ホークアイは無線で連絡を取り、エドワードが浚われた事を簡潔に報告した。 すぐに応援が駆け付けてくるだろう。ホークアイが視線を戻すと、アルフォンスが描いた錬成陣から青白い光が暗闇に散り、まるで蝶のような飛行物が空中に現れたところだった。 「アルフォンス君?」 いつ見ても錬金術師ではないホークアイには理解できない光景だ。今見ている光景も到底理解できない幻のようなものだ。 首を傾げて訝しげに問うホークアイにアルフォンスは簡潔に答えた。 「これで、兄さんを追うことができます」 「え?」 「前回で、学びまして」 アルフォンスは苦笑する。 嬉しくないのだが、よく浚われるエドワードはかなり懲りて……事件に巻き込まれるというより、事件に突っ込んで行くため拉致される目にあう……、兄弟二人でどうにかしようと頭を付き合わせて方法を考えた。拉致され行方不明になった場合、どこいるか突き止められる方法を。 その結果。 エルリック兄弟と師匠との間にある同じ紋章。それに仕掛けがある。 互いの紋章に少々細工を施した。その紋章を目印に錬金術で追う事ができるようにしてある。 エドワードの赤いコートの背中の紋章。アルフォンスの鎧の腕の紋章。互いに引き合うのだ。 浮遊している蝶のような青い影は、アルフォンスをエドワードがいる方へと指し示す道標だ。蝶に見えるのは、それらしいから。本当は、どんな形でも構わない。 「こっちです」 アルフォンスは指差した。 ホークアイはその後ろを付いて行く。行方を突き止める方が先だ。場所がわかれば、応援にもそちらに直接来てもらった方が早い。 アルフォンスとホークアイは暗闇にふわりと浮かぶ青い蝶に付いて駆け出した。 エドワードはコーデリアと車椅子に乗った骸骨をどこか遠い意識で見つめる。 自分が魂の錬成を成し遂げたと、どこまで噂となって流れているのか。 この骸骨に魂を入れてどうするというのか。 彼と呼んでいるが、この骸骨が彼女の恋人の骸なのか? 理由はわからないが彼は死んでしまっている。 死んで骨になった姿のまま保存され彼女に愛されているというのか? 果たして、それは彼が望んだ姿なのか……。 エドワードは眉をひそめる。 確かに、自分の描いた血の錬成陣を媒介としてアルフォンスはこの世界に留まっている。 同じように考えれば、骸骨のどこかと魂を繋げればいいと単純に思うかもしれないが。 そう簡単ではない。 もし、骸骨に魂が宿った時、彼はその骸骨で動き回り話すのだろうか。想像しただけで、ぞっとする。 本人がそんな姿で元に戻る事を望むはすがない。 コーデリアの自己満足だ。 自分が寂しいから、亡くした恋人を諦められない。我が儘な子供なのだ。 でも、わかっている。 アルフォンスだとて、同条件だ。 鎧の姿に魂があるから、人が動いて話しているように見えるだけで。空っぽの中身は何もない鎧だとわかったなら、普通の人間は目を疑い恐怖するかもしれない。蔑むかもしれない。 その度にエドワードは怒りと罪悪感に苛まれる。 己の弟をそんな目で見るなと。 弟は生きているんだと。 罪深いのは自分であって、弟ではないのだ……。 そう、世の中に訴えかけたくなる。 鎧の姿になった目覚めた時、弟がどう思ったのか。絶望したのではないかと、心の中では恐怖している。 亡くせない、血の繋がった弟。 罪の意識と絶望と懺悔の気落ちが混じった絶叫で、願った。求めた弟の魂。 無邪気に願う子供の我が儘な部分がコーデリアと似通っていて、エドワードは苦く思う。 「……魂の錬成だって?できる訳ないだろ」 エドワードは一瞬にして己を襲った暗い闇のような思いを封じ込め、険しい瞳で睨み否定した。 「どうして?貴方は魂の錬成を成功させたのでしょう?だったら、彼も可能じゃない」 不思議そうにコーデリアは首を傾げた。 「人体錬成は禁忌だ。それだけ分、厄介で困難。正しく命がけだ。持てる物全てを賭けないないと成功なんてしない」 「必用な物なら用意させるわ、何でも言って」 全てお金で買えると思っているコーデリア。 魂の錬成に成功した錬金術師がいると聞けば、浚ってこさせる。礼儀も何もあったものではない。浚っておいて錬成をしろと依頼する。あれは命令と変わらない。 