東方司令部、軍の敷地内へ入るには必ず警備が立つ門を通らなければならない。 敷地内へ一般人が簡単には入れない厳重な警備が敷かれているのは、何も軍が威張り倒しているせいだけではない。テロの標的となる軍は、身を守るために必用最低限防御しているのだ。 厳つく体躯の良い軍人が青い軍服を着てライフルを肩に掛けている姿は、一般市民からすれば近寄る事を戸惑わせる。威圧感を与える行動や姿勢は、ある意味正しく機能していた。 エドワードとアルフォンスは入り口となる門で姿勢正しく立っている軍人にお疲れさまと言いながら敬礼をして中に入った。 すでに二人は顔を覚えられていて、咎められることもなければ身分を明らかにする必用もない。最初、エドワードが国家錬金術師になったばかりの頃は、腹が立つことに子供が何の用だと追い返された。相手にもされなかった。 屈辱的だった。 確かに、その当時自分は12歳であり、大人からすれば十分に子供であったとしても。 12歳にしても背が足りなくて、殊更子供に見えたとしても。 結局、国家錬金術師であるという証たる大総統紋章に六茫星が描かれた銀時計を出す羽目に陥った顛末を聞いた司令部の顔見知り達の反応は予想した通りで、声を立てて笑われた。大佐はにやりと口の端を歪ませるし、ホークアイ中尉さえも微笑みを浮かべていて、ハボック少尉はくわえていた煙草を握り潰し馬鹿笑い。その場にいた人達が皆おかしそうに頬を緩めた。 エドワードが屈辱に顔を赤らめて、打ちふるえ今にも罵声を浴びせようとするのをいち早く気付いたアルフォンスが止めなければ、司令部は一度破戒されていただろう。 「こんちは」 「こんにちは〜」 エドワードが先に、アルフォンスが背後で司令部へひょっこりと顔を出すと、あわただしく指示が飛んでいるところだった。緊張を孕んだ空気に支配された部屋は、事件があった事を明らかに伝えていた。 全員がコートを着込んで今から現場へ飛びだそうとしているところだと推測されて、二人は一瞬顔を見合わせた。 「あら、いらっしゃい。エドワード君、アルフォンス君。折角来てくれたのにごめんなさい。これから皆出払うのよ」 二人に気付いたホークアイがうっすらと微笑して申し訳なさそうに謝った。 司令部で唯一の女性であるホークアイはこんな時でも気づかいを見せる。 「何があったんですか?」 「テロだ」 横からこの場の責任者であるロイが一言で言い切り、黒いコートを羽織って足早に二人が居るドア付近まで歩み寄ってきた。 「大佐」 ロイは黒髪をかき上げて、自分の肩に満たないエドワードを見下ろした。切れ長の黒い瞳をした端正な顔はこんな時だというのに落ち着きを見せていて、少々悔しい。 「やあ、鋼の。すまんが、これから出かける。報告はまた後で」 「ああ」 いつも憎まれ口を叩くエドワードも事件、それもテロがあったのでは素直に聞くしかない。 怪我人がいるかもしれない。早く現場に行かねばならないのは当然だ。 「じゃあ、ごめんさない。よかったら仮眠室を使ってくれて構わないから……」 「大将、またな」 ホークアイは小さく微笑み、ハボックは片手を上げて、誰もが二人に声をかけて司令部から出ていく。それを二人は見送った。 無人の司令部。 そこはいつになく静寂に満ちていた。 「どうする、アル」 「そうだね、誰もいないから帰ろうか」 好意で仮眠室で寝ていてもいいと言ってもらえたが、いつ帰るともしれない人を待って居座る気もない。 長旅で疲れている兄弟を気付かってくれていることはわかっているが、好意に甘える気にはならなかった。 「宿取ってまた明日出直そうぜ」 「うん」 二人は無人の司令部を後にした。 戻る家を持たない自分達だけれど、イーストシティだけは少し別だ。東方指令部を石を探す拠点としている、と決して認めたくないけれど事実は変えられない。 エドワードの後見人であり上司でもあるロイから、軍属として呼び出されればいかな理由があろうとも逆らうことはできない。 もっとも、そうではない理由がほとんどだけれど。 石を探すための図書館、資料室の利用。持ち出し禁止のような文献の閲覧。手に入り難い文献の取り寄せ。軍の情報。エドワードだけではどうにもならない権限をロイは持っていた。 大佐という地位にあるだけ、使える権限は大きい。 その権限を時々使ってもらう。石の情報を求めて彷徨い歩く兄弟に同情しているのか定かではないが、口では何を言っても彼は協力的だ。 それに結局のところエドワードは甘えているのだろう。 感謝の言葉など口にする事はできないけれど、それくらい自分だってわかっている。 逢う度に人を怒らせる事ばかり言う大佐も悪いといい訳をしてみるけれど、素直ではない自分も悪いと弟は諭す。 