「残夢の欠片」3






 翌日二人は再び司令部に顔を出した。
「こんにちは」
「どうも」
 アルフォンスは丁寧に、エドワードはぶっきらぼうにそれぞれいつもの挨拶をしてドアを潜ると、今日は一人残らず司令部の顔ぶれが揃っていた。
「いらっしゃい、エドワード君、アルフォンス君。昨日はごめんなさいね」
 ホークアイが書類から顔を上げて、すまなそうに謝った。金髪を後にまとめ上げて怜悧な眼差しを与える彼女は付け入る隙などいつも見えない。
「いいえ、それよりテロだったんですか?」
 アルフォンスが皆さん疲れた顔してますけど、と付け加える。揃ったメンバー全員顔色が悪い。ひょっとしたら徹夜かもしれない。そうでなくても仮眠室で少しだけ睡眠を取って今日を迎えているのかもしれない。
 そんな生活が普通であるからか、トレードマークの煙草をふかしているハボックが苦笑を浮かべる。
「収集付いたのが、午前様だったからなあ、睡眠不足だぜ」
 ハボックの机の上の灰皿にはすでに吸い殻が山になっていた。
 疲れていると無性に吸いたくなると聞いたことがあるが、肺ガンになるだろことは必至な喫煙量だ。もう少し軽い煙草に変えないのかと聞くと、そんなの吸った気にならないし、軽いだけもっと量が増えるだろうと肩をすくめていた。
 止められないくらい美味しいのかと問えば、美味しいとは違い吸った味としては苦いもんだ肺に来るしと口を歪ませるから、益々もって理解し難い。でも、ないと落ち着かないし、禁断症状に陥ると困ったように言うくせに、全く止める気がないのが見え見えだった。
 そんないい訳は、喫煙者の常套句だ。
 気使いのアルフォンスはそれをまだ知らなかった。
「大佐は?」
 一方エドワードは司令部の室内を見回して目当ての人間がいないことを確かめた。そして、一番確実で信頼の置ける人間に聞いた。
「隣よ」
「今、いいかな?」
「ええ。昨日途中までしかできなかった書類を片付けてもらっているの。まだ、逃げ出していないわよ」
「いいの?」
「もちろん。早く終わるように発破掛けてちょうだい」
 ホークアイは瞳を和らげてエドワードに頼む。
「わかった。精々、発破かけとく」
 エドワードはそう言ってノックもせずに、大佐の執務室の扉を開いた。
「よう、大佐」
 片手を上げて、口の端を釣り上げる。決して愛想の良い態度でもなければ子供の浮かべる表情でもなかった。
「鋼の……。ノックくらいしたまえ」
 ロイは溜まった書類の間からエドワードを見つめた。多忙であったせいか、さぼっていたせいか、机の上には書類が山と積まれていた。今日1日で処理できる量には間違っても見えなかった。
「……面倒」
 が、エドワードは書類の山に同情もせず片眉を上げて理由を述べた。否、理由にもならない理由だ。しかし、そんな普通であったなら部下がして許されることではないふてぶてしい態度を取ってもロイが本気で咎めた事など一度もなかった。しかし、口では戒める言葉を口にする。
「君はそれでも、軍属だった気がするが?」
「俺は軍属だけど軍人じゃねえもん」
「私は君の上司だったはずだが?」
「……尊敬できる上司なら、相当な対応はするぜ?日頃の行いが悪いんじゃないの?」
「私ほど尊敬される上司はいないと思うのだが」
「思っているのは自分だけじゃないの?今度ホークアイ中尉に聞いてみれば?率直に意見を述べてくれると思うけど……。有能な大佐様は書類を貯めるのが趣味みたいだから」
 楽しそうに口元に笑みを浮かべるエドワードにロイは目を和ませる。
 逢った瞬間は憎まれ口のような事を言いたいだけ言い合うのが常だ。
 変わっていない事の確認みたいなものだろうか。各地を放浪している兄弟は東方司令部に何ヶ月も顔を見せない事がざらだ。
「まあ、元気そうだね」
「まあな。見たとおり元気だぜ」
 エドワードは小さく肩を竦めて見せ、ロイの顔を覗き込むように机の目の前に立った。
「テロがあったんだろ?疲れてる?」
 ロイの顔色も部下同様些か悪い。うっすらと目の下にくまがある。疲労の色が見て取れてエドワードは眉を寄せた。
「構わんよ。定期報告だろ?」
「そう」
 エドワードはそのまま部屋の隅にあるソファに座って足を組んだ。
 自分が気づかっても、大佐であるロイが仕事を止めて休憩する訳でもないので、エドワードはさっくりと話題を変えた。
 自分がここに来た理由は定時報告なのだから。
「この間東部と北部の境界線みたいな所へ行ったんだけどさ、変な宗教団体みたいなのが勢力を伸ばしていたぜ?」
「宗教団体かね?どこでもそういった宗教ははびこるものだね」