今まで叶わない願いなどなかったのだろう。 そのコーデリアも恋人の命は買えなかったのに、まだわからないのだろうか。 命は、買えやしないのだ。 エドワードはコーデリアを真っ直ぐにきつい金目で見上げた。 「いいか、錬金術は等価交換だ。人体錬成に用意できる材料なんてありはしない」 「でも、貴方はやり遂げたのでしょ?」 「……自分だよ。自分を差し出すのさ」 「自分?」 「ああ」 エドワードは頷く。 「あんたは、自分を差し出すことができるか?自分の命を恋人のために捧げられるか?」 差し出しても、返ってはこないけれど。 命の代価になるものなど、本当はこの世のどこにもないのだ。 「それに、あんたが望む恋人は俺には絶対に錬成なんてできないな。錬金術は、理解、分解、再構築が基本だ。第一の、理解が絶対的に足りない。わかるか?錬成したい人間を、魂から人となりを理解していなければ、第一段階で成り立たない。自分が心の奥底から渇望する程望む相手でなければ、話にならない」 そうだ。 自分が、なぜ、アルフォンスの魂を錬成できたのかと言えば。 相手がアルフォンスだったからだ。自分の立った一人の弟。残された唯一の家族。自分の全てだった。 兄弟として育ち、同じ物を見て考えて生きて来た。 弟のことなら大概の事は知っていた。 弟の魂を望む程に。 明確に頭に思い描けた。 自分だから、アルフォンスの魂を錬成できたのだ。自分しか恐らくできないだろう。 そういう事だ。 だから、アルフォンスの身体を取り戻す事ができるのも、自分だけだ。 自分だけしか、できない。 己の全てを賭けて望む存在でなければ、失敗する。 「俺が錬成できるのは、弟だけだ」 エドワードは断言した。 錬金術は万能ではない。 どんな願いを叶える魔法でもない。 数式に則った、科学だ。 この世の理に背くことは不可能だ。 「そんな……」 コ−デリアは、口を手で覆って瞳を困惑ぎみに揺らした。そして、己の手の中にある骸骨を見つめる。 「貴方。貴方は私と一緒にいてくれないの?……でも、私は貴方が側にいてくれないと駄目なのよ。ねえ」 縋るように、骸骨の首に抱きついてコーデリアは顔を上げる。そして、エドワードに視線を合わせ立ち上がった。そのままふらりとエドワードの側まで来ると肩に両手を置いて激しく揺する。 「お願い、彼を戻して。何でもするから。欲しいものなら何でもあげる。貴方なら、鋼の錬金術師なら、できるでしょう?」 エドワードは首を横に振って否定する。 「できない。錬金術は万能じゃない。魔法でもない。人の命なんて誰も蘇らせない」 「弟の魂は錬成したんでしょ?自分だけ卑怯だわ。だったら、私の恋人も錬成して」 「できないって言ってる。不可能だ」 「いやよ」 どんなに言ってもコーデリアには通じない。悲鳴のように言い募る。 「……貴方の血なら、彼は蘇る?」 コーデリアはどこから細いナイフを取り出した。まさか彼女がそんな物を忍ばせているとは思わなかったエドワードは目を見開いた。 銀色の輝くナイフをエドワードの首筋に当ててコーデリアは瞳に狂気の色を浮かべた。 「もう、貴方の血で彼を取り戻すしかないわ」 平行線は埋まらない。話しを聞くつもりだったが、このままでは彼女は本当にエドワードを刺すだろう。 縛られた振りをしていたが、抵抗しないと不味いな……。エドワードが彼女の手首を掴もうとした時。 パーン。 部屋に銃声が響いた。 それと共に、コーデリアがエドワードの腕に力無く落ちてくる。胸からは血が滲み滴っていた。 「何……?」 コーデリアを支えるエドワードの手が血に赤く染まる。なま暖かい血の感触が一瞬状況判断が鈍っていた神経までやっと届く。 「お嬢様」 執事が目の前で拳銃を持っていた。そして、コーデリアをエドワードから丁寧に抱き上げて椅子まで歩きそっと下ろす。あまりの事にエドワードは無言で一連の動作を見送ってしまった。 「もう、終わりになさいませ。じいが一緒に参りますから……」 執事は椅子に横たわるコーデリアを見下ろした後、囁くように呟いた。その間もコーデリアの胸からは血が吹き出て赤く視界を染めている。 執事は徐にテーブルにある燭台を床に落とした。 