「ロミオとジュリエット」1


 秋が深まる。
 校庭の木々も紅葉して、葉が色づく。
 落ち始めた葉が冷たくなった風に乗って校舎に向かって舞い上がった。


 10月に入ると、この超有名進学校でも文化祭の準備が始まる。
 どんなに進学校であろうと、高校生に行事は付き物だ。
 勉強だけしていれば、許されるわけではない。
 取り組む行事は確かに少ないがそれだけ分、力が注がれる。
 文化祭は3日間。金土日と催され、月曜日は振り替え休日となる。
 普段レベルが高くて美味しいと女子高生に有名なのに、男子校ゆえ足を踏み入れることができない学校だ。
 だから、解放される3日間はすごい人だ。
 女子高生女子中学生がたくさん来る。
 もちろん、生徒の家族や他校生も来るのだけれど、女生徒の占める割合は高い。
 巷では、かなり有名な学校祭だった。

「秋だなあ・・・」
 という無駄な台詞は聞き入れてもらえない、そんな午後。
 ホームルームでは文化祭で行うクラスの出し物について話し合われていた。
 黒板には、
「喫茶。中国茶店。(お茶と、中華菓子)」
「演劇。シャイクスピア?
    お伽話をコメディタッチ?」
「昔のお店を再現。駄菓子とか、玩具。」
 と書かれていた。

「それ以外、何か案はありますか?」
 白墨でカツンと音を立て黒板に意見を書き、皆の方を振り返る生徒が一人。
 茶色の髪をふわりと揺らして、秀麗な顔を傾げて見せた。
 1年1組のクラス委員である水野だ。
 教壇に立って、ホームルームを進めていた。
 担任は決めておいてくれと言って教室から去っていってしまった。教師は教師でこれから会議があるらしい。
 出し物は何でもいいわけではない。
 ちゃんとクラスで企画を練り、用紙を提出して生徒会から了承が出ないと駄目なのだ。
 生徒会としても、例えば飲食店ばかりを認める訳にはいかない。
 飲食店は1学年3クラスまで。
 演劇や演奏など舞台を使う物は1学年1時間4クラスまで。
 教室を使った発表や出し物はいくつでもいい。
 部活やクラブの発表など特別教室や準備室を使う物などは申請。等々、決め事があった。
「ないなら、多数決で決めたいと思う。いいと思う物に挙手をしてくれ」
 水野は一つずつ読み上げ、人数を書き込む。
 その結果、圧倒的多数で演劇に決まった。
 演劇など準備に大変で嫌われるかと思いきや、そうでもない。
 喫茶もかなり人気があったのだが・・・。
 実はクラスの出し物で人気投票があるのだ。
 投票権は生徒と教師一人一人に1票。家族用にパンフレットが1冊あり、それにも1票分の投票用紙が付いていた。
 もちろん、自分のクラスには投票できない。それ以外でいいと思ったクラスに投票する。その結果、各学年1位のクラスには食堂の食券が副賞としてもらえるのだ。一人1週間分×クラスの人数。かなりの太っ腹である。
 つまりは、皆1位を取りたいのだ。とすると、演劇で目立つのが一番近道と考えても不思議ではない。
 学校内総合1位になると食券が一人当たり2週間分になる。
 貧乏な学生はがんばるしかないのだ。幸いこのクラスには人気があり、見目の良い人間が多かった。ついでだが頭の良さも学年一。平均点が高いのだ。平均点を吊り上げている人間が数人いるのがその原因だった。
 学年1位の三蔵や10位以内の八戒、20位以内の水野など見目も頭も良い人間がこのクラスには居た。だから、演劇に出演させて1位を取ろうという単純だが確実な方法も的は得ていた。
「じゃあ、演目は俺も考えてくるけど、皆も考えておいて欲しい。それでは今日はここまで。明日のホームルームでまた続きをしよう。お疲れさま」
 水野の声で、ホームルームの終わりが告げられた。



 翌日。
 ホームルームはまたもや、担任はいなかった。
 彼は自分のクラスの委員長が頼りになるのをいいことに、お任せな態度であった。
「小耳に挟んだんだけど、他のクラスが演劇でお伽話を扱うらしい。だから、シェイクスピアみたいな真面目な演目を面白く料理する方がいいかと思った。勝手に演目を上げてみた、皆どう思う?」
 水野は黒板にさらさらと演目を書き上げた。

「ロミオとジュリエット」
「リア王」
「真夏の夜の夢」
「オセロ」
「ハムレット」

「委員長、どれが一番やりやすい?」
 何事も委員長の言う通りにやれば、間違いがないと今までの経験から知っている生徒はそう聞いた。
「シェイクスピアはどれも台詞が難解だけど、それは有名なシーン以外は簡単にしていいと思う。演目は誰が見ても一目でわかって、内容を知っているものの方がやり易いだろうな・・・。そうすると、ロミオとジュリエットがいいかな?」
 クラスの面々は、ふんふんと頷く。
 それを見ていた水野は、
「じゃあ、決定していい?」
 と聞く。
「異議なし!」
 という者や、拍手して意志を伝える者もあった。
「それでは、大まかな役柄と大道具、小道具、衣装、など決めていきたいと思う。まず、主役から行こうか。自薦、他薦問わないから!」


