「ロミオとジュリエット」2


 文化祭の準備が始まる。
 どのクラスも準備に追われ、部活でも催し物があったりする人間は必要なことだけやってクラスには貢献し、部活に行ってこれまた準備に入る。部活自体が活発でなかったり、帰宅部である人間は必然的にクラス中心に動く。こればっかりは、誰も拒否権がない。
 何か言おうものなら、クラスから猛反発が待っている。皆忙しいのだ。一人だけ、帰ることは許されない。


 さて、三蔵は結局小道具係。そして、「脇役1」に任されていた。
 「脇役1」は説得されたのだ。これ以上の譲歩はないと。
 どうしても、三蔵の「華」としての存在を捨てることができなかったのである。1位を取るために結構なりふり構わない人間ばかりだ。


 教室の前方部分では役者が台本を持って読みながら場面をさらっている。
 後方部分の空いた場所では大道具がベニア板やら、ダンボールを使って工作に勤しんでいる。小道具は教室の隅で椅子をくっつけて、作業に取りかかっていた。何分、小道具は作るものが多い。
 今回のシャイクスピアは現代風にアレンジされていた。演劇部ならともかく、文化祭でやる演目にあの時代の衣装や舞台蔵置を作ることは困難であり、費用がなかったからだ。だから、設定も「花の都ヴェローナ」ではない。現代より少し前。せめてイタリアの舞台は残して。衣装もだから、今から少し前の時代になる。


「あそこの、あの婦人は何方かね?ほら、むこうの騎士の手を取っていらっしゃる」
「存じません」
「おお、一際鮮やかなあの美しさ、まるで松明に輝く術を教えているかのようだ。
 さながら黒人娘の耳に垂れ下がる美しい宝石のように、
 いわば夜の頬に垂れるたれさがる瓔珞とも見まごうばかり。
 日々の用には豊麗すぎ。この世のものたるはあまりに貴い。
 世の女たちに交じりて、ひときわ輝くあの美しい姿は、
 まるで烏の群に交じる、雪を欺く白鳩の風情だ。
 この踊りが終わったらあの姫の居場所を見届けた上で、
 あの人の手に触れて、この粗末な手を祝福を与えよう。
 それにしても、俺の心が恋をしたことがあるか?
 眼よ、否と言え!
 まことの美を眼にしたのは、今宵が初めてなのだから・・・!」

 八戒が台本を見ながら台詞を読む。

「やっぱり、長いな。それに聞き難い。今時、その表現って何よって感じだな」
 緒方が脚本を見ながら赤ペンでチェックを加える。
 脚本と演技指導は、映画・舞台が大好きで将来は絶対職業に選びたいと言う、緒方である。彼のクラブは映画研究会。まだ同好会だがその執念と情熱で来年はクラブに昇格を目指している。
 彼はその大柄な体躯に似合わない感受性と繊細さを持っていて、思いこみの激しさと情熱は体育会系を思わせた。
「表現をもっと現代風に直そう。黒人娘がなんて描写は入れられないだろう。だから、もっと違う表現を入れる。ま、雰囲気を出すために「あの人の手に触れて、この粗末な手を祝福を与えよう」は残したい。ここで一目惚れして後を付けるわかだから・・・その衝撃を伝えないと。けどなあ・・・、今で言うストーカーだよなロミオは!後をつけるな、女々しいとか思わねえ?」
 わかってはいるが、どうも頂けない部分があるのだ。古典であり、これが当たり前だった時代があるのだと理解していても、この世代に生きた人間からすると、どうしても相容れないものがあるのだ。
「八戒、そこ台詞変えるわ。ティボルト、次の台詞言って」
「了解。じゃあ・・・
 今の声は、確かモンタギュー家のものだな。
 おい、剣を持ってこい!よくも来たな・・・!」


 教室に響く声を気にしながら、三蔵も「小道具」としての作業を続ける。全く、無駄に小道具係である。誰でもいいのに、三蔵が「小道具係」。
 腑に落ちないと思う人間はかなりいた・・・。


