在天願作比翼鳥、在地願為連理枝」6






 燃え上がる屋敷。轟音と共に崩れ落ちる壁、屋根。
 暗い闇夜の中真っ赤に炎を上げて形あるものが倒壊していく光景は、心を大きく揺さぶった。
 いつまでも、慣れない記憶。心の底に刻まれた情景は忘れられない。
 リゼンブールを旅立つ時に燃やした己の家が思い浮かぶ。
 戻らないと決めた思い出が詰まった家。
 母親と暮らした穏やかで安らいだ日々が家中に染み込んでいた。
 
 きりきりと胸が痛む。
 死んでいった女と執事。
 死んだら、皆同じだ。
 死体さえ、燃えてなくなってしまう。魂はどこへ行くのだろうか。
 
 
「一度、司令部へ戻るぞ」
 ロイが背後に立ち、燃えて崩れていく屋敷をただ見上げるエドワードに告げる。
「鋼の。事情聴取に協力してくれ」
 エドワードは頷いた。
 
 
 
 
 
 執務室のソファに座り、ホークアイのいれた紅茶を飲んでいるエドワードの顔色は冴えない。両手でカップを持ち一口づつ飲んで、吐息を付く。
「鋼の。事情聴取を取ろうか」
「ああ」
「では、行くぞ」
 ロイは立ち上がり扉へ歩く。
「は?どこ行くんだ?」
 ここではないのか、とエドワードは疑問に思う。
「付いて来たまえ」
 仕方なく、エドワードは後に続く。司令室を出て廊下を歩き一つ曲がりいろんな部署を横目に通り過ぎ真っ直ぐに進む。事情聴取をするだけの個室などこんな離れた場所にあっただろうか。エドワードの戸惑いを余所に、ロイはどんどんと歩みを進めこのまま行ったら東方司令部を出てしまう事にエドワードは気付いた。
「大佐っ、どこまで行くんだよ?」
「私の家までだ。すでに来たことがあるだろ?」
「はあ?そうだけど、どうして大佐の家まで行く必用があるんだ?」
 只でさえ時間がないのに。多忙であるのに。事件が片づいたら後始末が待っているのに。
 エドワードはロイの意図が読めなくて首をひねる。
「鋼の。君は自分がどんな顔をしているか、わかっているのかね?」
 わかっていないエドワードを見てとって、ロイは大きなため息を漏らし見せつけるように肩をすくめる。
「え?何が?」
「自覚がないかね。……何があったのか知らないが、見れたものではないね。アルフォンス君も気付いていたよ」
「アルが?」
 途端にエドワードは顔色を変えた。
 何なのか、本人に思い当たる事があるようだ。
「アルフォンス君だけではないよ。私も中尉も少尉も皆気付いているよ」
「俺……」
 エドワードは驚きと自嘲が入り交じった表情を浮かべた。
「だから、これから事情聴取だ。私の家でね」
「……でも、さ。俺は別にどこでも平気だ」
「上官命令だ。拒否は許さない」
 付いていらっしゃいと、背を向けるロイをエドワードは困ったように見上げた。
「大佐」
 エドワードはそっと呼び止め、離れて行くロイのコートの端ををぎゅっと掴んだ。立ち止まる背中越しにエドワードは顔を寄せ呟く。
「ごめん」
 小さな小さな声だが、ロイには届いた。
 
 
 
 
 
