒーで」
 女性は注文を伝えると、はいと軽く頷いて去っていった。
 コーヒーはすぐに運ばれてくる。白くてシンプルな柄の陶器のカップとソーサー。
 琥珀色の液体からは湯気と薫香が立ち上がる。
 それだけで美味しいだろうことがわかり、三蔵は期待感を込めて一口すする。ちゃんといれられたコーヒーだ。苦みと酸味のバランスといい鼻に通る香りといい、舌に残るわずかな甘みといい、コーヒーの旨みを存分に引き出した、一品だ。三蔵の驚いた顔で八戒は彼の考えていることがわかった。
「予想外に美味しくて、不思議でしょう?」
「ああ……、こんなのが出てくるとは思わなかった」
「店長が拘った人で、自分の好みにブレンドしてるんです。僕はあまり酸味が強いと飲めないんですけど、ここの味はぴったりなんですよね。だから、オムライス屋なのに密かにコーヒーが人気なんですよ」
「わかる気がする……」
 三蔵はカップを傾け、中の琥珀色を見つめる。
「ちなみに、紅茶も美味しいですよ。お茶を丁寧にいれてるんですよね」
「紅茶も飲んでみたいな。このコーヒーって売ってるのか?」
「どうでしょうか?頼めば分けてもらえるかもしれませんね。三蔵、そんなにコーヒーお好きなんですか?家で飲むほど??」
「父親が好きで、家ではペーパードリップでいれている」
「そうですか、お父さんが。じゃあ、三蔵はコーヒーは上手にいれられんですね」
「それだけは、自慢できるぞ」
 三蔵は悪戯っぽく笑う。
 言外に、料理は全然だけれど、と込められていた。
「豆も買ってきて、ミルで挽いてる。濃いめが好きだから中粗挽きで深煎り。マンデリンとか多いかな?」
 三蔵の淀みない言葉から彼がしっかりと心を込めていれていることがわかる。
「僕も酸味があまりなくて濃い方がいいので、マンデリンとかモカとかが好きですね。三蔵みたいにペーパーでいれるのも好きですが、大抵時間がなくてコーヒーメーカーになっちゃいますね」
 一方八戒も三蔵の言葉がわかる時点でコーヒーに精通していることがわかろうというものだ。おかげで、またもや「お前は何でも知っているのか?」という顔で三蔵に見られることになった。だから、少し照れてしまった。
 それを隠すために、へへと笑う。
「今度、美味しいコーヒー専門店にも行きましょうね。豆分けてくれるか聞いてみましょう」
 店員を呼んで聞いてみる。
 少々お待ちくださいと言って奥に消えていくと、店長に聞いてくれたようで、いいですよと言ってもらえた。三蔵は200グラムを豆で、八戒も200グラムを挽いてもらうことにした。



 大型書店。
 一口に言っても、お店によって傾向があるのだ。
 得意分野があると言えばわかるだろうか?
 例えば洋書が充実しているとか、学生のために参考書や赤本がそろっているとか。
 人が来た本屋は専門誌と雑誌が充実している所だった。雑誌があるせいか、その売場は学生を中心に若者が多かった。反対に専門誌の場所は大人が多い。二人は雑誌売場にある料理の本を見た。
 当然だか、女性が多い。多いどころではなく、周りは高校生、大学生、社会人、主婦と全て女性だ。けれど、そんなことを言っていては本は買えない。今日はそのために来たのだから。
 強い視線を無視して、目当ての雑誌を手に取る。大手出版社から出ている、料理の基礎編の特集。基礎をみっちりと写真で図解してある本。まるで小学生に教えるような絵本のようなもの。三蔵向けの本があるわ、あるわ、平積みだ。
 世の中は決して料理上手ばかりが生息している訳ではないと感じる空間だった。
「これ、どうですか?」
 八戒は三蔵に1冊を渡す。
「貴方にもできる、料理の基礎」
 ページをめくると、写真がぎっしりと詰まり、見やすかった。
「良さそうだな。っていうか、俺にはよくわからんから、お前が選べ」
 三蔵は八戒に任せる構えだ。
「僕が選んでしまっていいんですか?後で文句言いませんか?」
「言わねえよ……」
 三蔵の言葉に八戒はにっこり笑う。
「わかりました、絶対ですからね」
 八戒は、絶対に力を込める。なんとなく、早まったような気がする三蔵だった。けれど、言わないと言った手前翻すのもはばかられる。
 八戒を信じるしかないのだ……。
 そんな三蔵を楽しそうに見ると八戒は側にある雑誌を片っ端からめくり、中を確かめていく。何冊も見て、ふんふんと頷く。やがて、三蔵が内心はらはらしていると、3冊ほど目の前に差し出した。怖ず怖ずと受け取る三蔵だ。

