「名探偵は魔女!?」6







「……え」
「……あ」
 
 一度絡んだ視線を二人は外せなかった。それが敗因といえば、敗因かもしれなかった。
 
 新一が出かけたのはミステリの新刊を手に入れるためだった。今ではネット通販で便利に買えるが、本屋で平積みされた本を買う高揚感は代え難いものがある。他にも、めぼしいものを探してちらちらと読むことができるのは本屋でしか出来ないことだ。
 いつも行く近場の本屋ではなく少し歩いた先にある大型の本屋に行くことにしたのは、のんびりと歩きたかったからだ。
 先日、怪我をして家で療養していたせいで遠出は今まで控えていた。
 やっと高校へ行けるようになっても、しばらくは家と学校の往復しか許してもらえなかった。主治医である志保に逆らうのは怖い。新一の身体のことを一番に考えてくれているとわかっているため、無碍にもできない。
 そんな理由で上機嫌な新一は欲しかった新刊だけはまず購入してから、売場を見て回ることにした。興味を惹かれた分野の本を片っ端から手に取る。雑学は必要だ。探偵には広い知識が必然だ。そうでなければ、ほんの小さな痕跡も見つけることができない。
 大好きな本を見ていると時間が経つのを忘れてしまう。はっと気づけば、もう2時間も経過していた。さすがに喉の乾きを覚え、どこかで休憩しようかと本屋を後にして歩いていた。どうせなら、美味しい珈琲が飲みたい。
 その時だった。
 並ぶ店に視線をやりつつ、人の波を避け脇に退こうとしてどんと誰かにぶつかった。どうやらその人物も誰かを避けたところらしい。新一はすみません、と謝るつもりで顔を上げた。
 だが、新一は言葉を発することができなかった。
 相手は新一と同じくらいの青年で同じように驚いた顔をしている。
 ああ、駄目だ。しまった。ここは普通に謝って素知らぬ顔をして去っていくべきだった。戸惑ってはいけない。まして、お互いが知人に会ったかのように驚いてはいけない。
 そして、諦めた。今更知らんふりで別れるのは不自然だ。新一は脱力しながら吐息を付いて相手に苦笑した。
 青年も、仕方なさそうに笑ってお茶でも飲む?と誘ってきたので新一は頷いた。
 
 
 近場にあるカフェに入り、新一は珈琲、青年は紅茶を頼んだ。
 テーブルの上には湯気を立てているカップがある。ひとまず、喉を潤すことにした。味はまあまあだ。
 しかし。
 青年は学生服姿である。どこからどうみても高校生だ。やっぱり若かった。十代だと思っていたけれど、高校生か大学生か新一としては悩みどころだった。
 随分簡単に答えが出てしまったけれど、それもどうなんだろう。
 新一は心中でため息を付く。怪盗KIDと差し向かいで真っ昼間カフェでお茶をする自分を想像するだけで、大変おかしい。
 
「あー名探偵」
 青年が困ったように声をかけた。
「なんだよ、ガキ、いや子供」
「ええ?」
「それとも白いのがいいか」
「ひどいなあ」
「ひどくない。悪いのはおまえだ」
 ふんと顎をそらせて新一は青年を睨んだ。
「……そうだな、悪かった」
 自分が先に名探偵と言ったことき気付き素直に謝る。そう、こんなカフェで名探偵などと決して呼んではいけないのだ。新一はこれでも有名人なのだから。
「なら、どう呼ぼう?」
 本気で悩む青年に新一は吹き出す。
「ふつうでいいじゃねえの?」
「……自己紹介するか。俺は黒羽快斗。江古田高校の三年生。趣味はマジック!」
 新一は率直な自己紹介に目をぱちくりと瞬いた。
「俺は工藤新一。帝丹高校の三年生。趣味は読書。それで探偵をしている、でいいのか?」
 不思議そうに見つめあい、やがて互いに笑った。
「……うーん、工藤?」
「なんだ、黒羽」
 なんともくすぐったい気持ちになる。
「変な感じ」
 青年、黒羽快斗は照れを隠すように鼻の頭を掻いた。それが、普通の青年然としていて、新一は楽しくなる。そう、昼間はKIDの匂いなんてしない。学生で、マジックが趣味で、いつも練習しているのだ。そう言っていたではないか。
「ふん、慣れだろ。で、黒羽は時間いいのか?」
 カフェに入ったはいいが、なにか用事がるのではないだろうか。新一はすでに用事を終えているからいいけれど。
「いいよ。工藤はいいの?」
「俺はもう新刊を買った」
「なるほど。なら、早く読みたいんじゃないのか?」
 新一の本好きを知っている人間の台詞だ。そう、こいつは実際俺の趣味とか詳しいのだ。喜んで暇つぶしの暗号をもらっているから、今更だけど。
「そうだけど。今まさに、目の前に謎が転がっているのを無視するほど俺はあきらめがよくない」
「俺は謎?」
 苦笑を堪えて青年が自分を指さす。
「どっちかっていうと答えあわせ?折角だから、玄関から招待しようと思ってさ」
「玄関からっていうのは、いいな。こう、ふつうっぽくて」
 新一の揶揄に青年も笑った。毎回ベランダから進入する夜の犯罪者には出来ない招待だ。
「どうだ?」
「是非」
 即答した青年を新一は連れて帰った。
 
