「残夢の欠片」11






 エドワードが目覚めたのは、浚われてからしばらく経った後だった。
 微かな物音が意識を浮上させた。重い瞼を開けて目に入ったものは見覚えのない天井だった。起きあがろうとするが、全く身体が動かない。
 意識は回復したはずなのに指一本動かすことが難しい。
 仕方なく視線だけで周りを見上げ、自分はどこにいるのだろうと観察する。
 
 自分は床に寝かされているようだ。
 身体が感じる堅い感触とすぐ目の近くに床が見える。
 そして視界の一面に己の金色の髪が散らばっているのが見える。いつも結んでいる三つ編みが解けているようだ。癖もなく広がる髪。
 そして次に気付いた事。機械鎧が外されているらしく、右腕と左足がない。
 それよりも驚いたのは、自分が何も身につけていないことだ。唯一白い布に覆われているだけで、余分なものが何もない。
 異常な事態にはっきりしてきた意識で現状を認めると、己は錬成陣の中にいる。
 床に描かれた大きな錬成陣。構築式が複雑に刻まれていて、室内は視線の端に映るランプの明かりだけで薄ぼんやりとしている。
 ランプの炎が、ゆらゆらと揺れる先に女がいる。エドワードはじっとその女を見つめた。床の低い視線にあるエドワードの目から女の顔は見えない。
「あら、気が付いたの?」
 女は唐突に振り向いた。
 茶色の長い髪を背中に流した、線の細い女。横顔は整っていると言っていいだろう。
 けれど、どこかこの世界に生きているという存在が希薄に感じる。
 そう、上手く空間が噛み合っていないような感じ。一枚薄い膜が遮っているような感じだ。
「あんた、誰だ」
 エドワードは鋭く問う。しかし、声は掠れていた。
 声さえも上手く発音できないくらい身体が動かない。一体自分は何をされたのだろうか。
「私は、キャサリン。キャサリン・ヘプバーン。鋼の錬金術師、エドワード・エルリック殿」
 女は簡単に名乗る。
 そこから、エドワードを返す気がないことが伺えた。簡単に身元を明かす場合、無事に返す気がないのだ。大概殺して口封じ。
「アルは?」
 自分がこの場にるということは……。
 あの時、息苦しくて意識を失ったはずで、自分はアルフォンスと共にいた。
 こんな風に自由を奪われて犯人……目の前の女が犯人としか考えられない。それ以上の可能性はない……の前にいるという現実は、嫌な予測を打ち立てる。
「弟さん?邪魔だったから氷漬けにしてきたわ。でも、大丈夫でしょ、魂だけだから死にはしないわ」
 キャサリンは細い首を傾げて、微笑む。
 その微笑みに、虫ずが走る。
 アルフォンスが魂だけの存在だと知っているのだ。だから死なないなんて言う。
 死なないから、感じないから平気なんて言うのだ。
 感じない事がどれだけ苦しいか知らないくせに……。
 エドワードは不機嫌そうに顔をしかめると女を睨み上げた。
「……俺に何の用だ」
 錬成陣の中に寝かされている自分の目的など一つしかないけれど、エドワードは聞いた。聞かずにはいられなかった。
 女はその質問を聞き楽しそうにくすくす笑った。
「ねえ、掛け替えない存在を取り戻したいと思った事がある?」
「……」
「私は、あるわ。もう一度この手に取り戻したいと思ったわ。それさえ叶えば何もいらないと思ったわ。自分で出来ることだったら何でもする。命だっていらないと思ったわ」
「……」
 エドワードは眉を寄せた。
 女、キャサリンの言うわんとしている事など、わかり過ぎるくらいわかる。
 考えるまでもない。キャサリンは禁忌を犯そうとしているのだ。