 今は、花を作っている。
 大量に作るティッシュの花。
 これが一番安上がりで簡単なため、これからの作業を相談しながら手を動かす。ティッシュを何枚か重ねて折る。真ん中を輪ゴムで止めて、中心から花のように広げていく。三蔵の白い指が器用に動いて花の花弁を作る。
 料理の腕は今一だが、基本的に器用な三蔵であるし、誰にでもできる作業だから、あっという間に出来上がる。できあがった花はダンボールに潰れないように入れられた。ちなみに、これはバルコニーに飾られある予定である。
「だから、例えばワイングラスとか杯とか家から持ち寄って揃えればいいだろう?確かに割れるのは怖いけど、作るのは大変だって!」
 一緒に作業をしている一人、小室が提案する。
「俺、ワイングラスもって来ようか?」
 三蔵がおもむろに言った。
「え?三蔵もってきてくれるんだ?」
「ああ」
「ありがとう。やっぱ三蔵も協力してくるんだな・・・。良かった」
 安心したように小室は息を吐いた。
 それに、三蔵は不思議そうに首を傾げた。
「だって三蔵、話かけにくいっていうか、恐れ多いっていうか・・・さ。ちょっと一歩引いてて、話たかったんだけど、できなかったから」
 言い難そうに、照れくさそうにそう小室は告げた。
「そうなのか?」
 うんと頷く小室に、三蔵はなるほどと納得した。
「持ってこれるものは協力する。言ってくれ」
 きっぱりと三蔵は言う。
 クラスの一員としての責任は果たすつもりだ。それをしないのはただの我が儘であると思う。自分は確かにジュリエットは断ったが・・・。少しだけ、断ったことは自分の我が儘であったのか?という思いが頭をよぎる。
「うん。わかった」
 小室は嬉しそうに笑った。それを見て三蔵はもっとクラスメイトと話すべきなのだと感じた。
 だから、自然に微笑みが漏れた。
 滅多に話したことのない小室はその柔らかい三蔵の微笑みを見て、一瞬固まった。
 すっごく、強烈にインパクトのある微笑み。
 綺麗だな、と後で気付くその煌めく瞳と艶色の唇。
 小室は意識を取り戻すと、顔を赤く染めて、じゃあ、がんばろうと言って席に着いた。罪作りな三蔵は、自分のせいだと気付いていなかった。どうしたのか?と疑問に思いながら、手を動かした。


 ちらりと横目でその状況を見ていた八戒は、軽くため息を付いた。
 ・・・。
 三蔵、もう少し自覚を持って下さいね。
 無理だとはわかっていても、そう思わずにはいられない八戒であった。
 わかっていたとはいえ、分担が違うと側にいられない。悔やまれる、その感情に八戒は自嘲した。






 文化祭の準備が始まる。

 前評判とは立つものだ。
 どのクラスが何をして有利だとか情報が錯綜する。
 1年の注目クラスは当然1組演劇、現代風「ロミオとジュリット」2組演劇、コメディ「シンデレラ」5組和風喫茶であった。

「よう、八戒じゃねえか?」
「ああ、悟浄ですか」
 廊下でばったり悟浄と出逢う。
 この学校でも珍しい長い髪にどこか乱れた制服。にやけた表情だが憎めないそのハンサムな顔は他校の女性に人気だ。
「お前のクラスはどうだ?1位狙えそうか?」
「どうでしょう・・・?皆がんばってますけど。悟浄のクラスこそどうですか?」
「俺?まあまあでしょ。なんて言っても俺がおもてなしするからさ」
「女性客が大喜びでしょうね。本当に、着物着るんですか?」
「おお、広まってるなあ。俺が着物なんて着たら似合うと思わねえ?」
 悟浄は自分を指差す。
「似合うでしょうね。その分なら1位も狙えるんじゃないですか?」
 八戒はにこやかに言う。
「余裕だね。お前の方こそどうだよ。三蔵さま、出ないって言うじゃねえか。本当かよって俺は疑問に思ったぜ。三蔵さま出せば1位だって狙えるだろうに・・・」
「噂って広まるものなんですねえ。どこまで話していいものかと思いますが、確かに主役じゃないです。でも、ちょっだけ出る予定ですよ」
「ちょっとだけ?それって意味あるのかよ。どうせならどど〜んと出して三ちゃん人気で1位取ればいいだろうに」
 悟浄の言葉は当然の反応だ。
 八戒は苦笑い。
「そうですね・・・。でも、しょうがないんですよ」
「ふ〜ん、ま、いいけどさ。代わりに水野だって?」
「ええ。委員長です。リーダーシップはさすがですよ、皆を引っ張っていってくれています。仕事たくさんあるでしょうに、疲れも見せないでいるのは委員長体質っていうんですかね?」
「水野も美人だもんな」
 悟浄は納得と頷く。
 三蔵が余りにも有名で隠れているが、委員長の水野は面食いの悟浄も認める美人であった。三蔵と同じきつい美人タイプ。三蔵が強烈な個性で存在感を誇示しているのに対して、どちらかというと委員長をしていることからわかるように、面倒見のあるリーダシップで皆から慕われている。
「で、お前とラブシーンやるのな?」
「さあ、どうでしょう」
 八戒は読めない微笑みを浮かべる。
 ロミオとジュリエットといったら、有名なシーンがたくさんある。
 ラブシーンになるかどうかは置いておいても恋人同士に変わりはない。
「八戒のロミオ楽しみにしてるぜ」
 悟浄は片目をつぶって見せる。
「ありがとうございます」
 素直に八戒も返した。