「……どこまで調べが付てるか、わからないんだけど」
 そう前置きしてエドワードは語り始めた。
 場所はマスタング邸の慣れたリビング。
 以前、イーストシティに滞在した時、ロイの所有する蔵書の閲覧のため通った場所は見た限りどこにも変化が見えない。
 ソファに腰を下ろし、ロイが入れてくれたココアで暖まりながら、エドワードは小さな息を吐く。その隣、一つ分空けて同じソファにはロイがいる。コートだけをソファの背に掛け軍服のままだ。
「軍としては、それほどわかってはいないよ。アルフォンス君が鋼のの居場所を突き止め、ホークアイ中尉から連絡を受け向かったら、すでに火が上がっていた。逃げ出した者もすべては確保できてはいないだろう。我々が到着する前に屋敷を出た者は全くわからないからね。元々どれだけの人がいたのかも不明だから確認しようがない」
 ロイはそう答えて、自分用にいれた珈琲を口にする。エドワードはロイの答えに視線を落とした。
「そう……」
 自分を連れてきた片目の男は逃げた後だろうか。
 彼はすでに用件が済んでいる。エドワードを連れて来て執事から礼金ももらったはずだ。用件が済めば、あの場に留まる必要もない。そして、留まるような男には見えなかった。
 それにしても、火の手が上がるのが早すぎる。
 エドワードが居た部屋から出火したにしては、アルフォンスが駆けつけたのが早すぎるのだ。アルフォンスは早く逃げてと言った。彼らが到着した時、すでに燃えていたというのなら執事が先に屋敷に火をつけていたとしか考えられない。それとも、雇われていた誰かが火をつけたのだろうか。可能性としてありえないだろうか。
 執事が火をつける理由。
 主人のため、すべてを灰にするため。
 彼女の罪を消して誰の目にも触れさせないため。
 執事としては完璧だけれど、人間として誉められたものではない。火事になれば被害にあう人が必ずいる。怪我をしたり、最悪命を落とすことだってあるだろう。
「……捕まって、あの屋敷につれて来られてさ。あの屋敷の主人だと思うんだけど、コーデリアという女性と会った。彼女は俺を招待したんだって。無理矢理付け狙ってわざわざプロにまで頼んだっていうのに、待っていたって笑うんだ。罪悪感なんて欠片もない」
 エドワードはコーデリアの何も感じていない微笑みを思い浮かべる。
 自分の望みはすべて叶えられると信じているお嬢様。
「俺に亡くなった恋人を錬成しろっていうんだ。弟の魂を錬成したのなら、できるでしょって……」
 エドワードは自嘲を覗かせて言葉を繋ぐ。
 できる訳がない。
 そんな魔法この地上のどこにもない。
「死んでしまった恋人は骨だけだった。白い骸骨を愛おしそうに抱いていたよ。この場にいるみたいに話しかけていた。女にはただの骨が生きている恋人に見えたのかもしれない。俺に、その骨に魂を錬成しろって真顔で言った」
「……」
 ロイはエドワードの話に口を挟むことはなかった。無言で聞いている。
「できないって断った。そしたら、必要なものがあったなら、何でも言えといった。どんなものでも揃えるからって。何でもお金で手に入るって思ってる。手に入らないおのはないと思っている。人体錬成に必要なものなんて、人間に用意できるはずがない。第一、俺はあの女の恋人を錬成できはしない」
 あの時。
 母親を錬成しようとした時、真理を見た。扉の向こうにあった膨大な知識は人が扱えるようなものではなかった。禁忌だ。
 人に過ぎた知識の代価は己だ。己の片足。
 代価として失われたアルフォンスの魂と等価として支払ったものは、己の片手。
 惜しくはなかった。すべてを投げ捨てても、構わなかった。そう、覚悟があった。
 今、残されたアルフォンスの身体を取り戻すために必要なものを探している自分たち。そのために、軍の狗になった。
 あるかどうか定かでない賢者の石を探して、旅をして。
 時々、このまま見つからなかったらどうしようかと不安になる時がある。押しつぶされそうな不安に眠れなくなる夜がある。悪夢を見て飛び起きる時がある。
 アルフォンスは眠ることさえできないのに。夢を見ることさえないのに。
 自分は贅沢だ。
「俺ができたのは、アルフォンスの魂だからだ。俺の弟だからだ。赤の他人、見たこともない知らない人間なんて情報からして足りない。基本である理解ができないなんて論外だ。それに、本気で己を差し出すつもりでないと人体の錬成なんてできない」
 人間は神ではない。
 できることと、できないことがある。
 真理の番人が、いる必要。
 人間の英知が、越えてはいけない領域がある。
 禁忌に踏み込めば、破滅しかない。残されるものは、何もなくなる。運が悪ければ、身体も魂も失う。
「あの女の望みは恋人だけ。永遠に愛してもらうため、綺麗でいるために、若い女の血が必要だった。若い女の血を浴びて飲めば永遠の若さと美しさが手に入るって、迷信を信じていた。少し考えれば、そんはずないのに。血を飲んだだけで、若さも美しさも手に入らない。連続殺人事件の理由はそれだ。女性を浚って、生き血を絞り取った。何人もの女性を殺した。いらない死体は捨てて。実際におの女が手を下した訳じゃない。命令しただけだ。それでも、あの女の過ぎた望みのせいだ」
 ふうと、エドワードは吐息を漏らす。
「できないって、できっこないって言う俺にあの女は嫌だと叫んだ。狂気を含んだ目で俺を見て……、俺の血ならどうにかなるだろうと最後の望みに縋った。その時、執事が女を拳銃で撃った。そして、燭台を落として、絨毯に火が燃え広がった。炎が部屋に立ち上がって、その向こうで自分のこめかみに拳銃を押し当てている執事の姿があった。もう、終わりにしなさいって自分が一緒に逝くからって主人に諭すように言って。もう聞こえていないようだったけど。生きている方が可哀想だから、どうか死なせてさしあげてくれって俺に向かって願い……引き金を引いた、多分。もう、何も見えなかった。銃声だけが聞こえた」
 銃声が耳にこびり付いている。
 腕の中に落ちてきた力のない胸からなま暖かい血を滴らせた身体の感触が消えない。
 エドワードは血が滴った両手を握る。
「そして、俺に逃げろと言った」
 赤い炎の柱によって姿は見えなくて、女が息途絶えたのか、執事が未だ生きているのか死んでいるのかわからなかった。
「助けられなかった」
 目の前で死を選んだ人間を助けることもできない無力さ。
 この手は、何も掴むことはできなかった。
「俺は、見殺しにした」
 見殺しも、人殺しと同じだ。
 俺は、人殺しだ。
 エドワードはカップをぎゅっと握り耐えるように眉を寄せる。
「鋼の……」
 ロイの呼びかけに、エドワードは視線を上げて続ける。
「それでも、俺は生きる。アルフォンスの身体を取り戻すためなら、何でもする。人殺しって言われても、蔑まれても憎まれても。どんな犠牲の上でも生き延びる。そう決めている……」
 
