「残夢の欠片」13






「俺の身体を材料にしても、人体錬成は無理だ」
「なぜ、そんな事が言えるの?不可能だというの?でも、もうそれ以外方法がないのよ。だから諦めてちょうだい」
「ふざけるなっ」
 エドワードは苦しい息の中、叫んだ。
 自分を材料にしても、駄目だろうと予測が付く。
 どんな犠牲を払っても、きっと彼女の望むものは手に入らない事をエドワードは知っていた。
 藁にも縋る思い。
 身を切る思い。
 そんなの、実体験で味わった。
 たった一人を取り戻したいという気持ちがわからないとは言わない。自分は同じ過ちを犯した罪人だ。
 何の反論もしない。嘲りも侮辱も甘んじて受ける覚悟くらいある。
 けれど、どう考えてみても人体錬成が成功するとは思えない。
 それは神の領域だ。
 それとも、賢者の石が本物なら完璧なる人体錬成が成功するとでもいうのか。
 自分達が求める賢者の石。それが手には入ったら、自分の手放した手足と弟の身体を取り戻すつもりだ。
 全くの無の状態から錬成しようなどと思わない。
 それが、不可能だということを身をもって知っていた。知らされたのだから。
 目の前の無知な女は、それでも人体錬成をするという。
 無知。
 否、無知ではなく、盲信だ。
 現実を見ていないのだ。出来る訳がないのだと諦めることができないのだ。
「貴方がどう言っても、止めないわ。だって私はそのために今まで生きて来たんですもの」
 キャサリンは真っ直ぐにエドワードを見据えた。
「錬金術師は等価交換が基本だ。例え賢者の石らしきものがあったとしても、支払う代価は自分自身だ」
 エドワードはキャサリンから目を逸らさずきっぱりと言い切った。
 身の程を越えた錬成にはリバウンドが付いて回る。
 母親を錬成しようとして失敗し、ヒトでないモノを作りだし殺した。その代価は弟の全てと自分の左足だ。
 そして、弟の魂の代価。それをキャサリンははっきりとは知らない。
 弟の魂を錬成したと聞いただけのはずだ。それによって自分が右手を差し出したことを知らない。右手で済んだ事が多分に幸いであることを知らない。
 あの時、自分は全て投げ出して良かった。そんな気持ちで挑んだ命賭けの錬成だったのだ。
「そうね。錬金術師は等価交換が基本。人体錬成は東の砂漠の賢者の話では、一夜にして国が滅んだ程の危険な錬成。知っているわ、罰が下る程の禁忌だということを。けれど、そんなもので私を止めることはできない。……ねえ、代価に私の持っているもの全てを支払っても構わないわ。でも、足りないかしら?」
 エドワードが何を言っても止められない意志の堅さがその瞳には見える。
 女は何を思ったのか、エドワードの前にしゃがみ込み彼の金髪を愛しげに梳いた。優しい仕草で梳いてはこぼれ落ちる髪を見つめそれを何度か繰り返す。
「メアリも貴方と同じように綺麗な金髪だったのよ。太陽の光にきらきらと輝いて」
 長い髪をいつも私が結っていた。
 可愛いリボンを付けると喜んで笑ってくれたのよ。
 キャサリンは幸せだった頃の思い出に表情を緩ませた。
 失踪した子供は金色や茶色、栗色の淡い髪の色だったと言っていた。娘の容姿に近い子供を浚っていたのか。
 年端もいかない子供を、自分の娘と同じ年頃の子供を、よくも簡単に殺すことができたのものだ。
 そう言う場合、彼女の心に躊躇はなかったのか。
 例えば、赤ん坊ならそのまま自分で育てたい誘惑にかられないのか。
 エドワードは思う。
 誰も代わりになどならないと知っているけれど。
 自分の娘以外に価値を認められないのだろうけれど。
 それでも、子供が死んでいく姿を見てキャサリンは何も感じることがなかったのか。
 そう思わずにはいられない。
「なぜ、俺だけでなく軍部まで巻き込んだ?」
 それはエドワードの疑問だった。
 エドワードだけが目的なら、自分になんらかのアプローチをすれば良かった。わざわざ軍部宛に手紙など送らなくても方法ならあるはずだ。旅先で逢っても不思議ではない。
 それなのに、面倒な軍まで呼び出して。
 予告状というより呼び出し状のようなものまで出して。
 返って、彼女には厄介だろうに……。
 見つかる事を前提としていないのだろうか。それほどの自信ががあるのか、掴まることさえ価値がないのか。
「ああ。だって邪魔なんですもの」
