「アルっ、どこまで行くんだっ」 「ひとまず、遠くまでだよ」 二人は公園からかなり離れた場所まで来ていた。エドワードはアルフォンスの肩に担がれているため、腕をアルフォンスの背中と首に回して掴まっていた。そうしないと落ちそうだったのだ。アルフォンスが自分を落とすとは思わないけれど、それくらいの速度で走ったのだ。 「大丈夫かな……」 「大佐なら大丈夫だよ。水と焔の対決だったから、僕たちには出番がなかったしね」 「ああ」 「足手まといだったよ、あのままだと」 「……」 それは薄々わかっていたことだ。遠距離相手同士の戦いをしている者に自分達は戦力に数えられない。反対に側に戦力外の人間がいる方が、満足に戦えないだろう。 守ろうとしながらでは全力では戦いに挑めないのだから。 エドワードは悔しげに目を眇める。そして近くにあるアルフォンスを覗き込んで複雑そうな顔で苦笑した。 「騒ぎが収まったら、もどっ……んっ……」 戻ろうと言う途中で、突然エドワードは首を押さえて苦しげに呻き出す。 「……っつ……んんっがっ」 「どうしたの、兄さんっ」 喉を掴むようにしてエドワードは顔を歪ませる。息が途切れる。 「兄さん、兄さん?」 エドワードは口を引き結びながら手をあわせ、アルフォンスの肩に手を置いた。青白い光が反射する。錬成をしているのだ。そして、ぐっと力を込めて苦しそうに眉間に皺を寄せながら続ける。青い光がエドワードとアルフォンスの周りに広がる。一定までそれが広がり、その間だけエドワードは苦しげに目を瞑り短い息を吐いていた。が、徐々にその光が小さくなる。薄くしぼんで消える。 「……ぐっ…んっ……っ……」 エドワードは唇を噛み、目を瞑り苦しげな表情を受かべて耐えるようにしていたが、ぱたりとそれが途切れた。 「何?兄さん?兄さんっ!」 アルフォンスが叫んだが、エドワードの身体は抵抗を失いアルフォンスの肩の上に折れるようにして持たれ掛かった。エドワードは完璧に意識を失っている。 「兄さん……!」 アルフォンスが絶叫する。 エドワードの身体を肩から胸に抱き代えて、顔を覗き込む。苦痛に歪み疲労している顔は青白い。アルフォンスは一旦エドワードを石作りの地面に下ろした。 すると、唐突に気配を感じた。アルフォンスは振り返る。 とんと、石作りの地面に靴音を響かせて女が現れた。 長い髪の細い身体の、女。 ……まさか、この女が一連の犯人なのか? アルフォンスは女を見つめた。 女はアルフォンスの視線になんの躊躇もなくすぐ側まで歩み寄り、世間話しでもするように気軽に声をかけた。 「貴方が、アルフォンス・エルリック。……その中身が魂だけって本当みたいね」 女は涼やかな声で笑う。 「お兄さんは気絶したけれど、貴方はなんともないでしょ。……つまり呼吸をしていないという事でしょう?」 「……兄さんに何をした」 アルフォンスは鋭く問い返す。 「酸素を、空気を減らしたのよ。二酸化炭素ばかりの上空気が薄ければ人間は呼吸できないでしょ?今はもう普通に戻したわよ。もっとも抵抗されたけどね」 女は口元を釣り上げた。 気を失ったエドワードは、生きている。一時意識不明になっただけのようだが……だからといって必ずしもいい状態とは言えないだろう。早く休ませないとならない。 空気が薄く、つまり満足に呼吸ができない状態に陥った兄は残った力で抵抗して自分の周りに酸素を増やそうとしたのだろう。だから、アルフォンスの周りが錬成のため青白く光っていた。一時的に酸素を手に入れたがその光はしぼんで消えた。……兄が錬成術で競り負けたということだ。兄に意識を失わせた女。彼女は何者なのか。 「貴方は誰ですか?」 にっと笑みを浮かべる女の顔が影どころか、悪意に満ちていてアルフォンスは危険を感じる。 