「うん、そこの教主ってのがなんと女性なんだ。あんたの好きな、さ。結構美人だったぜ?ブルネットに青い瞳の妙齢な美人」
「それは是非お逢いしたいね。それでどんな奇跡を見せてくれるのかな?それとも信者は可憐な唇から漏れる囁きにうっとりとするのかな?」
 ロイらしい、痛烈な皮肉だ。
 どんなペテン師なのか、方法は何なのかと暗に聞いている。それは逢いたいだろう、捕まえる犯罪者かもしれないのだから。得てして宗教団体では大金が動いているものなのだ。信者から貢がせるか、大金持ちから巻き上げるか。はたまたよからぬ軍人に贈賄して便宜を謀ってもらっているとか。
「……その人は、スピーチが圧倒的に上手い。聞いていると本当にそんな気がする不思議な声と話ぶりなんだ。別段激しくまくし立てる事はない。ただひっそりと語るタイプ。信者も徐々に増えていって……心酔していたよ。でも、裏では相当金が動いているらしかった」
 エドワードは口元に手を当ててにやりと笑う。
「……何をしたのかね?」
「別に。ちょっと間違えただけだぜ。俺は何もしていない。うっかりしたのは向こうの失敗」
 何をしてきたのか、碌な事ではないだろう。
 そういった悪知恵は働く。
 12歳から弟と旅して歩いて逞しくもなるものだ、と感慨深くロイは思った。
 もっとも強かでないと世間は生きて行けないのだけれど……。
「それで?」
「今はどうなったか知らないけど、宗教団体は解散したぜ」
「……それは良かった。私の出る幕はないようだね」
 ロイは肘を付いて顎を乗せながらにこやかに頷いた。
 厄介な宗教団体も困りものだが、北部との微妙なやり取りに無駄な時間を費やさなくて済むのだから、肩も軽くなる。これ以上の必要ない厄介事はまっぴらだ。
 他にやることは山ほどあるのだ。
「……それで、探しモノの方はどうだったのかね?」
 エドワードがもし自分の捜し物を見つけていたら、こんな話し方をしていない。真っ先に伝える。それがわかっていてロイは今回の結果を聞いた。
「無駄足だった。まあ、無駄足じゃない事なんて今までなかったけどさ。……今回はもっと最悪だ。赤い石らしきものがすでにそこにはなかったんだから」
「なかったとは、デマだったのかね?」
「違う。盗まれてた」
「ほう」
 ロイは目を細めて手を組む。
「いつ盗まれたのかもわからない。誰に盗まれたのかもわかんない。暢気なもんだった。聞いた話じゃ1年に一度しか村で使わないから管理なんてぞんざいだったみたいで、見つかる可能性なんて全くなくて、憲兵も匙投げて終わり。赤い石だったっていう村長さんの話ししか聞けなかった」
 今更こんな事で落ち込む殊勝な神経は持ち合わせていないエドワードは、いまだ小さな肩を大人の仕草で竦めて見せた。
「そういうこともあるだろうね。で、手がかりはない?」
「ない。……でも、気になることがある。行く先で同じような赤い石を探している奴がいる。賢者の石を探しているのかもわからないし、目的が何なのかもさっぱりだけど……俺達より先にそこに訪れている奴がいる。先回りされているばかりじゃないだろし俺達が行った後で訪れている事もあるだろう。けど、いつかかち合う可能性も否定できない。それだけは確かだ」
「とても、興味深い話しだね」
 ロイは鷹揚に頷いた。
 エドワードはロイの何か含んだ瞳を認めて、ふんと鼻を鳴らす。
 例え他に石を探している人間がいたとして、自分達は諦めないで探すのだ。
 それを知っている大佐は、君たちは諦めが悪いだろと目で語っていて意地が悪い。そうエドワードはいつも思う。
 石を探している人間が他にいる可能性。それは否定できない。世界にどれだけそんな人間がいるかわからない。ましてそこへ辿り付ける人間が果たしているかどうか、誰にも予想できない。
 これくらいで、焦ったりなんてしない。長丁場は最初から覚悟していたのだから。
「何か情報ある、大佐?」
 あったら寄越せ、とエドワードは言外に伝える。
「……今のところはないね。ああ、でも先日発表された生体錬成についての研究された論文は面白かった。読んだかね?」
「何だよ、それ」
「主に医療の分野に活用される研究だ。骨折や殺傷した皮膚をくっつけることができれば、格段に医療は進む。血液さえも、大量に出血している場合すぐに止血できれば生き延びられる。そういった部位の錬成を細かく記したものだ」
「へえ、知らなかった。貸してくれよ、大佐」
 田舎に出向いていたせいで、最近の発表された研究や論文などは知らなかった。
 理屈からすれば、細胞分裂を活発にすれば軽い傷など皮膚は繋がるはずだ。骨も構成物質がわかっていれば、修復できるはずだ。そういった事が進めば、人はなくした部位さえも作ることができるようになるのだろうか。
