「残夢の欠片」9






 降り立った街、ローザント。
 朝旅だったアルザスールより、田舎だ。アルザスールは南部よりのせいで暖かいが、北部寄りのローザントは肌寒い。北に山脈がそびえているせいで冷たい風が街に吹き付ける。
 見上げる空の色も灰色に近い青色で、同じ東部でも場所に寄ってこれほど違うのだと思わせる色あいだ。
 寒冷のため街の人間は厚い上着を着ているのが通り過ぎる雑踏から伺える。
 前日が南部寄りだったせいだろう、身体が急激な気候の変化に付いていかない。
 それでも軍人たるものどんな場所でも慣れるように身体が作られているのか、東方司令部の面々は文句も言わない。
「寒いな……」
 そんな中、両手を己の身体に回し身体を振るわせるエドワードに、ロイは表情を和らげる。
「……私から言わせてもらえれば、君は薄着だと思うよ」
 エドワードの服装はいつもと変わらない。
 黒い服の上下に赤いコート。コートは薄手であるから、防寒にはあまり向かないだろう。
 それに比べ軍服というのは割に厚手だ。厚手というか、隙間なく着る服だ。
 軍用のコートもある。
 夏は少々暑いが、エドワードの服装よりは冬暖かいだろう。
「俺の勝手だろっ」
 ぷいと横を向くエドワードに小さく笑みを浮かべるホークアイが静かな声で呼んだ。
「エドワード君。どうしてもっと暖かいコートを着ないの?冬もっともっと寒い地域に行くことだってあるでしょう。それでは、風邪を引いてしまうわ」
 心配を覗かせる声音にエドワードは眉を寄せて、困った顔をする。
 ホークアイには強く出られない。
「……俺は、これでいいし。それに……荷物を増やしたくない」
 物を大切にすることは、師匠にも教わったことだ。
 ほつれても、破れても繕ってでも使う。どんな物も捨てるのは忍びない。
 そして、トランク一つで旅をしている自分は物を増やす必用も必然もない。
 身軽が一番いい。大切な物、自分の私物は少なくていい。
 持つ物を増やしたくない。
 自分がこの手に持てる物は少ないのだ……と知っている。
「丈夫だよ、俺」
 エドワードはそう笑ってみせた。ホークアイは少しだけ悲しそうな色を瞳に滲ませるがすぐに消すと、口元に笑みを乗せた。
「そう……。でも、身体には気を付けてね」
「ありがとう、中尉」
 素直にエドワードは感謝を口にする。
 心配されて嬉しくない訳じゃない。かといって心配させたい訳でもない。
 ただ、自分達に暖かな言葉をくれる東方司令部の面々に、エドワードは感謝していた。口にはなかなか出せないけれど、魂だけの鎧姿の弟と自分を迎えてくれる大人達を心から……。アルフォンスはエドワードと違い何かある度に礼儀正しく挨拶し感謝を言葉にしている。行動で表せないけれど、エドワードも同じように思っているのだ。
「それでは、イーストシティにいる時は軍用のコートを貸与しよう。君は軍属だから権利があるぞ?……そうだな一番小さい女性用のサイズでも大きいかもしれんが、今度それを入れるロッカーを用意しておいてあげよう」
 ロイはにやりと口元を釣り上げて人の悪い笑みを浮かべた。
 面白いことを思いついたと言わんばかりだ。
「……はあ?あんた何を考えてるんだよ。第一小さい言うなっ!女性用言うなっ!」
 エドワードは自分より随分高い位置にあるロイを睨み上げた。
「事実を言ったまでだ。そうだろ、ホークイア中尉」
「そうですね、女性用の一番小さなサイズなら、よろしいと思います。……多分」
 問いかけられたホークアイはエドワードの全身を見つめ、真面目に答えた。
 15歳の少年にしては、かなり小柄だ。成人女性の中でも一番小柄な部類と同じくらいの身長だろう。なにせ、ホークアイよりも随分小さいのだから。自分のサイズをエドワードが着れば間違いなく裾を引きずるだろう。自分が女性サイズの中で背の高い部類に入ると自覚のあるホークアイはエドワードが聞いたら憤死するような事を考えた。
「……中尉」
 自分の味方であるはずのホークアイにそう言い切られエドワードは力無く肩を落とす。
「いいじゃない、兄さん。好意なんだから受け取っておけば?僕も兄さんが暖かくして身体を大切にしてくれた方がいいよ。風邪なんて引かない方がいいしね」
 アルフォンスはそう諭す。
 鎧姿で魂だけのアルフォンスは風邪なんて引かない。寒暖も感じない。
 その辛さも今は想像するしかできない。
「アル」
 弟を見上げたエドワードにロイが片方の口の端を上げた。
「決まりだな。楽しみにしておきたまえ」
「良かったな、大将」
「今度までに用意して置くわね、エドワード君」
「良かったね、兄さん」
 ロイを先頭に口々に告げられた言葉にエドワードは反論する意欲をなくす。項垂れながらわかった、ありがとうと小さく呟いたのが彼の精一杯だった。
 