 
 
 
 
「それで?」
「……」
「なんで、こんな事になっているのかしら?工藤くん」
 志保の目が怖い。凍える。
「説明をしてくれるわよね?」
 腕を組んで、顎をそらして説明を求めてくる姿は、まるで女王さまのように恐ろしい。
 肩で切りそろえられた茶色い髪に焦げ茶の瞳と怜悧な美貌が、余計に志保の女王さまぶりの効果を上げている。
 そんなことを口走ったら、どんな目にあわされるか考えただけで、肝が冷える。
「だから。その」
 新一は口ごもる。どう説明したらいいのだろうか。
「工藤くん。KIDといつの間に、親しくなったの?それも素顔で。あり得ないでしょう?あなたの危機管理は子供より低いの?反論があったら言ってみなさい」
「偶然町中で会ったんだ。不可抗力だったんだ。視線が会った時すぐに他人のふりをしなくちゃいけなかったんだけど、それが咄嗟に出来なかった。お互い、瞬間認めちゃって。それで、少し話しをすることにしたんだ」
「それで?それだけなら、その場でさよならでしょう?」
「なんか、名残惜しくて。どうせ何度も来たことがあるヤツだし。今更遠慮もないし」
 志保に語ることで、新一はその時の自分の気持ちや行動を改めて知った。
 別れたくなかったのだ、あの時。すごい偶然だったのだ。
「だから、俺が誘った。家に来ないかって。志保からすれば軽率だって怒られるけど、でも。そうしたかったんだ」
 だんだんと語尾が小さくなり新一は俯いた。
 自分の行動がよくないことはわかっている。昼間のKIDと交流があるなんて、志保が心配するのは当然だ。犯罪者であることが困ったことではない。KIDだから、どうだということもない。新一と志保も十分に犯罪組織と関わりあった。新一は組織を壊す時犯罪すれすれどころか、ばれたら犯罪ということを平気でしたし、志保は元々組織の人間だった。KIDだからという理由で蔑むことも、排除することも考えはしない。
 ただ、魔女である新一の魅了がネックになっているだけで。
「今のところ、それらしい行動は見られないけど。でも絶対じゃないでしょ?相手はKIDですもの」
 変化自在なKIDだ。完璧にその人物を演じることが出来る人間なら自分を偽ることもできるはず。志保がいいたいことはわかる。
「うん」
「これ以上親しくなると、まずいってあなただって思うでしょ?」
 諭す口調の志保に、新一はこくりと頷く。
「魅了の力が働いていないって、断言できるならいいけど。困るのは工藤くんなのよ?ストーカーするKID。下僕となるKID。イヤでしょ?」
「イヤだ」
「……でも、下僕はありかもね。だって、彼あなたに尽くしているもの」
「尽くす?」
「暗号いっぱいくれて。マジック見せてくれて。見舞いに来てくれて話し相手になってくれる。十分尽くしているじゃない。魅了の力は関係ないでしょうけど」
 だって、下僕いっぱいいるものね。志保は心中で呟いた。
「あいつ、いいやつだからさ、気を使ってくれたんだ。下僕じゃないぞ。尽くすって表現もどうかと思う」
 新一の言い分を志保は鼻で笑った。だが、言葉にはしなかった。
 無自覚は罪だ。おかげで下僕志願者がうじゃうじゃいる。もしKIDが下僕となっても使えるなら、問題はあまりないのかもしれない。大阪の高校生探偵も、警視庁の警部も刑事も顎で使っている事実があるのだから、無問題だ。たぶん。
 志保は、そんな馬鹿らしい事実を頭に思い浮かべて新一をちろりと見やる。
「工藤くんがそう思いたいなら、別にいいわ。後で結果というものは付いて来るものだし。私の忠告忘れないでね」
 にこりと稀にみる笑顔で志保が返すと、新一がひくりと肩を揺らした。
「……わかった。肝に命じておく」
 その表情は、まるで先生に叱られた子供のようなものだった。
 
 
 
 
 





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