「貴方みたいな存在があることが、私は嬉しいわ」 アルフォンスにとって意味不明な言葉を、本当に嬉しそうに女は漏らす。 その顔は、純粋に喜んでいた。 女は細い手を上げて、垂直下ろした。 白い手が空を切ると、瞬間氷の粒がアルフォンスを襲った。アルフォンスが反抗する間もなく、どんどんと氷が鎧にまといつき厚さが増していく。火を錬成しようにも身体が思うように動かない。 氷は鎧の表面を覆い尽くし、厚みを増してアルフォンスの自由を奪った。 アルフォンスは身体を動かそうとするが、全く身動きができなかった。手が、足が氷に阻まれて間接がまるで接着剤で付けられたかのように固まってしまっている。 兄さん……! 女は動く事のできないアルフォンスの横を悠々と歩き、エドワードが横たえられている地面に手を伸ばした。するとエドワードの身体が重力に逆らって浮き上がり力の抜けた身体が女の腕に納まった。女はエドワードを手に入れて満足げに微笑むと、もう用はないと言わんばかりに背を向けて姿を消した。 女はエドワードをアルフォンスの見ている前で堂々と浚ったのだ。 「兄さん……!」 例え身体が動かなくても声は出る。魂だけの存在だから。 息もしない。寒暖も感じない。 身体が氷に閉ざされていても、寒くない。寒さなんて感じない。 意識はどれだけあっても、目の前で何の抵抗もできずに兄を奪われた。 兄さんっ……! アルフォンスは心の中で兄の名前を叫んだ。 「アルフォンス君!」 アルフォンスが身動きできないまま、その場に立ちつくしていると聞き慣れた声がした。 「アルフォンス君」 「アルっ」 氷に包まれて後ろを振り向くことさえできないアルフォンスに3人は駆け付けた。 「大佐!」 目の前に現れたロイに、身動きはできなくても話すことは可能なアルフォンスは急くように声を上げる。 「兄さんが、浚われました!」 悲鳴のような声音で訴えるアルフォンスに一瞬返す言葉が詰まる。 最悪でこれ以上ない程せっぱ詰まった状況に陥った事を知り、3人は顔をしかめる。 「……そうか」 「大将が?不味いだろ……」 「……」 早く救出しなければならない。 犯人を追わなければならない。 しかし、ひとまず動けないアルフォンスをどうにかしなかればならない。3人とも思うことは同じだ。その状況を唯一打破できるロイは錬成陣の描かれた白い手袋に包まれた指を鳴らした。 あっと言う間もなく高温の焔がアルフォンス目掛けて飛び出した。赤い焔は鎧をぐるぐると巻き付くように包んで厚い氷を溶かす。 見る見るうちに、鎧を囲っていた氷の固まりは溶けて水となり地面に落ちた。 「ありがとうございます、大佐」 氷に包まれていたが溶けて動けるようになったアルフォンスは頭を下げた。 彼の周りには水たまりとなった氷の残骸があったのだが、再び高温の焔でロイは忌々しい痕跡を消し去った。 焔の錬金術師、ロイ・マスタング。二つ名は伊達ではない。見た目は指先をはじくだけで自在に焔を出すことが出来る。それも想像も付かない高温の焔を。 「こういう時は大佐も役立ちますねえ」 普段役立つことなどあまり見た事ないから、とからかいを含んでハボック付け加える。 先ほどの焔と水の戦いなどなかったかのように感心してみせるのは、わざとだ。それに戦うために使う錬金術と生活に役立つ錬金術とは全く別ものに思える。 「私はいつでも有能だ」 その偉そうなロイの言葉にその場にいた人間は雨の日は無能なくせに、という言葉を飲み込んだ。自分の身はかわいい。アルフォンスは氷漬けにされても焔でそれを溶かされても全く寒暖を体感しないが、普通の生身の人間は凍り漬けになれば凍死するし焔を浴びれば焼死するのだ。 「で、鋼のを浚った人物はどんな奴だった?」 