「残夢の欠片」8





「なあ、けどさ。何が目的なんだ?」
 エドワードは率直に問いかけた。
 その疑問は誰もが持つものだった。
 今回の相手の出方が、よくわからないのだ。こんな場所まで呼び出して一体何がしたいのか。
 しかし、一つはっきりしている事がある。
 明らかに対応が違うのだ。
 軍の人間はロイを含め、あのままなら間違いなく死んでいただろう。
 それであるのに、エルリック兄弟の方は攻撃されているが、途中で止め手紙を渡している。最初から殺すつもりがない。
 なぜなのか。
 根本的な疑問は、尽きない。
 なぜ、エドワードに予告状が届いたのか。そして、届き続けるのか。
 遠方の街まで呼び出して振り回して、何をさせたいのか。
 今頃になって軍に接触してきた理由は何か。
 そして、現時点では再び子供の失踪は起きていない。
 もう、浚わないつもりなのか。まだ、続けるつもりなのか。
 軍をからかっているだけなのか、深い恨みがあるのか。
 理解できない事ばかりだ。
「今、現在の手がかりでは、わからんな。しかし、犯人は水に造形が深い錬金術師だろう。それも、あれだけの力をして等価できる人間だ」
 エドワードは頷く。アルフォンスもうん、と相づちを打つ。
 錬金術とは。
 質量保存の法則、自然摂理の法則に寄る。
 それは、物質の内に存在する法則と流れを知り(理解)分解し、再構築すること。
 術師の中には四大元素や三大質を引き合いに出す者もあるが、質量が1の物からは同じく1の物しか水の性質の物からは同じく水属性の物しか錬成できない、ということだ。
 錬金術の基本は等価交換。
 何かを得ようとするなら、それと同等の代価が必用だ。
「大佐、俺達にはわからんのですが、雪を降らせるってのはそんなにすごいんですか?」
 が、一般人にはやはりわからない。
 すごいな、とは思ってもそれがどれだけ困難であるかなど、予想できない。
 ハボックは煙草をくわえて首をひねる。ホークアイも門外漢な事なので無言で聞く姿勢を取る。
「まず、吹雪を起こすということだが、雪を作るということは空気中から水、雨を作る事から始めないとならないな。通常の雨は、大気中の水蒸気が高所で気温冷却により凝結し水滴となって落ちてくるものだ。水蒸気は水が気化した蒸気、沸点以上の水の気体状態とも言える。この、普段見えない空気は、常圧において沸点以下の温度でも水は空気中にある一定量まで気化している。だから、空気中の水蒸気を一定量以上にしてやれば、気温冷却してやれば、水、雨を作ることができる……」
「「……」」
 聞いた事は間違いだったのか、とハボックは思った。
 聞いても理解できなかったら、意味はないのではないだろうか。
 得てして、研究者とは語るのが好きらしいけれど……。しかし、ハボックは耳を傾ける。ホークアイが静かに聞いているのだから、口など挟めなかった。
「それでさ、雪についての定義は……気温が摂氏0度以下の大気の上層で雲中の水蒸気が凝結して氷の結晶が集まって地上に降るものだ。雪の結晶は雪が雲中でできる時の温度と過飽和度により多様な形を取る。だから、あんなにいろんな形をしていて、一つも同じ物がない。わかる?少尉」
「はあ……」
 エドワードまで説明に加わっても、頭の中は疑問符でいっぱいだったが、曖昧に頷く。
「雨を雪にするには、氷晶核を作ることだ。氷晶が急激に成長しある一定の大きさになれば、重力に逆らえなくて落下する。つまり空気中を氷点下にしてやることだ」
「つまりですね、空気中で水を作り冷やして雪にするんですね?」
「そうだ」
 鷹揚に頷くロイに、そうなら最初から簡単に言って下さいとハボックは内心思った。
「それは、だから、難しいんですね?」
「この現象だけで、難しいとは言えないだろう。やろうと思えば、私も鋼のもできるだろう。やるだけならな」
 ロイは難しい顔して腕を組む。それを、エドワードが引き継ぐ。
