ロイ達はこの街の憲兵が詰める場所まで走った。到着するとロイはすぐにセントラルに電話をする。 内容が内容なだけに人づてとはいかなくて、直接聞かねばならない。 そこにあった伝言は、すぐに電話しろというものだった。 交換手に自分の名前と番号を伝え、ヒューズが出るのをいらいらと待つ。背後にはホークアイ、ハボック、アルフォンスが緊張を孕んだ視線で見つめている。 「よう、ロイ」 「ヒューズ」 やっと、電話口から悪友の声が聞こえた。 「そっちはどうだ?どうにかなってるか?……グレイシアとエリシアがお前に逢いたがっていたぞ。この間なっ……」 「ヒューズ。今はお前の無駄話に付き合っている暇はない。さっさと情報を寄越せ」 いつも電話するとまず始まる愛する妻と娘自慢を始めるヒューズをロイは遮った。 「何だよ。随分せっぱ詰まってるな。これでも調べるの苦労したんだぜ?徹夜だ」 のほほんと告げてくる嫌味をロイは無視した。 ヒューズの言い分もわかるが、それどころではない。 情報部の人間でも、僅かな手がかりから調べるのは至難の技だと知っているし感謝もしているが今はその時ではないのだ。 「鋼のが犯人に浚われた。一刻を争う」 潜めた声は真剣さが漂う。 「エドが?おいおい、まじか?」 ヒューズが電話口で息を飲んだ事がわかる。事態の急変を知り驚いたのだろう。 「とんでもない状態らしいな……」 「ああ」 ヒューズは口調を改めて、調べたことを読み上げた。 「お前から聞いた特徴に長けた錬金術師を調べた。国家錬金術師には過去にそんな人間はいない。情報といってもセントラルにあるもんは、何かしら事件が起こった場合に限る。失踪事件は東部中心に起こっている。偶に他の地区にもあるが、概ね東部だ。そして、お前らが呼び出された街、アルザスール。これも当たってみたが何もなかった。そうしたら、今お前がいる街ローザントにいる錬金術師の一人が空気中の成分を水や氷に錬成することに長けていると報告がされていた。子供が河で溺れそうになったところを、一瞬にして河の表面を凍り付かせて、溺れないようにして助けたそうだ。また、子供が雪が見たいという願いを叶えたという噂も聞こえた。その錬金術師の名前は、キャサリン・ヘプバーン。その街の郊外に住んでいる。優しくて親切な女性として評判だが、彼女の娘が2年前に死んでいる。軍人の流れ弾に当たってな。それ以来気落ちしているとのことだ。そして、夫も死別だそうだ」 水に関する錬金術が得意な事。雪を作る事。河を凍らせる力量。全て合致する。 それに、夫の死別。最愛の娘の死亡。理由は軍人。 まるで、できすぎた犯人像のようだ。 「そうか……。参考になった」 「当たりか?」 「多分な」 ロイの感情を抑えたような声音にヒューズは軽く吐息を付いた。その小さな吐息さえ電話口からロイの耳に入ってくる。 「何だ……」 「いや、何でもないさ。住所は○○××△△……だ。エドを連れて今度セントラルに来いよ」 言外に、無事に連れ帰って来いと含ませるヒューズにロイはふんと鼻を鳴らす。 そんな事は当たり前だ。 「もちろんだ。じゃあな」 「健闘を祈る」 励ますような声のヒューズにわかったと答えてロイは電話を切る。 己が付いていてあの少年を浚われるなど許せるはずがなかった。 今、彼はどうしているのか。 ヒューズから聞いた場所にいるだろうか。 何かされていないだろうか。 いくらエドワードが銘を頂く国家錬金術師であり体術が優れていて強く、錬成陣なしで錬金術が使えても、天才という名を欲しいままにした頭脳明晰な人間でも、犯人に浚わて無事を保証されはしない。 普通の人間だが、今まで失踪した人間は二度と戻って来なかった……。 それに、アルフォンスの情報ではもしかしたら賢者の石を手にしているかもしれないのだ。 そんな相手ではいくらエドワードであろうと、渡りあうのは難しいだろう。 ロイは受話器を置くと、背後で一心に電話の内容に意識を向けていた人物達に振り向いた。 「犯人はおそらくキャサリーン・ヘプバーン。この街の郊外に住む錬金術師だ。ヒューズから聞いた情報による、水に関する得意な能力にまず間違いないだろう。これから即刻そこへ向かうぞ」 「「Yes,Sir」」 ロイの言葉にホークアイとハボックは敬礼した。 それを鎧姿のせいで傍目からは表情はわからないが、心配している事は分かり切っているアルフォンスが見ていた。 ロイの指示で即刻車を借りて、告げられた住所へ4人は向かった。 