「おはようございます、三蔵」 八戒は思いきって声をかけた。 この1週間毎朝やりたくてもできなかったこと。 「ああ、八戒か。おはよう」 それに三蔵が挨拶を返す。八戒は嬉しくてにっこりと微笑んだ。 「昨日、言ってた本もってきましたよ」 紙袋に包んだ3冊の本を三蔵に差し出した。この教室で料理の本をいきなり渡したら嫌がられるだろうと思う。それに、わざわざ皆に教えてやるのももったいない。先ほどから八戒と三蔵の会話に教室中の人間が注目していた。 知らないふりをしつつ聞き耳立てている。それに全く気付いていない三蔵は紙袋の折れ曲げた口を開けて中を確かめる。 「有名な雑誌の特集で基礎とか載ってるものと、真面目に初心者向けにの基礎を細かく書いてあるもの、素材について書いてあるものを持ってきました。良ければ昼休みにでも説明しようと思って」 言外に、ここでは嫌でしょう?と語りかける。 「ありがとう」 三蔵は八戒を見て素直にお礼を言った。薄っすらと微笑を浮かべて……。 それにクラス中が見惚れた。三蔵はあまり笑わない。この1週間そんな表情を見たことがなかった。彼には人を引きつける魅力があるのに、滅多に傍に寄れないような雰囲気があって、まだクラスに溶け込んでいなかった。 一線引いて彼を見守っていたクラスメイト達。けれど、実は表面に現れていなかっただけで、感情表現が豊かなのかもしれなかった。ただでさえ綺麗な顔なのに、それに表情が付いたら見惚れずにはいられない。目を離さずにはいられない。本人無自覚に、人を引きつけるのだ。 なんだかな、と八戒は思う。 ひょっとして、天然なのだろうか? だとしたら、これからどうなるのだろう?と未来を馳せた。が、考えても詮無いことだ。八戒は三蔵に優しく笑んだ。 「どういたしまして。それじゃあ、昼休みに」 そう言うと、予鈴が鳴った。 裏庭にはちょっとした林がある。 学校の歴史の古さを物語るような大木が多い。針葉樹も落葉樹もごちゃまぜに生えている。中には花の咲く木も多い。今を咲き誇る染井吉野のや、これから咲く八重桜、低木の連翹が黄色い花を咲かせていた。 二人は散りかけた桜の木の根元に腰掛けた。まず腹ごしらえをしようと、お弁当の包みを広げる。八戒は自前のお弁当。昨日の夕食の残りと朝手際良く作ったおかずが詰まった、とても15歳の少年が作ったとは思えない出来映えだ。 三蔵が広げたお弁当は、栄養を考えられたバランスの良い、見た目も綺麗なものだった。 もちろん三蔵が作った訳がないことははっきりしている。誰かは知らないが、普通は母親が作ったものであろう。購買にある自販機で買ったお茶をを飲みながら、お弁当を食べた。 この学校には学食がある。 高校生相手なのでとてもお値打ちでボリュームがあって人気なのだが、全校生徒を補えるほどは作れない上に、食堂の席が足りない。だから競走が激しくて、自然に上級生が優先になっている。 また、食堂の近くに購買があって、普段は文具や教科書が売られているが昼休みになるとパンが売られる。惣菜パンが人気でこれまたあっという間に売り切れる。その盛況振りは、デパートのセール時を彷彿させた。おかげで、残るのは人気のないものばかり。昼ご飯を食いっぱぐれないためにお弁当を持参することは下級生にとって必死だった。 「お前が作ったのか?」 三蔵は八戒のお弁当に入っている卵焼きを見ながら聞いた。 「ええ。お弁当もこの道4年目ですよ。中学もお弁当持参でしたからね……」 その答えに三蔵は目を見開き感心したように八戒を見つめた。 「すごいな」 「そんなことないですよ。必要に迫られただけですから。最近は趣味もありますけど」 八戒は照れたように、言う。 「姉さんと二人暮らしだからか?」 三蔵は聞いてもいいのだろうか、と伺うように言った。 「ええ。両親が早くに亡くなったので。