 自分達と同じように。大罪を犯そうとしているのだ。
「娘が死んだの。夫が死んで、残された唯一の救いであり希望で私の全てだった娘が。……その時、狂うかと思ったわ。このまま私も死のうかと思ったわ。生きていても何も感じないもの。娘のいない世界で生きていてもしかたないもの」
 メアリが私の全てだったの、とキャサリンは言う。
 すでにあの時私は一度狂ったのかもしれない。
 世界を無くして生きていける訳がないもの。
 そう思わない、とキャサリンは歌うようにエドワードに問いかける。エドワードは顔を思い切りしかめた。
「私の娘をもう一度この世界に取り戻したいの。だから伝説みたいな、この世にあるのかどうかわからない賢者の石を探したわ。賢者の石は『苦難に歓喜を、戦いに勝利を、暗黒に光を、死者に生を約束する血の如き紅き石』だと言う。……死者に生を与える奇跡の紅き石。それがあれば、望みを叶えられるかもしれない。それに縋るしかなかった。……ずっと探していた。どこへでも行った。探して探して……やっと見つけた石らしきモノは果たして本物かどうかわからない。誰も見た事がないのだから当然だけど。そして本物かどうか確かめた。どのくらいの力を有しているか実験してみたわ。力を増幅できる事は事実だった。力があるなら、もう本物であっても、本物でなくても構わなかった」
 キャサリンはほら、と己の指を見せる。
 その指にはまっている赤い石の指輪。
 ランプの炎に鈍く光る紅い石は、一見力があるようには見えなかった。
 それが、本当に自分達が探し求める賢者の石なのだろうか。それとも、全く違うものなのだろうか。見ただけではエドワードに判別できなかった。
 ただ、ある程度の力はあると、増幅力があるとキャサリンが証明している。
 エドワードも相対してその実力はわかっていた。水を得意とする錬成。例え増幅する媒体があったとしても相当な使い手だ。
「お前が、盗んだのか?あの村から赤い石を?」
 つい先日。自分達が訪れた村で盗まれている事がわかった石。それが、この赤い指輪なのだろか。
「……どこの村の事かしら?でも、盗んだというなら私でしょうね。めぼしいものがあれば、手段を選ばなかったから。あまり力にはならないものもたくさんあったけれど……」
 キャサリンはどうやらエドワードの知らない場所でも赤い石らしいものを盗んでいるようだった。力がありそうなものなら片っ端から手に入れていたのだろう。
 手段を選ばない、という本人の弁の通り使えそうなものがあったら盗んでいたのかもしれない。
 道徳感など、すでに持っていないのだろう。
 盗むという行為に、いくばくかの躊躇も罪の意識もない。
「賢者の石を手に入れて、実験に日々を費やしたわ。もともと石を探しながら人体錬成についての研究を重ねて来た。娘を取り戻すために、それだけのために。……でも、どんなに力が増幅されても、人体錬成は簡単じゃない。人間を構成する物質では望めないのよ。だから、私は方向性を変えることにした。石の力で生あるものが呼び出せるのか。死んだものが生き返るのか。まず、小さな動物を生き返らせた。今、死んだばかりの犬や猫に生を戻す。それだけでも、かなりの力が必用だったわ。それでも有意義な結果だった、だって死んだモノが息を吹き返すのだから。……けれど、死んだ人間を蘇らせる力には全く足りない。足りないわ。だったら、同じ人間ならどうかしら?人間の身体を使えば、同等のものが錬成できるとは思わない?」
 だって等価交換だものとキャサリンは嬉しそうに笑った。