がしゃんと音を立てて床に転がった燭台の火が絨毯に燃え移った。毛足の長い絨毯は燃えやすく、あっという間に火を部屋中に運び始める。 「おいっ」 エドワードは急展開に付いていけない。 「申し訳ありませんでした。どうか、お逃げ下さい」 執事はエドワードに頭を下げた。 「何で、死んだら駄目だろ?」 「お嬢様は、生きている方がお可哀想です。このまま死なせてさしあげて下さい」 「待てよ」 燃え広がる炎は執事達がいる場所を拒むかのように近づけさせない。 「もっと早く、お止めして差し上げなくてならなかった。お嬢様は罪だと理解できていなかったから。ただ、純粋に、恋人を想っていたのです。それだけは真実でした」 「そんなの理由にならない!」 綺麗でいるために、罪のない女性を殺し生き血を貪り。 恋人を生き返らせるために、錬金術師を浚う。 それは決して許されることではない。純粋な想いだろうが、何であろうが、だ。 「どうか、死なせて差し上げて下さい。お願いします」 執事はもう一度深く頭を下げると、拳銃を自分のこめかみに当てた。 「死ぬなよ。簡単に死ぬなっ!それこそ、卑怯だろ?」 エドワードは叫ぶ。 その間にも部屋中に炎が上がり、一部天井が崩れた。破片が音を立て落ちると、火の粉が飛び散る。 パーン。 再び鳴り響いた銃声。 エドワードは目を懲らすが、もう赤い炎の柱によって姿は見えない。 コーデリアが息途絶えたのか、執事が未だ生きているのか死んでいるのか。知ることもできない。 「兄さん……!」 扉を蹴破って突然アルフォンスが現れた。 「アル?」 エドワードは呆然とアルフォンスを見上げた。 「何やってるの、兄さん。逃げないと……」 アルフォンスはエドワードの手を引っ張る。 目の前には死んでいく、執事と狂った女。このままにはしておけないと思う。けれど、死なせろと言う。 「兄さん、危ないって!」 動かないエドワードにアルフォンスは声を荒げる。 「人が、まだ」 「誰が、どこに?」 エドワードは炎の先を指差した。そこにはすでに赤い火の固まりしか見えなかった。 どう見ても、生きているとは思えない状況だ。 「……兄さん?」 訝しげなアルフォンスにエドワードは顔を顰めた。 アルフォンスにはエドワードが、躊躇している理由がわからないのだ。普通だったら、兄は何を言ってもとっくに他人を助けているだろう。それなのに戸惑ったように留まっているのはなぜか。 もはや一刻の猶予もないというのに。 「死なせて欲しいって火を付けたんだ」 呟くエドワードにアルフォンスは強く腕を引いた。何があったかはわからないが、つまり自殺したのだろうと理解する。 魂だけの自分なら火の中に行っても死なないだろうが、エドワードはこのままなら無事では済まない。 「兄さん、兎に角逃げて。……その人が心配なら僕が見てきてもいいから」 エドワードはアルフォンスを驚いて見上げ、ゆるく首を振ると止まっていた足を動かし扉に向かう。 自分しか、アルフォンスを元に戻せない。 どんな事をしても、自分は生き残らなくてはならないのだ。 絶対に、絶対にだ。 自分が命途絶えたら、アルフォンスを元に戻す人間はどこにもいない。 このまま鎧の姿で一生を終える事になる。 魂は死ぬことはないから、この世界と仲立ちをしている錬成陣がある限りアルフォンスは長い永遠に等しい月日を生きるのだ。 一人で。たった、一人で。 皆知り合いは死んでいき。残るのは己だけ。 それは、地獄だ。 ああ……。 エドワードは振り向かずに、そのまま部屋から駆け出した。 例え、卑怯者になっても。 誰に何と言われても。詰られても、嫌われても。 針の筵に座っても。 俺は死ねないんだ。 絶対に、死ねないんだ。 誰を犠牲にしても、俺は生き延びなければならない。 こうして、人を見殺しにしても。 見殺しも、人殺しと同じだ。 その罪は自分が負うものでアルフォンスには関係がない。 廊下へ出てしばらく行くと、ロイにホークアイ、ハボックが揃っている。 どうやら皆で潜入したらしい。アルフォンスが一番に飛び込んで来ること事態がいかに心配させたかを物語っている。 「行くぞ、鋼の」 エドワードは軍服の背中を見ながら、後に続いて駆け出した。 |