 ………。


「初めての料理。お母さんのお手伝い!」
「彼氏のハートをゲット間違いなし!美味しい料理」
「基礎の基礎。料理は心」


 三蔵はため息を付いた。
 確かに自分は文句を言わないと言ったけれど、これはないんじゃないか?
 三蔵は恨めしそうに八戒を見つめた。それにクスクス笑うと、
「そんな顔しないで下さいよ。本当に見やすいんですよ、これ」
 三蔵が一番買いたくないだろう「彼氏のハートをゲット」の雑誌を広げて見せる。
 中身は全てカラー。わかりやすく写真で全てが補われている。世の中の「彼女」はこんなのを見て料理をしているのだろうか?と疑問が沸き上がる。
「それで、買うんですよね三蔵?」
 八戒は念を押す。
「……わかった。買ってくる」
 三蔵はあきらめたように、ふらりとレジに向かった。
 その後ろ姿に八戒は幸せそうに微笑んでいた。



 三蔵は一つ学んでいた。
 新しくできた友人はなんでもできる器用な人間だ。人好きのする笑顔で付き合いやすい。
 けれど、意地は悪いらしい……。





「ただいま」
「お帰りなさい、三蔵」
 三蔵が帰宅すると、自分を引き取り育ててくれた父親、光明が出迎えた。
 玄関先で靴を脱ぎしっかりと揃えて置く。鞄と一緒に大事に持ってきたビニールの包みをを光明に掲げて見せながら、
「今日は、お土産があるんだ」
 と楽しそうに言った。
 それを光明は穏やかな表情で見つめると、
「頂きましょうか」
 と言った。



 薬缶でお湯を沸かす。
 ミルで豆を細かく挽く。
 三蔵の細い腕では力がいる作業だ。
 けれど、カリカリと豆が砕かれる音がして香りが漂うと、それも気にならなくなる。そして、ドリッパーにペーパーフィルターをセットして、4杯分いれる。
 細かい豆なので、1人分8グラムにしてみる。粉を均一にして、沸いたお湯をサーバーにいれて暖める。ホーローの注ぎ口が細いポットにお湯を注ぎ、90℃以下の温度になるまで待つ。これが結構感覚だ。ドリップの仕方は中心から円を描くように。最初は少量で蒸らして。
 3度ほどドリップして抽出する。サーバーに落ちる琥珀の液体。ポトポトと漂う香りと音。暖めたカップに注いで。