 放課後は演劇の練習が行われる。台詞も入り、場面ごとに振りや演技指導が行われる。
もちろん、指導は緒方である。

「ああ、ロミオ様、ロミオ様!なぜ、ロミオ様でいらしゃいますの?
 貴方のお父様をお父様でないといい、貴方の家名をお捨てになって!
 それとも、それがお嫌ならせめて私を愛すると誓って頂きたいの。
 そうすれば、私も今を限りキュピレット名を捨てましょう」
「仇敵は貴方のそのお名前だけ。
 モンタギュー、それが何?手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、
 顔でもない。
 人間の身体に付いたそんな部分でもそれはない。
 後生だから、他の名前になって頂きたいの。
 でも、名前が一体何だろう?
 私たちが薔薇と呼んでいるあの花の、名前が何と変わろうと、
 香りに違いはないはずよ。
 ロミオ様、どうかその名をお捨てになって、
 この私の全てを受け取って頂きたいの・・・」
「ただ一言、僕を恋人と呼んで下さい。すれば洗礼を受けたも同様、
 今日からはもう、ロミオではなくなります」
「まあ、貴方は誰?夜の闇に隠れて、人の秘密を立ち聞くなんて」
「さあ、名前を聞かれても、どう名乗っていいか・・・」


「そこは、もっと情緒豊かに。見せ場なんだから・・!」
 緒方の激が飛ぶ。
 有名なバルコニーのシーンだ。
 見せ場も見せ場、誰も知っている場面。ここが今一だと全くつまらないものになってしまう。演技などそんなに期待できないことは承知の上だろうに、緒方は細かく要求する。
「いいか?ジュリエットは誰も聞いていないと思って自分の恋心を切々と語るわけだ。自分の世界に入っているんだな。だから恥ずかしいことなど一切なくて、堂々と訴える。あの、月に向かって・・・。だから、頭上の月を、あるつもりでやれよ、見上げながら語るんだ!!!わかったか、水野?」
「了解」
 緒方の熱意に押されつつ、水野は頷く。
「そして、ロミオは、内心告白を聞いてしまって、いつ出ていこうか迷っている。そして、やっと姿を見せる訳だ。ここの心情をできるだけ台詞と動きで出して!難しいだろうけど、やれ!八戒?」
「努力しますよ」
 八戒も苦笑しながら承知する。
 舞台の表現は身振り手振りが大げさになる。舞台から客席まで距離があるからそうしないと、何をしているかわからないのだ。
 台本に指示されたことを書き込みながら、練習は続く。


「衣装、上がったぞ!」
 衣装係の生徒がダンボールの山を抱えて現れた。
 きらびやかな衣装が出来上がってきたのだ。
「じゃあ、試着してみてくれ。サイズがおかしい所は直すから!」
 それぞれに役柄の衣装と小物を渡す。誰のものかわかるように役柄の名前が付いた紙が両面テープでくっつけてあった。こうすれば、間違いがない。
 シェイクスピアと言えば、びらびらの衣装だが今回は現代風ということでかなり簡素になっている。高校生の文化祭の演劇でそんな衣装が手に入る訳がないのだ。だから、台詞が難解な部分も衣装も現代風にアレンジして行うことになったのだ。
 衣装も予算がないので、持ち寄りがほとんどだ。どうしても足りないものは購入したり、作ったり、作ってもらったり、と大忙しだ。
「似合うな・・・、委員長!」
「綺麗だよ、水野」
 ジュリエットの衣装を着た水野に視線が集まる。
 衣装といってもドレスではなく、ロング丈ののワンピースのようなものだ。深い色あいで光沢がある布地で広がったスカート。ウエストは後ろで共布のリボンが結ばれる。襟元は白いレースが付いていてカメオが留められていた。
 白い肌に映える深い色の衣装。
 茶色の髪にあわせて、後ろに同じ色の付け毛をリボンで留めた。
「そうか?ありがとう」
 茶色の瞳が優しげに笑う。
 これなら、1位も夢じゃないとクラスメイトは思えた。
 八戒も白のシャツに黒いズボンというありきたりの衣装だが、胸元を飾ったり腰に剣を刺したりすると雰囲気が出る。その騎士然とした姿は殊の外八戒に似合った。ジュリエットの隣に並ぶロミオは誰が見てもお似合いだった。


 それを三蔵は教室の隅で見ていた。
 なんだか、側に寄れない、と思う。そう感じる自分が嫌いだし許せない。自分がやりたくないと言ったのだけれど・・・。疎外感?こんなことくらい、何だというのだろうか?
中学時代もこうして中心には加わらなかった。でも寂しいなんて思いもしなかったのに。三蔵はわずかに辛そうに目を伏せた・・・。
 手には脇役の衣装が握られたままだった。



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