「兄さん。すぐに行くからね」 車中で、アルフォンスは自分自身に言い聞かせる。 離れてしまった兄。 大切なたった一人の兄だ。 アルフォンスの兄エドワードは、喧嘩早くて口が悪く、背が小さいことを気にいているせいでそういった言葉に敏感に反応して暴れる困った癖がある。集中すると周りが見えずおよそ人間の欲求である食事も睡眠も簡単に忘れる。寝ていると子供みたいにお腹を出して風邪を引くのではないかとアルフォンスを心配させる。 一般的な事をごっそり置き忘れた部分がある兄を弟の自分が補って来た。 兄らしくないと言われる。 今は鎧姿の自分だけれど、そんな事は関係なく人から「どちらが兄かわからないね」と言われる。アルフォンスの方が落ち着いていて、兄らしいと大概言われる。 自分も兄を世話していると思う。 けれど。 兄は、兄だ。 それを自分は確かに知っている。 人に見せる部分と見せない部分があって、立ち入ることのできない心の奥深い部分が隠されている。子供扱いされる兄だけれど、老成した賢者のような表情も持っている。 すでに齢11で悟ったのだ。 禁忌を犯した人間がどうなるのか。人体錬成などという無謀で背徳を目指した人間の末路を。 己もそれを見た。 否、正確には見ていないと言っていい。己はあの瞬間消滅した。その後の兄の事は知らないのだ。あの瞬間兄に何が起こったのか。 己が再び意識を取り戻した時、自分の魂はすでに鎧の中にあって、目の前にうずくまる兄は右手と左足をなくし傷口から血を多量に流して細い息を漏らしていた。 そして己に向かって「ごめんな。右手一本じゃ、お前の魂しか錬成できなかったよ」と言ったのだ。 血の海の中、今にも死にそうな兄を見た時はない心臓が止まるかと思った。 罪を一緒に背負っている。 そう己は思っているのに、兄は全てを自分で抱え込む。 まるで自分が全て悪いと言わんばかりに、苦しんでいる。 鎧姿の己を見る度に、元の姿に必ず戻してやると言う。言い続けている。 その時は兄さんも一緒だと返す己に、兄は、ああと笑う。 その笑顔は本物だけれど、どこか切ない。 この旅を続けているのは、二人のためであり自分のためだけではないのだ。 すでに、兄は弟の自分のために右手を差し出している。これ以上、何も兄から奪いたくはないのだ。兄から誰も何も奪わせはしない。 無事で、どうか。 お願いだから。 どうか、無事でいて欲しい。 アルフォンスは、そう願う事しかできなかった。 己をこの世界に繋ぎ止めているのは、兄という存在なのだから。 兄によって戻ってきた現実世界。魂だけでもそれは溜まらなく愛おしい世界だ。 全てを捨て去るには、己には未練があり過ぎた。まだ、生きていたいと強く望んだ。 何も感じることのできない魂だけの異質な存在でも。 けれど、生身の肉体を取り戻したいと浅ましくも思う。 人に触れた時の暖かさや、抱きしめる腕の強さ。 吹き抜けて行く風や天の恵みたる雨。 暖かい、冷たい、柔らかい、堅い、強い、弱い、くすぐったい、痒い、痛い。 感じたいと思った。 甘い、苦い、酸っぱい、辛い。 再び味わいたい。 泣いて、怒って、悲しんで、喜んで、笑って。 感情を伝えたい。 それら全ては、兄がいてこそだ。 人体錬成の禁忌を犯した時、なくした母親を取り戻したかった。もう一度笑ってキスして欲しかった。それは、手に入らなかったけれど。 もう、二度となくす訳にはいかない。 自分の大切な人を。 母のように、なくさない。 兄さん……。 アルフォンスは、すでに見放されているだろう神にそれでも祈らずにはいられなかった。 ローザントの郊外へ向かう車中は沈黙が下りていた。 切れるような緊張感と、叫び出したくなる焦燥感、怒りがこもった冷気がない交ぜになって、運転している憲兵は冷や汗を掻いていた。余計な事は言わず、目的の場所へただ車を走らせるのが彼がそれから逃れる事ができる唯一の方法だった。 その憲兵を戦慄かせていた筆頭はもちろんロイ・マスタング大佐だった。 滅多に逢う事がないだろう地位の大佐は、東方司令部の最高責任者といって過言ではなかった。憲兵は口を引き結び、その重圧に耐えた。 一方のロイは憲兵の努力など歯牙にも掛けず、眉間に深い皺を刻み眼光鋭く車窓から見える月を眺めていた。銀色の光を放つ細い月をただ無言で。 その姿に部下も声を掛けない。 早く。 どうか、間に合ってくれ。 何も言わなくても皆の心は一つだった。 |