「こんにちは」 図書館の帰り道、エドワードとアルフォンスは東方司令部へ寄った。 今朝事件を目撃して、寄るか寄るまいか悩んだ末様子を伺うつもりで顔を出したのだ。多忙かもしれないから、その時はすぐに帰ろうと二人は予め相談してあった。 「あら、いらっしゃい」 「よう」 「こんにちは、エドワード君、アルフォンス君」 ホークアイとハボックとフュリーがにこやかに返事をする。 いつも暖かく迎えてくれる事が嬉しい反面、忙しい時は申し訳ないと思う。 事実、ホークアイの机の上にも書類が積まれ、ハボックの机上の灰皿は山になり、フュリーは何をするのか立ち上がったところだ。 「……忙しい?」 「お邪魔ではないですか?」 入り口のところで佇んで、中に入らないで二人は伺ってみた。その遠慮がちな態を見て取って軍人達は、苦笑する。 「忙しいのはいつもの事よ。軍も暇ではないから。けれど、二人はいつでも大歓迎よ」 「そうそう。遠慮なんて似合わないって」 そんな風に言われて、二人は顔を見合わせて頷くと部屋に踏み込んだ。 「お茶でも飲む?」 ホークアイが席を立つ。 「え、いいよ」 「遠慮は入らないって言ったでしょ。ちょうど休憩にしようと思っていたところなのよ。ついでに大佐にも持っていってくれれば嬉しいわ」 「わかった」 エドワードはホークアイの気遣いに頷いた。 「大佐」 ドアを開けて顔を覗かせる。手にはカップを持っているため自然に動作が丁寧だ。 「鋼のか。どうした?」 「休憩にして下さいって、ホークアイ中尉が」 ほら、と湯気が立っているカップを掲げて見せる。 「ああ、ありがとう」 エドワードは机の前まで歩いて行き、机にカップを置いた。 「それで、どうなんだ?」 「進展はないな」 ロイは頭を抱えている。 今日も被害者が発見されて、手がかりは何もないのだ。いい加減市民から苦情が来ている。怖くて夜外出できないと。娘を持つ親も神経質になっている。 誠に、頭が痛い。 やる事がありすぎて手が回らず、昨日から積み上がっている書類が少しは減っているがまだ机の上に鎮座していた。 「もらおうか」 ロイはカップを掴み珈琲を一口すする。ブラックの上、苦い口当たりが口一杯に広がり喉を過ぎて行く。疲れている時は甘いものが欲しいとはいうが、こういった苦みも必用だ。特に頭をすっきりとさせるためには。ロイは眉をひそめ顔を顰めた。 「疲れてんな」 ロイを見ているとエドワードが同情したくなる程顔色が悪いような気がする。徹夜だろうか。 「……まあ、いつもの事だな。心配してくれるのかな?」 「別に。大佐が鬱陶しい顔してるとそれを見なけしゃならない皆が、可哀想なだけだ」 エドワードはぷいと横を向く。 「そうかね」 ロイは机の上に肘を付き手を組むと顎を乗せ、エドワードを見て含んだように微笑した。 「……」 素直でないから、心配だとも言えないのだがしっかしとばれているのが憎らしい。 エドワードは唇を尖らせてロイを上目づかいで睨んだ。 コンコン。 そこへ扉を叩く音がする。 二度聞こえるノックの音は正確だ。ノックも性格が出るのだろうか、誰だかわかる。 現れたのは思った通りホークアイだった。 「失礼します」 「ああ」 仕上がった書類を下さい。そして、これが追加の報告書です」 どさりとホークアイは抱えていた紙の束を机の右上に置いた。それをうんざりとした顔でロイは見つめる。小さなため息も漏れた。 「大佐」 「何だね」 存外真剣に呼ばれてロイは首を巡らせた。 「大佐。こうなったら囮捜査をするべきでしょう。これ以上被害者を増やしてはいけません」 「そうは言うがね」 「私が囮になります」 きっぱりとホークアイは自分が囮になると言う。幸い金髪ですしと続ける。 「しかしね、中尉」 「私は軍人です」 「中尉」 「軍人である人間がやらなくて誰がやるのですか?民間人ですか?……何のために軍人がいるのか、考えればわかることです」 「……」 「大佐」 「わかった」 ロイは手を挙げて降参する。 ホークアイは囮としては条件が合いすぎた。これ以上ない程だ。 ロイの感情を別として軍としてはいい加減突破口を開かないことにはどうしてようもない。