エドワードが連れてこられのは、イーストシティにある大きな屋敷だった。高い塀に囲まれた屋敷をぐるりと周り、裏口を男が叩くと番人が扉を小さく開ける。顔見知りであるのか、男の顔を見ると扉を内側に開け横に退く。男達はさっさと入り扉は閉められた。 そのまま男は廊下を歩く。 屋敷に入ると何人もいた雑魚ばかりだった男達は離れてた。 エドワードを担いでいる唯一のプロらしい男だけが真っ直ぐに迷いなく屋敷の中央へ歩いて行く。 「なあ、あんた何でこんな事している?」 答えるとは思えないが、エドワードは問いかけた。 黒いグラスに隠された片目が見えない事を知っている。それでもあれだけ機敏に動けるのだから、相当強いのだ。こんな犯罪に手を染める必用があるのだろうか。 他にも仕事ならあるのではないか。 もっとも誰にも事情がある。 エドワードだとて、あの時まで自分が国家錬金術師になるなど思いもしなかった。軍属になるなんて想像さえしなかったのだ。 生きていく、失ったものを取り戻すために軍の狗になった。 自分を担いでいる男もそうでないとは言えない。また、何も理由などないのかもしれない。 ただ、何かあるのかと思うのはエドワードの勘に過ぎない。 男は捕らわれているくせに暢気なエドワードの問いかけに眉を寄せた。なぜそんな事を聞くのか理解できないと顔に書いてある。 「なぜ、そんな事を聞く?お前に関係ないだろう」 口から出てきたのは、そっくりそのままの台詞だった。 「ないさ。でも、興味?うーん、あんなに強いから。俺強い人間は嫌いじゃないし」 不敵ににこりと笑うエドワードに男は唖然とした目を向ける。 「鋼の錬金術師は変わっているようだ。天才は紙一重か」 「ああ?何だそりゃ。って、やっぱ俺が国家錬金術師ってのはわかってるんだな」 「……知ってる」 「あんた、俺のことに詳しいんだ。錬成陣なし両手をあわせただけで錬成できるって知ってたもんな。それに、一人だけプロだし」 「……」 「ひょっとして、軍と関係がある?それともあった?」 エドワードの指摘に男は目を見張り、唇の端を上げた。 「……お前ただの国家錬金術師じゃないな。国家資格を取るだけでも難関だが、机上の研究者ではない。軍が野放しにさせない天才、否、鬼才か」 「随分評価してくれるじゃん。で?」 エドワードは続きを促す。 「俺は軍人は好かん」 きっぱりとした言葉だ。 「ふーん。嫌われたもんだね」 大して気分を害したそぶりもエドワードは見せない。 「好かれる軍人は稀だしな〜」 自身も軍属だというのに当たり前にように納得する。 見かけは子供なのに、大人よりも肝の据わった国家錬金術師だと男は思う。 「好かれる奴なんて滅多にいねえな。……それで、理由は?軍人に酷いことでもされた?それとも軍に属した事でもある?嫌気でもさした?」 上下関係が厳しく理不尽な事がまかり通る軍に在籍していたとすれば、嫌気がさして止める場合と、まるで駒のように扱われ手ひどい怪我や精神的苦痛を強いられ止めざるを得なかった場合がある。 また、中には利益や利権を貪る強欲な者や民衆に権力を振りかざし暴力を振るう酷い軍人もいるから、憎まれる事だって少なくない。 そうでない人間として信頼できる者もいるけれど……エドワードが知る東方司令部はその例外だ……多くは嫌われて当然の存在だ。 「……その傷も、そう?」 片目を潰される程何があったのかエドワードにはわからなかったが、それも要因の一つではないかと思われる。 男は片手でそっと見えない目に触れた。 「……これくらい大したことはないな。俺は生きているだけましだ。俺以外の奴は全員死んじまった」 「それで、こんな仕事してるのか?あんた、つい数日前から雇われただけだろ?」 同情など必用としない。 軍人として戦地に赴いたのか、テロによって失ったのかわからないけれど。 数日前いきなり増えた男。 これほど手強い男が吸血鬼と呼ばれている殺人事件に最初から関与しているとも思えない。もし、そうなら当初から自分を狙うメンバーに加わっていただろう。 「金になるなら、何でもするさ。……確かにお前を浚う仕事を受けたが、俺も詳しくはしらん。関係ないしな」 その後のことなど、どうでもいいだろう、と男は言う。 「じゃあ、女性を狙う仕事は受けてないのか?それにしては、さっき狙っただろ?」 「たまたまだな。ついでだ」 「仕事熱心だな」 嫌味だ。 そんなところだけ律儀に仕事をしなくてもいいのに、とエドワードは思う。 多分、元が真面目な人間なのだろう。こんな仕事に身を落としていても、本質は変わっていないということだ。 