「少尉、だからさ。一定の条件を作って少しずつ作っていくことはできるよ。俺も大佐も。アルだって錬成陣を作って徐々に作ることはできるんだ。けど、昼間のことを思い出してよ。いきなり、吹雪いただろ?あの瞬間に、空気中の水蒸気を沸点まで上げて雨を作り気温冷却でもって雪に変え、風を起こしたんだ。それも、一部分とはいえ、あの広場一帯に……。俺はさっき、いきなり雹に変わったのも見たし、鋭い氷柱まで作った。氷柱ってのは時間をかけて自然界ではできるものだ。それを一瞬で……一瞬で冷却処理したんだ。これをするには、錬金術師自体の能力がないと、代価が払えない。等価交換なんだからさ、錬金術師は。己に過ぎたことはできなんだ、人間はさ……」
「……大将」
 ハボックは掛ける言葉を失う。
 エドワードの言葉は重みがあった。
 錬金術師の基本原則。等価交換。
 己に見合ったものしか錬成はできない。してはならないのだ。払えない分は自分で支払うしかない。
 その見本が、こうして生きている。エドワードは顎を上げて口の端を歪ませる。
「一つ、相手が何であの場を選んだかはわかった。噴水だ。噴水が側にあるということは、水の錬成がし易い……」
 犯人は材料が側にある場所を選んだ。己に有利な場所を。
 エドワードの指摘にハボッックはなるほど、と手を打った。ホークアイもそういうものかと納得顔だ。
 錬金術師の理解力は、一般人とは出来が違う。
「……詰まるところ、相手は油断できないということだ。もっとも、我々は負けるつもりもないがな」
 ロイは不敵に微笑んで、そうまとめた。
 
 


 
「すまないね」
「いいえ」
 軍としての、国家錬金術師としての話しがあると言われれば、アルフォンスに否の言葉はなかった。
 アルフォンスは席を外した。しばらくハボックの部屋にでも行くのだろう。隣に向かって廊下を歩いて行く音が聞こえた。
 話を終えてそれぞれ割り当てられた部屋に戻り明日に備えるように指示したロイは、しかし言った本人がすぐには戻らなかった。
「鋼の……」
「何だよ」
「どう思う……?」
「どうってのは、何についてだ?大佐」
 ベッドに座ったままのエドワードの隣に腰を下ろすと、ロイは問いかけた。しかしエドワードは探るようにロイを見上げた。
「これほどの錬金術師なら、話しを聞いた事がありそうだが全く耳に挟んだこともない。国家錬金術師になるならないは兎も角、噂は届くからな……私が君のところに行ったように」
 エドワードを見いだしたのは、ロイだ。
 錬金術に長けたエルリック兄弟という者がいると聞いてリゼンブールまでやってきた。軍はイシュバールの内戦のため人材不足で当時中佐たるロイは国家錬金術師に見合う人間を推薦するため捜していたのだ。
「……」
「ヒューズに調査してもらうよう手配しておくが、君は今回のような事が可能だと思うか?」
 中央の軍法会議所にある情報部のヒューズ中佐はロイの悪友であり信用がおける人間だ。エドワードとも面識がある。
 国家錬金術師ではない人間の情報は少ないかもしれないが、大きな力を持つのなら事件などに関わった事があるかもしれない。そういった事件や情報を持っているのが情報部だ。
 今回の犯人、錬金術師の力は常識を逸している。
 エドワードはロイの質問に僅かに顔を歪ませたが答えた。
「……可能だろ、実際やっているし。まあ、簡単じゃないけどな。本人が身の程を弁えず無茶をしているなら、いつか報いが来るだろう。それだけの力量があるなら、ちょっと勝つ自信はないな」
 エドワードは自嘲気味にこぼした。
 身の程以上の報いを受けた事のある己は、無敵であるなんて思ったことはない。弱いとは思わないし、鍛練を欠かさないけれど強いなんて思っていない。
「第一、俺は接近戦向きだ。あんな遠距離から姿を見せない相手には攻撃のしようがない。大佐なら、焔で対応できる?」
 水でも氷でも焔なら溶かして水蒸気に、気体に戻すことができるはずだ。
 その焔が遠くまで届くことをエドワードは身を持って知っていた。少々加減が必用だと思うが……。