 なくした腕や足を。身体を。
 それは、見果てぬ夢でもあり神の領域を侵すものでもある。
 等価交換の理論はどこまでもシビアだ。
 自分の腕と引き替えに弟の魂を錬成した己だけれど、自分の命や身体を差し出せば弟の身体は手に入るのだろうか。それでは足りないのだろうか……。
 エドワードは自嘲気味になる心情に、唇を軽く噛んで目を臥せた。
「鋼の?」
 ロイの声に、エドワードはすぐに顔を上げて表情を戻す。
 こんな心の闇みたいな部分を僅かでも晒す場所ではなかった。
「ああ、で、貸してくるのか?」
「君がそう言って、今まで貸さなかった事があるかい。家にあるから明日持ってくるよ」
 仕方なさそうに苦笑するロイにエドワードは感謝を込めて素直にお礼を言った。
「サンキュー。大佐」
「こういう時だけ、素直だねえ」
「まあな」
 ロイの揶揄も流してエドワードはソファの背もたれに身体を深く預けて手を伸ばし伸びをした。うーんと声を出して伸び身体から力を抜くと、思い出したようにロイを見返して指を刺す。
「あ、そうだった。大佐、仕事しろよ。ホークアイ中尉に頼まれたんだ、俺」
「何をかね?」
「仕事。発破かけてって言われた」
 舌を出して、面白そうに喉を鳴らす姿は猫のようだとロイは思う。ソファで伸びをした姿といい、本当に金色の子猫みたいだ。本人に言うとひっ掻くどころでは済まないので言わないけれど。
 ロイはその台詞と態度に見せつけるように大きく吐息を落とした。
「確かに今、書類の手は止まっているが、君の報告を聞くのも私の仕事だと思うのだが、違うのかい?君は世間話をしている訳でもあるまい?」
 ロイの言い分は、もちろんエドワードだとてわかっている。
 ただ、いつもやられてばかりであるから、からかいたかっただけなのだ。
「失礼します」
 ノックがして声がすると、ホークアイが珈琲をもって現れた。片手にカップが乗ったトレーを持ってる。
「休憩になさいませ、大佐。エドワード君もどうぞ」
 歩み寄りエドワードが座っているソファの前のテーブルにカップを二つ置く。カップからは湯気が上がっていた。一つはブラックで、もう一つはミルクで割ってあった。カフェオレなら飲めるエドワードのためだろう。
「ありがとう」
 エドワードはいい香りのするカップを両手に包んで、にっこりとホークアイに微笑んだ。エドワードはホークアイに対して大概は素直だ。笑顔も自然に出る。
「どういたしまして。……実はね、エドワード君宛の手紙がここに届いているの。ほら」
 ホークアイは自分のポケットから束ねられた手紙をエドワードに向かって差し出した。
「何だろ?」
 エドワードは首を傾げた。
 知人や身内の手紙は故郷のリーゼンプールのロックベル家に届くだろう。もっとも、放浪している自分達に手紙など早々届かないのだが……。旅先で知り合った人物や連絡を取りたい場合軍部宛に送るということもありえるけれど、そんな人間思い当たらない。
 最近個人的な手紙など貰わないからなあとエドワードは思う。
 手紙と言うより、軍属関係の書類等ならあるのだけれど。
 エドワードは束ねれれ手紙の中から1通取りだし、上部を破るとその場で読んだ。1枚だけの紙面。
 エドワードはそれに目を通して、次の封筒を開ける。そして、一目見て次を開ける。
「何、これ……」
 訳がわからない。
 眉を潜めてエドワードは呟く。
 手紙をぎゅっと握って眉間に皺を寄せるエドワードに休憩を取るためソファまで来たロイが顔を覗き込んだ。
「どうした、鋼の」
 エドワードは顔を歪ませて、何通か見た手紙をロイに押しつけた。
「見てもいいのか?」
「ああ」
 ロイは受け取った紙面に目を走らせて顔色を変えた。開いている封書を見て、開いていない封書を全て開けて中身を確かめる。どの手紙もたった1枚の便せんで、書いてある内容は短い。
 およそ、親しい人に宛てた手紙とは思えない文面。
 文章はタイプで綴られていて筆跡はわからない。
 それなのに書き出しは決まって「親愛なる鋼の錬金術師・エドワード・エルリックさま」だ。国家錬金術師であるエドワードに宛てていると見えないこともない。
 が、手紙の文面はロイに大きな衝撃を与えた。
「これは、連続失踪事件の予告状だ……」
 ロイの思いも掛けない台詞にエドワードは瞳を見開いて驚き、ホークアイは表情を改めた。
 




 

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