でも、そんなに簡単に性格は治らないんだよ、アル……。 エドワードはそう心中漏らす。 イーストシティに来る時、偶に利用してる宿を取って二人は旅の疲れを癒すことにした。 汽車に長時間揺られるのは、身体に響く。 自覚していなくても、身体が悲鳴を上げる程疲労しているのだ。 旅から旅へと生きている。 留まる場所を持たない。 それは、本当の意味で身体も心も休息は取れないのかもしれなかった。 エドワードは部屋に入るとすぐにシャワーを使い髪も乾かさずにベッドへ倒れ込んだ。食事は宿に来る前に済ませてあるから、後は寝るだけだ。 アルフォンスは切れたオイルを買いに行っている。少しでも長く滞在する場所で鎧を磨くのはアルフォンスの癖だ。旅先ではなかなか落ち着いていられないから、それも仕方ない。 アルフォンスが居れば小言を言ったに違いないが、今はいないためエドワードはタオルを引っかけたまま濡れた髪でシーツまでも濡れるというのに、気にせず転がった。 相変わらず、東部、イーストシティは平穏とは縁遠い。 中央、文字通りセントラルを囲むように東部、西部、南部、北部が位置するが、東部が一番治安が悪い。イシュヴァールの民が住んでいた地域がある東部は内乱が終わってもその後は色濃く残っている。 軍部への反抗にテロ活動をする人間が後を絶たない。 テロが日常茶飯事なんて、田舎では考えられない事だ。 異常なのに、それに感覚が麻痺してくる。それは恐ろしいことだ。 事件もなくならず、軍が出る機会が多い。 エドワードは知らずに吐息を付く。 仕方ないなんて諦めたくないけれど、そう思ってしまう自分が嫌だ。 ふと我に返ってシャツ一枚の身体に視線を向けると、機械鎧がむき出しで照明に鈍い色を晒していた。 右手と左足。 それが、自分の罪の代償。 幼さなど、理由にならない。 無知は罪だ。 命の代償とは何か、子供の傲慢さで自分はわかっていなかった。 師匠にあれほど教えられ諭されていたというのに、頭ではわかったつもりでも本当の意味で何も理解していなかった。 愚かだった。 今でも夢に見る。 何度も、何度も、あの日のことを。 忘れることなどできない。目に焼き付いた記憶が忘れさせてくれなどしない。 11歳のあの日から、ずっと悪夢のように自分を苛む夢。 ただ、死んだ母親を取り戻したかった。 法律で禁止され、禁忌とされている人体錬成をすることに、躊躇はなかった。 人体の構成物質と構築式。魂の遺伝を持つ血液。材料を揃えて禁忌の扉を開いた。 そこに待っていたのは、あまりにも大きな代償だった。 アルフォンスは全てもっていかれ、自分は左足をもっていかれた。 リバウンドだ。己の力以上のものに挑んだ代価。 錬金術は等価交換が基本だ。 その時、左足の代価……己の身体が通行料だという……として、真理を見た。頭が割れるような圧倒的な情報量、それはこの世の理であり、宇宙の歴史だ。 真理を見た自分は存在がすでに構築式であり、錬成陣を描かなくても錬金術が使える。両手をあわせ輪を作ることによって、錬成陣の基礎である円を表し存在が構築式の自分が触れれば錬成が起こる。 弟をもっていかれた自分は己の右腕を代価として魂だけを錬成した。 側にあった鎧に血で描いた錬成陣。 それが鎧とアルフォンスの仲立ちをしている。 たった一人残された家族を取り戻すためなら、己の身体も心臓も命さえも差し出して良かった。右腕で済んだ事は幸いであるのか否か、一言では答えられないけれど。 ただ、弟を残して死ななくて良かったとは思った。 この世界に魂だけの詰まった鎧姿の奇異なる存在として人から映る弟を、一人にしなくて良かった。 血に彩られた代償を支払った人体錬成の結末は、見るのもおぞましいモノだった。 優しくて暖かな母親。笑顔をもう一度向けて欲しかっただけだったのに。 そこにあったのは、ヒトではないモノだった。 望んだ母親の姿は欠片もなかった。 ヒトでない姿をしたヒトらしき存在は、すぐに絶命した。 己は、母を二度殺したのだ。 自分達が、弟と自分の左足を等価交換にして錬成したあの人間とは思えない姿をした存在が果たして母であったのかはわからなない。ひょっとして、全く違うものであったのかもしれない。それでも、母を望んだ自分達は、多分母に近いモノを呼んだはずだ。 兄弟の魂の情報を組み込んだのだから。 あれは、母だ。 そして、また、殺した。 両腕もその指先までも赤く赤く、すでに血で染まっている。 綺麗な部分なんて、どこにもない。 まるで罪人の刻印のように、機械鎧が酷く痛む事がある。鋼の腕や足は体温の欠片もなく夏は熱を持ち冬は凍えるくらい冷え込む。その存在を忘れる瞬間なんて与えてはくれない。 