「ロミオとジュリエット」3


 購買の横にある自動販売機でパックのジュースを買った。
 今日の気分はグレープフルーツだったのだが、売り切れていたためオレンジジュースだ。そのまま渡り廊下を歩いて裏庭に向かう。昼ご飯を裏庭で取るため八戒がすでに行っているはずだ。
 秋風がふわりとその校舎と渡り廊下の隙間を通り抜けていった。
 三蔵は揺れる髪を手で押さえ一瞬目を閉じる。
「三蔵?」
 呼び止められた声に三蔵は振り返った。そこには知った顔があった。
「紅孩児?」
「ああ、すまない。急いでいるか?」
「別に、いいけど・・・。どうかしたのか?」
「久しぶりに見かけたものだから、元気かと思って・・・」
 紅孩児はしどろもどろになりながら、話す。
 黙っていればハンサムで有名なのに、根が純情で恥ずかしがり屋なのだ。今時すれていないのに驚きを隠せなくて、尚かつ、おかしくて三蔵はつい笑ってしまった。
「あ?俺は何か変な事を言ったか?」
「いや、何でもない。気にするな」
 三蔵は片手を口元に当てて笑いを押さえ、もう片方の手をふって気にするなという仕草をする。
 紅孩児は隣の2組だ。
 いいところのお坊っちゃんらしいとまことしやかに言われている。顔も良く、性格も穏やかで校内でも人気が高い。
 その紅孩児は、三蔵に惚れていた。もともと綺麗な人間だなとは思っていた。だが、ある時大きく心が傾いた。


 それは幾分か前まで遡る。
 その日紅孩児はふらりと校内を歩き、たまたま渡り廊下を通った時だった。
 どこからか、争う声が聞こえる。ガシャンという破壊音までして、紅孩児は慌てた。
 何が起っているのか?
 急いで、その音のする場所へ走った。そこには、大柄な男を投げ飛ばしている小柄で華奢な少年がいた。
 金の髪をふらりと揺らめかせ、紫の瞳が怒気を孕み燃えていた。転がった男の背中に一撃を加え、もう一人地面に沈んでいる男に一別をくれて、呆然として立っている紅孩児を見つめた。
 紅孩児は驚いていた。
 あんなに綺麗で華奢なのに、自分より大きな男を投げ飛ばしていたのだから。自分が加戦しようと思ったが、その余地はどこにもなかった。自分を見つめた三蔵の顔に若干掠り傷があって、それが痛々しい。

「大丈夫か?」
 紅孩児は尋ねた。
「ふん、大したことはない」
 平然と言う三蔵に、再び驚く。
「よく、あるのか?」
「ああ?時々な。それがどうかしたか?」
 なぜ、慣れているのだ?と紅孩児は疑問に思う。
 強い三蔵にも心底驚くが、三蔵を襲う奴らが許し難い。華奢で綺麗な三蔵だから油断して襲うのだろう、が反対に返り討ちに合うのだ。
「切れてる・・・」
 紅孩児は頬に血が付いているのに、そっと手を伸ばす。それに、ああと三蔵は手で拭った。
 紅孩児はハンカチを取り出し渡した。
 三蔵は差し出されたハンカチを一瞬見つめ、素直に受け取る。柔らかなハンカチを頬に当てて、血を拭う。すると、真っ白なハンカチに赤い血が滲んでいた。三蔵はそれに眉を寄せた。
「付いちまった・・・悪い。弁償する」
「そんなものいらないから。こんなこと、するな」
「??あのな、仕掛けてくるのはあいつらなんだよ。俺にどうしろって言うんだ?」
 突然言い出す紅孩児に三蔵が睨む。
「・・・俺を呼べ」
 こんなことをさせたくない。怪我などして欲しくない。綺麗な顔に傷なんて・・・。
 だから、いつの間にか口から滑り出た言葉。
「は?お前を?」
「ああ。お前が強いのは見ていてわかったが、万が一ということがある。だから・・・」
 ふんと、三蔵は笑う。
「お人好しだな、・・・そんな所は似てる。ま、あいつの方が性格は悪いがな」
 三蔵は面白そうだ。そして、柔らかく紅孩児に微笑んだ。
「もし、近くにいたらな」
「・・・」
 紅孩児はその笑顔に見惚れた。
 声も出ない。
 そこへ、
「三蔵!!」
 八戒の声がする。
「ああ、もう終わったぞ」
「貴方はまた・・・、何かあったらどうするんですか?」
 心配そうに三蔵を見る八戒。
 その瞳に紅孩児は自分と同じ感情を見た気がした。その事件があった時から紅孩児は三蔵の事が気になり恋心を自覚するに至ったのである。


