在天願作比翼鳥、在地願為連理枝」1






「よう、大佐」
 片手を上げて執務室に顔を出した少年に、部屋の主である東方司令部の実質的責任者、階級は大佐のロイ・マスタングは小さく吐息を付いた。
「部屋に入る時はノックくらいしなさいと、何度言えばいいのだね?」
 相手が全く堪えないとわかっていても、ロイは毎回毎回注意を欠かさない。それは、一種の約束事のようなものであると双方自覚はあった。
「尊敬できる上司なら、するけど?」
 だから、少年もいつもと同じ台詞を返す。
「私ほど尊敬できる上司はいないと思うが?」
「よく言うぜ。うそばっかり付いていると口が曲がるんだぜ?」
 応酬は続く。
「私の口が曲がったら世の女性が嘆き悲しむな」
「自意識過剰だろ」
「自己理解と言ってくれ」
「絶対、絶対、そのうち口が曲がる。腐って落ちる。保障する」
「私は正直者だから、大丈夫だよ」
「この、厚顔無恥めっ」
「ありがとう。誉め言葉として受け止めてくよ」
 エドワードの叫びもロイには通じなかった。
 

 
「で?今回はどうだったのかね?」
 すぐにロイは仕事の顔に切り替えた。そういう所は軍人らしいとエドワードは思う。
「収穫はなかったな。死んだ人間を生き返らせる命の水があるっていう噂があったから、わざわざ南部の国境近くまで行ってきたんだけど、デマだった。湧き出る泉っていうのが辺境の山の中にあるからそこまでたどり着くまで大変だし。行ったら行ったで、成分が特殊で美容にいいって水だけだった」
 その噂を手に入れるために南部にある図書館や地方にある郷土資料館などを見て回っている。期待しただけ結果は散々で、今更落ち込んでも仕方ないとは諦めているけれど。
「それで、これがその時の報告書」
 国境近くへ行ったため、隣接している国の噂や国境の現状を記してある。
 情報は切り札だ。
 例え、東方司令部にいるロイだとて関係がない事などない。
 一度、他国と戦争にでもなれば軍人が徴収されることは当たり前だ。それに国家錬金術師が投入されるのか、指揮官として誰に命令が下るのか。
 暗躍する古狸がどう動くか。
 軍の動向を絶えず探るのは、上を目指す人間にとって当然の事だ。
「ふむ」
 ロイは受け取る。
 ちらりと目を通しながら、座りたまえとエドワードを促す。エドワードは遠慮せずソファに腰を下ろし足を組む。
「小競り合いはあっても、ひとまず均衡を保っているようだね」
 ロイは報告書に視線を向けながらエドワードに聞いた。
 見てきた本人の印象を聞くのが一番だからだ。
「まあな。特別、せっぱ詰まった感じはなかったぜ?国境沿いの住人から緊張感も伝わって来なかったし。俺がいる間はもめ事も大してなかったな。憲兵ものんびりしてたし」
 余所者でも、ぴりぴりとした雰囲気は伝わってくるものだ。
 エドワードの主観であるが、事なきを得ていると感じた。
 すぐに戦争が起こる事はないだろう。南部国境は。
 エドワードにしても、戦争が起こらない方がありがたい。無闇な人の生き死には辛い。まして、自分は国家錬金術師だ。軍の狗だ。人間兵器だ。
 いざ指令が下れば、戦地に赴き人を殺すのが仕事だ。
 できるなら、戦争など起こってほしくなかった。
「ご苦労だったね」
 ロイの声音に労りが見えた。
 多分、賢者の石の成果がなかった事だろう。
 探しても、探しても見つからない伝説上にある幻のような石。簡単に見つかるものではにと知っていても、手がかりがなければ焦りたくもなる。
「別に、いつもの事だから」
 わかっているからエドワードは強がる。
 落ち込んだ姿を見せるのは腹立たしい。弱みを見せるなんて絶対にしたくない。只でさえ負けているのに。
 大人の余裕を見せつける軍のトップに立つ男に、いつか追い付いてやる。そうエドワードは思っている。
「そうかい」
「ああ」
 その後エドワードは旅の話を続けた。
 南部の街での話、南部へ行く前に寄ったセントラルでの話。セントラルでヒューズ中佐に逢った事。
 ここ東方司令部を訪れるのは3ヶ月ぶりだ。話は尽きない。
 