 
 


 指定されたのは21時。
 場所は駅から少し離れた小さな公園だった。公園といっても低木が公園の枠代わりにある広場は脇にベンチがあるだけの簡単なもので、その周りは建物に囲まれていている。
 公園の中は、またもや隠れる場所もない。建物に囲まれていてどこか高い位置から見下ろせば、こちらには不利な状態だ。
 今日は、珍しく雲もない月夜だった。
 銀色の月明かりがまるで矢のように細く長く地面に降り注いでいる。
 三日月である割に明るい月夜であるが、回りは静まり返って人影さえ見えない。
 田舎のせいか、夜中に出歩くことはないようだ。唯一の人影は駅前に店を連ねる小さな酒場くらいか。それくらいしか、この街では人が集まる場所がない。
 
 突風が吹いた。
 そして、前置きもなく氷の刃が吹き付ける。
 鋭い、氷柱。細い氷柱が幾重にも襲ってくる。
 地面に突き刺さる、鋭利な氷柱。
 銀色の月光に反射して、氷柱が暗闇の中光る。

 エドワードは両手をあわせて地面に手を付くと、まず自分の前方に壁を錬成した。ひとまず攻撃を交わすためだ。アルフォンスも同時に動き、錬成陣を手早く描くとエドワードの反対方向に少し低めの壁を作る。
 一般人のホークアイとハボックはできた壁に身を潜める。そして、腰から拳銃を引き抜き構えた。
 ロイは壁の影に背を向けて、手の中で指をはじき炎を作り出すと壁際から炎を前方へ噴き出した。その炎の熱は降ってくる氷を溶かす。
 相手が氷を作ることに長けているなら自分は炎を作ることに長けているのだ。
 空気中の酸素濃度を上げて熱い空気の壁を作って囲めばいい。そうすれば、攻撃は効かない。自分達に届くまでに溶けるだろう。
 ただ酸素を多量に使用すると内側の酸素が不足して中にいる人間は空気が吸えなくなるので部分部分に意識的に穴を作るという調節が必用だったが……。
 ロイは手に集中して周りを覆うように頭に映像を描き作業をする。
 自分達の周りに、熱気の壁を。
 じわりと熱が肌に伝わって来ると、襲っていた氷が行き着くまでに溶けて水になり始める。
 しかし、全てが瞬時に溶ける訳ではなく鋭い刃がいくつか入り込む。皆、瞬時に避けようとするが、それでも腕や足をかすめて傷を作る。軍に身を置くなら、そんなものは掠り傷だ。
 相手は、どこにいるか。
 見回し、気配を探る。
 ホークアイもハボックもロイも軍人の独特の勘。エドワードとアルフォンスは今まで旅してきた勘。勘を頼るしかない状況だが、今まで危機を切り抜けてきた己の勘を信じてもいる。
 幸い、今日は吹雪いてはいない。
 昨日のように視界が悪くはない。
 月夜のせいで、明るく公園内を見わたせた。
 その時、公園の側面にある建物の一番上にちらりと影が揺らめいた。
 視線を向けて、その方向にロイは焔を走らせた。細く長くピンポイントを狙って炎を向ける。
 すかさず、ホークアイが自慢の腕を披露する。拳銃を構え狙いをすませて月明かりの下で撃つ。ハボックも同じように狙撃する。
 何度か銃弾の音が響いて……生憎当たっていないようだが、影がふわりと動いた。
「大佐っ」
 ハボックがその建物のある方へ走り出す。咄嗟にロイは自分達を取り巻いていた熱の壁を消した。ホークアイもハボックに続いて走り出した。
 やっと影とはいえ姿が見えた敵だ。逃してはならない。
 一旦止まった氷の刃の攻撃に、エドワードは邪魔になると不味いだろうと地面から生えている壁を元に戻す。アルフォンスも自分が作った壁を戻し、兄を振り返る。
 影の見えた建物には今は、何も見えない。別の場所に移動したのか。首を上げて周囲をぐるりと観察しても、影はない。
「……っ」
 その時、氷柱がいくつか背後から襲った。それをエドワードは瞬時に交わして、アルフォンスとロイを見ると同じように避けながら体制を整えていた。身を隠すくらいの壁を作るアルフォンス。そこから焔を作り襲った方向に伸ばすロイ。焔は生き物のように伸びて氷を溶かす。
 相手は近くにいるのだろうか。
 先ほどより、近距離で錬成されているような気がする。
 しかし、普通錬成するなら青白い光を放つのではないか。