ロイは真面目な顔付きになって簡潔に問う。 今必用な事は情報だ。少しでも多くの情報。 「女性でした。……それも細身の。けれど、兄さんに競り勝つくらいの錬金術師でした。兄さんが突然苦しみ出して、気を失ったんです。どうやら空気というか酸素をなくして呼吸をできなくしたらしいんですが、僕すぐには何が起こっているかわからなくて。兄さんも対抗して空気を取り込もうとしましたが駄目だったようです。そしたら、突然女性が現れて……。僕を凍らせて兄さんを浚いました。女性が腕を徐に上げると兄さんが宙に浮かび上がり……女性の腕の中に。おかしな事に、どう見ても錬金術を使っているのに、錬成の光はその間一度もありませんでした」 あれだけの錬成をしていても、青白い光は生まれなかった。 「「「……」」」 鋼の錬金術師たるエドワードに競り勝つ錬金術師。焔の錬金術師であるロイとも互角に戦ったというより、先ほどは相手が引いただけだろう。 思わず3人は顔を見合わせる。 しかし、アルフォンスは思考に捕らわれていた。 女性の指にはまった赤い石。 あれは、何だというのだろう。 圧倒的な錬金術。 錬成陣も見えなかった。 構築式はどこに? 等価交換できているのか? まさか、あれは。あの石は……。 アルフォンスはあり得ないと思いながらも可能性はゼロではないと思い直す。もしかしたら、そうなのかもしれない。自分達が目指す石。全く違うものかもしれないけれど、それに準じる程力を宿しているのか? そうだという保証はない。 どこにもない。 ただ、あの女性が赤い石を指にしていたという事実だけだ。それだけで、そこから力を増幅させているなど、憶測でしかない。 本当に、自分達の師匠のように圧倒的な力を持つ錬金術師であるだけなのかもしれない。アルフォンスは結論の見えない思考に焦りを感じる。 それならば、なぜ。 兄は浚われたのか。 あれがもし求める石であるなら、何でも可能のはずだ。 女性の目的が全くわからない。けれど、浚われた人間は誰一人として戻ってきていないのだ。 「大佐」 重い口をアルフォンスは開く。 確証などないけれど、可能性だけはある。それは示唆しておくべきである。 「何だね?」 「女性の指に赤い石がはまっていました」 「……。それは、君たちが求める石なのかね?」 「わかりません。確証は全く。ただの指輪である可能性がほとんどです。石である可能性なんてほとんどない。でも、そのくらい圧倒的な力だったと思えました」 そうでなくて、あの兄がどうして簡単に浚われたりするものか。 「そうかね。わかった、考慮しておこう」 ロイは大佐の顔で頷く。上手く隠しているが誰も見ていなかったら渋面であろう。 相手の気配が消えてからここまで駆け付けた。 嫌な予感は当たるものだ。 相手の目的が鋼の錬金術師エドワード・エルリッックであるかもしれないと、狙われるかもしれないと疑っていた。だから、あの場から逃がした。相手を引き付けておけば、ましかとは思った。単独犯らしかったから尚更だ。 けれど、相手は何倍も上手らしい。 腹立たしいなどでは納まらない怒りが沸き上がる。みすみす浚れるなど許し難い。 犯人はどこえ消えたか。 手がかりがない。 眉間に深く皺を刻んでロイはどう動くか思案する。 「マスタング大佐」 そこへ中断させるように名前を呼ばれる。ロイが視線を向けると憲兵が近寄って来て敬礼をし、緊張した趣で告げた。 「セントラルのヒューズ中佐からご連絡が入っています」 「わかった。行くぞ」 ロイは部下とアルフォンスに促す。 多分、ヒューズからの連絡ということは頼んでいた事だろう。 該当する錬金術師を調べてもらっている。それから犯人が割り出せればエドワードを救出しに行けるだろう。 |