最悪、囮捜査も案が出ていなかった訳ではない。 「中尉、本当に?」 口を挟めず話を聞いていたエドワードが真面目な顔でホークアイを見上げる。 「ええ」 にこりと笑う笑顔は冷涼で綺麗だ。 それにエドワードの危ないから心配だなどという感情など入る隙間はなかった。 軍人としての誇りも意味も責任感も。 彼女は持っているのだから。 そんな彼女が自分達兄弟は好きなのだから。 二人が滞在しているホテルの一室はぼんやりと明かりが灯っていた。 食事を終えて、今日図書館で借りてきた文献を読んでいる。 借りてきた本は滞在中に読める分だけだが、すでに何冊かあって二人で手分けして読むのが普通だ。 片方が読んでみて大して必用性を感じない場合は、無駄な時間を費やす必用がないため相手は読まない。興味深く相手にも是非読んで欲しいものは、勧める。 重要だと思うことや次の資料探しに繋がる事、伝承などはメモをしながら読み進める。 エドワードは素晴らしい集中力で読解し、外界を切断してその世界に入り込む。アルフォンスは兄程ではないが本を読むのも早いし読解も正確だ。 そうして過ごすのが普通である。 だが、エドワードは一向に集中できない。いつもなら薄い文献ならすぐに読み切ることができるのに。 ベッドに腰掛け本を広げているのだが、天井を見上げやがて大きくため息を付いた。 視線の端には部屋の隅に腰を下ろしエドワードと同じように文献を読んでいるアルフォンスが映る。 今日中に読み終えておきたい本が脇に積まれいる。 自分の横、ベッドの上にも本がある。 しかし。 理性と感情は別物だった。 「あー、気になって仕方ねえっ」 大声でエドワードは叫いた。 そして、金髪が乱れるのも気にせずにがしがしと頭を掻き回す。 「アル」 「何?」 「アルも気になるだろ?」 何がとは聞かなくてもわかる。 「なるよ」 兄の言葉にアルフォンスは肩をすくめて答える。 「行こう!」 「……仕方ないね」 アルフォンスは諦めたように吐息を付いくと本を閉じて立ち上がる。 自分も心配だ。ただ、迷惑にならないようにとホテルにいるだけで。 兄にその辛抱ができるとも思えない。ここで一人で行かせたら、絶対面倒をかけるに違いない。自分が同行した方がいいに決まっているのだ。 二人は急いで外へと向かった。 「どの辺りだろうな」 多分、夜道をふらふらと歩いているのだろう。 犯人が襲う場所は決まっていない。 ただ、メインストリートから外れた人通りが少ない場所の方が狙う側としても仕事がしやすいだろう。 二人は夜道を走った。 今回の囮捜査は、こうだ。 ホークアイが一人で街を歩く。 軍部の人間が側にいて見張っていては、犯人は絶対に現れない。それでは意味がない。 それ故、軍部のメンバーは遠くで待機している。もちろんホークアイは無線を携帯し連絡を取り、何かあればすぐに飛んで来るという手はずになっている。 また、拳銃も携帯している。 それ以外方法がないのだが、危ないことこの上ない。 ホークアイは私は軍人だからと笑ったが、いつも顔を出す度によくしてもっている彼女が兄弟共に心配になるのは当然と言えた。 暗い夜道。 街灯はまばらに灯り、ぼんやりと道を照らす。 それ以の光源は月くらいなもので、三日月よりも薄い月は僅かばかりの光を地上に降り注いでいるだけだ。 暗闇と静寂。 夜が色濃く漂う時刻は、まるで闇の生き物が蠢くような気さえする。 街の喧噪は影を潜め、自分が立てる靴音さえ遠くに響く。 どこだろう。 どこにいる? 夜道を二人は走る。 どれだけ走っただろうか。ふと、気配がした。 ……っ。 エドワードは瞬時に避けた。 自分を狙ったナイフの切っ先が横を掠めていく。 「来やがったか」 忘れていた訳ではないが、こちらが来てしまった。 「アル」 「わかてってる」 兄弟は襲いかかって来る男達を避けながら反撃に出る。 しかし、ここで時間を食うのは困るのだ。一刻も早くホークアイの元へ行きたいというのに。 相変わらず気配を感じさせない男はエドワードに錬成でもって攻撃を与える隙を与えないような俊敏な動きで襲って来る。 「このっ」 執拗な攻撃。 この男は、俺に恨みでもあるのだろうか。 標的は俺であり、決してアルフォンスではない。 