 エドワードの疑問に、キャサリンは事も無げに言う。
「メアリの死因は、軍の流れ弾よ。軍人が逃げ出したテロの首謀犯を追っていたんですって。偶々街で遊んでいたメアリは運悪く撃たれた。私の目を離した隙に突如として現れた軍人達の捕り物に隔てられて、私の見ている前で撃たれたわ。軍人のせいじゃないけど、だからといって納得できるものでもないでしょ?東方司令部は有能らしいって評判だから、折角上手くいっても見つけられては困るし、この際始末しておこうと思って。ああすれば、最低人数で東方司令部の責任者であるマスタング大佐は動くでしょう?狙いやすいじゃない。大佐が何かした訳でもないけど、この際仕方ないわよね。軍のトップとして始末するはずだったのに今も生きている。残念だわ……けれど、それはもう、後でいいわ」
 キャサリンは小さく笑んだ。
 確かにあるはずの憎悪が見えない、表情をなくした笑みだ。
 軍を巻き込んだのは、復讐の一貫でもあったのだ。
 全く、軍の人間は嫌われる。
 一人の軍人がした行いが、全ての軍人の評価に繋がる。
 至らない行動や乱暴で粗雑で不届きな軍人もいるが、そうではなく仕事に務めている人もたくさんいるとエドワードは知っていた。気持ちの良い人がどれだけいても、一握りの不心得者や一度の間違いで信用は地に落ちる。
 子供を誤って撃った軍人を庇うことはできない。それは、確かに罪だ。子供を目前で銃弾で失った母親の嘆きは見ていられない程深いだろう。
 だからといって、人体錬成は許されない。
 子をなくした母親はその悲しみを乗り越えて行かなければならないのだ。世の母親はそうしている。
 なまじ、錬金術師として能力がありすぎたのが悪かったのか。
 賢者の石らしきものを見つけてしまったのが問題だったのか。定かではないが、エドワードはそう自嘲気味に思う。
 見たくない姿だ。
 まるで、鏡の向こうに映る自分の姿のようだ。
 キャサリンはエドワードの髪を弄んでいたが、振り切るように立ち上がった。
 そして、人体錬成の準備に入る。
 エドワードはその作業を見守った。すでに行ったことのある人体錬成だが、他人が行う姿を見るのは当然ながら初めてだった。研究者として、ほんの少しだけ興味があることは否めない。
 まず、必用なものは人体の構成物質。つまりエドワードだ。
 構成物資ではあり得ない、余分な鉄分である機械鎧はだから取り外してある。
 エドワードの自由を奪うだけではなく、機械鎧の鉄は余計なものだ。
 本当なら、右手左足のない自分では足りないのではないかと思うがメアリはずっと小さな子供のようなので、構成物質として分解すれば問題はないのだろうか。
 エドワード以外の足りない構成物質は……。エドワードが見ている前でキャサリンは、戸棚からガラス瓶を取り出してエドワードの足下近くに落とした。
 固形物や粉末の物質を数種類。
 白い色や黄土色の粉末、血のような赤い半液体など。
「これは、人工的に作り出したものではないわ。全て人間から取り出したものよ」
 エドワードの視線を感じたのかキャサリンはガラス瓶を棚に仕舞いながら説明した。気負わないそっけないキャサリンの言葉にエドワードは目を剥く。
 人工的ではない、人間から取り出した物質。
 己が人体錬成を行った必用な抗生物質で気軽に手に入らないものは科学的に作った。それを、人間から取ったというのか?
 エドワードは動かない手を握り唇を噛みしめてその衝撃に耐えた。
 浚った人間。最近は子供。彼女から見ればただの材料だ。そこから、取った人間の構成物質。些細な元素さえも、人間から取らねばならないと彼女は思ったのか。
 なんという、犠牲。
 一人の子供を蘇らせるために。
 何人を生け贄に捧げたのか。
「……私の血」
 キャサリンは己の指をナイフで切り、血を数滴垂らす。
「夫の遺髪。これが彼の情報」
 胸にかかったロケットから数本の髪を取り出し散らした。ふわりと落ちた毛髪は、死んだ夫の残された唯一だ。
 魂の情報。
 それはエドワードも実行した事だ。
 キャサリンと夫の魂の情報から娘は成る。エドワードとアルフォンス二人の情報を入れたと同じ要領だ。
 材料はこれで揃った。
 描かれた錬成陣はあと少し描き足せば、完成するだろう。
 錬金術師の錬成陣は人それぞれ違うから、もちろんエドワードとアルフォンスが記した錬成陣とは違う構築式になっている。