掴まった者と捕まえた者であるのに、まるで世間話しのような会話をしながら長い廊下を歩くと、男はある部屋の前で止まった。 コンコンと重厚な扉を叩く。 しばらくすると内側から扉が開き、一人の男が現れた。几帳面そうな顔に眼鏡をかけ一部の隙もない黒い服を着ている。 この家の執事だろうか。 執事らしき男は男に担がれたエドワードを見て軽く頷く。首尾に満足らしい。 そして、扉を開けて中へ促す。 男は執事に付いて室内へ入りエドワードを床に下ろす。転がされなかっただけましなのか、エドワードは床に座った。立たせていたら反抗の機会を与えると思ったのだろうか。 確かに、エドワードは機械鎧の破壊力抜群な蹴りがある。用心されただろう。 見回した部屋の内装は上質な物ばかりだ。青い花の模様が入った白い壁紙、立派なテーブルに椅子のセット。横にある弾力のありそうなソファはカーブが美しい造りだ。 「お嬢様。コーデリアお嬢様」 執事が隣室へ声をかけた。 すると一人の女性が現れた。 長く豊かな金髪に青い瞳の綺麗な女性だ。物腰柔らかでお金に苦労した事がなさそうに上品だ。 執事が、彼女の後ろに仕えている。 自然な動作で彼女のために椅子を引く。彼女も当然のように座った。 「鋼の錬金術師です」 執事は彼女に告げる。コーデリアと呼ばれた女性はエドワードを認めた。そして、微笑する。 「待っていたわ」 嬉しそうに笑う顔には、一切の陰りは見えない。 エドワード本人の意志などねじ伏せて、無理矢理連れて来させるつもりだった人物であるはずのに、どうした事だろう。 エドワードには理解できない。 「ありがとう、報酬は約束通りに」 そして、エドワードの横で立っている自分を連れてきた男に話しかけ、後ろに控える執事に軽く頷く。執事も心得たように会釈する。 約束の報酬を払うように。 この男を雇ったのは、この女性。コーデリア。 執事は、失礼しますと断ると男を伴って部屋を出ていった。エドワードは二人を視線で見送る。 そして、室内には女性とエドワード二人だけが残された。自然にエドワードは女性を見つめた。 「初めまして、エドワード・エルリック。私はコーデリア。コーデリア・エヴァンズ。貴方に逢う事をとても楽しみにしていたのよ。嬉しいわ」 「……それにしては随分手厚い勧誘だったけどな、俺に何の用だ?」 「せっかちね。私、貴方をご招待したかったの。鋼の錬金術師の噂はたくさん聞いているわ。若干12歳で資格を取った天才と誉れ高い最年少国家錬金術師でしょう?才能豊かで何でも錬成できるのだと聞いたわ」 コーデリアは手放しで賞賛する。 「そんな大層なもんじゃない」 エドワードは吐き捨てた。 確かに、自分は最年少国家錬金術師だ。資格を得たのは12歳。銘は鋼。 しかし、天才でもなければ、何でも錬成できる訳ではない。 錬金術は等価交換が基本。代価を払えるものしか、錬成はできないのだ。 コーデリアの認識は間違っている。錬金術についての知識は一般的な噂程度しか知らないようだ。比率にすれば、錬金術に詳しくない人間がほとんどなのだから、コーデリアが知らなくても不思議ではない。 自分を招待したかったと彼女は言うが、拉致まがいで連れてきては真実味は薄い。 エドワードが頷くかどうかは怪しいが、普通に屋敷に招待すれば良かったのではないか。 錬金術についての知識の薄いお嬢様が、一体エドワードに何の用があるというのだろう。好奇心でただ話を聞いたいのか?それとも他に何か理由があるのだろうか? 拉致するくらいだから、人には言えない理由がある可能性が高いのだが。 「失礼します」 ノックしてから執事が部屋に入ってきた。手には銀のお盆がある。執事は真っ直ぐに歩いて来るとコーデリアの前、テーブルに盆の上に乗ったグラスを置いた。 グラスの中身は赤い飲み物。 最初ワインかと思ったが、それにしては随分赤い色だ。エドワードは内心首を傾げる。 それに、嗅ぎなれた嫌な匂いがする。 コーデリアはグラスを手に取ると躊躇なくそれを飲み干した。唇に付いた赤い雫を舌で舐め取る。 つんと鉄の匂いが一層室内に漂った。 エドワードは顔を顰めて、何も言わず彼女を見つめる。 「私、綺麗かしら?」 すると、コーデリアはエドワードの視線など気にもせず、白い頬に手をあてにこりと笑うと執事に聞いた。 「もちろんでございます、お嬢様」 執事は即答する。 「お嬢様ほど美しい方はいません」 執事の鏡のような答えだ。執事は嘘を付いているようには見えなかった。本人がどう思おうとも、それは自由というものだ。