 それが見えないとは、どういう事だろう。
 その時、急激に酸素の密度が上がった。
 エドワードはロイを訝しげに見上げた。ロイはそれを視線で受け止める。
 自分が、酸素濃度を調節して作る錬成の焔。通常の焔とはひと味違う。
 このまま、もし自分が同じように焔を作り続けたら倉庫のように爆発するだろう。酸素濃度が自分が操るより大きくなるなど、問題外だ。酸素だけでなく水素まで混じって来てはとんでもない状況になる。
 危なすぎる。
 それに……。
 ロイは少々炎の威力、熱の温度を下げた。
 今度は、氷と言うより水の固まりのようなものが多量に降り注ぐ。ロイはそれを跳ね返すために、焔の固まりをぶつける。
 どん、という轟音を響かせて水と焔がぶつかり合う。そのぶつかった場所から圧倒的な水蒸気が発生して風圧を起こす。
 蒸気を含んだ風圧を避けるために腕を顔の前に当てた。
 厄介過ぎる相手だ。
 水と焔は、相性がいいとか悪いとかの問題ではなく、最悪に近いのかもしれない。
 衝撃が大きすぎるのだ。
 まずい。不味過ぎる。
 相対するだけで、状況が不味い。
 そのうち、ホークアイもハボックも戻ってくるだろうが……。
「逃げろ、鋼の」
 ロイは決断して叫んだ。
「何で?できる訳ないだろっ」
 自分だけなぜ逃げることができるか。皆を残して。
 エドワードは水蒸気の風圧に飛ばされないように地面に足を突っ張りながら、大声で怒鳴る。
「駄目だ。アルフォンス君!鋼のを連れて逃げろ」
「はい」
 アルフォンスはその言葉に従った。多分、大佐の言っていることは正しい。
 見ていればわかる状況。水と焔のぶつかり合いに、自分達は足手まといだ。
 何かできるなら、するけれど……。
 アルフォンスも一つだけ嫌な考えを持っていた。それはロイと同じだ。
 犯人のエドワードに対する固執が妙に浮いて見えた。
 犯人の目的に兄が入っている可能性がある。どんな理由かはわからないけれど、多分犯人は兄との接触を目的としていた事は確実だ。
 アルフォンスは叫くエドワードの腰に腕を回して抱き上げて肩に担ぎ上げた。
「ア、アル?離せっ……!」
 肩に担がれたエドワードは焦ったように、身をよじって抵抗する。
 しかしエドワードの文句も抵抗も無視をしてアルフォンスは走り出した。
「アルっ」
「舌噛むから黙っていて、兄さん」
 容赦なくエドワードの反論をアルフォンスは切り捨てた。
 
 



 ロイは二人を見送って眉間に皺を寄せながら眼前を睨み付ける。
 多分、相手は頭上近くいるのだろう。気配がする。
 ロイは手加減なしに焔の固まりをぶつけた。
 高温の熱気。
 冷却された水と氷の固まりのようなものと中間点でぶつかり合う。焔がその水の固まりをぐいぐいと押し返す。
 しかし、どどんっ、という爆音がすると。一瞬にして水蒸気が発生して辺り一面を濃い霧が覆った。霧とは、水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で下がり、露点に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな粒になって空気中に浮かんだ状態だ。
 水滴は雨粒に比べて非常に小さい。つまり、水の粒を小さくしてやると霧が発生する。変化自在に水は形を変えるのだ。
 濃い霧は視界が悪い所ではなく、全くもって前後左右、四面が見えない。
 このままでは、どこからか攻撃されてもわからない。
 ロイは息を詰めじっと耳をすます。視界が遮られているため使えるのは聴覚と勘しかない。
 どこだ……?どこにいる……?
「大佐っ……」
「大佐」
 姿は濃霧のため見えないが、後方から部下の声がした。
「気を付けろ」
 ロイは小さく叱咤した。
 自分も見えないが相手も見えないはずなのだ。声で位置がわかっては不味い。
 駆け寄って来る部下の足音を聞きながら、ロイは見えない相手を真っ直ぐに見つめていた。
 相手の気配が消えたのは、それからすぐの事だった。
 
 


 

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