「三蔵だろう!やっぱり」
「そうだよな、ジュリエットは絶対三蔵!」
「だったらロミオは八戒か?」
「いいんじゃねえ」
「そうだな」
「委員長は出ないのか?」
「見目のいいのは絶対入れろ、1位を取るんだ」
「きっと美人だぞ!」
「見たいなあ」


 盛り上がり意見を言い合う、無責任に言いまくるともいうが、水野はそれをざっと聞いてそろそろいいかという所で、パンパンと手を打って「注目!!!」と言う。
 クラスを隅まで見渡し、
「そろそろ、いいか?名前の上がったやつを書いていくから」
 そして、黒板に
「ジュリエット・・・三蔵
 ロミオ・・・・・・八戒」
 と書く。
 しかし、今まで静観していた三蔵がクラスに響き渡る声で、
「絶対、嫌だ・・・!」
 と宣った。
 静まり返る室内。
 その紫の瞳は強い意志が煌めいていた。
 金の髪もまるで炎が揺らめいているが如く輝く。三蔵の全身から「嫌だ」オーラが溢れていた。
 それを八戒が心配そうに見つめる。
 三蔵が怒り出すのではないかという懸念と、これでクラスから浮いてしまったらという不安。とはいえ、三蔵はやりたくないことは絶対やらないし、クラスから良くも悪くも現在浮いていた・・・。
 クラス中の目が三蔵に向けられる。
「まだ、決まった訳じゃないよ。演劇だってこれから企画書を生徒会に提出するんだから・・・。もっとも、通すけどね、企画は」
 水野はにっこりと笑った。
 企画は通す、と言う。生徒会が決定することであるが、水野にはその勝算あった。
「未定だけど、決定した時円滑に進めたいから決定できることはしておくつもりだから。出演者は決定後相談ということにしておいて」
 水野は、クラスに響きわたる声で言う。
「希望の役割の下に名前書いておいて」
 そして、黒板をコツンと叩く。
「以上、ホ−ムルーム終わり。書いた者から帰っていいよ」


 その言葉に、はーいと声が上がる。
 けれど、三蔵は不機嫌そうにして眉間にしわが寄っている。
 八戒は機嫌を伺うように、三蔵、と声を掛けた。それにも、嫌そうに答える始末だ。前途多難、そう誰もが思ったある秋の午後だった。







 「ロミオとジュリエット」

 名作である。
 悲劇である。
 そして、1週間後。
 生徒会の文化祭実行委員により企画が認められ、1年1組の出し物は「演劇」に決定された。


「八戒?」
「何ですか?」
 八戒は委員長である水野に呼び止められる。
 現在は放課後であるためこれから図書館へ行こうと八戒は鞄を持って席を立とうとした所だった。
「三蔵、説得しておいてくれる?」
 水野はにこやかに言う。
 八戒の穏やかさとは別の種類の微笑みだ。もちろん説得とは、ジュリエットのことであるとわかる。
「僕がですか?」
「もちろん。八戒の相手役だからね。自分の相手を口説くの当然じゃないかな?」
「・・・僕がロミオなのは決定ですか?」
「八戒は断らないだろう?」
 何を当たり前のことを聞くんだという顔で水野は八戒を見つめた。
「自信ないですけど」
 八戒の言葉に水野は微笑む。
「八戒が説得できないで、誰ができるんだ?それに、三蔵のジュリエット八戒は見たくない?」
「当然、見たいです」
 はっきりした答えに水野は満足そうに頷く。
「だったら、がんばって来てくれよ。どうしても駄目ならあきらめるから。本人の了解がないのに無理を押し通すのは好きじゃないし、フェアじゃない。クラスの志気に関わるしね」
「引き受けました。でも、期待しないで下さいね」
 八戒は了解と片手を挙げる。
「期待してるって。じゃ、頼んだよ」
 水野は手を振って「さよなら」と言うとすでに後ろ姿だ。
 委員長は忙しいのだ。これからも仕事が待っている。
 ふう。
 八戒はその消えた後ろ姿を見つめながら、ため息を付く。そして、図書館で待っているだろう三蔵を想った。