事実、コーデリアは美人だ。 「お風呂の用意も整っております、お嬢様」 「ありがとう」 鷹揚にコーデリアは頷く。 「ねえ、私綺麗かしら?」 今度はエドワードに向かって同じ質問をする。エドワードは眉を寄せた。 自分にそんな事を聞くことは間違っているのだ。自分は彼女の執事でも使用人でも友人でも知人でもない。答える義理はない。 むっつりとして答えないエドワードに、コーデリアはさして気分を害しはしなかった。微笑を浮かべながら椅子から立ち上がるとエドワードの前まで来る。 「永遠に綺麗でいられる方法を知っている?」 上質な布地の洋服に身を包んだコーデリアからは、やはり嫌な匂いがする。エドワードの勘が警告を鳴らしている。 「乙女の生き血を浴びると永遠の若さと美しさが手に入るんですって。鋼の錬金術師は知っていて?」 乙女の生き血。 エドワードは嫌な予感が当たった事を知る。 ……つまり被害者達の血液だ。 浴びる程の血液が必用だと仮定すれば、何人もの被害者が全身から血液を抜き取られていた事も納得がいく。 先ほどコーデリアが飲んだ赤い液体も、血液だ。 不釣り合いな鉄の匂いが彼女からする。 エドワードは込み上げる不快感に唇を噛みしめて耐えた。 被害者の女性達は、いきなり浚われてこの屋敷に連れて来られ体中の血液を抜き取られるのだ、生きながら。そして、用がなくなると打ち捨てられる。 コーデリアが欲する永遠の若さと美しさのために。それだけのために。 そんなの迷信だ。 血液を浴びるだけでそんな効果がある訳がないのだ。 どう考えてもおかしい。 若く美しくいるコツがあるとしたら。それは、健康的な生活、十分な栄養、睡眠、精神の安定、生き甲斐、と基本的で効果的な方法がある。 顔かたちが平凡でも、生き生きとしている表情は輝いて魅力的に見えるものだ。 それなのに。 「あんた、それ以上何を望むんだ?」 立派な家に住んで、何不自由なく生きている。 住む場所に困ることもない。明日食べる物に困ることもない。 外見は好みがあるが、十分に美人の域だ。 誰もが、美人だと認めるだろう。 人が羨むものを持っているくせに、何を欲しがるというのか。 「私が綺麗で居続ければ、彼は私を愛し続けてくれる。私の側にいてくれるもの」 うっとりとコーデリアは語る。そして、彼と約束したのよと笑う。 「一生、共にいようと。空を飛ぶ一対の鳥のように添い遂げようと。どこへ行くのも一緒に、何をするのも隣で。一生を終える時も一人になんてしないって」 だから、私は綺麗でいなければならないの。 あの人が好きでいてくれる私でいなくてはならないのよ。 コーデリアはそう言うと隣室へ向かった。貴方、と呼ぶ声が聞こえる。執事も彼女に付いて行く。 彼女の言う、「彼」が隣にいるのだろうか。 その割には人気がしないのだが。 エドワードは後ろ手に縛れているが器用に左手の手袋を取り素手になると爪で思い切りひっかいた。己では見えないが血で濡れた感触がする。そのまま見ることはできないが指に血を塗りつけると、床に錬成陣を描く。自分の描いた錬成陣が間違っているなんて疑うことなく手を押し当て、機械鎧の右腕を小さなナイフに替え、縄を解く。しかし、ばれないように、縄は自分の手で持ったままの状態で知らぬ顔をする。 いつでも、動けるように……。 すぐに逃げる事もできるが、まだ、彼女の目的がよくわからない。大人しく捕らわれているふりをした方が得策だ。 それにしても。 また、怒られるんだろうか。 以前捕らわれた時も、指を切って血で錬成陣を描いた。それ以外あの時道はなかった。 それなのに、大佐に怒られ、アルフォンスにばれて、また怒られた。もう、しないでよと、釘を刺された。 けど。 掴まっているより逃げ出す方に優先順位があると思う。 これは、仕方ないんだ。俺は絶対悪くない。 エドワードは心中でそういい訳した。だから怒るなよと愚痴る。 それで、弟や大佐が納得してくれるなど期待してはいないが、いい訳くらい聞いて欲しいものだ。 エドワードが心中でそんな事を思っていると、コーデリアが車椅子を押して現れた。 「ねえ、貴方」 コーデリアは車椅子に座っている人物に優しげに声をかけた。 エドワードは目を見開いて、絶句する。口をぽかんと開けなかっただけましだ。 理性が、現実を拒否している。 椅子に座っているはずの、男は。 骸骨だった。 白い骨だけの、存在だ。 コーデリアは髑髏に細い腕を回してにっこりと微笑む。 「彼の魂を戻して、鋼の錬金術師」 「……」 「私の元に、戻してちょうだい。そうして二人で永遠に生きるのよ」 |