 コンコン。
 軽いノックの音がするとホークアイ中尉が失礼しますと入室してきた。手にはお盆を持っておりその上にはカップが乗っている。
「こんにちは、大佐」
 ホークアイの後ろからアルフォンスも続いた。
 ロイに礼儀正しく頭を下げ挨拶する。
「やあ、アルファンス君もよく来たね」
「はい。お久しぶりです」
 兄弟の対応の違いにロイは内心苦笑する。
 性格の違いというには、あまりにも態度が違う。
 弟であるのに、礼儀正しく穏やかなアルフォンス。兄であるのに乱暴で口が悪くて怒りっぽい。およそ自分の上司であるロイに敬意を示すことをしない、不遜で横柄な態度をする。
 どうしてこんなに違うのだろうね、などと言えば激怒して執務室を破戒しかねない。ロイは思っても口にしなかった。
「休憩にして下さい、大佐」
 ホークアイはテーブルに持ってきたカップを置いた。カップからは湯気が立っている。
「エドワード君もね」
「ありがとう、中尉」
 にこりと笑ってエドワードはホークアイにお礼を言った。
 ロイにはブラックだが、エドワード用にはミルクの入ったカフェオレ。ホークアイはエドワードの好みを把握しているから、何も言わなくても用意する。
 その心遣いが嬉しくて、心がじんわりと暖かくなるからエドワードはホークアイにはいつも素直だ。
 お礼も言えば笑顔も向ける。
 旅先の土産も持ってくる。
 ロイは椅子から立ち上がり身体を伸ばすとエドワードの横に腰を下ろした。そしてカップを手に取り、珈琲を一口飲む。ふうと一息入れてカップをテーブルに置くと徐にエドワドの横顔を鋭く見つめて口を開いた。
「で?」
「で、って何?」
 いきなり、主語も述語も省いた問いかけにエドワードは面食らう。
 何が言いたいのか皆目見当も付かない。
「この怪我はどうしたんだ?」
「……っ」
 目を眇めながら、見下ろすロイの視線にエドワードは身体をびくりとふるわせた。
 服に隠れていて一見見えないが、エドワードは左腕を怪我していた。仕草に現れるようなドジは踏んでいないというのに、血の匂いに敏感な軍人には誤魔化せないようだ。
「だから、ばれるって言ったでしょ?兄さん」
 ホークアイの横に立っているアルフォンスは肩をすくめるようにして、エドワードを呼ぶ。ここ司令部の人間を騙せるなんて思う方がおかしいとアルフォンスは思う。
 弟の指摘にばつが悪そうに首をすくめ、エドワードはぷいと横を向いた。
「鋼の、見せてみなさい」
 ロイはエドワードの左腕に触れようとする。しかしエドワードは抵抗した。
「大したことないって、本当に」
「大したことなくて、アルフォンス君が心配する訳なかろう?違うかね」
「……」
「鋼の」
 ロイは反抗できないエドワードを少しだけ強く呼び、服を脱ぐように促す。
 エドワードはしぶしぶ自分で赤いコートと黒い上着を取り去った。すると無造作に巻かれている白い包帯が目に入る。
「治療は?」
「……応急処置はしておいた」
「応急処置をすればいい問題ではないな。その場では仕方ないが、その後にきちんと処置しないとならない事くらい理解しているだろう?」
「こんなの、怪我に入らない」
 きっぱりと言い切るエドワードにその場にいた3人はため息を付く。ロイはこれ見よがしに大きなため息を落とし、ホークアイは苦笑しながら困ったように微笑み、アルフォンスは表情はわからなくとも、盛大に肩を落としていることがわかった。
「医務室に行きなさい」
「必用なっ……」
「上官命令だ。軍での命令は絶対だ。鋼の」
 エドワードが言い返すのを遮るようにロイは断言した。
 悔しそうに、エドワードは唇を尖らせる。
「大方、君の事だからまたトラブルに巻き込まれて暴れたのだろうけれど、怪我をするなど珍しいね」
 自分の事にあまり構わないエドワードは暴れて喧嘩をして掠り傷を作るが、このように包帯を巻くほどの怪我を負うのは珍しい。それは偏にエドワードが強い事とストッパー役のアルフォンスのおかげだ。途中で止めに入るアルフォンスがいなければ、際限なくエドワードは暴れるだろうから。