 唇を噛みしめて、強い意志を瞳に揺らめかせながらエドワードはそう言い切る。
 生きる、と。
 生き延びる、と。
 普通の生活を送っている十五歳の少年が、見ている方が痛々しいと感じるような決意をする。本当だったら、学校に行っている年だ。もっと、無邪気に親に甘え、時に反抗している年齢だ。
 そんな些細な幸せを捨てて生きている兄弟を見る度に、ロイも司令部の面々もやり切れない思いになる。
 兄弟の事情は知っていたから、それについて意見することはない。止めることなどあり得ない。それでも、生き急いでいる姿は自分が軍人であるせいか、余計に胸に痛い。
 軍は、死に近い場所だ。
 そのため拳銃を携帯している程だ。
 危険と隣あわせどころか、地獄への近道だ。
 公明正大に、人を殺す機関だ。軍に身を置いていて手を血に染めないでいられる人間は少ない。事務職に付いているごく僅か。それさえも、召集が掛かれば戦地へ赴く。
 その軍に属している少年。
 恐らく、今も最年少の軍属だ。国家錬金術師となった年齢は、つまり軍属に下った年齢だ。12という子供が国中で一番合格率の低い、最難関の国家資格を取った。
 きっと、この記録は破られることがない。
 ロイはエドワードに手を伸ばし、金色の髪をくしゃりとかき混ぜ撫でた。
 