それ以来、二人で暮らしていますから自然に家事は身につきましたよ。幸い、保険が入ったので生活に不自由はしていませんが、年の離れた姉がすでに働いていますし。その分、僕ができればと思って……」 「そうか……。お前はすごいな」 三蔵は八戒の話を真剣に聞きながら、俯いた。そして、自分の食べているお弁当を見つめる。 「俺も、自分でできるようになりたい」 どこか遠くに心があるような三蔵に八戒は寂しくなる。 自分の話が三蔵を暗くしてしまったのだろうか? 「三蔵はどうして料理をしようと思ったんですか?」 「………」 「………」 黙ったままの三蔵をじっと待つ。 「………俺もお前と一緒だ」 「一緒?」 「両親が死んで、俺は今の父親に引き取られた。とても良くしてくれて、尊敬している。けど、俺が何かしたくてもやらせてもらえない。義務教育中は勉学に勤しむべきだって、譲らない。だから俺はご飯くらい、お弁当くらい自分で作れるようになりたい。少しでも負担になりたくない。返したい……」 三蔵はどこまでも広がる青い空を見上げた。きらりと太陽に反射する瞳。強い意思がそこにはあって。 「すぐに、できるようになりますよ」 八戒は三蔵に強く言った。 複雑そうな家庭。でも、三蔵にはそれを引きずる暗さがない。父親が良い人なのか、三蔵の強さなのか?きっと、どちらもなのだろう。だから、 「家事一般は任せて下さい。全面協力しますよ」 八戒は安心させるように、言いきった。 「サンキュー」 その気持ちがわかったのか三蔵はくすぐったそうに笑う。柔らかい三蔵の顔に八戒は、胸の中がざわつくような感覚を味わった。 お昼休みは桜の下で。 ここ数日の日課になっている二人だ。 4月の午後の光は、桜の花びらの隙間から地面に届き、柔らかく包む。眩しげに青い空を見上げていると、優しい風が髪を揺らし吹きぬけて行く。 隣に座る三蔵の金の髪を浚うように吹く風。煌く光が、彼を照らす。入学式の講堂で「天使」かと思った少年。外見は本当に天使のようだ。どこにいても一目でわかる金糸の髪に紫水晶の瞳。抜けるような白い肌に華奢な身体。そこにいるだけで人目を引きつける存在感。 けれど最近知ったことがある。 彼は見かけによらず、口が悪い。入試で主席を取るほど頭はいいようだし、スポーツも何でもできるようで、運動神経もいいらしい。 先日の体育の時間は体力測定として、50M走や幅跳び、跳躍、などなどを行った。 その中でも綺麗に走る姿が印象的で、機敏に身体を動かしていた。その姿に見惚れて注目してしまったのは八戒だけではなくて、クラス中、その時グランドにいた人間全て。 しかし、今のところ料理にかけては不器用だ……。 「三蔵、また指切ったんですか……?」 八戒は三蔵の腕を取り、指に貼られたカットバンに触れた。 すでに、いくつも細い指に貼られている。見ていてとても痛々しい。綺麗な手と指なのに、と思う。 「大したことはない」 三蔵は八戒の腕を払うと、ぷいと横を向く。 本を見て実践してみたがなかなか上手くいかず、怪我をしているのが恥ずかしいらしい。 「最初は誰でも上手くなんてでませんよ」 だから、八戒はそう三蔵を慰めた。 「お前もそうだったのか?」 「もちろんです。僕が初めて料理したのは小学生でしたから、鍋やフライパンが大きくて重いし、包丁も上手く持てませんでしたよ。卵焼きが上手く焼けた時は感動だったなあ。少し焦げてしまったんですけど、自分で作ったせいか美味しかったです」 ずいぶん昔の記憶を思い出して、八戒は遠い目をする。 「そうか、だったら俺も練習すれば上手くなるな」 面白そうに三蔵は言う。 「ええ。三蔵はもともと器用そうですから大丈夫ですよ。料理はセンスですけど、最終的には愛情ですから。美味しいものを食べて欲しいと思う気持ちがあれば、それが一番の調味料です」 にっこりと三蔵に向かって八戒は微笑んだ。