「俺は何もしちゃいない。不可抗力だ!」
 ロイの言いように、ムキになってエドワードは叫んだ。
「しかしね、鋼の」
「本当なんです、大佐」
 横からアルフォンスが口を挟んだ。兄に任せておくと、一行に話が進まない。
「ここのところ、襲われる事が多々あって。兄さんの怪我は昨日のものです。今までは人数が多いだけで強い相手はいなかったんですが、昨日は手練れが増えていて」
 アルフォンスが困ったように事情を話す。
 しかし、その言葉はロイを不機嫌にさせるには十分だった。
「鋼の」
「何だよ」
 黒くて強い視線がエドワードを射抜く。エドワードは滅多に見ない冷たくて鋭い色に戸惑う。
「……私は、聞いていないが?それも報告の義務があるのではないかね?」
「俺が襲われるのなんて、今に始まった事じゃない。国家錬金術師は、軍の狗として嫌われるから、喧嘩をふっかけられるなんて、ざらだ」
「しかし、明らかに狙われているのだろう?」
「そんなの、わかんねんだろ?」
 実際のところ、エドワードが狙われ出したのは、1ヶ月前からだ。
 人から恨まれる覚えはないつもりだが、国家錬金術師であるというだけの理由で蔑まれなじられる事がある。軍属として行動する事だとてあるから、恨まれる事もあるだろう。
 何かの事件の被害者であるとか、軍に恨みをもつものだとか。思い当たる節がなくても考え出したら切りがない程、たくさん予測が立つ。
 理由などなくても、軍というのは嫌われるのだ。
 その最たる国家錬金術師。
 金で軍に身売りする人殺し。
 認識の違いがあれど、軍人嫌いからすれば嫌悪の対象だ。
 確かに、同じような人間に狙われているからエドワードが対象であるのだろうけれど。顔は隠しているせいで見えないが、闇夜に隠れるような黒い服を纏った男達だ。
 国家錬金術師である「鋼の錬金術師」に用があるのか、エドワード・エルリックに用があるのかは定かではないが。
「相手は同一人物なのか?手がかりはないのか?」
「……さあ」
 詰問するロイにエドワードはとぼける。
「鋼の」
 が、ロイはエドワードの逃げを許さなかった。決して大きくはないのに、怖いほど真剣な低い声音で呼ぶと肩を掴む。
「忘れているようだけれど、君は軍属だ。報告の義務がある。軍属の人間が、まし大総統府直属の国家錬金術師がトラブルに巻き込まれて、知りませんでした、申し訳ありませんでしたでは済まない。わかるかね?君を預かる東方司令部も責任の一端を握る。確かに君には自由がある。普段軍に属する必用はない。けれど、何をしていい訳じゃない。自分だけが責任を取ればいいなんて理屈通用しない」
 エドワ−ドは息を飲み目を見開いてロイを見つめた。
「……ごめん」
 エドワードは自分の身勝手さを自覚した。
 そう、自分は軍属で、銀時計の鎖は大総統府に、軍に繋がれている。
 何かあって自分が悪かったでは済まない。子供の論理など通用しない。
 利用価値があるから、特権や研究資金が豊富に与えられるのだ、国家錬金術師は。
 そして、自分が自由に動き周り国中を旅する事ができるのは東方司令部にある大佐の後見があってこそだ。常日頃、所在が明かではない自分。連絡が付かないというのは、軍属としてあってはならない事だ。
 何かあれば出頭を命じられる。拒否はない。
 どんなに大人になろうとしてもエドワードはまだ15歳の少年だ。子供だ。
 庇護が必用な年齢だ。
 俯いて唇を噛むエドワードにロイは口調を変えた。
「皆心配していると、わかりないさい」
 エドワードが顔を上げると、瞳を和らげたロイがいた。自分を見て微笑んでいるホークアイの視線に気付いて、エドワードは照れくさくなる。
 小さく頷くと、最初から話し出した。
 
 




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