軍属だから?国家錬金術師だから?それとも、何か理由があるのだろうか。 旅から旅へ過ごしている自分は、どこかで恨みでも買ったのだろうか。 目的は、何か。 命?それにしては、おかしい。 そう、俺の命が必用ならもっと殺人のプロを雇わなければならない。 こいつは確かにプロだし、殺人もできるかもしれないけれど、違うと思うのだ。 それに、飛び道具がないのだ。 拳銃を使われたことはない。 エドワードはそんな疑問を持ちながら、男と相対する。 ガツーーーン。 響いたのは銃声だ。男の顔のすぐ横を通り過ぎた。男の頬に赤い血が滲んでいる。 「エドワード君」 「中尉?」 振り向いた先にはホークアイがいた。 今は長い髪も下ろしセーターにスカートとコートという普通の服を着ている。一見軍人には見えない装いだ。 拳銃を構え、鋭い目で睨んでいた。 「止まりなさい。そうでないと、撃ちます」 男の眉間に標準を合わせてホークアイは硬いがはっきりした声で命令した。 しかし、男は無表情のままホークアイを認めると腕を振り上げナイフを投げた。 目にも止まらぬ早さだった。ホークアイが発砲するより早い。ナイフはホークアイの腕を掠め、拳銃が落ちる。 落下してカランと金属の音を立てる。 男は俊敏にホークアイまで走りより、腕を掴むと後ろ手にして拘束する。 「ちょうどいいな」 何がちょうどいいのか。 ホークアイは内心の焦りを隠し、じっとしていた。 この腕から逃れる方法を。隙があれば軍人として身についた体術を駆使して逃げる。 相手はかなり強者であるが。 「その人を離せ」 エドワードは低い声で言う。 先ほどは咄嗟に中尉、と呼んでしまったが軍人である事は伏せた方がいいだろう。 「できないな。ついでだから、この女でいい。ちょうど金髪だしな」 「……」 まさか。まさか、まさか。 この自分を襲う男達が連続殺人事件の犯人と同一人物なのか? エドワードは状況を理解すると、決断した。 「その人を離せ。俺も狙いなんだろ?だったら、俺にしたらいい」 「エドワード君?」 「兄さん?」 驚く二人を無視してエドワードは続ける。 「この機会を逃したら、俺は絶対に掴まらないぜ?」 「……いいだろう。こっちへ来い。それから、お前。そいつの手を後ろ手で縛っておけ。手を合わせただけで錬成できるからな。手が合わないように、交差しておくんだぞ」 男は別に男に指示を出す。 「わかったから。抵抗しないから、その人を離せ。そうじゃないと、駄目だ」 「いいだろう」 「駄目よ、エドワード君」 ホークアイが訴える。 「いいから。どっちかっていうと、今日は俺の巻き添えだったみたいだし。ごめんね」 「エドワード君」 ホークアイに謝ると、エドワードは男の側まで歩み寄った。 「アル、後は頼んだ」 そして、振り向くとアルフォンスにそう告げた。アルフォンスは兄の意志を正確に読み取った。 ホークアイの安全。その後の追跡。 エドワードも無駄に掴まる気などないのだ。 ホークアイのためだけではなく、連続殺人事件の犯人と自分を襲ってきた奴らが同一人物なら、その目的やアジトを突き止める必要性がある。 ここで逃したら、被害者は増えるばかりだ。 自分も襲われ続ける。 この男達には絶対にバックがあるはずだ。 理解の早い弟に小さく微笑んで、抵抗の意志がないと伝えるように腕を差し出した。近寄ってきた男に大人しく縛られる。 「ほら、その人を離せ」 拘束されたエドワードを無表情で見て、男はホークアイを突き飛ばした。そして用心のために落ちている拳銃を遠くに蹴り飛ばす。 「女、お前も動くなよ。何かしたら、こいつが傷つくってわかっているな」 捕らえられたエドワードはホークアイにとって牽制になる。ホークアイは奥歯を噛みしめて男を殺気を込め睨み上げた。 ふんと男は鼻で笑うと、いくぞと顎をしゃくる。そして、エドワードを持ち上げると肩に担ぎ上げた。 「うわ」 少年とはいえ人間一人分の重みなど感じさせない程軽々と担ぎ上げたままあっという間に黒い集団は去った。 『大佐……!』 ホークアイは無線で呼びかけた。 アルフォンスは石畳に錬成陣を描いている。両手を付くと青白い光が暗闇に広がった。 |