「それで、どうかしたのか?」
 三蔵が笑いを納めて聞いた。
「ああ。文化祭の準備も進んでいると思って・・・。三蔵のクラスはどうだ?」
「俺のクラスか・・・?そうだな、まあまあだな」
「三蔵は演劇に出ないのか?」
「少しだけ、出るけど・・・」
 三蔵は嫌そうに答える。出たくなんかないんだ、とありありとわかるくらい顔を顰める。
「嫌なのか?」
「誰が好きこのんで出たいもんか!」
「すまない。俺は結構楽しいと思ったから」
 あわてて紅孩児は謝る。
「別にあんたが謝ることはない。あんたのクラスも劇だって?」
「シンデレラだ。コメディだそうだ。解釈が面白いと思う・・・」
「・・・シンデレラ?それであんたは何をするんだ?」
「俺は・・・、王子の役だ。セリフは少ない」
 三蔵は王子と聞いて、紅孩児の顔から身体をじっくり観察した。
「ぴったりなんじゃねえ?」
 そして、くすりと笑う。
 人がいい王子さまには似合いすぎだろうと三蔵は思う。
「そうか?」
 瞬時に紅孩児は真っ赤になる。
 三蔵に似合うと言われれば、嬉しいことこの上ない。
 かっこよくやり遂げて、その姿を見て欲しいと思う。
「折角だから、その時は見てくれ」
「わかった、楽しみにしてるよ」
「皆で一つのことを打ち込むのは思いの外、楽しいと思う。三蔵もそうではないのか?」
「面倒だけどな。楽しくない訳でもないこともない」
 素直でない言葉だ。
「それは、良かった。三蔵も少し出演するのなら、是非見させてもらう」
「わかった」
 三蔵はふわりと微笑んで答えた。

 その穏やかな笑顔に紅孩児が見惚れたことは言うまでもない。





 本番前に2度、舞台練習ができる。
 一度は、1週間前から放課後が順番で回って来て、2回目は前日に1時間ずつ回る。前日は準備日として授業がないので、丸1日準備に使える訳だ。1度目の舞台練習は3日前に回って来た。次は1日後という意味があるんだかという日程だが、こればっかりは順番をくじ引きで決めているのでしょうがない。
 全員でセットや衣装、小物を運び出し、舞台を作る。そして、短い時間でできるだけの打ち合わせをしようと皆忙しく動いていた。
 さて、重要なシーンだがバルコニーなど作れないので、ある程度底上げした踏み台に枠を付けて代わりにする。離れた場所、反対方向に八戒が立てば、一応距離感も出るだろうと計算の上だ。


「ジュリエット姫、僕は誓言します。
 見渡す限り、木々の梢を白銀色に染めているあの美しい月の光にかけて」
 ロミオはジュリエットに向かって手を伸ばす。
「ああ、いけませんわ。月にかけて誓ってなど。
 一月ごとに円い形を変えるあの不実な月、
 あんな風に貴方の合間で変わってしまいます」
「では何にかけて誓えばいいのですか?」
「誓言などなさらないで。
 でも、誓って下さるというのなら、ロミオ様ご自身にかけて誓って頂きたいの。
 貴方こそ私の神、貴方の言葉なら信じますわ」
 ジュリエットはバルコニーから身を乗り出すようにして、ロミオを見つめる。
「もしも僕の心のこの想いが・・・」
「ああ、やはりおよしになって。
 お顔を見れたことは嬉しいけれど、今夜のこの誓約はあまりに軽率で、
 唐突過ぎますわ。
 今日は、お別れいたしましょう。
 この次お目にかかる時には、夏の風に育まれて、美しい花を咲かせましょう。
 お休みなさい。さようなら!」
 ジュリエットはロミオを見ながらきびすを返そうと後ずさる。
 長い引きずるほどのスカート。片手で摘みながらでないと動けない。
 水野はレディがするように自然にスカートの端を摘み、一歩退いた。もちろん、ロミオを見ながらであるから足下は注意したくてもできない。
 しかし、積み上げられた台に若干の隙間があった。そこにつま先が入ると当然人間一人分の重みが加わりバルコニーは崩れた。

 ガガーン!
 ガシャーン!