「できるのではなく、やるさ」
 至極当然の事のように言うロイには、自分にはない自信や自己に対する冷静な認識が見て取れた。これが年月の差なのだろうか。
 それとも、軍人として生きてきた歴史が今のロイという人格を形作ったのか。それだけではないにしろ、大きな歴史ではあるだろう。軍は特殊だ。その空間に身を置いて大佐まで上り詰めたのだから、屈強な精神を持たないとできないだろう。
「嫌味な男だな。でも、大佐らしい……」
 弱い大佐など見たい訳じゃないのだ。雨の日は無能と言われるけれど……、それは言葉のあやと言えなくもない。普段目にするのが焔であり銘であるせいだが、別に焔以外ができない訳でもないのだから。それしかできないような錬金術師はいない。なおかつ、国家錬金術師になどなれないだろう。
「鋼の、それで落ち込んでいる理由はなんだい?」
 ロイは何の前置きなく、聞いてほしくなかった台詞を吐いた。
「……っ」
 まさか、ばれているなんて。
 だから、この男が腹立たしい。自分の考えが全て彼にはお見通しであるかのように感じる時、決して年齢だけでない理由で負けているような気がする。対等でないのが悔しい。
 エドワードはロイを睨み付けた。
「それに、体調も良くないだろう」
「……これくらい、いつもの事だ」
 怪我をして血を流し一時的に貧血状態になる事なんて数えたら切りがない。そんな旅をしている。ただ、その直後に全力疾走という荒行をしたけれど。血も止まっているから、一晩寝れば治るだろう。
「全く。もう少し自覚しておきなさい。……身体が冷えている、ほら」
 左腕、生身の手にロイの指が触れた。手当てした時に手袋は外しているから体温が直に伝わって来る。暖かかった。
「それに、私達がこれほど苦渋を舐めているのだから、君が何もできていなくても、責任は感じる必用はない」
 手紙を受け取ったのが自分だからと付いてきたというのに、何もできないエドワード。
 犯人の手がかりさえなくて、相手に手加減されている現状。
 歯がゆいのだ。とても。
 明日だって何もできない可能性が高い。遠方からの攻撃は自分にとって不利だ。
 それに……。
「錬金術師だって人間だ。様々な考えを持っている。犯罪を犯す人間だっている。欲に溺れる人間だっているんだ。それによって身を滅ぼす事だってある。……けれど、それに自分を映すことは止めなさい。禁忌を犯しても、君は自分がしたことがどんな事が知っている。罪がどんなものか知っている。同じ過ちは犯さない、そうだろ?君にはアルフォンス君がいる、だから大丈夫だ」
 ロイはゆっくりとエドワードの頬にかかる金髪をすくい上げて幾度か梳く事を繰り返す。
 エドワードは、じっとロイを見つめた。
 自分の中にある不安。漠然とした恐怖。
 犯人がどんな人間かわからないけれど、かなり大きな力を使ってることはわかる。
 何のためにこんな事をしているのか、知れない。
 でも、犯罪を犯して、そこまでして何を求めるのか。何を望むのか。
 人を殺してまで、何を……。
 重なるのだ、あの時の自分に。己は殺したのだ、母親を。魂だけを取り戻したけれど、弟さえも、あの時に。そして、何を求めて何を得たのか。
 あるのは罪の証だけではないか。
 失ったものは帰らない。大きすぎる代価。
 己は狂わずにいられるのか。この、身を削るような時間に。
 いつまで探したらいい。生きている間に、本当に探し出せるのか。アルフォンスを元に戻せるのか。必ず戻すと決めている。それだけは、自分がしなくてはならないことだ。
 命に代えても。
 ロイの顔を見ていられなくて、エドワードは俯いた。きっと、酷い顔をしている。そんな顔見せたくない。
 ロイはそんな心情を察したのか、ベッドの足下に置かれたシーツを掴みエドワードの頭から被せた。そして、シーツの上から細い身体に両手を回しあやすように抱きしめた。
 突然の行動に、エドワードは唖然と動きを止めた。