 何も、己が言えることなどない。
 下手な慰めなど、無駄だ。必要ない。
 第一、エドワードが必要としていない。
 
 だから、ロイは話を別方向に向けた。
「そうか。ご苦労だったな。大した怪我もなく何よりだ。だが、無茶が過ぎるがね。……わざと捕まったそうだし?」
 ホークアイから報告を受けている。
 彼女の身代わりとして、自分から捕まったのだと。
 アルフォンスが兄のエドワードを追えるとわかっていたとしても、姉のように見守っている彼女からすれば、許し難いことだろう。エドワードを危険に晒して自分が助かるなんて。
「……そうだけど」
「私は、部下を助けてもらって感謝しなくてはならないようだ。が、君も私の管轄にあることを忘れてはいまいね?」
 にやりと、ロイは笑う。
「……」
 まずい、というエドワードの心の声が聞こえそうだ。エドワードは視線を逸らす。
「あれ程、皆が心配していると言ったのに。君には学習能力がないようだ。……これは?」
 ロイはエドワードが手にしているカップを取り上げテーブルに置くと、生身の片手を掴んで目の前に見せつける。人差し指にできたばかりの深い切り傷があった。
「……」
 エドワードは、ううと小さく呻く。やはり、見つかったかと瞳が正直に告げていた。
「また?」
 意地悪そうな微笑みに、エドワードはこくりと頷く。さすがに、ここで誤魔化したり、はぐらかしたりしたらどうなるかくらいエドワードも学んでいた。
 その神妙な顔を満足げに認めるとロイは立ち上がり部屋の片側にある戸棚をあけて、薬箱を持ってきた。そして、消毒やガーゼ、包帯等を取り出しエドワードの手を持ち上げ手当を始める。
 消毒して、ガーゼで傷口を覆い包帯を巻く。傷にしてはかなり大げさな包帯の巻きような気がした。つまり、嫌味なのだろう。
「ありがと」
 それでも、エドワードはお礼を言った。
「どういたしまして。私に治療させるなんて君くらいだぞ」
 どこか楽しそうなロイにエドワードは唇を尖らせて皮肉を込める。
「それは、光栄だね!大佐にこーんなことさせて。治療費払わないといけないか?」
「治療費を払う気があったのかね?ほう、そうか。良いことを聞いた。何を払ってもらおうか」
「げっ、俺より高給取りのくせにみみっちいこと言うなよ」
「誰も君からお金を取ろうなんて思っていないよ。そうだね、労働力で払ってもらおうか」
「労働力?」
 胡散臭そうに、エドワードは首をひねる。
「そう。1週間ほど東方司令部で働きたまえ。倉庫や東門の壁が傷んでいるし、2階の床が少し傾いでいる。食堂で鍋に穴が開いた聞いていたる。修復が必要だ。アルフォンス君と一緒に直してくれるか?」
「……そんなの1週間もかからないぞ」
 エドワードなら錬成陣を描かなくても両手をあわせただけで簡単に直せる。修復する場所がどれほどあっても1日と掛からないだろう。
「その後は、書類の整理を手伝ってもらうさ。足りないくらいだ」
「馬鹿だなー、大佐。仕事貯めるから悪いんだぞ?中尉に怒られるんだからさ」
 ロイの提案をエドワードは受けた。
 こんな風に、さりげなく慰めるなんて受け取らない訳にはいかない。同情されていないって、わかっている。認めてもらえてるって、ちゃんと理解している。
 はね除けることは、何の見返りも求めない人の好意を捨てることだ。
「では、よろしく頼むよ」
「ああ」
 エドワードは頷いた。
 
 
 
 

 一生、共にいようと。
 空を飛ぶ一対の鳥のように添い遂げようと。
 どこへ行くのも一緒に、何をするのも隣で。
 一生を終える時も一人になんてしない。
 
 女の夢は、叶わない。
 夢見たまま、死んでいった。恋したまま死んでいった。後には何も残らない。
 
 
 けれど、自分は弟を取り戻す。必ずだ。
 エドワードは一度目を閉じ思いを己に言い聞かせ、司令部に戻ろうかと立ち上がったロイの背中を追った。
 
 



                                                         END 



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