 ああ……。
 なんとかしなくてはならない。

 機械鎧の腕を外されているから、手をあわせて手早く錬成することもできない。
 自由が利かなくて思い通りに動かない身体では、碌々反撃もできない。
 薬を使われたのか、神経をいじられたのか今すぐに判別できなきいが自分の意志で思うように身体が言うことを効かない。体中が、怠くて重い。そして、息苦しい。
 もし、機械鎧の腕があれば自分は拳銃を錬成して彼女を撃つべきなのだろう。自分は動けないのだから逃げることも不可能、手加減していては何の解決にもならない。一撃で仕留めなければ、自分は人体錬成の材料になるだけだ。
 彼女に赤い石がある限り、不利だ。接近戦に持ち込もうにも現在の自分は迅速な行動ができない。
 ただ、もしという過程でも自分が人を撃つ、殺すことができるかどうかは別問題なのだけれど。
 多分に、甘い考えであることはわかっている。軍の狗である限りいつか人を殺すことになるだろうことは避けられない。それでも、今はまだその時ではないと自身に言い訳する。だって、ここは戦場ではないのだから。
 残された道は、時間稼ぎだ。
 隙を見て逃げ出せるか、反撃をするか、それとも応援が来るのを待つか。
 どれにしても、この場を引き延ばして人体錬成を行えないようにするしか道はない。
 エドワードは左手の指を近くで尖っている床の歪みに出っ張った釘に強く押しつけるようにして引いた。深く切れて傷から血が滲む。
 キャサリンから見えないようにしながら、ゆっくりと小さな錬成陣を血で床に描く。シーツに隠れて彼女からは見えないはずだ。
 これで床を崩し、キャサリンの錬成陣を壊せば準備を一から始めなければならなくなる。
 キャサリンは材料である自分を殺すことはしないだろう。
 一時しのぎでも、そうするしかなかった。
 見つからないように、キャサリンがこちらから視線を外し錬成に注意を向ける時が、勝負の時。
 目を閉じると、弟の姿が瞼に浮かぶ。
 ごめん、アル。
 きっと心配をかけている。
 俺はこんなところで死ねない。お前だけ残してなんて死ねない。
 大罪を起こした自分だけれど、お前を残して一人で逝ったら俺は自分を赦せない。それだけは、してはならない。
 だから、このくらいの危機乗り越えてみせる。
 あの時。
 母親ばかりでなく、自分は弟を殺した。
 二人で挑んだ人体錬成だった。それなのに、弟は全てを持っていかれた。自分は左足を通行料だと取られた。
 どうしてこんな事になったのか?
 どうして、弟は消えた?
 真理を見て戻ってきた目の前にはヒトでない母親のなれの果て。見るも無惨なヒトでないもの。すぐに絶命した。この世にあってはならないモノだった。
 弟の姿はどこにもなくて、服や靴だけが残っていた。身体が、魂が精神が。人間を構築するものが全て消えた。
 己のせいだ。
 返せっ。返してくれ。
 全て差し出すから、命も魂も心臓も。
 自分に差し出せるものがあるなら、何でも持って行け。等価交換なら、俺と弟を代えてくれ。
 たった一人残された家族。
 同じような金髪と金色の目をした、自分の全て。
 残された自分の血を吐くような絶望を弟は知らない。あれ以来、二度と繰り返さないと決めている。そんな絶望を決して味あわさない。
 だから、ここで死んだりしない。
 エドワードは目を開けているのも辛いのだが、決意を込めたような瞳でまっすぐ睨むようにキャサリンを見つめた。それをキャサリンは無表情で受け止める。
「じゃあ、始めましょう」
 キャサリンは目を閉じて口中で小さく何かを呟きながら指輪のはまった手を差し出した。
 青白い光が暗い室内に光る。
 今だ……。
 エドワードが床に描いた血の錬成陣に己の指を押し当てて、力を込める。エドワードの周りからも青白い光が滲み出て己が横たわる床に亀裂が入り崩れる瞬間、銃声が響いた。
 エドワードが目を見開き、驚愕の色で瞳を一杯にした理由は、キャサリンが同じような驚愕を受かべながら胸を押さえて床に崩れ落ちたからだ。彼女の左胸からは鮮血が滴っている。見る間に服を血の色が染めていく。
 足を付いて、血が止まらない胸を押さえたキャサリンは苦しげにうめく。
「ぐっ……」
 キャサリンは血を吐いた。
 致命傷だろう心臓の位置を貫いた、それは銃声から判明している通り銃弾。
 唖然としているエドワードが次ぎに聞いたのはガラスの割れる激しい音だった。そして靴音。
「鋼の……」
 聞き覚えのありすぎる低い声が室内に聞こえて、エドワードの視界にロイの顔が映った。心配そうに見つめる瞳が、間に合って良かったという心情を隠さずに伝えていた。
「た、いさ」
 痺れている身体は視線しかロイに向けることができない。
 只でさえ動かない身体に鞭を撃ち、錬金術を使ったのだ。
 ロイはもはや事切れるばかりの女に一度視線を向けて、反撃のない事を確認するとエドワードの側まで寄った。そして、白い布ごと身体を抱き上げた。白い布の下が何も身につけていないことと機械鎧が外されていることに気付き眉を寄せる。
 そんな二人をぼんやりと見ていたキャサリンは苦しげな吐息を付く。
「結局、この腕にあの子を抱く事は永遠にないのね。……死んでも私はあの子には逢えない。……だって、私が行くのは地獄だもの……」
 キャサリンは目を細めて小さく笑うとそのまま崩れ落ちた。
 倒れた彼女の周りには血溜まりが広がっている。
 抱き上げれているロイの胸に頭を預け、エドワードはキャサリンの最後の言葉を聞いた。血に染まった姿が目に焼き付いた。
 両手で包むように抱き寄せられているロイの軍服から硝煙の香りがする事に気付くが、エドワードはそのまま気を失った。
 



 

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