 が、顔が見えないから、それを理由にエドワードも暴れなかった。ロイの胸元に頭を持たせかけてじっとしている。耳に当たる胸からは規則正しい心臓の音が聞こえる。
 心音は安心するって本当なんだ……。
 それに、じんわりと伝わる熱が暖かい。
 シーツの上からでも暖かい体温が伝わる。もたれているロイの軍服からもほのかに伝わる熱。
 通常大人の方が体温が低いはずなのに、自分の方が低いみたいで本当に体調が悪いことを知る。その熱に安堵してる自分がいる。
「父親ってこんなん?」
 ふと、エドワードはロイを金色の大きな瞳で見上げた。
 シーツが顔にかかる僅かの隙間からロイの切れ長の黒い瞳を覗き込む。
 実の父親はいただけだった。遊んでもらった記憶も錬金術を習った記憶もない。
 思えば話した記憶も薄い。声さえもう、思い出せない。
 自分の中にある父親像というのは、机に向かう背中だけだ。
 だからヒューズが娘を親バカと言われようと大切にしている姿は、不思議で、でも嬉しい。世の中の父親はこうなんだと思った。
 大切に愛されている。それが良かったと思える。
 羨ましいとは別に思わなかったし、今更父親が欲しいとも思えなかったけれど。
 自分達兄弟にヒューズが時々向けてくれる好意や視線は、親愛の情が見えて暖かくて面はゆい。
「……私は君の父親になった覚えはないよ」
 ロイはエドワードの言葉に目を見開き、次いで憮然とした。
 いくら何でもそんな年ではないよとロイは付け加える。
「せめて、兄にしておきなさい」
 こんな大きな子供はごめんだから、とロイは妥協案を出した。
「兄ねえ。俺がアルの兄貴だからよくわかんないな。俺の兄さん……?ぴんとこないな」
「父親よりはいいだろう」
 父親は心底嫌らしく苦虫を潰したような顔のロイにエドワードはわかった、と頷いた。
 大佐が父親、想像すると笑えるかもしれない。これが父親は嫌かもしれない。
 顔が良く身分も権力もあって女が寄ってきて困らないような男が父親なんて拒否したい気分だ。
 エドワードは小さく笑みを漏らす。
「どうしたのかね?」
 珍しく素直な微笑みを浮かべるエドワードにロイは首を傾げた。
「やっぱ、父親は無理。兄貴もなあ……こんな兄貴もいらないかもしれない」
「どこが不満かね」
 私ほど素晴らしい兄はいなかろうと自信ありげに断言するロイに、エドワードは笑みを深めた。
「大佐は、大佐でいいや」
 それ以外は、無理らしい。想像できないし、父親や兄貴の大佐はいらなかった。
 後見人であるせいで保護者めいている部分は消せないけれど。
「ふむ……」
 その発言に納得したのは定かではないが、ロイは反論しなかった。
「鋼の……、今夜はもう遅い。早く寝なさい」
「わかってる」
 素直に聞くつもりらしいエドワードにロイは頭を軽くぽんぽんと叩く。すると子供扱いに不満を含ませ睨み上げてくる瞳とかちあってロイは苦笑した。
 ローザントという田舎街はここからまた北上して、東部の端にある。
 明日、早々に汽車に乗り込んで旅立たねばならない。21時はそれでもぎりぎりだった。汽車が着けばいいという訳ではないのだから。それまでに聞き込みやできる事をしておかねばならない。
 それを考えると、体調が良くないのなら早めに休んで明日に備えないとならない。
 こちらに猶予を与えないやり方は憎らしいくらい上手い。
 軍部が手紙を無視するなど、あり得ないと思ってるのだろう。実際無視などできない。もし、して再び失踪事件が起きたら軍部の只でさえ薄い信用はがた落ちだ。
 嫌な相手だ。
 それに、ロイには漠然とした嫌な予感があった。
 犯人の目的は鋼のかもしれない……。
 それを言っても耳を貸さないだろう子供が想像できて、心の中で深いため息を漏らす。
 外れて欲しい時ほど外れないのが、嫌な予感というものだ。
 口には出さないけれど、ロイは胸中複雑に思う。



 

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