 けたたましい音を立てて崩れるセット。
 落ちる水野・・・。

「大丈夫か?」
「おい、水野?」
「セットが崩れたぞ!」

 一瞬沈黙があったと思うと、一斉に声が上がる。皆、ハプニングに動揺を隠せない。

「水野?」
 緒方が側まで駆けつけて、倒れている水野を抱き起こす。
「うん、大丈夫」
「頭打ってないか?痛い所はないか?」
「ああ。痛・・・!」
 立ち上がろうとしたが、足を押さえて水野が蹲る。
「おい、保健室行こう。水野掴まれ」
 緒方は水野を優しく起こして肩に腕を回し痛む足に体重がかからないようにする。
「保健室行ってくる。セットはひとまずどこが悪いか確かめておいてくれ。時間がないから、できる場面の打ち合わせだかはやっておいて欲しい。頼むぞ」
 緒方はそう言って、水野を連れて講堂を出た。

 その後ろ姿を見送って、皆、大丈夫だろうか?と不安に思う。しかし、できることはやっておかなくてはならない。
 後で水野の容態は聞くとして、やれるだけはやっておこう。そうでないと、緒方から、水野から爆弾が落ちることは必至だ。


「どうだ?水野」
 保健室に八戒と三蔵はいた。
 心配で様子を見に来たのだ。
「鞄ももってきたから、他に何かあったか?」
 パイプベットの上に水野は寝ていた。右足には包帯が巻かれている。それ以外にもかすり傷があったのか、カットバンが貼られていた。
「大丈夫だよ。ただ、ちょっと捻挫したみたいだ」
 水野が困ったように微笑む。そして、ありがとうと鞄を受け取った。
「そうよ、しばらく運動禁止。おとなしくしてなさい」
 校医の長谷部彩耶が口を挟む。
 この学校で唯一若い女性。だが、性格はすこぶる男っぽい。そうでないと男子校で校医などできないであろう。白衣の下は白いシャツにミニスカートという大人の女性らしい服装。度が少ししか入っていないだろう眼鏡に、ポケットには煙草が覗く。
 おかげで、室内には若干煙草の煙い香りがした。
 女性がよく吸うメンソールではなく、もっとニコチン度が高そうな外国製の煙草だ。
「シップも出しておくけど、こまめに取り替えて。これ以上酷くしたくなかったら、無理するのはやめなさい。ついでに最近睡眠不足でしょう?水野」
 その言葉に水野は参ったなと肩をすくめた。
「と言うわけで、動けないらしい。三蔵、代わりにジュリエットやってくれないか?」
 水野は三蔵を真剣に見つめる。
 一方三蔵も、無言で水野を見つめ返した。
「君でないと、できない。今から台詞を覚えるだけでも大変だ。でも、三蔵ならできるだろう?」
「・・・」
「お願いします」
 ぺこりと水野は頭を下げた。
「わかった。やる。だから、頭なんて下げるな」
「本当に?良かった」
 にっこりと微笑む水野に三蔵は決まり悪そうだ。
「ああ、だから水野も無理するな。委員長だからって全部引き受けることはない」
 心配そうに三蔵は言う。
「そうだね。ありがとう。八戒もよろしくね」
 三蔵に微笑みながら、八戒にはわずかに瞳で悪戯っぽく「良かったね」と伝えた。
 もちろん、八戒は気付いた。
「安心して、任せて下さい」
 だからそう返した。
「もう少し休んだら帰るから、クラスのみんなに伝えておいてくれる?」
「ああ。じゃあな」
「また、明日」
 仲良く去る二人に水野は手を振った。


 翌日の放課後は怒濤の展開であった。
 三蔵は昨夜のうちに台詞をあらかた叩き込んでいて皆を驚かせた。が、緒方の演技指導が入りまくった。
 時間がないのだ、一度で覚えてくれる三蔵はかなり優秀な役者だった。問題は感情移入できない所であるが、相手は仲の良い八戒である。
 もう、どうにかしてくれとしか言えなかった。
 衣装も直した。
 三蔵は水野より5センチ低いのでスカートの裾上げが必要だ。袖だとかウエストはごまかしが効くのでそのままだ。
「じゃあ、三蔵、着てみてくれ」
 衣装係が直しを入れて三蔵の側までもってくる。そして小道具も一緒に渡す。


「うわ〜〜〜!!!」
 感嘆の声が上がる。
「綺麗だ!」
「美人・・・」
 うっとりだ。


 白い肌に映える深いボルドー色の衣装。三蔵には金色の付け毛が留めてあるため背中に流れる金の波が午後の光の中で煌めいていた。結ばれたリボンは瞳の色にあわせて、紫色。
 隣に立つ八戒が、
「とっても似合いますよ」
 と誉める。けれど三蔵は、
「どいつも馬鹿だ」
 と言うと、呆れたように見るだけだ。
「まあ、いいじゃないですか。みんな喜んでいますよ、良かったですね」
 にっこり八戒は微笑んだ。
 八戒を見上げた三蔵は、なんとも言えないように眉を寄せたが小さな声で、
「がんばるさ」
 と囁いた。
「ええ。1位を取りましょう」
 八戒は優しく、きっぱりと言う。
 こくりと三蔵は頷いた。


 ちなみに、二人を見ていたクラスの面々はやはり八戒と三蔵はセットだと思っていた。並んでいるのがとても自然。本人達の自覚があるのかないのか知らないが、絵になる二人に納得していた。



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