「はい、できた」
 テーブルに小皿に乗せたケーキと一緒にコーヒーを並べた。
「それじゃあ、頂きましょうか」
 光明は手を合わせて、頂きますと言う。
 まず、三蔵のいれたコーヒーを口にする。
 香りとコクを味わう。
「美味しいですね。どこで買ってきたんですか?」
「今日、友達と行った店で分けてもらって来た」
「へえ。コーヒーのお店に行ったんですか?」
 三蔵は面白そうに、光明を見て
「違う。オムライスのお店だった」
 と言った。
「オムライスのお店でコーヒー買ってきたんですか?こんなに美味しいのに……、嘘みたいですね」
「俺もそう思った。あんまり美味しいから家でもいれようと思って」
「良かったですね。美味しいお店に連れていってもらえて」
 光明は微笑む。
 うんと素直に三蔵は頷いた。
 その様子に光明は、ほほうと感心していた。
 三蔵にこんなに心を許させるなんて……。そのお友達とはどんな少年なのだろうと興味が沸いた。一度お会いしたいと光明は思う。
「ケーキも美味しいって評判らしいお店で買ってきた。生クリームが甘くなくて美味しいんだって。果物も旬のものしか使わないから、今は苺が一番だって」
 三蔵は八戒に聞いたことを光明に楽しそうに話す。
 帰り際に、ここのお店いいですよ、と教えてもらったのだ。
 八戒の趣味と舌を信用していたので、言われるままにお勧めのケーキを買った。
 生クリームたっぷりで苺がふんだんに乗っている。苺の赤が宝石のように煌めく。スポンジはふんわりと柔らかくて、生クリームと一緒に食べるので口の中で絶妙なハーモニーを奏でる。こんなに美味しいショートケーキは初めてだ。意外に美味しいショートケーキは少ない。
「ケーキも美味しいですね、三蔵」
 光明が満足そうにケーキを味わうのを見ていて三蔵は買ってきて良かったと思った。月曜日に八戒に会ったらお礼を言おう。そう、決めた。
 意地が悪いけれど、美味しいお店を教えてくれて、本を選んでくれた、今日一日自分に付き合ってくれたのだ。感謝しておかないとな、と思う。


 一方、光明は目の前の楽しげな三蔵を見て微笑んだ。

 いい友達ができたみたいですね。
 一緒に出かける友達。他愛のないことを話したり、相談したり、笑いあい、怒ったり。
15歳の少年らしい、感情。
 そんなに急いで大人にならなくてもいいんですよ、三蔵。
 自分の本当の息子だと思って育ててきたけれど、三蔵は「恩」として受け止めている。
感謝を返そうとしている。
 そんなもの必要ないのに……。
 自分の愛情を受け取るだけでいいのに。小さな頃からいろんなことを手伝いたがった。
だから、義務教育中は勉学を勤しむように言いつけた。そうでないと、自分の手伝いばかりやってしまうだろうから。三蔵の好きなこと、時間を過ごして欲しかった。
 なのに、今度は勉強一筋。
 融通の利かない子。不器用な子だ。
 だから、高校に入ってすぐに、料理をすると言い出した時は驚いた。
 どうしたらいいのかと思っていたら、ずいぶんいい友達ができたらしく、同じ年の少年が料理が得意というのも珍しいが、楽しそうなので、しばらく様子を見ることにした。包丁でけがをする度、はらはらするが、我慢して見ている。その少年と今度は出かけるという。
 正直、光明は驚いた。今まで、こんなことはなかったのだ。
 なぜなら、出かけることを三蔵が楽しみにしていたのだから。帰ってきたら、こんなに楽しそうに今日あったことを話す。光明は目の前の可愛い息子を、愛おしく思う。
 まだ、15歳だ。
 これから、高校生活を楽しんで欲しい。
 幸いにして、いい友人ができたのだ。
 これ以上の幸はないだろう。

 三蔵の幸せを祈らずにはいられない光明である。



 広げられた本と雑誌は今日買った料理の特集。
 ぺらぺらとめくる。写真がたくさん載っていて、とても詳しく説明されている。事細かに、まさしく初心者のための本。
 それを見つつ、三蔵は今度こそ失敗しないで卵焼きくらい作りたいと決心していた。
そして、ふと思い出す。帰り際に、八戒から小さな包みを渡された。荷物があったので、そのまま鞄に入れたままになっていた。三蔵は急いで鞄から包みを取り出した。
 小さな紙袋を開けると、そこからは小さな箱。

 ………。

 カットバンであった。

 これはどういう意味なのだろう?
 怪我ばかりするから、くれたのか?
 嫌みか?
 親切か?
 今一、あいつの性格が掴めていない……。三蔵は首をひねる。

 まあ、ありがたく受け取っておくさ。
 三蔵は机の上に箱を置いた。
 月曜日には、「ありがとう」と礼くらいちゃんと言ってやる。友達だから。


 窓から差し込む月光に、カーテンを引こうと空を見る。
 星が綺麗に輝いていた。
 明日も晴れるだろう。




                           END


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