犯した罪を知っている。 全てを背負う覚悟ならもう当にしている。 人体錬成という神の領域へ踏み込んだ罰なら、十分に受ける。 でも、弟は元に戻してやりたい。 鎧の身体に魂という異質な存在は、現実世界から取り残される感覚が消えないだろう。 きっと、自分には言わないけれど孤独を感じているだろう。 いつまでも、罪を突きつけられている。 弟の姿を見る度、己の罪を忘れられない。忘れることなどしない。 まるで、戒めなのか。 ただ、悔いる心と元に戻してやりたいという希望がある。 自分は兄なのだ。 責任は自分にある。 弟を失ったのは、自分のエゴのせい。 共犯だと、同罪だとアルフォンスは言うだろう。けれど、止めるのは兄である自分でなくてはならなかった。その責任は取り返しが効かないほど大きい。 弟と自分に生身の身体を取り戻す。 そのために旅を続けている。 何度打ちのめされようとも。期待をもって赴いた先にあるのは噂や伝承の域を越えなくて。無駄足だと知る度落ち込もうとも。 それでも、歩みを止めない。 止められない。 元に戻る日まで、決して諦めることをしない。できないのだ。 罪の証しは歴然と存在し。 生きている間中、消えることはない。 「賢者の石」 伝説の中だけの幻の代物だと言われているが、僅かな代価で莫大な錬成を行える術法増幅器を手にすることができれば、元の身体を取り戻せる可能性が高い。 絶対という保証などどこにもなくても、僅かな可能性に賭けてみたい。 賢者の石を使っても、失敗するかもしれない。 その時は、最悪命さえ落とすだろう。 苦難に歓喜を、戦いに勝利を、暗黒に光を、死者に生を約束する血の如き紅き石。 哲学者の石、天上の石、大エリクシル、赤きティンクティラ、第五実体。数々の別名を持つ石。 それ程不確かな、魔法のような石。 砂漠の中で一粒の砂を探すような。 深海に落ちた一欠片の宝石を探すような。 あてど無い、途方もない作業をしている。 誰もがそんなモノは想像上のもので人の願いの産物だと言う。あったらどれ程いいだろうと思う希望の代物。 現実世界にないからそう思うのだと言う。 けれど、それを探すために自分は国家錬金術師となった。 「国家錬金術師」は、大総統府直轄の機関だ。 国家資格に合格すると……筆記試験、精神鑑定、実技がある……その証である大総統紋章に六茫星が刻まれた銀時計が渡される。 高額な研究費の支給、特殊文献の閲覧、国の研究機関その他施設の利用、様々な特権が得られる。一般人には手の届かない研究が可能である。 その代わり軍の要請には絶対服従の身になり、軍の狗と呼ばれる。 「錬金術師よ大衆のためにあれ」と言われるように、錬金術師は術がもたらす成果を一般の人に分け隔てなく与えることをモットーとしている。だから、軍に身を売る国家錬金術師を「軍の狗」と卑下して呼ぶのだ。 国家資格を持つ者の三大制限は、人を作るべからず。金を作るべからず。軍に忠誠を誓うべし、だ。 しかし、すでにエドワードはそれにふれていた。 人体錬成という禁忌を犯した自分は本当なら国家資格を受けれない。 それを隠して今の地位を保持しているのは、元に戻るためだ。 そうでなければ、昔の自分であったなら決して国家錬金術師にはならなかっただろう。 軍の狗である、ということは、軍から要請が下れば人を殺さなければならないのだ。 国家錬金術師は軍属の人間兵器だ。悪魔と呼ばれる代物だ。 イシュヴァールの内乱で、国家錬金術師が投入された。彼らは人を殺しに行ったのだ。 戦争だから、人を殺していいなんてありえない。 イシュヴァール人との戦いも、宗教感の違いが元になっている。 信じるものが違う、それは一個の人間としてみたら、当然のことなのだ。しかし、中央は元を正せば軍人が間違ってイシュヴァールの民の少女を殺してしまった事が原因であるのに、争いを止めなかった。 長引いた戦乱を終結させるための、国家錬金術師投入はできるだけ多くの人間の命を奪うのが目的だ。 民衆のためにある錬金術を人殺しのために使う。 それが与えられた義務だ。 いつか、人を殺す事になるだろう。決して避けて通れない。国家錬金術師でいるためには必用なことだ。 だから、国家錬金術師は嫌われる。 蔑まされる。 そんな人ばかりではないが、実際問題侮蔑の言葉を投げつけられた事は数え切れない程ある。 人から何と言われようと、嫌悪されようと蔑まされようと、元の姿を取り戻すために必用なら軍の狗であり続ける。 軍に頭を垂れろ、靴を舐めろと言われれば、自分はする。 アルフォンスを鎧の姿で終えさせない。 必ず、生身の身体に戻してやる。そう、約束している。それを守るためなら己は何でもするのだ。そう、あの時決めている……。 |