 いつもの待ち合わせ場所、それはこの二人の場合は図書館だ。
 司書の土方とも仲が良く、居心地の良い空間なのだ。
 静かな空間にひっそりと三蔵が立っていた。
 本棚から1冊の本を取りだしぱらぱらとめくっている。その姿を八戒は見つめ、一枚の絵のようだと思う。声を掛けたらこの絵が壊れてしまうのが勿体ないなと馬鹿なことを考えてしまう自分に呆れる。
 それでも、その三蔵が自分を見てくれるのだからと、
「三蔵」
 と小さな声で呼びかけた。それに三蔵がゆっくりと振り返った。八戒を認めて若干表情が軟らかくなる。
 八戒はにっこりと微笑み、
「お待たせしました」
 と言った。
 今日は八戒が用事があったので三蔵の方が先に来ていたのだ。静寂な空間はとても好ましいが話をするのに向いていない。八戒は三蔵を図書館から連れだし、建物のすぐ横手にあるベンチに誘った。
 自動販売機で買ったパックのジュースを渡す。
「ありがとう」
 お礼を言って受け取る三蔵に「いいえ」と返し、自分もストローを刺して一口飲む。
 ふう、と一息。
「三蔵?」
「何だ?」
 これから八戒の言う言葉がわかっているのか不機嫌そうに、聞き返す。
「単刀直入に言います、ジュリエットは嫌ですか?」
「嫌だ」
 きっぱりと言い切る。
 想像していた言葉と態度。
 でも、だからといって「そうですか」と言えないのが困ったところだ。
 クラスの一員として文化祭に協力はしなくてはいけない。そんなこと三蔵だってわかってる。自分の責任を果たすことに異存はないだろ。そういう点はきっちりしている三蔵だ。
「クラスの一員として、役割は果たすべきだと思いませんか?」
「そんなことはわかってる。でも、それがジュリットでなくてはならないことないだろう。 小道具でも、照明でも何でもいいはずだ」
 正論である。
 でも。
「役割とは何でもいいとは言いますが、当然得意なものをやってクラスに貢献するべきですよね。違いますか?」
「得意なものって、俺は演技なんてしたことねえぞ」
「普通、皆素人ですよ。でも、中学とかで演劇やりませんでしたか?」
「ない。そんな目立つことやるわけねえだろう」

 ・・・。

 舞台に立たなくても十分目立ってますけど、とは八戒は言えなかった。
「僕は中学時代に一度文化祭でやった程度です。でも、楽しかったですよ」
「そうか、良かったな」
 にべもない。
 見目の良い人間が舞台に出るのは至極もっともなことなのだ。誰もがどうせ見るなら綺麗な、ハンサムな顔がいいと思う。その欲求は自然である。高校生の文化祭の演劇に、演技力を期待する人間はいない。となると、何を目的とするか?簡単すぎる答である。
 受けを狙うか、学生らしいテーマを追求するか(これは先生受けはいいが、生徒にはからっきしだ)、舞台を華やかに彩るか(要は、綺麗でハンサムをてんこ盛りして客引きをする)、である。
「どうしてそんなに嫌ですか?」
「・・・」
「目立つことが嫌いなことはわかります。でも、それはそれで、楽しいと思います。三蔵はそう思いませんか?確かに演劇に出るのは三蔵の意志に反するかもしれませんが、それを翻してもいいと思いませんか?」
 八戒としては、三蔵にこの楽しみを知って欲しいと思うのだ。今まで中学時代そういうことから離れてきた三蔵だから、せめて高校では学校生活を楽しんで欲しかった。それが自分と一緒にできたら、言うことがないではないか。
 三蔵は真剣に言い募る八戒を見つめると、ふいっと横を向いた。
「うっとおしいんだよ」
 ぼそりと、言う。
 その言葉を八戒は正確に理解した。
 三蔵はよく絡まれる。その目立つ容姿と存在感からか、他者が無視するには輝きすぎているのだ。絡まれても、それにどうにかなる三蔵ではなく、容赦なく叩き潰す。
 投げ飛ばす、踏みつける。時々やりすぎた観はあるが、正当防衛だろう。
 すでに十分目立っているが、全校生徒の前で、他校生や不特定多数の前で姿を晒すことはもっと嫌な思いをする可能性が増えることになる。
 つまりはそういうことなのだ。
 自分の魅力にてんで疎い三蔵だが、目立てばそれだけやっかい事が増えるのは理解しているらしい。それは八戒としても望むことだ。
 これ以上三蔵に絡む人間は増やしたくないし、三蔵に争って欲しくない。
「わかりました」
 所詮、八戒にとってクラスより、自分の願望より三蔵が大切なのだ。
 だから、にっこりと笑う。
「僕から委員長に言っておきますよ」
 その言葉に迷いはなかった。


 結局、ジュリエットは委員長の水野がやることになった。
 三蔵以外、クラスにジュリエットをやる程の美人は水野以外にいなかったのだ。「三蔵が何故やらない?」と文句を言っていた人間に水野が、
「嫌な人間に無理矢理やらせてどうするんだ?三蔵には遠く及ばないけど、俺だと不満?」
 と言われて、何も言えなくなったのだ。
 小さくすまんと謝って、下を向いた。委員長に嫌われることはごめんだった。嫌われたら、このクラスで生きていけない。面倒見がいいので、水野には勉強でわからない所を教えてもらうことが多いのだ。
 頭の良さは三蔵がぴか一だが、いかんせんそんなことは聞けなかった。八戒でもいいのだが、三蔵と一緒にいると声をかけ辛い。という諸事情で、委員長にお世話になることが多くなるクラスメイトであった。そして大方の予想通り、ロミオ役は八戒が受けた。
 これで八戒までもが断るなんてできる雰囲気ではなかった。
 八戒にしても断る気はなかったのだ。三蔵がやらない分自分が受けて少しでも三蔵に向けられる感情の負担を軽くしたかった。


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