15歳の少年が言う台詞ではない。どこの主婦かと思う、が八戒は主婦業もこなしていたのでそれはある意味正しい。 「……愛情か」 「そうですよ。お父さんに美味しいものを食べさせたいと思えば自然に上達します。 まだやり始めたばかりなんですから、気長に行きましょう」 「そうだな」 三蔵は納得したように頷いた。 「明日の土曜日に本屋に行きませんか?大型書店ならいろんな本がありますよ。きっと、気に入る本も見つかります」 「明日か……。多分いいと思う。お前こそいいのか?俺に付き合って……」 三蔵が小さく首を傾げ八戒を見る。 「いいに決まってるじゃないですか。僕の方が誘ってるんですよ、三蔵」 それに八戒は力説する。 三蔵は全然わかっていない。八戒は喜んでやっているのだ。料理についても、本屋にしても三蔵と一緒にいられたり、話せたりすることが楽しいと感じている八戒の気持ちなど三蔵は想像もしないに違いない。 「だったらいいけど……」 「では、授業が終わったら、行きましょうね」 八戒は畳み掛けるように言った。 三蔵と一緒に出かける約束をして八戒は内心とても嬉しかった。つい数日前まではこんな風に話すことができるとは思ってもいなかった。高校に入って初めてできた友達が三蔵だなんて、なんて幸運なんだろうか。 もっとも三蔵が友達だと思ってくれているかは不明だが……。 嫌われてはいないと思う。今は料理が主だけれど、頼ってくれている。そのうち、もっともっと三蔵のことが知りたい。自分のことも知って欲しい。時間はこれからたっぷりとある。気長に行こうと八戒は思った。自慢ではないが、粘り強さには自信がある。まずは、自分をアピールしておこうか。八戒はお弁当の包みとは別の包みを取り出した。 「三蔵、これどうぞ」 「?何だこれは?」 「カップケーキ焼いてみました。結構自信作ですよ」 包みの中から出てきたのは、カップに入ったスポンジケーキ。上にはスライスしたアーモンドが乗っていて、香ばしい香りがする。 「甘味は少し押さえてあって、食べやすいと思います」 「……お前、何でもできるんだな」 ほとほと感心したと、三蔵の顔に書いてあった。三蔵の賛辞に少し照れた八戒は、 「食べてみて下さい」 と勧める。三蔵は受け取って、一口食べる。 甘い。 けれど、甘過ぎないのだ。 アーモンドの香りと味が口に広がり、自然と顔をほころばせる。 「美味しい」 三蔵の素直な言葉に八戒は満足そうだ。 「簡単ですから、三蔵にもすぐにできるようになりますよ」 「今度教えてくれ」 三蔵は気に入った。 これなら、父親も喜ぶに違いない。 以外に甘いものが好きだから。 お饅頭や和菓子が好物だが、案外ケーキも好きな父親の顔を思い浮かべる。三蔵にと買ってきたクリームと果物が乗ったケーキを一緒に食べて「美味しい」と言っていた。その時の美味しそうに笑っている顔。その顔が見たいから、今日も帰宅したらがんばろうと心に決めた。 「喜んで」 だから、八戒の答えに三蔵は嬉しくなった。 きっと、父親が美味しいと言ってくれる顔が見られるだろう。入学して、初めて話すようになった人間が「料理」好きで良かったと三蔵は思う。料理にかけてはプロなのでは?と思わせるほど詳しい。そして、人好きのする笑顔。自分のことを詮索するような人間でもないし、おかげで傍にいても楽だ。 好き嫌いのはっきりしている三蔵にとって八戒は「好き」に分類されていた。だから、明日の約束は楽しみだ。そんなことまで顔には現れないので八戒はもちろん知らないけれど。 お互いが思っていることなど、さっぱりわかっていない二人であった。 けれど、そんな二人を包むように、春風が吹きぬけていった。 |
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