 水35 L(g)  
 炭素20kg
 アンモニア4 L(g)
 石灰1.5kg
 リン800g
 塩分250g
 硝石100g
 イオウ80g
 フッ素7.5g
 鉄5g
 ケイ素3g
 その他少量の15元素
 大人一人分として計算した場合の人体の構成物質。

 子供なら、もう少し配分が違うだろう。
 けれど、それでは駄目なのだ。エドワードは身をもって知っていた。
 構築式を打ち立てて、人体の構成物質や魂の遺伝情報を用意しても、ヒトは錬成できない。
 あの時知った、この世界の秩序。
 誰も犯すことのできない禁忌。
 禁忌の味は甘美だ。惹かれる人間は後を絶たない。
 誰より、自分より大切な人間がいる。再びこの手にしたいという欲求を止めることは難しい。
 しかし犯してならない領域がある。
 支払う代償はあまりに大きい。
 命すら捧げても、望むべきヒトは錬成できない。
 母親は、ヒトではなかった。
 弟の命と自分の左足を引き替えにして、錬成したものはヒトでない母。真理を覗いた代価の支払は取り返しが効かないモノだった。
「それで、そのために、人を浚ったのか?」
「ええ。最初は勝手がわからないから男女共、上限が20代で下限が子供まで試してみたの。そのうち生命力に溢れる子供がいいことがわかったわ。大人はやはり駄目ね。私が取り戻したいのは娘なんだから。……だから娘と同じくらいの子供に的を絞ることにした」
 同じ人間を錬成の材料に使った。
 つまりは、そういうことだ。
 心の底から激しい嫌悪感がこみ上げる。
 失踪した人間は、彼女の人体錬成の材料にされた。実験の道具にされたのだ。
 大人から子供まで。
 大人では不具合だったから最近は子供ばかり狙う事にした。材料を絞り込んで実験していたのだ。
 吐き気がする。
 まるで、天気の話のように淀みなく語るキャサリンは自分がどれほどの罪を犯しているか自覚がない。
 たくさんのヒトを殺しているというのに、罪悪感の欠片も見えない。
 麻痺しているのだろうか。彼女の感情にはすでに人間らしいものは存在しないのだろうか。
 キャサリンの大切なもの、娘しか価値がないのだろうか。
 エドワードは意志が通じないだろキャサリンを負けじと鋭い瞳で睨みつけた。
「そんな時よ、貴方の話を耳にしたのは。魂を錬成した錬金術師がいるって。右手、左足が機械鎧の錬金術師だって。若干12歳で国家錬金術師に合格した天才少年だって」
 エドワードがアルフォンスの魂を錬成したということは秘密事項だ。けれど、そういった事はどれほど厳重にしても漏れるものだからキャサリンが誰かから聞いたとしても不思議ではなかった。
「つまり、貴方なら娘の魂を錬成できるということね。生身の器があれば、魂を錬成して移し込めばいいという仮説が立つったの」
「理論だけ見れば出来るけど、そんな簡単なモノじゃないっ。魂の錬成だってもう一度俺にできるかどうかなんて……第一、生身の器って。浚った子供を器にするつもりだったのか?」
 エドワードは上手く出ない声を感情のまま絞り出した。
 キャサリンはエドワードの激昂をも冷静に受け止めて、淡々と話というより実験結果、論文結果の報告をしているような語り口で続ける。
「いいえ。生身の身体には元々魂があるから、一つの身体にいれるには無理があると思うわ。魂をはねのけるという技術はそれ以上に難しいでしょうし。かといって、一度死んだ肉体に娘の魂を入れても上手く動けるかどうかわからないし……。娘の身体が、人体錬成がどうしても必用だった。……私の力だけでは、駄目だわ。本物かどうかわからないけど、賢者の石だけでも駄目ね。だったら、等価交換に相応しいものが必用になる。貴方の身体なら等価に相応しいと思わない?その最年少で国家錬金術師となった天才たる貴方なら、魂さえも錬成できる貴方なら、きっと……」
「……」
 エドワードは奥歯を噛みしめて、その沸き上がってくる激情に耐えた。ここで叫んでも意味がない。
 散々実験を繰り返して、人を殺して、犠牲にして。
 キャサリンは一つの結論に行き着いた。
 必用なものは、賢者の石らしき力の増幅の媒体。
 そして、錬成の方法。構築式。
 最後に、それの元となるヒト。代価。エドワードだ。
「ねえ、私の娘のために材料になってちょうだい」
「……まっぴらご免だ」
 にこりと笑うキャサリンにエドワードは吐き捨てた。




 

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